カテゴリー「Youth (ユースサッカー)」の49件の記事

2009年4月23日 (木)

ヴィルゲスユースのセレクション

4月にWirges(ヴィルゲス)でユースのセレクションが2回行われた。対象は来シーズンのBとCユース。

ドイツのユースは、Aユースが19・18歳、Bユースが17・16歳、Cユースが15・14歳というふうにFユースまで2年ごとに年齢カテゴリーが分けられている。A・Bユースでは、大人と同じように、そのカテゴリーで一番上のリーグをブンデスリーガと呼び、上から下のリーグまで毎年成績により昇格と降格が行われている。

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<第一回セレクション>

ヴィルゲスのB・Cユースは州の1部リーグに所属。全国レベルで見たら中級クラスだけど、この地域では強いクラスに入ると思う。すでにヴィルゲスでプレーをしている選手と他のチームに所属している選手たちがセレクションに集まった。

テクニック、コーディネーション、ゲームを行ったけど、日本の子供たちと比べたら練習量も少ないからか、平均的に見てボールコントロール力は劣っている。ただ、18歳くらいになるとフィジカルもかなり強くなって、ゲームに勝つすべを覚えてくる。

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<セレクションの様子>

一回のセレクションで集まった人数は約40人くらい。ヴィルゲスの対戦チームに所属している子供たちも来ていて、試合からすでに情報が入っている選手も何人かいた。セレクションの次の日からは、何人かの選手がヴィルゲスに練習参加に来始めている。長期的な育成を考えて、スタッフでいろいろな面を観察している。

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2009年2月28日 (土)

ヴィルゲスCユースのコーチに就任

 今シーズン後半戦から、自分の所属するWirges(ヴィルゲス)でユースチームの指導にも携わらせてもらっている。担当チームはCユース(14~15歳)。練習は週3回で、1回の練習時間は1時間15分から1時間30分。限られた時間の中で、できる限り能力を伸ばせるようにやっていかなければいけない。

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<ヴィルゲスのCユース>

<後列左から>
俺、監督デニス、アレックス、フランツォ、アルメンド、マックス、エフタル、ハカン、ラファエル、ベアティ、クリスティアン、ヨハン
<前列左から>
オリバー、フラクロン、ゼルチャン、ゼミ、ボラ、トム、ゼファ

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<まだ雪の残るプレシーズンマッチ>

最初の試合は、昨年2-6くらいでぼこられたという一つ年上のカテゴリー(16~17歳)のモンタバウアの女子チーム。ヴィルゲスは明らかに力の差を見せて6-1くらいでリベンジを果たした。

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<公式戦前>

去年行われたリーグ前半戦は2位。今年に入り6-2、6-1、13-1、9-0と快勝を続けてとうとうリーグ首位に浮上した。目標は、残り試合を全勝してリーグ昇格。選手たちはまだまだ伸びる要素を持っている。

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2009年2月24日 (火)

ドイツU17 ハーレンフースバル・ケラミックカップ2009の裏側

 1月17日と18日に、ドイツのラインラント・プファルツ州モンタバウアで行われた第27回Keramik Cup(ケラミックカップ)。ドイツU17カテゴリーで最大の室内サッカーイベントに、埼玉県から川越水上公園の人たちが視察に訪れた。ここでは、昔ドイツで一緒にサッカーをした友達のジョウが少年サッカーチームのコーチをしていて、今回またドイツに舞い戻ってきた。

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<入口でVIP用のバンドを巻いてもらう>

 
このケラミックカップは毎年1月に開催されていて、大会の質を保つために、基本的にはプロの下部組織しか出場できない。大会にはブンデスリーガや海外のプロチームの下部組織が毎年参加している。

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<試合を見守るヴィルゲス陣営>

 
今年は海外からオーストリア・ウィーン、ブレンビー・コペンハーゲンが参加。また、地元枠として、俺の所属しているWirges(ヴィルゲス)のU17チームも毎年参加している。去年参加した選手たちや来年参加する選手たちも会場に足を運ぶ。

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<食事をとるケルン>

 ヴィルゲスの元会長アルフォンスがこの大会を取り仕切っていることもあり、今回、何から何かまでいろいろと面倒を見てくれた。

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<ジョウとVIPラウンジにてカフェタイム>

 会場はそれほど大きくないけど、VIP席と一般席に分かれていていつもいっぱいになる。スポンサーや各チームスタッフなどは、ドリンクや食事サービスの用意されたVIPラウンジを使うこともできる。

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<大会の後片付け>

 2日間にわたる大会はカイザースラウテルンの優勝で幕を閉じた。大会には多くの人たちがボランティアとして関わり、大会に参加したヴィルゲスの選手たちも会場の後片付けを手伝った。

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<記念のケラミックカップグラス>

 1日目と2日目の間にはVIPレセプションがあり、ヴィルゲス市長や各チームのスタッフ、スポンサーなどの大会関係者が大勢集まった。

大会の映像はこちら

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<酒を勧められるかんちゃん>

 大会の大きな目的は、サッカーによる青少年スポーツ活動や教育の促進。スポンサーやボランティアの人たちによって大会が支えられている。

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<レセプションを取り仕切るアルフォンス統括本部長>

「おまえらぁ、出てこいやぁー!」

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<川越水上公園から大会へのお土産>

 レセプションではメインスポンサーや各チームが紹介される。日本から視察に訪れた川越水上公園も暖かく迎えられ、地元テレビのインタビューも受けた。川越水上公園では2009年の夏にケラミックカップ日本予選が開催され、その優勝チームが2010年ケラミックカップ本選に出場することになっている。

 ちなみに、2008年の春には川越水上公園の3選手がジョウとともにドイツを訪れ、ブンデスリーガのチームに練習参加したりホームステイしたりいろいろな活動を行った。

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<盛り上がり踊り始める>

 会場ではDJが場を盛り上げお祭り騒ぎとなった。ブレンビーのスタッフが終始「フーフー」と奇声をあげていた。次の日に大会があるにもかかわらず、最後の人が帰るまでレセプション(飲み会)は続くと言っていた。

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<はしゃぎすぎて眼鏡を壊すジョウ>

それでは、川越水上公園の日本予選か2010年のドイツ大会でまた。

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2009年2月21日 (土)

ドイツU17 ハーレンフースバル・ケラミックカップ2009

 1月17日と18日に、ドイツのラインラント・プファルツ州モンタバウアで第27回ケラミックカップが開催された。ケラミックカップ(Keramik-Cup)とは、毎年1月に開催されているドイツU17カテゴリーで最大のハーレンフースバルのトーナメントで、ブンデスリーガの下部組織や海外のプロチームの下部組織が毎年参加している。

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<開会式>

 Hallenfussball(ハーレンフースバル)とは「室内サッカー」という意味で、冬の間リーグ戦が中断する時期に、プロ、アマ、ユース年代のそれぞれの大会がドイツ各地で行われる。ルールは地域や大会によって少し異なるけど、基本的なルールはキーパーを含めた5対5のミニサッカー。日本のフットサルと違うところは、スライディングタックルがありのガチンコ勝負で、フィールドの四方が1mくらいの壁に囲まれている。(会場によっては、サイドラインだけに壁があったり、片方のサイドだけ壁がある場合がある。)

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<ケルン対コブレンツ>

 
今年は大会に15チームが参加。ブンデスリーガからは、ハンブルガーSV、カイザースラウテルン、シャルケ04、フランクフルト、メンヒェングラートバッハ、ヘルタ・ベルリン、ドルトムント、ケルン、レバークーゼン、シュトゥッツガルト、カールスルーエ、TuSコブレンツ。海外からは、オーストリア・ウィーン、ブレンビー・コペンハーゲン。また、地元枠として、俺の所属しているWirges(ヴィルゲス)のU17チームも参加した。

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<ゴール横に控える選手たち>

 今年のケラミックカップは出場チームが増えたため、1試合が12分1本勝負(去年は15分1本勝負)。交代は何度でも自由で、交代選手は自陣のゴール横の壁の後ろに控えている。交代する時は、壁を飛び越えてフィールドに入っていく。

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<地元ヴィルゲス>

 ヴィルゲスは地元枠として毎年大会に参加している。毎年良い成績を収めていないので、今年も周りの強豪相手に初めはビビッていたけど、試合をやるごとによくなっていった。ブンデスリーガのチーム相手に善戦し、フランクフルトを退けて2次リーグに進出を決めた。

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<カールスルーエ対ハンブルク>

 大会は、FIAFA、UEFA、ドイツサッカー協会にもサポートされていて、熱戦が繰り広げられる。 

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<ちびっこのエキシビジョンマッチ>

 ブンデスリーガ2部に上がって2シーズン目で、開催地からすぐ近くのTuSコブレンツも今年は大会に参加。残念ながら1次リーグで敗退。

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<ジョウたちと観戦>

 埼玉県の川越水上公園の人たちも大会を視察に。大会を取り仕切るアルフォンスが元ヴィルゲスの会長だった関係で、来年は日本チームもケラミックカップに参戦。

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<健闘したヴィルゲス>

 15チーム中12チームが2次リーグに突破する。2次リーグは、3チームずつ4グループに分かれてのリーグ戦。それぞれのグループの上位2チームがベスト8に進出する。

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<PKの距離は9m>

 ベスト8に進出したチームは、カイザースラウテルン、ウィーン、ケルン、ハンブルク、メンヒェングラートバッハ、ベルリン、カールスルーエ、ブレンビー・コペンハーゲン。準決勝1試合目では、カイザースラウテルンがケルンにPKで勝利。もう一つの準決勝ではメンヒェングラートバッハがブレンビーに4-2で勝利。 

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<優勝したカイザースラウテルン>

 優勝はカイザースラウテルン、2位メンヒェングラートバッハ、3位はブレンビー、4位はケルンという結果に。

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<大会を取り仕切ったアルフォンス総統>

大会の映像はこちら 

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2008年11月16日 (日)

U17ルワンダ代表とミヒャエル・ヴァイス

 ドイツサッカー協会とラインラントサッカー協会などのサポートにより、ルワンダのサッカーが強化されている。これまでも女子代表各年代の代表の合宿、指導者を対象としたコーチライセンス講習などがKoblenz(コブレンツ)のスポーツシューレで行われた。
 
 今回合宿を行ったのはU17ルワンダ代表。2009年にアルジェリアで行われるU17アフリカ選手権最終予選のブルキナファソ戦を目前にしての大事な合宿。

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<スポーツシューレで練習前>

 
ルワンダと始めて関わったのは、2007年にU18ルワンダ代表と対戦した時。たまたま自分の所属するWirges(ヴィルゲス)がルワンダと練習試合を行い、そのときルワンダの監督だったドイツ人のMichael Weiss(ミヒャエル・ヴァイス)と知り合った。その後、ミヒャエルは自分の参加したインターナショナルコーチングコースで講師を務め、それに参加していたルワンダのコーチたちとも仲良くなった。それ以来、ルワンダ関係がコブレンツにやってくると、ミヒャエルに会ったり合宿に顔を出させてもらったりしている。

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<グランドで指揮を取るミヒャエル>

 この日の練習は、次に対戦するブルキナファソや本選に参加してくるアフリカの強豪を想定して、球際での激しいプレッシングに重点が置かれていた。乗ったら怖いチームに試合のリズムを作らせないようにしたいとミヒャエルは言っていた。

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<最初と最後は円陣で>

 練習の最初と最後は円陣をしながらお祈り。練習の最後には俺も入るように言われ、円陣に加わった。

 11月8日にアウェイで行われたブルキナファソ戦は残念ながら1-2で敗北。しかし、まだホームでの戦いが残っているのでがんばって欲しい。

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<ミヒャエルと>

 ちなみに、ミヒャエルは日本での指導経験もあり、奥さんが日本人ということもあり、日本での活動場所も探している。これまでのルワンダでの実績が評価され、2009年までのルワンダとの契約はもう少し延長される予定だけど、常に日本での活動も視野に入れている。ミヒャエルに興味のあるクラブ関係者の方、ぜひご連絡ください。

Michael Weiss (ミヒャエル・ヴァイス)
1965年ドイツ生まれ、国籍ドイツ
ドイツS級ライセンス(2004年ケルンにて)
言語:ドイツ語(母国語)、英語(筆記・会話流暢)、日本語(会話流暢)、フランス語・スペイン語(ベーシック)

1995年:マインツ ヨハネス・グーテンベルク大学卒業(スポーツ科学)

1995年~96年:アメリカ バーミンガム・サザン・カレッジ(キーパーコーチング)

1996年~97年:アイゼンベルク コーチ・フィットネス・リハビリセンター

1997年~99年:スポーツアドバイザー 長崎県国見高校

2000年:アメリカ フォーゲルジンガー・サッカー・アカデミー

2001年~04年:京都パープルサンガ アシスタントコーチ
(2001年J1昇格、2003年天皇杯優勝)

2004年~06年:中国サッカー協会、Eckhard Krautzunアシスタントコーチ、独中サッカーアカデミーBad Kissingen(2008年中国オリンピックチームの立ち上げ)
(U20ワールドユース2005オランダ大会ベスト16)

2007年~:ルワンダサッカー協会 テクニカルディレクター(コーチ育成、ユース育成、女子チーム担当)、U18監督

<インターンシップ>
1997年:ガンバ大阪(トップ、ユース)
2003年:マンチェスター・ユナイテッド(トップ、ユース)
2004年:1FCカイザースラウテルン(トップ、ユース)
2004年:リバー・プレート(トップ、ユース)
2005年:アーセナル(キャンプ)
2005年:レアル・マドリー(キャンプ)

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2008年5月 1日 (木)

Y先生のドイツサッカー研修

 2008年4月、兵庫県の高校からY先生がサッカー研修のためドイツにやってきた。Y先生は日本のA級ライセンスを持ち、兵庫県内でも決勝まで勝ちあがる高校の指導をしている。12月までの滞在期間中、クラブチームでの研修や試合観戦などいろいろな活動を予定している。

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<ブンデスリーガを観戦>

 Y先生のドイツでの滞在場所はKoblenz(コブレンツ)。大きすぎず、小さすぎず、ケルンやフランクフルトへの大都市にも1時間もあれば移動できる。大家のホフマンさんは、ブンデスリーガ2部に所属する地元Tus Koblenz(トゥス・コブレンツ)の会員。Y先生にマフラーをプレゼントし、一緒に試合を観にいった。

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<ブンデスリーガ2部、コブレンツの試合を観戦>

 コブレンツはブンデスリーガ2部に昇格して2シーズン目。今シーズン中、経営面でのスキャンダルがあり8ポイントも勝ち点を引かれたが、何とか2部残留を決めた。

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<ブンデスリーガ2部のアーヘンで研修>

 元レッズのブッフバルトが一時監督を務めたAlemania Aachen(アレマニア・アーヘン)のユースチームで研修を行った。アーヘンは1部復帰を狙っているが、周辺には資金面で勝るライバルチームが多く存在する。自らのユースから選手を育て上げ、トップチームに送り込まなければならない。

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<アーヘンU19のヘーグナー監督と>

 アーヘンのサテライトチームはオーバーリーガ(ドイツ4部リーグ)に所属していて、ユースカテゴリーはU19からU10まで9チームある。U19のヘーグナー監督は、自身もアーヘンでプロとしてプレーし、ビーチサッカーのドイツ代表監督兼選手としても活躍した。

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<フランクフルトのトップチームの練習風景>

 ブンデスリーガ1部に所属する、Eintracht Frankfurt(アイントラハト・フランクフルト)の練習を見学。稲本選手以外にも、EURO2008に出場するスイスやギリシャの代表選手も所属している。

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<フランクフルトの稲本選手と

 練習前に、同じ関西出身の稲本選手に挨拶。ブンデスリーガでは、後半戦も試合に出場しがんばっている。

 Y先生の研修まだまだ続く。

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2008年4月13日 (日)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記⑥

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

ドイツの家庭でホームステイをしながら様々な活動をして、いよいよお別れの日となった。

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<感想を述べるセイヤ>

最後は3家庭が集まって、みんなで団欒。

「最初は言葉が全く通じなくてジェスチャーで伝えるのがたいへんだった。家族の人たちはとても優しくて、10日間がとても早く感じた。」(ジュンペイ)

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<3人を陰ながら見守ったコーチ・ジョー>

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<御世話になったドイツの3家族と記念撮影>

「これからはドイツで学んだことを生かしていろいろなことに挑戦していき、また機会があればドイツに行きたい。」(ジュンペイ)

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2008年4月11日 (金)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記⑤

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

 3少年は1.FCケルンヴィルゲスでの練習参加を終え、今回はAlemania Aachen(アレマニア・アーヘン)のU15で練習参加した。

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アーヘンのユニフォームをもらい、U15チームに練習参加。

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アーヘンのトップチームは現在ブンデスリーガ2部に所属。
元レッズのブッフバルトも監督に就任したが、成績不振で解任された。

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ケルンではぴりぴりしてた雰囲気だったが、アーヘンは比較的ほのぼのした感じだった。
3人はドイツのチームで練習を数回こなしてきたので、アーヘンではすんなりチームに溶け込めた。

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監督ベンの指示に耳を傾ける。

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U15の練習を終えたら、U16のカルロ監督に呼ばれ、こちらでも練習参加することに。

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アーヘンU15の選手たちと。

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<アーヘンの大聖堂にて>

「選手の身長にびっくりした」(ジュンペイ)

つづく・・・

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2008年4月10日 (木)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記④

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

ブンデスリーガ観戦、1.FCケルンでの練習参加のほかに、地元の学校も訪問した。
この学校は2006年にドイツを訪れたMASAYA少年も訪問している。

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<学校を案内してくれたファー先生と>

 
訪問した学校はNelson Mandera Realschule(ネルソン・マンデラ・レアルシューレ)。南アフリカのネルソンマンデラ元大統領にちなんで名付けられたこの学校はユネスコプロジェクトに参加していて、国際的な考え方や活動に重点を置いた教育をしている。このような学校は世界126カ国に4000校以上あり、それぞれの学校がネットワークを結び国際交流を続けている。そして、このラインラントプファルツ州にもそのうちの8校が点在している。

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<校長室にて>

 ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)というところに通う。ここは日本で言う小学校に当たるところで、その後は成績や目的によってHauptschule(ハウプトゥシューレ)、Realschule(レアルシューレ)、Gymnasium(ギムナジウム)の3つのどれかに進んでいく。レアルシューレはこのうちの真中のレベルで、途中で中級卒業資格がとれば、専門上級学校やギムナジウムの高学年へと進むこともできるらしい。

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<休み時間に校庭で>

ファー先生に学校を案内してもらったあと、3人は体育の授業に参加。

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<体育館でミニゲーム>

2学年上の生徒たちと死闘をくりひろげた。

「日本の体育と違って本気の試合でびっくりした。」(ジュンペイ)

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<死闘をくりひろげた強敵(とも)と> 

予想外のマジさ加減に驚くも、怪我もせず無事に終了。
体育の授業といえど、勝ち負けがかかっている時は全力を尽くす。格好つけてたらたらやっている余裕などない。

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<ヴィルゲスでの練習>

俺の所属するWirges(ヴィルゲス)でも練習に参加した。ケルンではピリピリした空気が流れていたが、ここではほのぼのとサッカーを楽しんだ。この日は人数が少なく、俺もコーチ・ジョウも練習に参加。

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<ヴィルゲスで練習を終えて>

「見た感じは怖そうな人が多かったけど、実際話してみたら優しかった。」(ジュンペイ)

つづく・・・ 

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2008年4月 9日 (水)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記③

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

 ブンデスリーガ観戦や観光を終え、いよいよ自分たちがサッカーをする番になった。今シーズン、ブンデスリーガ1部に返り咲いた名門の1.FCケルンU15に練習参加した。

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<コーディネーションのトレーニング>

ケルンのU15は、ユースのトップリーグでも上位に位置している。

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<コーディネーションその②>

少し緊張しつつも、ケルンの選手たちと一緒にメニューをこなす。

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<いよいよボールを使っての練習>

コーディネーションは見よう見まねでこなしたが、次はボールを使っての練習。
3人とも気合いが入る。
中盤でのパス回しから展開を意識した実践的な練習をした。

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<練習中のセイヤ>

時間が経つにつれて練習の要領がわかり、のびのびとプレーができ始めた。
物怖じせず、ケルンの選手たちとも積極的にコミュニケーションを取っていた。
3人ともタイプは違えど、負けず嫌い。何度かいいプレーを見せていた。

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<1.FCケルンの選手たちと>

練習を終えてケルンの選手たちと仲良く記念撮影。
2日間の練習参加だったが、ケルンの選手たちも3人の実力を認めたようで、仲良くなれたようだった。

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<監督、コーチと>

 最初はピリピリしていた監督だったが、3人の実力がわかり、選手たちを受け入れてくれた。
「ケルンの選手たちは同じような練習を何度もやってきたが、3人は初めてにしてはすぐに戦術を理解し練習に対応できた」とクーン監督のコメント。

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<練習後、ロッカールームで>

練習を終え、ロッカールームでも選手たちをコミュニケーションが取れた。言葉は通じなくても、サッカーを通して距離はだいぶ縮まった。
 
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<ケルンの大聖堂をバックに>

無事、1.FCケルンでの練習を終え、ほっと一息。
ケルンの大聖堂も拝み、ホームステイ先に戻った。

「レストランに入って肉の大きさにびっくりした。ケルンドームに感動した。」(ジュンペイ)

つづく・・・

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2008年4月 8日 (火)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記②

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

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<語学学校の人たちと>

ケルンとフランクフルトの中間あたりに位置するコブレンツ。この街の語学学校を訪問。
ドイツ語の初心者コースの教室に入って、授業を見学した。
「世界各国の人と交流ができてよかったです」セイヤ

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<ユース州1部リーグの試合>

ブンデスリーガの試合と比べるとかなりの差があるけど、同年代の子供の試合を見学。
全部のチームが芝生の上でやっているわけではなく、見学した州1部の公式戦は土の上で行われてラインズマンもいなかった。

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<ドイチェス・エックにて>

コブレンツの2大観光スポットの一つと言われている、ライン川とモーゼル川の合流地点のDeutsches Eck(ドイチェス・エック)。

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<セイヤとホームステイ先のケン>

コブレンツの旧市街を散歩。

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<エーレンブライトシュタイン要塞にて>

コブレンツの2大観光スポットのもうひとつ、難攻不落のエーレンブライトシュタイン要塞。

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コーチ・ジョウとどうやって要塞を攻略するか作戦を練る。

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門番(ケイスケ)

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<要塞からドイチェスエックを見下ろす>

「要塞から見た景色がとてもきれいだった。」(ケイスケ)

つづく・・・ 

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2008年4月 7日 (月)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記①

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

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<フランクフルト空港に到着>


 フランクフルト空港に到着後、約120キロ離れたところにある田舎のKleinmaischeid(クラインマイシャイト)という村に移動。ここで約1週間ホームステイをした。

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<左からケイスケ、ジュンペイ、セイヤ>

 1.FCとは、よくドイツのチームの頭につけられているもので、その町で一番初めにできたサッカークラブ(Fussball Club)という意味。ケイスケ、ジュンペイ、セイヤの3少年もコーチ・ジョウとともに、川越水上公園で初のクラブチームでサッカーを楽しんでいる。

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<クラインマイシャイトの村の風景>

ホームステイをしたクラインマイシャイト村はめちゃくちゃ小さいが、去年までは地理的にEUの中心地だった。

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<同居人のイグアナ>

 ケイスケの泊まる部屋で飼われていたイグアナ。手を近づけると尻尾をぴしぴしやって反撃してくる。動きはけっこう機敏。夜になると尻尾でガラスをぴしぴしたたいて、何度かケイスケの眠りを妨げたらしい。

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<レバークーゼンのスタジアムにて>

ブンデスリーガ初観戦。
レバークーゼンのスタジアムで、稲本選手が所属するフランクフルト戦を観戦。

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試合は泥試合に。
「身体能力がすごい」(セイヤ)
「プレーよりサポーターにびっくりした」(ジュンペイ)

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<レバークーゼン(赤)対フランクフルト(白)>

格上相手に、アウェイでフランクフルトが勝利。

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試合観戦でビールを買うコーチ・ジョウ。

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つづく・・・

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2008年3月29日 (土)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征④

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<ヘネフにて関根コーチと川又コーチ>

アーヘンとの一戦を終えて、6日目。この日はブンデスリーガ2部のマインツの下部組織と対戦。

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<マインツ(水色)対フッチ(オレンジ)>

昨シーズン、マインツのトップチームはブンデスリーガ1部から2部へ降格。今年は2部で昇格圏内につけている。

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マインツは下部組織の育成に定評がある。
フッチの選手たちはやや疲れも見え始めていて、試合はペースを握ったマインツが勝利。

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<デュッセルドルフ空港にて>

お疲れ様っす。
また、日本に戻った時はお邪魔します。

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<U15フットサル関東大会で優勝>

フッチは、U15のフットサル関東大会で優勝し、全国大会にも出場。
全国大会ではベスト8と健闘。

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<千葉県クラブユースU14新人戦総合優勝>

ジェフやレイソルを破って、見事千葉県の新人戦で優勝。

フッチのホームページは、ここ

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2008年3月27日 (木)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征③

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<これから練習です。>

ブンデスリーガ観戦と観光を終えて、この日からまた練習と試合が入る。
午前中は、ブンデスリーガ2部のアレマニア・アーヘンU16のカルロ監督と練習。

2
<カルロコーチとトレーニング>

フッチの選手たちは飲み込みが早い。練習は4バックの組み立てなど、戦術的なことを中心に行われた。

Fute_018
<アーヘン戦の直前>

午後には、アレマニア・アーヘンとのフレンドリーマッチ。
ちなみに、アーヘンのトップチームには、浦和レッズを優勝に導いたブッフバルトが就任したが、成績不振のためシーズン途中で解雇された。

Eintracht_fra_31
<試合はフッチペース>

初戦の相手デュッセルドルフは、体も大きく攻撃に勢いがあって、プレッシャーもガンガンかけてきた。それと比べると、アーヘン戦では多少余裕ができた。内容的にはフッチが優勢だった。

Eintracht_fra_35
<最後に同点に追いつかれる>

デュッセルドルフ戦のときと比べると、選手たちのコンディションもよくなってきていた。2-1とリードしていたが、最後にはアーヘンが意地を見せて、2-2の同点で試合は終了した。勝ちたかった試合だけど、ポテンシャルの高さを見せてくれたと思う。

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<フッチとアーヘン>   

つづく・・・

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2008年3月26日 (水)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征②

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

3日目はケルン観光。
1.FCケルンのホームスタジアム、Rheinenergie Stadion(ラインエネルギー・シュタディオン)へ。

Rheinenergie
<ラインエネルギー・シュタディオン前で>

町の中へ移動。

Koelndom
<ケルン大聖堂前で>

4日目はフランクフルトでブンデスリーガ観戦。

Bus
<バスの中で>

この日は、フランクフルト対ハンザ・ロストックの試合。

Fra2
<タッチラインのすぐそばで>

稲本選手も先発で出場。目の前でいいプレーを披露。

Inamoto
<フランクフルト(赤)の稲本選手>

ホームのフランクフルトが1-0で勝利。

Fra
<一緒に応援>

ロストックのファンブロックのすぐそばでも負けずに応援。

Roemer
<レーマー広場にて>

フランクフルトの観戦でテンションもモチベーションも上がり、明日からはまた試合と練習が続く。

つづく・・・

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千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征①

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

Airplane
<ハロー>

まずはベルギーのブリュッセル空港に到着。そこからドイツとの国境沿いにあるオランダのスポーツ施設へ。

Training
<カルロコーチとトレーニング>

2日目の午前からは早速トレーニング。
ブンデスリーガのAlemania Aachen(アレマニア・アーヘン)U16の指揮をとっているカルロコーチが4バックをメインテーマに指導。

Fute_022
<デュッセルドルフとの親善試合>

午後からは、ドイツ3部リーグに所属するFortuna Duesseldorf(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)のユースチームと対戦。デュッセルドルフのユースチームは、ユース年代ではドイツのトップリーグに所属していて、トーナメントでは日本高校選抜に勝利したこともあるいいチーム。

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<試合前の最終チェック>

フッチはU14年代の選手が多く、デュッセルドルフの選手は一回り体が大きかった。フィジカルだけでなく、ゲームを組み立てることもでき、展開の早い攻撃はデュッセルドルフの大きな武器だった。

Fute_023
<フッチ対デュッセルドルフの試合>

フッチもボールが収まってくると、早いパス回しから何度か攻撃のチャンスを作ることができた。負けはしたけど、初日から力強く勢いのあるいいチームと対戦して、選手たちは何かを学ぶことができたと思う。

Dinner

練習も試合も終わったらメシの時間。
しっかり食べて次の試合に備えるべし。そして、打つべし、打つべし、打つべし。

つづく・・・

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2008年3月16日 (日)

ドイツB級コーチライセンス講習④

 2月25日から3月7日まで参加した、ドイツのB級コーチライセンス講習会。今回の講習に出て思ったことは、この講習に出てライセンスを取っても、自分の実力が大きく変わるものではないということ。もちろん講習中にはいろいろなことを勉強したけど、それによって自分のコーチとしての能力が上がったわけじゃない。ただ、Jungheim(ユングハイム)教官からはいろいろなヒントが飛び出し、コーチとして進むべき方向性や何を勉強していかなければいけないかということがよーくわかったような気がする。(今、やった内容やメモを整理中。)

 Cライセンスを取ってから2年弱経つけど、今回の講習はそういう意味で、いい方向確認&修正になったと思う。全く方向性が間違っていたわけではないけど、以前よりも土台が固められて、見るべきところが明確になったので、今までよりも吸収や修正ができるようになったと思う。

講習中、よく言われたこと。

①根本から考え直すこと。
 今まで当たり前のようにやってきている練習の中には、プロでもアマチュアでもたくさんの無駄がある。1回の練習で10分の無駄があれば、1週間で1時間以上の無駄ができる。この1時間の使い方がチームの結果につながる。

②とことん考えること。
 初心者でない限り、できる限り実践的な練習が必要。その練習内容は、実際に試合中に存在するものか?フィールドの広さ、敵や味方の数、時間、負荷など。
例)試合中に、30分も1時間も同じペースで同じフォームで走り続けることがあるか?

 コーチングスタイルやサッカーの考え方は一つではないので、あとは自分でレベルアップして自分のスタイルを確立していくしかない。とにかく、なんだかんだ言ってないで、経験を積んでいこうと思う。

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2008年3月15日 (土)

ドイツB級コーチライセンス講習②

 ヘネフのスポーツシューレで行われたB級コーチライセンスに2週間参加した。講習は教室でのセオリーとグランドでの実技。担当のJungheim(ユングハイム)教官は男塾の鬼ヒゲや飛行帽のように厳しかったが、ドイツサッカー向上のために日々サッカーを研究していた。

 2006年のワールドカップで3位になったドイツだが、優勝したイタリアや準優勝のフランス、ブラジルやアルゼンチン、更にチャンピオンズリーグで活躍するスペインやイングランドのチームの話がたびたび講義で取り上げられた。ドイツの代表やクラブチームが、現段階でこれらのチームに劣っている部分があるということをユングハイム教官は認めていた。これらの国に勝つためにはいい選手を育成しなければならず、いい選手を育成するためにはいいコーチを育成しなければならない。ドイツサッカー向上に燃えるユングハイム教官からは興味深い話がいくつも出た。

①目標は、100人から120人の若い選手(18歳から21歳くらい)を毎年1部から3部リーグに送り込むこと。各プロチームに毎年2,3人の新人を送り込み、更にその選手たちを育て上げる。

②南米のブラジルやアルゼンチンと比べると、明らかにテクニックやセンスで劣っているので、これらのチームに勝つには戦術によってチームで勝つしかない。

③イタリアやフランスなどのヨーロッパの国と比べても、ドイツはまだまだマンマークの癖がとりきれていない。リベロシステムの癖が残ってしまっている。

④イングランドなどのトップリーグと比べると、ブンデスリーガは試合のスピードが10%遅い。バイエルンなどは国内で勝てても、チャンピオンズリーグになるとスピードに慣れず勝てなくなる。チャンスにつながる縦パスやパスをもらう選手のポジショニングの改善が必要。

⑤子供たちが外で遊ぶ時間が少なくなり、基本的な運動能力が低下している。昔はストリートサッカーで遊び、それが子供たちにとっていい練習になっていた。今はチームの中だけでの練習がメインで、ほとんどが型にはめられた練習。選手のイマジネーションが欠けていく。ジュニアユース年代でも、週に一回は何のルール制限も無しにサッカーで遊ばせるべき。それ以前の年代はサッカーでもっと遊ばせるのがベスト。

⑥欠点のない選手を育てすぎて、逆に武器を持った選手がいなくなってしまった。ドイツでは、長所を伸ばすことよりも、小さな短所に目がいってそっちを改善しようとする傾向がある。

つづく・・・

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2008年3月14日 (金)

ドイツB級コーチライセンス講習①

 ドイツのC級コーチライセンスを取ってからかれこれ2年半。B級を受けるのは選手を辞めてからでもいいかと思い始めていたら、知り合いのカルロから連絡があり、講習の始まる当日の朝にとりあえず会場にいってみろと言われた。もし誰かが欠席したら、代わりに入れてもらえるから。

 会場はHennef(ヘネフ)というところのスポーツシューレで、日本から遠征に来たチームがここで何度か合宿を行っている。講習は土日を抜かして2週間泊り込み。いろいろ考えたけど、せっかくのチャンスということで、監督ハンズィが激怒することを覚悟でシーズンが始まる直前にチームを離れて講習に参加することにした。

 当日会場に着いたら応募した26名がきっちりそろっていた。しかも、俺のほかにも同じように会場に来ていたのが3人。しかしながら、例外で俺たち4人も入れてもらい、合計30人で講習を受けることになった。

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 ドイツの一番上のレベルのライセンスは、Fussballlehrer(フースバルレーラー)。直訳すると「サッカーの先生」。S級にあたるこのライセンスを持てば、ブンデスリーガや海外のトップリーグで監督として仕事ができる。
 俺が持っているのはCライセンスで、成人のカテゴリーでは5部リーグ(州1部くらい)まで、女子のカテゴリーではブンデスリーガ以外、少年のカテゴリーでは上から3番目までのリーグのチームを教えることが可能。
 今回受けるのはBライセンスで、これを取ればC級の範囲プラス、ブンデスリーガの下部組織やトレセンでコーチとして働くことができ、ユースカテゴリーでは上から2番目までのリーグで教えることができる。
 その次がAライセンス。 このライセンスを取れば、成人アマチュアチーム、女子チーム、ユースチームすべてを教えることができる。

 まず初めに言われたのが、「Bライセンスは、特にユース年代でトップチームを見るコーチのためのもの。下のリーグのチームを見るなら、Cライセンスだけでも十分」ということだった。ユースのトップレベルをプロに育て上げるには、コーチも豊富な知識と細かく的確なアドバイスができるプロフェッショナルでなければいけないということを、「サッカーマシーン」や「鬼」というニックネームがつけられた教官から何度も強調された。

つづく・・・

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2008年1月 7日 (月)

北海道TFCジュントスを訪ねて

 前回の北海道初上陸から早1年。今年もまたまた北海道へお邪魔しました。最初の目的地は、札幌で松尾監督の下活動をしている少年サッカーチームTFCジュントス。この中の何選手かは、2006年12月にドイツへやってきた。体育館で、小中学生や高校生、大学生のOBと熱いミニゲームバトルが展開された。

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<TFCジュントスと札幌の体育館にて>

 ドイツに戻った後、1月には大きなフットサルの大会が控えているので、これは大変いい練習になった。前大会は準優勝で終わってしまったので、今回目指すは優勝のみ。

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<砂川市にて子供たちを指導>

 
札幌でのバトルの翌日、舞台は砂川市へ。ここでは福田コーチの熱心な指導の下、TFCジュントス砂川チームが活動を行っている。この日は札幌と砂川の合同練習。

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<砂川でもミニゲームバトル>

 
砂川の体育館でも激しいミニゲームバトルが繰り広げられた。子供には負けられない指導者、大人に負けじと頑張る高校生、必死に食い下がる小中学生。同じフィールド内では年齢は関係なく遠慮もいらない。そういう真剣勝負が一番の練習になると思う。

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<TFCジュントス砂川のみなさんと>

 短い間だったけど、指導者、選手としてサッカーを楽しませてもらいました。この成果を1月の大会で活かします。東藤さん、写真ありがとうございました。

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<松尾ジンギスカンにて室蘭大谷のダイナモ矢田さんと>

 札幌、砂川にはもちろん室蘭大谷のダイナモ矢田さんも駆けつけてくれました。そして、夜はみんなで名物の松尾ジンギスカンへ。特製鍋の上にはジューシーな肉と野菜が。ちなみに、TFCジュントスの松尾監督と松尾ジンギスカンは直接の関係はないそうです。

 今回、連絡をやり取りしていただいた青山マネージャーをはじめ、関係者の皆さんにはまたまたいろいろとお世話になりました。本当にありがとうございました。

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2007年12月29日 (土)

エスパルスカップ 2007 in 清水

 12月26日と27日に、県内外のジュニアユースチームを対象としたエスパルスカップが清水で開催された。今年の春にドイツで遠征を行った千葉県の市川フッチサッカークラブも参加していたので、27日に行われた決勝トーナメントをJ-STEPまで観にいった。

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<フッチ(青)対ジュニオール(赤)>

 フッチはグループリーグを1位で通過し、決勝トーナメント1回戦(ベスト8)で神奈川のジュニーオールSCに勝利。準決勝では、優勝したFC厚木に先制するも3-2で惜敗。

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<清水FC(青)対FC厚木>

 エスパルスのほかにも、地元からは清水FCも参加。小学校時代、俺もプレーしていた。覚えているのは、練習の一番初めにグランドのサイドラインからサイドラインまでボールを落とさずにリフティングしていくこと。これをクリアしないと次の練習にいけなかった。

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<久しぶりにフッチの選手たちと>

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2007年10月27日 (土)

サッカー選手と視力 - メガネそしてグラサン

 あるブンデスリーガの試合後のインタビューで、決定力不足により負けたチームの監督のコメント。「残りの質問には答えられません。なぜなら、私は今すぐ選手たちの所にいかなければならないからです。彼らはゴールの位置がわからないほど目が悪いので、私がロッカールームからバスへの道案内をする必要があります。」

 サッカーだけでなく、スポーツ選手にとって視力の良さは欠かせない。上のコメントは冗談も混ざっているが、ほとんどのプロチームは選手たちの視力も定期的にチェックしていてる。カカ、バラック、レーマンなどはコンタクトレンズを着用していて、テュラム、ロナウドなどは試合以外の時に眼鏡で登場することがある。

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<眼鏡のカカ>

 サッカー選手で眼鏡といえば、元オランダ代表のダーヴィッツ(現アヤックス)。安全性のため試合中のピアス、指輪、ネックレスなどの着用は禁止されているが、1999年に目の手術を受けたダーヴィッツは例外的に試合中にスポーツ眼鏡をつけることが許されている。

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<エドガー・ダーヴィッツ>

 
自分もコンタクトレンズをつけているが、つけるきっかけになったのはサッカーでボールが見えにくくなったため。特に、うす暗くなってくるととても見にくかった。最初は試合のときだけ着用していたが、そのうち練習の時も着用するようになり、しまいには常につけるようになった。レンズのケアなどで面倒な時もあるけど、やっぱりはっきり見えると便利。遠くにいる友達を見間違えることもなくなる。

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<プラピ>

 
自分の周りにもコンタクトをつけてプレーしている人がいるけど、視力矯正手術をした選手もいる。相手選手の手などが目に当たり、試合中にコンタクトが取れてしまったことが何回かあるけど、視力矯正手術の場合はコンタクトを無くす心配や面倒なレンズのケアをしなくてすむ。ちなみにブラッド・ピットも視力矯正手術をしたらしい。

以下、眼鏡やグラサンの人たち。視力とは無関係。

Clapton

エリック・クラプトン。

Mr_marik

ハンドパワーです。

Ooake

さまぁーず大竹は伊達眼鏡。最近は本当に目が悪くなってきたらしい。

Kozy

タモリではなくコージー富田。

Daimon

団長!西部警察の大門。

Kuku

男塾生徒会長田沢。いつ聞いてもさすがじゃのう、田沢の九九は。
押忍、ごっつぁんです。

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2007年10月20日 (土)

「Ehrgeiz(エーアガイツ)」 - 野心、向上心

            Mattiaeus

 グーテンターク。元ドイツ代表キャプテンの闘将マテウスです。今回私が言いたいのは「Ehrgeiz(エーアガイツ)」すわなち「野心、向上心」についてです。このテーマついては、本が1冊かけるくらい言いたいこと山の如しです。

 自分で言うのもなんですが、1990年、ドイツの一員としてワールドカップで優勝することができたのは、持ち前の野心、向上心があったからだと思っています。私はワールドカップ前、イタリアのインテルでプレーをしていましたが、当時のジョヴァンニ・トラパットーニ監督は私に「もしお前が左足でもいいシュートを撃てるようになれば、お前はワールドクラスの選手になるだろう。」と言いました。それから、私は午後に一人で左足の練習を行いました。

 1990年のワールドカップ初戦の相手はユーゴスラビアでした。この試合で私は左足で先制ゴールを決め、ドイツの4-1の勝利に貢献することが出来ました。このゴールがわれわれに勢いをもたらし、われわれはワールドカップ優勝の偉業を成し遂げることができました。

 私はかなりの野心家ですが、私の周りを見渡して私よりももっと野心家なのはバイエルン・ミュンヘンのオリバー・カーンです。しかし、われわれ2人はいわゆる天才タイプではありません。80年代、メンヒェングラートバッハでプレーしていた現シュトゥッツガルト監督のアルミン・フェーは天才的な才能を持っていました。しかし、多くのタイトルを獲得したのはカーンのほうです。

 一般的に、貧しい環境で育った選手のほうがハングリーで野心的だと言われています。確かにこの考え方は間違ってはいないでしょう。リオデジャネイロの貧民街から億万長者に。彼らにとって、サッカー選手で成功することが貧困からの唯一の抜け道なのです。しかし、これらの選手たちとは対照的に、現在ACミランでプレーするブラジル代表のカカは、サンパウロの比較的裕福な家庭で育ちました。それでも彼はファイターなのです。彼はもっとうまく、もっと強く、もっと速くなるために努力を重ね、現在でもっとも優秀な選手とへと成長しました。

 昔は個々の選手に合わせた科学的トレーニング方法があまりありませんでした。カカの周りにはコンピューターを用いた最先端のトレーニング設備があり、何人もの優秀なスタッフが彼の体を管理しています。ミランでなくとも、現代では自分の能力を高めるためにいくつものもトレーニング方法の選択肢が用意されています。しかし、コンピューターによって導き出されたトレーニング方法だけでは、カカは大成しなかったでしょう。コンピューターは膨大なデータを処理できますが、人の気持ちまでは制御できません。いくらたくさんのトレーニング方法があっても、野心、向上心がなければ決して大成はできないのです。

Sportbild誌 コラムより

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2007年9月28日 (金)

テストマッチ U18 ドイツ対ルワンダ in Emmelshausen

 9月25日に、Rheinland=Pfalz(ラインラント・プファルツ)州のEmmelshausen(エンメルスハウゼン)というところで、U18のドイツ対ルワンダのテストマッチが行われた。

 ラインラントサッカー協会はルワンダのサッカー普及をサポートしていて、今回、U18チームがアフリカからはるばるKoblenz(コブレンツ)にやってきていた。このチームは今年の4月にもコブレンツに来ていて、そのときWirges(ヴィルゲス)とも対戦し3-0で勝利している

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<ドイツ(白)とルワンダ(黄色)の国歌斉唱>

 
ルワンダU18の監督は、ラインラントサッカー協会から派遣されたドイツ人。Michael Weiss(ミヒャエル・ヴァイス)といい、過去に京都パープルサンガや国見高校での指導歴も持っている。前回のヴィルゲスとルワンダU18の試合のときに知り合い、今回久しぶりに会うことができた。


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<突破を試みるドイツのMF>

 前半開始早々からルワンダは飛ばしていき、中盤で素早いパスのコンビーネーションから何度かいい形を作っていた。ドイツは中盤での対応が後手になり、序盤ややおされていた。攻撃でもパスミスがとても多く、すぐにルワンダに逆襲されていた。しかしながら、ルワンダもフィニッシュがなかなか決まらず、前半は0-0のまま終了。

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<ドリブル突破をはかるルワンダの選手>

 
後半になるとドイツはパスミスも減り、ルワンダ陣内へ攻め込む回数が増えた。逆に、ルワンダは集中力が切れたのか、パスミスを連発。ドイツに先制点を許してしまった。しかし、サイドのフリーキックからヘディングを決め1-1の同点に追いついた。

 ルワンダは単発でいいプレーを見せていたが、ドイツは地味ながら試合を通して安定感があった。ルワンダは一発でタックルにいってしまったり、無理にダイレクトパスをしたりする場面が多かった。ドイツは2点追加点を奪い、最終的にはドイツが3-1でルワンダを下した。

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<試合後のルワンダの選手>

 
今年4月にルワンダU18チームがコブレンツで合宿をはった時、同時にインターナショナルコーチライセンスコースというものがコブレンツで開かれていた。そのときには、ルワンダU18のキーパーコーチのクロードという男をはじめ、ルワンダサッカー協会の何人かもコースに参加していてとても仲良くなった。そのうちの一人には「北斗神拳伝承者」と書かれたTシャツをあげた。今回久しぶりに会えるかと思っていたが、前回終始お祭り騒ぎだったのでどうやら今回はルワンダに置いていかれたらしい。

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2007年4月13日 (金)

意外な出会い - U18ルワンダ代表戦

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Wirges(ヴィルゲス) VS  U18ルワンダ代表

 今、U18ルワンダ代表がドイツのKoblenz(コブレンツ)で合宿をしている。来年のU19アフリカ選手権や再来年のワールドユース出場を目標に、約1ヶ月前にドイツ人の新監督の下でチームが結成された。場所も近いこともあり、ドイツ滞在中の対戦相手として急遽ヴィルゲスが選ばれた。

 ヴィルゲスはこの試合の前の週にリーグ戦をこなしており、更に次の週にはカップ戦とリーグ戦が控えている。スタメンの選手は過密スケジュールになってしまうので、ここのところ試合に出ていない選手がこの試合に出場することになった。それだけでは選手が足りないので、2軍とAユースからも何人かが出場した。ということで、自分たちは別メニューで練習することになった。
 と思って練習場に行ってみると、フィジカルコーチのロンギィが「遅いぞ。早く準備しろ。」と言う。「いや、俺は普通に練習だろ?」と言うと、どうやら出場予定だった選手が2人怪我でリタイヤしたらしい。週末の試合に備えて調整しようと思い、練習用のスパイクしか持ってきていなかったが、「左サイドバックをできるやつがいないから、残念だけど全部出てもらう。」と監督のハンズィに言われ急いで支度した。

 アップしている時に監督のハンズィにまた呼ばれ、「今度は何だよ」と思って行ってみると、ルワンダの監督が日本語で話しかけてきた。なんか見覚えがあると思ったら、一昨年の冬に、あるスポーツ雑誌に特集されていた「日本サッカーに関わりのある3人のドイツ人コーチ」のうちの1人だった。3人のうち1人は去年の1月に講演を聞きにいった日本サッカーの父クラマー氏で、もう1人は自分がドイツでプレーをしていたReimsbach(ライムズバッハ)の監督ウド(本名ウド・ヘルツァー)だったので、彼のこともなんとなく覚えていた。この監督はMichael Weiss(ミヒャエル・ヴァイス)というドイツ人で、日本では大久保のいた頃の国見高校や松井やパク・チソンのいた頃の京都パープルサンガでコーチをしていた。ミヒャエルはウドのこともよく知っており、意外なところでまたつながった。サッカーの世界は広いようで狭い。

 試合はというと、ヴィルゲスは3チームの混合チームでお互いに名前もわからない状態だったので、チームとして全く機能しなかった。選手の能力的にもチーム内でいくらか差があった。前後半ともにディフェンスの個人的なミスで1失点し、1点は豪快なミドルシュートを決められたものの、結局0-3で完敗した。一番驚いたのはゴールを決めた後にやっていたパフォーマンスだった。うまく表現できないが、4,5人の選手が体のばねを使って地面をくねくね這っていた。

 ルワンダの選手たちは新しい監督の下で訓練されており、また監督にアピールするためにモチベーションは高かった。チームとしていいサッカーをしてきたが、必ずしも勝てない相手ではなかった。ただ、U18のレベルで考えるとかなりのポテンシャルを感じる。ルワンダのA代表はFIFAランキング100位以下でシンガポールなどと同じくらいのレベルだが、このU18のチームはこれからもっともっと伸びてくるかもしれない。先日、デュッセルドルフの国際大会でカメルーンのU19を見てきたが、そのチームよりもテクニック、戦術に関しては上だった。

 試合の次の日、ミヒャエルに会うためにルワンダの合宿先に行ってみた。彼は受け持ったばかりのチームにすごく手ごたえを感じていて、先に控えるアフリカ選手権も楽しみにしている。それだけに、この日のヴィルゲス戦はたいへん残念だったようだ。むしろ、怒っていた。多分、ヴィルゲスとはもう試合をしてくれないと思う。「前半だけでもフルメンバーできてほしかった。」と言うように、せっかくドイツまでやってきたチームにもっと真剣に闘うべきだった。ルワンダはもうしばらくコブレンツで合宿をやる予定。

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2007年4月11日 (水)

U19チャンピオンズトロフィー in デュッセルドルフ

 Duesseldorf(デュッセルドルフ)では毎年イースターの時期にサッカーのU19国際トーナメントが開かれている。45回目を迎えるこの大会に、今年も世界各地から19歳以下のトップクラスのチームが参加した。大会には毎年日本高校選抜(3月で高校を卒業する選手も含む)も招待されており、今年はそのほかにも、オランダのPSVアイントホーフェン、イタリアのユベントス、カメルーンU19が海外から参加した。ドイツ国内からはバイエルン・ミュンヘン、ハンブルガーSV、ブレーメン、レバークーゼンといった強豪が顔をそろえ、地元デュッセルドルフからも、ドイツ3部リーグに所属するFortuna Duesseldorf(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)や B.V.デュッセルドルフが参加し、合計10チームで優勝が争われた。豪華な顔ぶれが集まるこの大会には、スカウトの眼も光っている。

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<日本高校選抜>

 
まず、参加10チームは5チームずつ2グループに振り分けられた。それぞれのグループが総当りで試合を行い、最終的に各グループの1,2位だけが準決勝に進むことができる。

グループ1:
日本高校選抜、PSVアイントホーフェン(オランダ)、ハンブルガーSV、ブレーメン、フォルトルナ・デュッセルドルフ

グループ2:
カメルーンU19、ユベントス(イタリア)、バイエルン・ミュンヘン、レバークーゼン、B.V.デュッセルドルフ

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<日本高校選抜(青)対ハンブルガーSV(白)>

 
大会は4日間にわたって行われ、2日目のグループリーグの試合を観にいった。初日の試合は観ていないが、日本高校選抜は地元のデュッセルドルフと対戦し0-1で負けたようだった。2日目、日本はハンブルクやアイントホーフェンと対戦し結果的には負けてしまったが、1日目よりも動きはよかったらしく、観ていた時も得点チャンスは十分にあったと思う。このあとブレーメンとも対戦したが、結局、日本高校選抜はグループリーグで1勝もできず終わってしまった。ただ、シーズンを通して戦っているクラブチームと比べると、選抜チームはまとまって準備する時間が少ないのでチームとして戦うのに苦労したと思う。チームでボールを奪いに行くタイミングやスムーズな攻撃がまだチームとして機能していないように思えた。

 それ以外には、日本の選手はフィジカル的にもっとトレーニングが必要だと思った。いいプレーをすると思いきや、プレッシャーの中で簡単なキックミスやトラップミスが他のチームと比べて目立った。また、ボール際で取れそうなところでタックルが出なかったり、寄せが甘かったりした。手足の長さやもさることながら、これから上のレベルに進むには、もっと体幹を中心とした筋力トレーニングで強く安定したプレーが必要になってくると思う。

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<カメルーンU19(緑)対B.V.デュッセルドルフ(白)>

 地元B.V.デュッセルドルフはファンの応援の下、カメルーンのU19と対戦した。カメルーンには身体能力が跳びぬけている選手はいたが、戦術やテクニックの面ではまだそこまでのレベルではなく、チームとしてもあまりまとまりがなかった。先制点はデュッセルドルフで、後半にカメルーンが同点に追いつき、試合は1-1の引き分けに終わった。カメルーンはその後レバークーゼン、ユベントス、ミュンヘンに3連敗し、この試合の勝ち点1だけでグループリーグを終えた。

Dusturnier2007_018
<日本高校選抜(白)対PSVアイントホーフェン(水色)>

 グループ1からはバイエルン・ミュンヘン、レバークーゼン、グループ2からはアイントホーフェン、ブレーメンがそれぞれ準決勝に進出した。決勝はバイエルン対レバークーゼンになり、グループリーグの対戦では4-1とバイエルンが大勝したものの、決勝ではレバークーゼンが1-0で勝利を収め雪辱を果たした。レバークーゼンは2003年ぶりの優勝となる。

 ワールドカップで惨敗してオシム監督が日本代表の指揮をとってから、日本では「日本人らしいサッカー」という言葉をよく耳にするようになった。今回の試合を観てその必要性を感じた。しかし、それ以前にもっともっと国際レベルで標準となっているサッカーを知らなければいけないとも思った。昔、あるメジャーリーガーが日本のプロ野球でプレーをした時「日本の野球は、野球に似たスポーツだ。」と言っていたらしい。このことは日本のサッカーにも言えることだと思う。
 「1つの国しか知らないということは、1つの国も知らない」と誰かが言っていたが、外のものと比べることをしなければ、自分たちのいいところも悪いところも本当の意味でわからないと思う。文化にしても何にしても、日本であたりまえにやっていることが、海外では違う場合もあるということを自分も体験した。短い間では深くまでわからないかもしれないが、大会に参加できた選手たちは何か感じるものがあったと思う。

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2007年3月25日 (日)

U19 ドイツ対グルジア

 Koblenz(コブレンツ)から少し離れたBad Ems(バート・エムス)という街で、U19のドイツ代表対グルジア代表のテストマッチが行われた。バート・エムスはドイツの皇帝なども昔訪れていた保養地らしく、俺も一度だけここの温泉に行ったことがある。小さなスタジアムには3500人ほどの観客が集まった。

 ドイツではU19はAユースの年代にあたり(AユースからFユースまで2年ごとにカテゴリー分けされている)、U19ドイツ代表のほとんどはブンデスリーガのユースチーム所属だった。グルジアチームのなかにはドイツで生活してプレーしている選手も多かったらしい。
 ちなみにグルジアのA代表の監督はドイツ人のトップメラー。バラックやルシオがいた頃のレバークーゼンをチャンピオンズリーグ決勝まで導き、高原選手のハンブルガーでもチームの指揮を取っていた。

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<ドイツ(白)対グルジア(赤)>

 「U19の親善試合なのにあれだけの観客が集まるのには驚いた。この年代でも選手はドイツ代表として見られプレッシャーを感じながらプレーしているんだと思った」と、はとこのショーヤが言うように、地元サッカーファンはドイツ代表を見ようと、ユニフォームやマフラー、旗を持って会場に訪れていた。

 前半はドイツが攻め続けていたけどなかなか得点できず、逆にグルジアに決定的なチャンスを2度も作られていた。後半、ドイツが2点を取り2-0で勝利したけど、グルジアに決定的なチャンスを決められていたらどういう流れになるかわからない不安定な試合内容だった。「もっと大差でつけなければいけない試合だった」と試合を観に来ていたヴィルゲスのキーパーコーチが言うように、ドイツは決定力に欠けた。

 U19ドイツ代表は、5月にヨーロッパ選手権の予選でアイルランドと対戦する。

 

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2007年3月23日 (金)

ラインズマンに頼りすぎない - ユースの試合

 コブレンツで行われたユースの試合を観にいった。ドイツのサッカーは、大人の部と19歳以下の少年の部に大きく分けることができる。更に、少年の部は19歳から2年ごとにカテゴリー分けがされ、U19がAユース、U17がBユース、U15がCユースというように、U9のFユースまで続く。もっと下のちびっ子たちのためにはバンビーニというカテゴリーが存在する。プロのチームはもちろんのこと、下は10部くらいまであるアマチュアチームの多くも、AからFまで自分たち直属のユースチームを持っている。そして、これらのユースチームも大人と同じように毎週末ホームアンドアウェイで試合をこなしている。プロチームの下部組織になると抱えるユース選手の数も増えるので、AユースをA1とA2というように分けたり、間にU18やU16を入れて1年ごとの年齢カテゴリーに分けたりもしている。

 試合時間はU19のAユースでは大人と同じ45分ハーフ、U17のBユースでは40分ハーフとなっている。大人と同じように1シーズンを通してリーグ戦を行い、リーグの昇格降格もかかっている。ちなみに、日本の小学3,4年生にあたるFユースはハーフコートで試合が行われるけど、大人と同じ5号ボールがすでに使われている(日本の小学生は大人よりも一回り小さい4号ボールを使用。中学生から大人と同じ5号ボールを使い始める)。

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<Bユースのカップ戦準々決勝>

 この日観にいった試合は、Bユースのラインラント地域のカップ戦準々決勝で、コブレンツ(Koblenz)とトリアー(Trier)の対戦だった。コブレンツの大人はブンデスリーガ2部、トリアーの大人はドイツ4部リーグに所属している。大人と同じように週末にリーグ戦があるので、カップ戦は平日の夜に行われる。

 試合はブンデスリーガで使われるスタジアムの隣の人工芝で行われた。人工芝の状態はまずまずだったけど、照明はかなり暗く、州のベスト8の試合なのにラインズマンはいない。また、トリアーのユニフォームには背番号がついていなかった。日本の高校サッカーに比べると、重要度や注目度はぜんぜん下。それは、ドイツのユース年代はあくまで育成が目的、ということから説明がつく。大事なのはこの時点で勝つことではなく、上の年代へ育ててあげること。それが最終的には大人になって世界を相手に戦えるチーム作りにつながっていくと思う。

 試合のほうは、後半決めたゴールが決勝点となり、コブレンツが1-0でトリアーを下した。

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<ヴィルゲスAユースの試合>

 
週末はヴィルゲス(Wirges)のAユースの試合を観にいった。ヴィルゲスAユースは、この年代で3番目のリーグに所属していて現在首位を走っている。この日の試合も4-0で快勝し、リーグ昇格をほぼ確実にした。

 この試合もラインズマン無しで行われた。もちろんユース年代でももっと上の重要な試合ではラインズマンがつけられるけど、公式戦でもこのレベルだと、選手や監督はオフサイドを審判の判断にまかせている。もちろん、審判一人ですべてを正確にジャッジすることはできないけど、ラインズマンがいないことによって選手や監督は、オフサイドトラップをねらうことよりももっと大事なことを考えながら試合をすることができると思う。

 例えば、ディフェンスが敵についていかなければいけないところで、楽をしてオフサイドトラップをかけてしまうことがある。ラインズマンがいないと、楽をするためにこうしたリスクを冒しづらくなるので、ボール際で最後まで戦うことや1対1で絶対に負けないことが求められるようになる。また、ディフェンスラインにパスを出させないために、中盤の選手も敵に厳しくプレッシャーをかける必要がある。一人ひとりがチームのために戦うといったサッカーでもっと根本的なことが選手には求められるようになると思う。このことも、ユース年代の勝ち負けよりも育成に重点が置かれているからできることだと思った。そして、一人の責任で試合をコントロールしなければならない審判の育成にもつながると思う。

 はとこのショーヤは日本でコーチライセンスを取得したとき、「いくら話だけを聞いても、海外のサッカーは自分で体験してみないと本当のことはわからない」というようなことを言われドイツにやってきた。ヴィルゲスのユースと一緒に練習などもした。この試合を見て一言。
「監督が日本のようにうるさくないこと。ユース年代は育成だというドイツの考え方を感じた。」

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2007年1月24日 (水)

Keramik Cup 2007

 1月20日と21日にWirges(ヴィルゲス)主催でU17の国際室内サッカー大会が開催された。1996年に始まったこのKeramik Cup(ケラミックカップ)は毎年この時期に行われていて、ドイツ国外からトップチームが参加している。昨年はオーストリアやデンマークからもチームが参加し、優勝はレバークーゼンだった。

 大会主催チームとしてヴィルゲスは毎年参加しており、今年はドイツ国外からデンマークのBroenby(ブレンビー)が大会に参加していた。ブンデスリーガ下部組織からは、カイザースラウテルン、レバークーゼン、ケルン、ベルリン、ハンブルク、カールスルーエ、シャルケなどが大会に参加していた。

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<主催チームとしてヴィルゲス(青)も参加>

 昨年12月にデュレンという街で行われたU15の室内サッカー大会同様、試合はキーパーを含めた5対5で行われる。フットサルに似ているけど、フィールドは1メートルほどの壁に囲まれていて、その壁を越えない限りプレーは続行される。壁を超えた場合は壁の近くからボールを手で転がして再開する。また、ボディーコンタクトやスライディングタックルもありのためたいへん危険。俺も先日の大会でけずられて怪我をした。

 1日目は12チームが2グループに分かれ、6チームによる総当りで試合をした。ヴィルゲスのU17もがんばってはいたが、シャルケやハンブルクなどを相手にグループリーグで全敗し、結局最下位の12位だった。

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<試合の合間のショー>

準決勝終了後、ブラスバンドによるアトラクションで休憩。
ドイツチャンピオンらしい。

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<Leverkusen対1860Muenchen>

 ブンデスリーガ同士の対決は1点差による決着が多かった。全体的に同じ年代の日本人よりも体ができているため、ボーディーコンタクトは激しかった。この年代でも日本人の成人よりもがっちりした選手を何人か見かけた。

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<表彰式>

 優勝は決勝でハンブルクに1-0で勝ったカイザースラウテルン。両チームともに多少距離があってもどんどんシュートを打っていた。全体的にキーパーの瞬発力、質は高く、ハンブルクのキーパーは最優秀キーパーに選ばれた。

 ヴィルゲスは大会を12位で終了したが、トップチーム相手にいい経験を積むことができた。また来年の挑戦が待っている。
 今大会の上位6位は自動的に来年の大会への出場権が与えられる。今大会に出場したハンブルク、カイザースラウテルン、1860ミュンヘン、デンマークのブレンビー、そして今回は参加していなかったけどスイスのバーゼルは、気の早いことにすでに2008年の大会出場を表明している。

 それではまた来年。

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2007年1月11日 (木)

北海道初上陸

 2006年12月初めに北海道のサッカー少年たちがドイツへ渡り1週間ほどサッカー活動をした。それから約1ヵ月後、年も明けた2007年1月に今度は俺が北海道に初上陸した。

 2006年の年末にドイツを出るときは、雪も降っていなくて例年よりかなり暖かかった。逆に日本のほうが寒いくらい。北海道に上陸した時は雨が少し降っていて、一度降った雪が解けて道路が見えていたけど、それでもかなり寒かった。今年は北海道もいつもより暖かいらしく、いつもなら雪が降りまくっている時期らしい。ドイツに来た人がアウトバーンを走っていると「北海道みたい」だとよく言うけど、北海道の高速道路を走ってみてなんとなくわかるような気がした。

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<きたえーるでのフットサル大会の模様>

 北海道でもサッカーづくしで、年末年始でなまった体を鍛えることができた。札幌では「つどーむ」という屋内スポーツ交流施設で、TFCジュントスというチームの子供たちと一緒にサッカーをさせてもらった。負けるわけにはいかないので、要所要所でかなり本気になった。

 翌日は、「きたえーる」という総合スポーツ施設の体育館でフットサルの大会が行われた。TFCジュントスは順調に勝ち上がり結果を残した。
 試合後、親子そろってみんなでサッカー大会。どんな試合でも負けるとやっぱり悔しい。

 聞くところによると、北海道では冬の時期、ドイツよりも早くから室内のトレーニングや大会が行われていた。ドイツでは12月上旬にリーグ戦が中断し、1月後半に外でトレーニングを開始するまで室内サッカーの大会が行われる。フットサルではなくタックルありのガチンコサッカーなのでかなり危ない。毎年怪我人続出。ポーランド人の友達は先日の大会で脛をへし折られたらしい。トキのところには行かず、ポーランドで療養中。

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こんなお土産も。
拳王立ちはだかる。

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<室蘭中島旭ヶ丘サッカー少年団の子供たちと>

 場所は室蘭に移り、室蘭中島旭ヶ丘サッカー少年団にお邪魔した。ここでも体育館でサッカーが繰り広げられていて、子供と大人が混ざりハッスル、ハッスル、もしくはシッコク、シッコクだった。とにかく体を動かしてサッカーを楽しむことができた。

 札幌、室蘭では、TFCジュントス、室蘭中島旭ヶ丘サッカー少年団に何から何までお世話になりました。
Vielen Dank und bis zum naechsten Mal!

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2006年12月31日 (日)

北海道サッカー少年ドイツ遠征②

北海道サッカー少年ドイツ遠征①の続き

ドイツ滞在5日目は、3日目に試合を観戦したヴィルゲスのU-12,14との対戦。

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対戦成績は1勝1敗。

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試合後はヴィルゲスと札幌の交流会。

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ヴィルゲスからはチームの会長や選手はもちろんのこと、ヴィルゲス市長や役員も出席して出迎えてくれた。

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北海道チーム以外にもスポーツシューレ・ヘネフにはドイツU-16代表などの他の団体が滞在していた。ちょうどコーチライセンスの講習も行われていて、知り合いのシュトゥーバーさんが講師をしていた。シュトゥーバーさんはドイツ代表U-15の監督で、A級コーチライセンス講習の講師もしている。空いている時間で急遽北海道のサッカー少年たちを指導してくれた。

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6日目、まずはケルンサッカー学校U-11との試合。
スポーツシューレで行われ、善戦した。

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最終戦は強豪1.FCケルンとの対戦。
滞在3日目にはケルンのトップチームのホームスタジアム、ライン・エネルギー・シュタディオンを見学している。

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大差をつけられて負けたものの、選手たちは最後までがんばった。
ケルンも大差がついても手を抜くことなく最後まで容赦なくがんがん攻めてきた。
監督、選手ともにすでにプロ意識を身に着けていると感じた。

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最終日、朝早起きして、ヘルツォーゲンアウラッハという街へ。
小さな街だけど、アディダスとプーマの本社がある。チームはアディダスの本社を見学。

ちなみに、アディダスは靴職人だったダスラー兄弟の弟アドルフ・ダスラーによって作られた。
アドルフ・ダスラー → アディ・ダスラー → アディダス

兄貴のルドルフ・ダスラーは営業だったけど、アドルフと方針が合わず自分のブランドを作る。
ルドルフ・ダスラー → ルディ・ダスラー → ルーダ → プーマ

ドイツではアディダスとナイキを見かけることが多い。最近はドイツ人でもナイキを履く選手が多いけど、ドイツ代表はアディダスグッズを使っているため、代表選手に自国ブランドのアディダスを押し付けている傾向がある。俺はナイキ派だけど、ヴィルゲスのチームグッズがアディダスなので、今シーズンになって初めてアディダスのシューズを履いた。

Adi

アディダスの本社からそのままフランクフルトへ。
ドイツ滞在期間中はフランクフルトの練習を見学しに行き、高原選手のサインや写真もゲットできたそうな。
いよいよ日本へ帰国。
チュース。

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2006年12月30日 (土)

北海道サッカー少年ドイツ遠征①

2006年12月、北海道のサッカー少年たちがドイツへやってきた。
静岡県選抜と同様にスポーツシューレ・ヘネフを拠点に1週間ほどドイツに滞在した。
スポーツシューレとはドイツ全土に20ほどあるスポーツ総合施設。ヘネフにはコンフェデのときにアルゼンチン代表も合宿した。今回、ドイツ代表U-15が合宿を行っていた。

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到着の次の朝、スポーツシューレのグランドで一緒に練習。
最後はゲームで汗を流した。

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元室蘭大谷のダイナモ・矢田さんと。

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午前の練習後、ブンデスリーガの試合を観戦しにドルトムントへ。
ワールドカップで日本がブラジルと対戦した場所。あの時日本がブラジル相手に先制点をとったのは今でもドイツで覚えている人がいる。
ドルトムントとヴォルフスブルクの試合は蹴りあいになって見せ場が少なかったけど、ゴール裏に席を陣取り、終了間際に目の前で決勝ゴールを見ることができた。

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スポーツシューレの食堂。
スポーツシューレもクリスマスモードだった。

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3日目、1.FCケルンのスタジアム見学へ。スタジアムツアーでは、選手のロッカールームやグランド、プレスルームを見学できる。ちなみにケルンのトップチームは今期ブンデスリーガ2部。1シーズンで1部復帰を目指しているけどかなり険しい。滞在期間中、ケルンのU-13やケルンサッカー学校とも対戦予定 。

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スタジアム見学を終え、この日の午後も試合観戦。
わざわざ俺の所属するヴィルゲスの試合を見に来てくれた。

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子供たちはヴィルゲスサポーターと一緒に応援。
アウェイながらホームのような応援を受けた。
前日の練習とこの日の応援によって、宿敵エンガースとのダービーマッチを5-1で勝つことができた。

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4日目、いよいよ自分たちの試合。
ベルギーとの国境近くのデュレンという街で試合が行われた。
最初の相手はU-12デュレン選抜。
監督(上の写真一番左)は友達のカルロ。スポーツシューレヘネフでトレセンのコーチもしている。いつもいろいろなことを教えてくれる。好物はシュニッツェルとポテト。好きな音楽はEye of the tiger。

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続いて地元チーム、アーノルズヴァイラーのU-14と対戦。
天気は悪かったけど、地元チームと交流を深めた。

へつづく

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2006年12月25日 (月)

クラブU15新人戦東北大会

 福島県のJビレッジに行ってきた。クラブU15新人戦東北大会が行われていて、今年できたJリーグアカデミーのU15や地元のJビレッジS.C.、モンテディオ山形、塩竃FCなどが大会に参加していた。グランドは11面あって芝生の状態も申し分なかったけど、地理的にか風も強くて寒かった。

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<建物の上からグランドを見渡す>

 Jビレッジにはなでしこリーグのマリーゼと言う女子チームが本拠地を置いている。訪問したときには日テレベレーザがちょうど合宿をしていた。

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<塩竃FC対JビレッジS.C.>

 何人かの選手はレベルの高いパフォーマンスを見せていた。関東、関西、東海は更にレベルが高いらしいけど、俺がこの年代のときはこんな環境でサッカーはなかなかできなかった。選手たちの技術もこの数年間でだいぶ上がってきていると思う。サッカーのための施設はよくなってきているし、海外からの情報も昔に比べるとだいぶ増えて指導者や子供たちにとって環境はよくなっている。
 ドイツと比べても、大人も子供もトップレベルの環境はだいぶ充実してきた。だけど、底辺を支えるチームにはまだまだ十分な環境が与えられていないと思う。特に、日本では中学年代で指導者が不足する場合が多いらしい。

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<Jビレッジの蹴球神社>

 最近ドイツで見たU15の室内サッカー大会と比べても、選手の能力的にはあまり差はない。体の線は細いけど、技術やスピードは日本人はいい物を持っていると思う。この年代までは練習をそこまでみっちりやっているわけではないから、試合を見ていても自由に楽しんでサッカーをしている感じがした。

 高校年代に入ると、選手にとっては更にいろいろな問題が出てくると思う。1年生が十分練習できないこと、勝つためにみっちり詰め込む練習、勝つために縛り付けすぎること。それでもある程度結果が出てしまうから、問題として扱われにくいかもしれない。

 これまで、高校年代までは世界相手でも日本はよく戦っていて、それ以降は世界に通用しなくなってくると俺は書いてきた。だけど、それは高校以降のサッカーが悪いんじゃなくて、高校年代でピークを持っていこうとするサッカーが問題だと思った。どの年代でもいろいろな問題はあるけど、高校生年代に一番解決しなければいけない問題があると改めて思った。

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2006年12月19日 (火)

ドイツU15 室内サッカー大会 - Duerener Hallensportfest fuer C-Junioren 

 12月16日と17日、ドイツのDueren(デュレン)と街でU-15の室内サッカーの大会が開催された。16日はアマチュアクラブの下部組織の予選が行われ、20チームあまりの中から3チームだけが17日の決勝リーグに駒を進めた。17日はブンデスリーガの下部組織12チームも加わり、前日の予選を突破した3チームを含めた15チームで優勝が争われた。

 ドイツのサッカーリーグは冬休みのため12月に一旦中断し、冬の間は室内サッカーの大会が行われる。基本的にはシーズンオフなので大会への出場は強制ではないけど、時間ややる気のある選手は楽しみながらトレーニングもかねて大会に出場する。ブンデスリーガの参加する大会からアマチュアリーグの大会までドイツ各地でいくつも開催され、子供たちの大会もいくつか行われる。

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<ボルシアMG対シャルケ>

 
室内サッカーの大会は11人制ではなくキーパーも含めた5対5の試合。12分1本勝負で、決着がつかない場合は5分間の延長Vゴール。それでも決着がつかない場合は9メートルのPK戦になる。ベンチも含めた登録は12名までで、選手の交代は何回でもOK。ほぼフットサルのようだけどいくつか違う点もある。ドイツでは最近になってようやくフットサルという言葉を聞くようになったけど、まだまだぜんぜん浸透していない。

 会場や大会によって少しずつルールが異なっているけど、この会場では両サイドラインのすぐ外に1メートルほどの壁が設置されている。この壁の上を越えない限り、ボールがラインを割ってもプレー続行。ということは、一人で壁パスが可能。壁を越えてフィールドからボールが出た場合は、近くのライン上からボールを手で転がしてリスタートとなる。キックインするとやり直し。

 大会によってはタックルOKのガチンコの大会があり、その場合はほんとに危険。通常のサッカーよりスペースが少ないから、タックルをかわせずに怪我をする場合がある。この大会はフットサルのようにタックルは禁止。また、キーパーがボールをトラップしたら、自陣にいる選手(敵味方かまわず)が次にボールに触れなければならない。キーパーがトラップしたのに相手コートに浮きだまを放り込むとフリーキックになる。ダイレクトでのみ相手コートに浮き球を蹴りこむことができる。 

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<フランクフルト対シュトゥッツガルトのPK戦>

 16日の予選を突破したのは地元アマチュアクラブの2チームとケルンのサッカー学校だった。17日から登場したブンデスリーガのチームは、ドルトムント、フランクフルト、ケルン、カイザースラウテルン、ヘルタ・ベルリン、シャルケ、メンヒェングラートバッハ、シュトゥッツガルト、レバークーゼン、カールスルーエ、アーヘンなどだった。1日目の予選を突破した3チームはブンデスリーガのチームにまったく歯が立たず。ブンデスリーガのチームは実力が拮抗していて、優勝したドルトムント以外はほとんど差がなかった。

 ベスト4にはドルトムント、メンヒェングラートバッハ、フランクフルト、シュトゥッツガルトが勝ち残り、ドルトムントはメンヒェングラートバッハに快勝、シュツッツガルトはPK線の末、フランクフルトに勝利した。

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<決勝前の国歌斉唱>

 ドルトムントとシュトゥッツガルトの決勝戦前には、2日目に残ったすべてのチームが整列し、ドイツ国家の斉唱。みんな起立したけど誰も歌っておらず、ちょっとやりすぎだろと思った。

 室内サッカー大会では11人制のときよりもフィールドが狭いし選手の数も少ないので、選手同士の連携が直接チームの連携に結びつきやすい。敵選手4人のうち1人でも崩して数的優位を作り出せれば、ゴールに結びつくチャンスは一気に大きくなる。
 例えば、ドルトムントには飛び抜けた選手がいて、その選手が局面を打開してチャンスを作り出していた。パスやドリブルで敵を1人抜ければ、フィールド内は4対3の数的優位。ゴール前に関しては3対2の数的優位。2人のディフェンダーのうち1人はシュートを阻止するためにマークをややはずしてドリブル選手にアタックしなければならない。マークにへばりついていたら、ボールを持っている選手にシュートを打たれてしまう。一人崩されたら、残りの選手へのしわ寄せが大きくなってしまう。

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<決勝のドルトムント対シュトゥッツガルト>

 大会では延長に入る試合も多く、1点が勝利に左右した。しかも、シュートが人に当たってコースが変わってゴールに入ったり、予測していなかったこぼれ球から得点に結びつく場合が多かった。シュートを打つことがまず大事。だけど、前掛りになったところでシュートミスしてカウンターで失点する場合も見られた。とにかくボールを失わずにシュートチャンスを作ることと守備と攻撃の切り替えの早さが大事。
 パスをつないで相手を崩してからじっくりシュートを狙う日本のチームが出たらどんな試合をするのかも見てみたかった。

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2006年12月 8日 (金)

マッスルスパーク - Engers戦

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<試合開始前の整列>

 リーグ前半戦16試合が終わり、今節は後半戦2試合目。この試合も含めてあと2試合でリーグが一旦中断し、冬休み明けに残りの後半戦13試合が行われる。
 今節の相手は2節のホームで対戦したEngers(エンガース)。地域ダービーにあたり、しかも前回はホームで0-2で負けているので、今回はぜひとも借りを返したいところ。エンガースはリーグ序盤は4位あたりにつけていたけど、このところはみるみる順位を落としている。逆に、リーグ序盤不振だったヴィルゲスはエンガースを追い越し6位まで上昇。

 監督ハンズィはエンガースに対してものすごい敵対心を持っている。というより、エンガースの監督ギュンター・ヴァーグナーに対して。そして、ギュンター・ヴァーグナーもハンズィに対して敵対心を持っている。似たもの同士だけど仲がめちゃくちゃ悪い。ミーティングでも、ギュンター・ヴァーグナーの試合前の新聞のコメントに対して「何を言ってやがる」と不快感をあらわにしていた。まあ、リーグ内では順位も上ということもあり、ハンズィは優越感に浸りながらグランドに現れたと思う。

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<攻め込むヴィルゲス>


 前回対戦時は3トップの右で出場したけど、今節は定着した左サイドバックでの出場。俺もチームに馴染んだし、チームのコンビネーションも勢いも前回とは大違い。
 開始早々コーナーキックの大チャンスをものにできず、逆に何度かピンチを招いたけど、右のネナド、トーマス・エシュのフリーキック、フォワード・ユーリの得点で前半だけで3-0と勢いを見せつける。

 後半、投入されたばかりのセネガル人に得点されてしまったけど、左のジミーがすぐに1点取り返し、エンガースの反撃の勢いを鎮めた。この試合では1軍のキーパー2人が負傷のため2軍のキーパー・アンドレイが出場したけど、まったく問題なくがんばっていた。そして、最後にはユーリがもう一発かまし、5-1と完勝することができた。

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<ゴール>

 エンガースのコーチ、アントニオ・ラモスとは毎週連絡を取り合っていて、この試合前も「エンガースのホームだけど、最近の成績を考えると、引き分ければ大満足」ということを言っていた。けが人や病気の選手が多かったみたいだけど、特にディフェンスラインはめちゃくちゃだった。グランドが悪いのにショートパスやドリブルをディフェンスラインで繰り返し、そのミスから失点していた。逆にヴィルゲスは、前線でボールを奪ってすぐにゴールへ向かう、ディフェンスは無理をせずとりあえずクリアするといったことを徹底していた。
 エンガースとの試合を終え、今年もあとホームでの1試合を残すだけとなった。試合後にはチームのクリスマスパーティーが控えているだけに、最後の試合を気持ちよく勝ちたいところ。

 今回の試合時、北海道のサッカー少年たちがちょうどドイツに来ていた。ドイツで試合や観光をする合間に、大勢でヴィルゲスの試合も見に来てくれた。ヴィルゲスサポーターと一緒に一生懸命応援してくれたので、俺もほかの選手もいつも以上に超人強度がアップし、ハッスルのマッスルスパークだった。みなさん本当にありがとうございます。ざぁす。とぅー。
 試合後にはヴィルゲス選手たちも子供たちにサインをねだられ喜んでいた。アウェイで試合(ギュンター・ヴァーグナー)にも勝ち、サインもねだられた監督のハンズィはロッカールームでノリノリの悪ノリだった。

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2006年11月12日 (日)

静岡県選抜U16 ドイツ遠征②

 静岡県サッカー国体選抜が7月にドイツへやってきて、暑い中、約1週間で3試合をこなした。エスパルスやジュビロのクラブユースが不在の中でも、ブンデスリーガのユースチームを相手に2勝1分けと好成績を残した。日本のユース年代のレベルは世界と比べても劣らないと思うし、ヨーロッパのユースよりもだいぶ多く練習していることを考えれば、今回の結果は決してできすぎではないと思う。だけど、ユース以降に日本が世界を相手に勝てなくなるのを見ていると何でかと思う。ユース年代なら強いチームは日本国内にもたくさんあると思うので、海外に来て強い相手に勝つことだけを目的にするのではなくて、違う国のサッカーを通して、日本で通用するけど海外では通用しないプレー、日本では必要ないけど海外で必要なもの、自分の新しいプレースタイルなどが発見できたらいいと思う。

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<ドイツ人コーチ・エァティ>

 今回チームの指導を担当したドイツ人コーチ・エァティは、ドイツサッカー協会トレセンコーチでもあり、過去にはブンデスリーガ1部のアレマニア・アーヘンのユースの監督もしていた。また、アメリカでもコーチ研修の経験があり、元ドイツ代表監督のクリンスマンのようにドイツサッカーに最新のトレーニング理論を組み入れて指導していた。
 エァティは2回の練習を見て1試合目のスタメンを決めたけど、日本人スタッフからの情報もなしに、ほとんどの選手のポジションを見抜いていた。更に、普段フォワードの選手をサイドバックで使うなど、選手の新しい可能性も見出していた。試合でのコンビネーションを少しでもよくするために、パス練習などでもポジションの近い選手同士を組ませた。また、右利きで左サイドをプレーする選手には練習中なるべく左足を使うように指示していた。
 短期間でやったことがすべて結果に現れるわけではないけど、レベルの高い選手たちだったので、エーティのプロフェッショナルな要求にも答えていた。中にはエァティーがドイツに残ってやったらどうだというような選手も何人かいた。

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<選手、スタッフと集合写真>

エァティーの練習メニュー (守備 → 攻撃)


1日目:
・ボールを持つ相手にディフェンスが2対1をつくる
・4バックとボランチの連携

2日目:4バックの守備とカウンター

3日目:パスの受け方

4日目:中盤の組み立て

5日目:
・シュート練習
・ゴール前での2対1,2対2,3対2

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<1.FCの練習見学>

 ケルンの練習も見学した。練習を近くで見ると、選手の大きさ、速さがよくわかる。すごいシュートも打つけど、以外に左足があまり蹴れない選手がいることもよくわかる。ケルンは昨シーズンブンデスリーガ2部に降格し、1シーズンで1部復帰を目指している。しかし、数日前に成績不振を理由にスイス人のハンスペーター・ラトゥアー監督(写真の黒T)が解任された。(このまえは3部から昇格したばかりのコブレンツにまさかの敗北)

 エァティーは日本の若い選手たちをとても気に入っていた。もちろん今回の選手たちのレベルが高かったということもあるけど、チャンスがあれば日本で監督もしてみたいと言っていた。長期でも短期でもぜひ日本でやってみたいと言っていた。
 

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2006年11月 9日 (木)

静岡県選抜U16 ドイツ遠征①

 静岡県サッカー国体選抜が今年の夏にドイツにやってきた。今年から国体サッカー少年の部の年齢枠が下がったため、来たメンバーは高校1年か2年生(U-16)。都合によりクラブチーム組は参加できなかったけど、選手たちはヘネフと言う街にあるスポーツシューレに宿泊。
 ヘネフはケルンから30キロ、ボンから15キロほどの所に位置する人口4万5千人ほどの小さな街だけど、このスポーツシューレにはコンフェデレーションズカップでアルゼンチン代表が合宿を行った。 
 「スポーツシューレ(Sportschule)」とは直訳すると「スポーツ学校」だけど、別に学生がいてそこで授業を受けているわけでなく(時々大学などの授業で使われる時もあるけど)、さまざまなスポーツのためのグランドや体育館、宿泊施設、食堂、ミーティングルームなどを兼ね備えた総合スポーツセンター。ドイツ国内に20数箇所ある。ここでドイツ人コーチ・エァティーによる練習を受けながら、ドイツのチームと3戦した。俺は通訳兼アシスタントコーチ?として同行。

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<アレマニア・アーヘン戦>

 
まず第一戦は、今年36年ぶりにブンデスリーガ1部昇格を果たしたアレマニア・アーヘンのユースチーム。チームは1900年に創立され、チーム愛称はコロラドハムシ(ジャガイモの害虫)らしい。
 チームは急造だったけど、ドイツ人コーチのエァティーがすべて指揮を取った。試合は3-0で静岡県選抜が勝利。アーヘンのユースはドイツのユースリーグの中でもトップリーグに所属しているけど、静岡はゲームを終始支配していた。
 試合後、アーヘン監督は「テクニックやフィジカルともに申し分ないチームだ」と言っていたけど、「ゴール前での横パスが多すぎる」とも言っていた。エァティーも「勝てはしたけど取れる時にはしっかり取るように」と選手に言いきかせていた。

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<1.FCケルン戦>

 第2戦は名門ケルンとの対戦。1848年に創設され、ブンデスリーガ初代王者。奥寺氏やリトバルスキーも活躍した。昨シーズンはカイザースラウテルンとともにブンデスリーガ2部に降格してしまったが、規模的にはアーヘンよりもだいぶ大きい組織。愛称は雄ヤギ。
  静岡はアーヘンで1戦をこなし、メンタル的にもフィジカル的にも前回より調子は上回っていた。前回の試合の修正やエァティーの練習の効果も現れチームはのりのり。対するケルンはシーズンが始まったばかりとあって体調は不完全。名門の意地か、ケルンに2失点を許したものの7-2で快勝。
 ハーフタイム、すでに点差がついていたけど、「相手は誇りのあるチームで、後半は必死になってくるはず。逆にこっちはボールを動かして冷静にプレーしよう」と言うエァティー指示。しかしながら、キャプテンの松本は接触プレーで膝を負傷。攻撃の中心小倉はドリブルを刈られて足首を捻挫してしまった。

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<マインツ05戦

 最後の試合は、静岡の普段のやり方を見てみたいと言うコーチ・エァティーの要望から、エァティーも俺も観客として観戦。3戦目の相手マインツは1905年に創立され、クラブOBでもある若手人気監督ユルゲン・クロップが指揮を取りはじめてからブンデスリーガ1部に昇格し、クラブ史上初のUEFAカップ出場も果たしている。愛称はヌルフンファー(05の男たち?みたいな感じ)。
 短期間での3試合目とあって、さすがに選手たちにも疲れが見え始めていた。フィジカルを生かされて2失点を許したけど、組織的なパス回しやエース杉山のワントラップボレーで同点に追いつく。2-2で試合は終了し、静岡県選抜のドイツ遠征は2勝1分けの成績で終わることができた。

 静岡県選抜はまだ主力が抜けていたけど、今回のメンバーでもドイツのユースと比べたら十分強かった。コーチのエァティーはみんなの才能に惚れ惚れしていた。静岡だけでなく日本のユースのレベルは世界的に見てもけっこうなものだと思う(特に、テクニック、コーディネーション、持久力)。ドイツのユースチームが1時間半くらいの練習を週に3,4回しかしないのに比べれば、日本のユース年代は相当練習しているからうまくなるのは当たり前だけど、少し歳をとると世界相手に勝てなくなるのは何故か?
 日本では短期決戦のために詰め込みすぎて才能ある選手が怪我をしたり燃え尽きたりしてしまう場合があるけど(だいぶ改善されてきているようだけど)、ドイツではリーグ戦を通して試合経験を積ませながら日本よりも比較的ゆったりと練習している。部活がないので高校や大学の所属に縛られず、20歳前後の伸びる時期に出場できるチームに移籍して試合経験を積むこともできる。
 世界との差が出てくるのは指導方法、練習環境、体格差などいろいろと考えられるかもしれないけど、俺はサッカー以外の面で世界に通用するようなメンタリティー、感覚、行動力とかも必要じゃないかと思う。そういったものがサッカーでの集中力、判断力、積極性につながって差となって出てくるんじゃないかと。日本人だけの日本にいるから日本で起こっていることが当たり前だと思うのはしょうがないけど、せっかく才能もあって環境も整っているのに狭い中にとどまって能力を縛り付けてしまうのはもったいないと思う。

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2006年4月24日 (月)

MASAYA少年、ドイツを発つ

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<マサヤ、安楽コーチと>

 
ドイツでの約10日間のホームステイを終え、マサヤが日本に帰ることになった。ホームステイ中は、試合観戦、地元のクラブチームとのサッカーの練習、学校訪問、観光などといろいろなことをした。ホームステイ先のKleinmaischeid(クラインマイシャイト)ではサッカーや学校を通して友達ができ、いつでも戻ってこれる場所ができたと思う。そして、サッカーだけじゃなくて、それ以外にも日本とは違った体験をいろいろすることができてマサヤは成長したと思う。日本に着いた安楽コーチからも「マサヤが変わった、とみんなが言ってる」という報告をしてきてくれた。マサヤはもともとしっかりしている子だったけど、ドイツでも自分からどんどん行動していろんなことを感じとったと思う。
 次はいつになるかわからないけど、俺とマサヤと安楽コーチの3人でトライアングルの再結成が来る日を待つ。相手がドイツでもチェコでもスペインでもあろうとも。それまで安楽コーチもしっかり体を作っておいてください。ほんと頼みます。

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2006年4月23日 (日)

MASAYA少年、ケルンで試合観戦

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<謎の男とケルンの大聖堂前にて>

 ドイツにホームステイ中のマサヤと一緒にケルン対フランクフルトのサッカーの試合を観にいった。試合前に時間があったのでドイツ3大大聖堂のひとつと言われているケルンの大聖堂に入り、ついでに狭くて長い階段で大聖堂の上まで登った。階段はかなりの段数で、運動をしていない人にはあれはけっこうきついと思う。他の3大大聖堂はトリアーとマインツにあるらしく、昔トリアーに行った時はそんなことは全く知らず中に入っていた。いつかは残り一つのマインツを攻めたい。

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<試合会場に向かうフランクフルトのバス>

 更に街をぶらぶらしていると、ホテルから出てくるフランクフルトのチームのバスを偶然目撃した。ちょうど試合会場に向かうところでホテルの前にはファンらしき人たちが選手を見に来ていた。フランクフルトには韓国代表のチャ・ドゥーリーがプレーしているので人だかりの中に韓国人サポーターの姿も見えた。

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<マサヤとケルンのスタジアム前にて>

 街中から路面電車でスタジアムに向かう。試合時間も近づいていたのでスタジアム周辺には試合に向かうサポーターたちでいっぱいだった。
 ケルンには2部当時からドイツ代表のルーカス・ポドルスキーが在籍している。注目の若手だけど、ワールドカップを前にして調子は悪い。元浦和レッズでトルコ代表のアルパイも在籍している。ケルンはリーグ最下位で降格の危機のため、チームもサポーターも必死だった。サポーターの中には半分あきらめているやつもいた。

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 試合は開始早々、セットプレーからケルンが先制する。流れは明らかにケルンだったけど、中盤の選手がレッドーカードで退場になり次第に押され始める。そして、カウンターでギリシャ代表のアマナティディスに同点ゴールを決められファンはがっかりする。その後、ケルンはカウンターで攻めるけどなかなか点につながらず。逆に、フランクフルトの攻撃にファンは何度も冷や冷やさせられていた。なんとか引き分けて勝ち点1をとることができたけどまだまだ降格圏内。

 ケルンのマスコットはヤギで、ホームの試合にはいつも本物のヤギがスタジアムの中にいる。名前はへネスというらしく、試合中にこいつの「メー」という声が流れると他会場の試合結果がスクリーンに映し出される。声に反応してみんなスクリーンを見ていた。ちなみに、俺が昔在籍していたチェコのボヘミアンズプラハのマスコットはカンガルーで、もう死んでしまったので剥製になってプレスルームに立っていた。代わりにホームの試合では汚い着ぐるみのカンガルーが応援をしていた。

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2006年4月18日 (火)

MASAYA少年、またまたドイツ学校訪問

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<Martin-Butzer学校の校章>

 ドイツにホームステイ中のマサヤ少年は、前回のネルソンマンデラ学校に続き今回はMartin-Butzer(マーティン・ブッツァー)学校に登校する。ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)で学び、そのあと成績や目的によって3つのコースに別れる。このマーティン・ブッツァー学校はGymnasium(ギムナジウム)にあたり、3つのコースのうちの進学コース。学校に入った瞬間、この前に訪れた学校とは全く違った感じがした。マサヤが言うには、「生徒たちが普通に手に本を持っている」とのことだった。本当のところはどうかわからないけど、「勉強してます」という感じをかもし出していた。担当の先生は、「生徒の質はいいし、外国人にもすごく慣れている」と言っていた。ちなみに安楽コーチは風邪のためこの日は不登校だった。

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<1つ上の数学の授業に参加>

 前回と同じく学校の説明を聞いた後、担当の先生と一緒に教室に行く。そのクラスは高校1年のクラスだったので、中学3年のマサヤにとっては1つ上の学年の授業になってしまった。しかも普通に数学の授業を受け、マサヤは、「まだ習っていないところなので全くわからない」と言っていた。俺にもプリントが配られ、一緒にサイン、コサイン、タンジェントを勉強した。先生の質問に対して生徒はどんどん答え、質問されなくても自分から積極的に発言していた。

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<体育の授業>

 ようやく得意の体育の授業と思いきや、サッカーではなくバレーだった。しかも、この日は先生が生徒の評価をつける日だった。先生が、「バレーはチームに2人でもできないやつがいるとバレーにならない」と言うように、このクラスのバレーも全くラリーが続いていなかった。生徒たちも見た感じ運動があんまり得意そうではなく、けっこうな確立で先生の罵声が体育館に響いていた。いいプレーは褒めていたけど。

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<先生の罵声が飛ぶ体育館の授業>

 次の授業に行くために、授業時間の長い体育のクラスを途中で抜けることになった。帰り際、先生とサッカーの話になり、「ドイツサッカーは今全然だめだ」と言っていた。「子供たちがテレビゲームなどで遊ぶようになり動けない子供が増えた」とも言っていた。更に、「ドイツは絶対ワールドカップで優勝できない」と嘆いていた。

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<マサヤも一安心のちびっ子クラス>

 ちびっ子クラスに行った時はちょうど地理の授業だったので質問タイムとなった。気候や学校のことからプライベートな質問までいろいろあった。「トーキョーホテルというバンドは好きか?」という質問は他のクラスでも聞かれた。ドイツで今人気のある子供たちのバンドらしい。

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<先生に合わせて演奏中の音楽の授業>

 
最後の時間には担当の先生と一緒にいろいろな教室をまわった。科学室から生物室、音楽室と学校の中をくまなく案内してくれた。教室を訪れるたびに自己紹介をすることになったけど、いろいろな授業を見ることができた。
 音楽室では弦が1本しかない楽器を使ってちょうど音の勉強をしていた。先生に合わせてみんなで音を出していたが、何人かの生徒はしっかり理解しておらず、ごまかして弾くふりをしていた。先生が怖かったのか、みんな一生懸命弾いていた。

 ということで、これでマサヤの学校訪問も終了した。どうやら、マサヤには最初に行ったのんびりとした学校のほうが気に入ったようだった。そして、安楽コーチは仮病だという噂もチラホラ出ていた。

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2006年4月16日 (日)

MASAYA少年、ドイツで学校訪問

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<ネルソンマンデラ学校の校章>

 マサヤ少年はドイツでのホームステイ中、地元の学校にも訪れた。まず最初に訪問した学校はNelson Mandera Realschule(ネルソンマンデラ・レアルシューレ)。南アフリカのネルソンマンデラ元大統領にちなんで名付けられたこの学校はユネスコプロジェクトに参加していて、国際的な考え方や活動に重点を置いた教育をしている。このような学校は世界126カ国に4000校以上あり、それぞれの学校がネットワークを結び国際交流を続けている。そして、このラインラントプファルツ州にもそのうちの8校が点在している。

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<ヴァーグナー先生の担当クラスの生徒たちと>

 
州によって多少違うらしいけど、ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)というところに通う。ここは日本で言う小学校に当たるところで、その後は成績や目的によってHauptschule(ハウプトゥシューレ)、Realschule(レアルシューレ)、Gymnasium(ギムナジウム)の3つのどれかに進んでいく。レアルシューレはこのうちの真中のレベルで、途中で中級卒業資格がとれば、専門上級学校やギムナジウムの高学年へと進むこともできるらしい。学校の説明を聞いたあと、ヴァーグナー先生担当の1時間目の社会のクラスへと移動した。ちょうど社会ということで、日本のことについていろいろと質問された。

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<教室での質問タイム>

 
いくつかのクラスへと参加させてもらって毎回質問タイムがあったけど、日本での学校の時間や塾のこと部活のことなどをマサヤが説明すると、ドイツの子供たちは「それはないよー」という感じで驚いていた。ドイツの学校は日本よりも少し早く始まって13時か14時くらいには終了する。でも、ドイツでも子供の学力低下は問題らしい。
 生徒たちは漢字に興味があるらしく、「名前はどう書くのか」、「俺の名前は漢字でどう書くのか?」などといった質問がよく出た。マサヤに付き添った安楽コーチも自分の名前を黒板に大きく書いた。 

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<アットホームな雰囲気の職員室>

 
休み時間は職員室で待機した。職員室には先生たちの自分専用の机はなく、適当なところに座ってみんな談笑していた。「日本の職員室とは違いすごくアットホーム」とマサヤが言っていた。更に、「職員室でものを食べている先生が多い」とも言っていた。
 職員室で休憩した後、体育館でのサッカーの授業に出た。この日は2クラスのサッカーの授業に参加して、高学年クラスの授業では俺とマサヤと安楽コーチが一緒のチームで生徒たちと試合をした。マサヤはもちろんのこと、安楽コーチも子供相手に容赦ない攻めを見せていた。「あたりまえや」と言っていた。

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<リフティングを披露するマサヤ>

 
下の学年のクラスのサッカーの授業では、先生に頼まれ、安楽コーチが1時間授業を担当することになった。子供たちはマサヤと一緒にみんな大はしゃぎでサッカーしていた。このクラスに限らず生徒たちはほとんど人懐っこく、他のクラスでも廊下でもマサヤは人気者だった。

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<幼稚園クラスの子供たち>

 この日学校を案内をしてくれたヴァーグナー先生は、「ドイツの教育システムは州ごとに違うので、州によって教育レベルが違う。そのことから大学入学資格が他の州では無効になったりしてもう最悪だ。さらにそのことを生徒や親が理解していない場合が多い。」などと嘆いていた。ただ、「この学校の国際的な活動に関しては誇りを持っていて、生徒たちも外国人に対してオープンだし、とてものびのびと暮らしている。」と言っていた。
 マサヤも、「みんな人当たりがいいし、授業もぴりぴりしてなくていい。でも、あんなにのんびりしていいのかと思った。」と言っていた。
 こうして学校での1日が終わった。マサヤはよっぽど学校が気に入ったらしく、ヴァーグナー先生に頼んで翌日も一人で学校に登校することになった。

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2006年4月13日 (木)

MASAYA少年、ドイツで練習参加する

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<Seltersの選手たちと>

 サッカー少年のマサヤはやぱりサッカーが好き。ドイツでもホームステイ先のマークのチームなどに混ざって一緒に練習をした。中でも2日間通ったSelters(ゼルタース)と言うチームはマサヤを快く受け入れ、みんなで楽しく汗を流した。
 このチームは他にも外国人の選手が何人かいて、日本人のマサヤもすんなり輪に溶け込めた。トルコ系の子供が多くみんな人懐っこかった。2日目の練習では俺も一緒に練習することになり、子供たち相手にもたまに容赦なく全力を出した。

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<ウォームアップのストレッチ>

 練習では段取りがしっかり組まれていて、監督はけっこう細かな指示をしていた。小さな村のチームなのでそんなに強いチームではなかったけど、なかにはキックやスピードなどいいものをもっている選手もいた。ただ、監督やチームの子供たちも認めたように、マサヤのほうが一枚上手だった。特に、テクニックでは圧倒的にマサヤのほうが上だった。
 ミニゲームでは、マサヤに対抗しようとする選手もいてなかなか白熱したけど、最後はマサヤが勝ち、選手たちはお手上げだった。マサヤにとってはレベル的に少し物足りなかったかもしれないけど、ドイツと日本のサッカーの違いを少しは感じてもらえたと思う。
 例えば、マサヤのドリブルを止めれる選手はなかなかいなかったけど、持ちすぎてゴールに結びつかなかったり、囲まれてしまう場面も何回かあった。日本の選手はどれだけきれいにボールをつなげるかとかドリブルで何人抜けるかということを考えがちだけど、ヨーロッパでは強引でもゴールに近づくプレーや簡単にゴールに結びつくプレーが評価されるときがある。もちろん、見ていて面白いサッカーのほうが気持ちがいいし、戦術を実行するためにテクニックはある程度必要だけど、ゴールに結びつき失点を防ぐための状況にあったプレーがサッカーの目的だと思う。(楽しまないとダメだけど)

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<チームのTシャツをもらい喜ぶマサヤと愉快な仲間たち>

 
マサヤの感想では、チームの練習の雰囲気がリラックスしていて、悪く言えばきびきびしていない、とのことだった。確かに日本の子供たちの練習量はドイツに比べて多いし、内容も厳しいので、そういった意味でもマサヤにはこのチームの練習が物足りなかったかもしれない。ただ、こういうゆったりとした環境でやっていたドイツの子供が大人になったときには日本人の選手よりも世界で活躍している。子供の時にがむしゃらにやっていい成績を修めても途中でやめてしまったり楽しくなくなってしまう。楽しみながらゆっくりとうまくなって長くサッカーを続けられる環境がドイツには日本よりまだ多い。その中でいろんな経験もするしいろいろな友達もできる。
日本のサッカーの父・クラマーさんが言っていた。
「本当に大事なのはゴールを決めることではなく、友情を結ぶことである。」

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2006年4月12日 (水)

MASAYA少年、ザールブリュッケンを訪ねる

 サッカー少年のマサヤは、今回のドイツでのホームステイで5試合のサッカー観戦をした。お気に入りはチェコ代表でドルトムント所属のロシツキー。ドルトムントまで行きカイザースラウテルンとの試合観戦をした。そのほかにも、日本ではあまり情報が入らないドイツ2・3部リーグ(プロ)の試合なども観戦した。

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<ザールブリュッケンのスポーツシューレにて>

 ドイツにも慣れ始めたころ、フランスとの国境に位置するザールブリュッケンを訪れた。ここは俺が3年くらい住んでいた街で、そんなに大きくないけどブンデスリーガ2部に所属する1.FC Saarbrueckenの本拠地。試合まで時間があったので、総合トレーニング施設のSportschule(スポーツシューレ)を見学する。スポーツシューレはドイツ各地にあって、一般や選抜チームなどいろいろな種目のスポーツ選手が練習場として使用している。俺もよく練習した。

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<試合後、ザールブリュッケンのスタジアムにて>

 見学後、スタジアムへと移動。マサヤ、マークともザールブリュッケンのマフラーを装着し応援モードに入る。ブンデスリーガ2部といえど、各国の代表選手も出場していたので、マサヤにはいい刺激になったと思う。しかも、この日はザールブリュッケンが珍しくいい試合をしフライブルクに快勝した。周りのおっさんサポーターと共にいい気分で家に帰ったことだろう。

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2006年4月10日 (月)

MASAYA少年、ドイツに着く

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<マサヤ少年とホームステイ先のマーク少年>

 中学校最後の春休みを使用して、大阪から一人の少年がドイツにやってきた。彼の名前はM.A.S.A.Y.A...マサヤ。今春、高校に進学する前は大阪のクラブチームに所属してサッカーをしていた。今回、マサヤ少年はドイツのKleinmaischeid(クラインマイシャイト)という村のRetterlath(レタラート)家にホームステイすることになる。レタラート家にはマサヤと同じくらいの息子(マーク)がいて彼もサッカーをしている。ちなみに、マサヤを心配してクラブチームからは安楽コーチこと竜さんが同行した。

<ドイツに着いたマサヤの感想>

 ドイツの人たちは日本に比べてよい意味でおおらかといいますか、心が広いというかそんな風に思いました!あと、自然のこと(ゴミ分別)とか節電とか完璧にしてるとこが驚きました!
 家族の様子とか日本と比べるととても個人主義って感じがしました!他には、家族と話していてマークたち子供たちがみんな夢を持っていることです!日本の子供は夢を持っていないですから。。。。。。笑
 着いたときは思ったよりも日本人が少ないこと、車が速過ぎーーーーーーです(><)
 あ!街灯が全然ないこと!などです!

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2006年2月14日 (火)

AとCの合同練習

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<Cユースの面子と練習後>

 
俺の所属するReimsbach(ライムスバッハ)のユースチームの2回目の練習があった。俺の担当するCユース(中学生年代)の前にFユース(10歳くらい)が練習していて、仲のいい子供のRobbyと「明けましておめでとう」を済ます。今度、「高原のサインと写真をもらって来て」と言っていた。

 今日の練習にはCユースと一緒に、時間と体力を持て余したAユースの何人かも参加した。2人組み、4人組でボールキープやパスの練習をしたあと、シュート練習をしてゲームに入った。1対1や2対2の練習で少し負荷を上げてみたら、ほとんどの選手が息を切らして疲れきっていた。休み明けでまだまだ体がなまっている。パスの練習でも、体の動かし方や考えたボールのもらい方に全然なれていなかった。最後のゲームではAとCユースを混ぜてやったので体格の差が出たけど、お互いが助け合って小さいCユースの選手もいいプレーをしていた。Cユース→俺→Aユースのトライアングルで奪ったゴールはこの日のベストゴールだった(はず)。

 ユースの練習後は、自分たちの練習が始まった。1軍が昨日練習試合だったので、今日はウォーミングアップのあと、軽くゲームをして終わった。
 昨日の試合の相手は一つ下のリーグの首位Hemmersdorf(ヘンマースドルフ)。急造ディフェンスの連携ミスで前半すぐに失点したけど、何とか同点に追いつく。後半は、ずっとライムスバッハペースで攻め続けたけど、なかなか点が入らず。PKっぽいファールも3回ほど審判に流されて、チャンスはあったけど得点に結びつかず、結局1-1で終了した。
 審判が両チームのファールを何回も見逃していたので、試合がどんどん荒れていった。相手フォワードの一人は負傷して泣きながら途中退場するし、その後、俺ともう一人の敵フォワードは乱闘気味になりみんなに止められた。試合後、チームメイトから、「お前、一瞬、カンフーみたいの出しただろ」と言われた。監督からは「あんだけファールされて、今日はまだおとなしくしてたな」と言われた。
 

 

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2006年2月10日 (金)

ユースチーム練習スタート

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<教え子のブーン(左)、クリストフ(中)、ユリアン(右)>

 年が明けてからだいぶ経つけど、昨日ようやくユースチームの練習が再開した。教えているのは、俺が所属しているReimsbach(ライムスバッハ)のユースチーム。
 ドイツのユースのカテゴリーは、2年ずつ順番にAからFまで分かれている。Jugend(ユーゲント)がユースという意味で、その前にアルファベットをつけて呼んでいる。Aユースは17・18歳でA-Jugend(アー・ユーゲント)で、俺が教えている13・14歳はC-Jugend(ツェー・ユーゲント)と呼ばれている。
 始まったばかりでまだ練習に来ていないやつもいたけど、来たやつらと「明けましておめでとう」を済ます。軽く基礎練習をした後、ゲームを長めにやってみんなで楽しんだ。まだまだ体に切れがないので、これからしっかりトレーニングしていかないといけない。

 子供たちのトレーニングの後には自分の練習試合が控えていた。相手は一つ下のリーグのLebach(レーバッハ)。ユースの練習後すぐに試合だったので、子供たちと一緒に練習して体を温めた。
 試合は一方的で、何点入ったのか覚えていない(たぶん10対0くらい)。おれはリベロをやっていたけど、攻めっぱなしだったのでほとんど出る幕無し。相手が弱かったから結果だけ見たらいいけど、内容はまだまだ全然だめ。単純なミスが多くて、チームでの動きが全くできていないし、一人一人がその場しのぎの動きだった。相手がもう少し強かったら何もできないと思う。そのことでイライラしていて、汚いファールをされて相手選手と喧嘩してしまった。審判や味方になだめられて仲直りしたけど、もっと自分もチームもコントロールしないといけない。まだまだ青いな。

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2006年1月20日 (金)

高校サッカー観戦

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<高校選手権準決勝を観戦中のウドとクリストフ>

 
ドイツ人4人を連れて、高校選手権の準決勝の試合を国立に観にいった。対戦カードは、野洲高校対多々良学園。
 ここのところ日本を離れていて、高校サッカーを全く見ていなかった。それと、高校野球もそうだけど、テレビなどでやたらと騒ぎ立てる割にはあまり面白くないと言うのが俺の印象だった。

 今回、しっかり見た試合はこの試合だけだったけど、選手の技術レベルは相当上がっていると思った。大会の中でもけっこう面白い試合の一つだったかもしれないけど、確かに選手が身体的、技術的にしっかりと鍛えられていた。アメフトのドイツ代表の監督アンディも日本人の高校生のプレーに喜んでいた。

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<ハーフタイムの暇つぶしにスタジアムの外で> 

 試合は、野洲高校がボールを支配する時間が多くなり、中盤やディフェンスラインでボールを回していた。多々良学園もカウンターで何度かチャンスを作り出していた。が、両チームなかなか点が入らない。中盤での回しはうまいけど、フィニッシュが決まらない。これは高校生だけじゃなくて日本全体にいえることだけど。日本のサッカーの父・クラマーさんが言ったように、「第2の釜本を見つけなければならない」。

 それとウドも言っていたけど、選手のタイプがほとんどみんな同じ。テクニックがあってドリブルができるけど、点が取れる怖い選手がなかなかいない。ただ、「ドイツのトップクラスのユースチームでもこんなにうまいチームはない」と言っていた。

 野洲高校は決勝に進出して、昨年度のチャンピオンの鹿児島実業を下し、優勝した。試合は見ていないけど、九州勢の勝つためのサッカーに勝ち、「高校サッカーの見方を変えた」と言うような意見を聞いた。まだまだ改善の余地はあると思うけど、限られた時間の中で、一発勝負の大会で、しっかり組織したサッカーができるようにトレーニングされたチームだと思った。

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2006年1月 1日 (日)

筋肉日記も2006に突入

 2005年の活動に終止符を打ち、いよいよ2006年に突入した。「もうすぐ199X年だ。」と言っていたあの頃が懐かしい。

 11月に20日間ほど日本に滞在していたので、今年の年末年始はドイツで過ごす予定だったが、ボ スに半ば無理やり付いてきた。今回は1月16日まで滞在する。

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 大晦日もあとわずかということで、高校時代の主将・早川と共に地元・ 清水をまわった。エスパルスドリームプラザ(通称ドリプラ)はカウントダウンでお祭り騒ぎだったので、俺達は迂回をし小さな神社へ。お参りをしお守りをもらう。おみくじがなかったので、もう一つの神社へ。結果は小吉。「なにか奥歯に物がはさまっているような状態」と書かれたいた。「邪魔なものは噛み砕けばよい」とも書かれていた。前進勝利できたらうれしい。

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<ミーティング中の小学生>

 元旦は、母校の小学校で毎年恒例の初蹴りがある。清水市立江尻小学校。小学生、OB、父母、指導者が集まってみんなでサッカーをする。俺はママさんチームに混ざり、小学4年生と対戦。その後、指導者チームでOBの若者達と対戦した。2006年開幕を2連勝で飾ることができた。みんな、正月早々負けていられないので、女子供とて容赦しない。

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<子供相手にむきになる大人たち>

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2005年9月21日 (水)

ユースチームをしごく

 今日は、Reimsbach(ライムズバッハ)の2軍兼ユースチームの監督のMichaelから急な連絡があって、Cユース(12/13~14/15才)のトレーニングを担当することになった。

 今日は12人の子供たちが来ていて、でかいのが2人、女の子が1人、あとはちっこいのだった。レベルは高くないけど、みんな言うことを聞いて真面目だった。
 
 基本的には、ユース年代は日本のほうがレベルは上だと思う。体格的にドイツ人のほうがしっかりしているけど、ボール扱いとかボールのもらい方は日本人のほうがうまい。でも、これは日本人のほうが時間的にたくさん練習しているから当たり前だと思う。ドイツのユース年代は、普通は週に3回くらいしか練習がない。
 逆に、日本の場合はユース年代に詰め込んで練習しすぎて、怪我をしたり燃え尽きたりしてサッカーをやめてしまう場合もある。ただ、たくさんの子供がサッカーに取り込む土台ができてきているので、やり方を間違わなければ10年後は確実に日本のサッカーは強くなると日本サッカーを知る監督のUdo(ウド)が言っていた。
 
 今日はウォーミングアップをして、その後パスの練習、シュート練習をして、最後に6対6のゲームをして終わった。基本練習プラス違ったバリエーションで様子を見ながらやった。やることはまだまだたくさんあるけど、お互い楽しくできたのでよかった。
 日本とドイツの練習方法や考え方の良いところをうまく組み合わせて、自分なりのやり方を見つけるようにしたい。

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