カテゴリー「Hobbies (本、映画、音楽、名言など)」の87件の記事

2016年4月20日 (水)

ファーストタッチ - ボールコントロールから次のアクションへ

 ベースボール・マガジン社から、3冊目の本を出版しました。今回はテーマごとに1日のトレーニングをどのように発展させていくのか、いくつかの例を挙げました。ウォーミングアップからメインまでつながりのある練習メニューを提示しています。
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序章: 
ファーストタッチ
ボールコントロールから次のアクションへ

第1章: 
ボールコントロールからパス

第2章: 
ゴール前のファーストタッチ

第3章: 
背後のディフェンダーに対するボールコントロール

第4章:
浮き球のボールコントロール

第5章:
ビルドアップ/カウンターの中のボールコントロール

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はじめに

「テクニックはすばらしい、だけど・・・」
「とても面白いプレーをする、だけど・・・」
「日本のジュニア年代では素晴らしい選手がたくさんいる、だけど・・・」

日本の育成年代のチームと一緒にドイツに行って試合をしたあとや、ドイツの友人が日本に来て試合や練習を見たあと、ドイツの友人たちからこのような感想を耳にすることがよくあります。どの年代でもボール扱いは褒められる一方、1対1の甘さや基本的な個人戦術の欠如、状況把握や判断の悪さなどを指摘されます。

フィジカル面や戦術理解の面で比較的差が少ないジュニア年代では、ボール扱いのスキルを磨いている日本のチームが海外のチームを驚かすこともありますが、年代が上がるにつれてフィジカルやメンタル面、そして、特に戦術面の差が顕著になってくると、上述したコメントを耳にすることが多くなります。

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 本書はテクニックにおける”ボールコントロール”がメインテーマになっていますが、ただのボール扱いのスキル向上メニューではなく、将来に向けて幅広い土台作りを構築していくために、他のテクニックや戦術的要素を含めた複合的なメニューが多数掲載されています。難易度を調整すればどのような年代やレベルにも適用できるメニューが多く、実際に、僕が現在指導している小学生チームとJリーグ昇格を目指している社会人チーム”東京23FC”で本書内の同じメニューを行うときもよくあります。コーチングポイントを変えればさまざまなテーマにも応用可能ですので、いくつかの例を参考にアイデアを発展させてみてください。僕も、自分の教えた選手たちがドイツの友人たちに前述のようなコメントを言われないように努力していきます。

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撮影に協力してくれたフッチサッカークラブの皆さん、ありがとうございました。

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2016年4月 1日 (金)

グアルディオラのポジショナルプレー特別講座 - オスカル・カノ・モレノ

著者 オスカル・カノ・モレノ
1972年生まれ。グラナダ出身。グラナダCF、CPエヒド、UDサラマンカ、メリダUD、ベティス、CDアルコヤーノで監督を歴任。

訳者 羽中田 昌(はちゅうだ まさし)
1964年生まれ。山梨県甲府市出身。ヨハン・クライフがいるスペイン・バルセロナに5年間留学。帰国後は暁星高校と韮崎高校でコーチ、カマタマーレ讃岐と奈良クラブで監督を歴任。現在は東京23FC監督。

訳者 羽中田 まゆみ
1965年生まれ。山梨県韮崎市出身。1990年から夫に伴いバルセロナに5年間留学。公立の語学学校でスペイン語を学ぶ。

Pep

「グアルディオラは、超大型級のハリケーンだった。サッカー界にはびこるすべてのウソとインチキを破壊した。最近では、イタリア代表でさえもボールを持ってプレーしようとする。しかし、ブラジルだけが前よりも悪いサッカーをしている」
セサル・ルイス・メノッティ

「チームのエッセンスは、中盤にある。犠牲の精神、チーム全体のことを考えられる知性を備え、フットボールの本質を最も理解するのが中盤の選手たちだ」 
ペップ・グアルディオラ

「監督たちは皆、より多く走ることについて語りたがる。私は、多くの距離を走る必要はないと断言する。フットボールは、頭を使うスポーツだ。遅すぎず、早すぎず、適切な瞬間に適切な場にいることこそ重要なんだ」
ヨハン・クライフ

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幸運なことに優勝したチーム(ドイツ)は、いま流行の”前に急ぐだけのサッカー”を捨て、多くの選手たちの足から繰り出されるプレーの連続を核にしてくれた。

ペップは、できあがったものを疑おうとしないサッカー界からの脱走兵なのだ。・・・慣例化してしまったサッカーの定形を打ち破ることで限界を超えてきた

チームメイトとともに時間とスペースと信念を共有することで生まれる創造性こそ個性なのだ。・・・つまり、連携を放棄することは選手の個性を否定することでもある

選手を見ないで描くシナリオは、独自性と成長のチャンス、何よりもチームの豊かさを奪うからだ。

必ず勝つなどと試合前には絶対言えないことを宣言し、自らを守備的、攻撃的などとタイプに分けたがる(対戦相手によって守備的、攻撃的になるのが本当であり、対戦相手へのリスペクトに欠ける言動なのに)。

束縛されることを嫌う才能豊かな選手は、絶対に必要である。その意外性を受け入れて、全体の連係をはかる。彼らの創造性から生まれる、不確かだけれど豊かな表現を可能にすることで、私たちは良い監督になるかもしれない。

サッカーはまさに”可能性をトレーニングする媒体”。今確実にできることの練習ではなく、これからできるであろうこと=可能性を練習するのだ。

才能を扱うためには、今できることを繰り返していてはダメだ。今いるところよりも、もっと先にいく、新たな道を提示するというおせっかいが、才能を扱う秘訣だ。

フットボリスタが自分自身で何かをつかんだ時、ペップの喜びはひとしおとなる。

負けたことよりも良いプレーができなかったことが、私の大きな失望だ」 ペップ

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2015年12月19日 (土)

人間における勝負の研究 - 米長 邦雄

ge米長 邦雄(よねなが くにお)
1943年、山梨県生まれ。中央大学経済学部中退。13歳で佐瀬八段に入門。73年、棋聖戦で初タイトルを獲得。以後、棋王、王位を獲得。その棋風と人柄により、さわやか流と評される。本書は、棋盤での一手の決断に、人生のそれに通じるものを見いだしている。

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まえがきより

この本は、”女神に好かれる”ための基礎編だったのです。

一つひとつの勝負に勝つことも大切ですが、その集積が人生における最終的な勝利に直結するとは限らないからです。そして、それを直結させるには、「さわやかに勝つ」ことが大切になのではないかと、私は信じているのです。

1章 さわやか流の勝負観
「確率」「勢い」「運」の三要素をどう考えるか

不可解な「力」を感じたとき、人間の対応には、二つのタイプがあるようです。一つは、そういうわけのわからない「力」は、偶然の産物であって、それについて考えたり、思い悩んだりするのは馬鹿げているとして、これを無視したがる人。もう一方は、無視しない人。・・・
私もそのうちの一人で、将棋を指しながら、あるいは将棋で勝つために、どうすれば、こういった「力」を自分に使えるかを考えてきたわけです。

実力がぜんぜんないのに、運やツキのことばかり考えていて、それに頼ろうとしても、成功するはずがないのは当然です。

不可解な世界に踏み込んだとき、判断基準となるのは、自分の人生観、自分の出発点である体験です。

そのタイミングではない時に、じっと我慢するのも「勢い」であるわけです。

「では、いったいどうすればその運をつかまえられるのか」なわけです。そして、それを一言で言ってしまうと、自分の利害にはたいした影響のない勝負で、必死に頑張ることです。

いわゆる「この一番」というのは、必ずしも「でかい勝負」ではない

2章 集中力をどう持続するか
私が自らを鍛えた勉強法

(二段に昇るためには)初段の肩書きで、三、四段の手をさせなければダメなのです。

他人の将棋を勉強したところで、その人の水準にしか達っしないのではないか。その人の水準を越すためには、自分の独創で指すしかない

私は「急がば自分で考えろ」だと思っています。

カンというのは、ものすごいスピードで考え、読み切った結果として生じるもの、あるいは読み切るというよりも、読まずに済むところは読まないで済ますことです。

「こんなものが一目でわからなくて、どうするんだ」という会話をよく耳にしますが、将棋ではその”一目”を重視するのです。

第一感で指した手が本当に最善手かどうかを、対局後に、鼻血が出るほど考え抜くことが大切なのです。

3章 非常に徹する勇気が必要
勝利の女神は、どんな男に微笑むか

「チャンスの女神は前髪が垂れていて、後ろには髪がない」

こういう(死に物狂いで戦った)勝負をやると、きっと報われる。その場で報われるか、次の年に報われるかわからないけど、必ず報われるものなのです。

4章 ただ勝つだけでいいのか
一流になれるか否かの分かれ道

覚えておくというだけでは、プロ将棋の場合、あまり役に立たないのです。他の棋士の将棋のある局面を必死に覚えるということは、精いっぱいその棋士についていくというだけのこと。その程度のレベルでは、新手は絶対に出てこない、と言ってさしつかえないのです。

一番大切なものはカンだ、と私は思っています。カンというのは、努力、知識、体験といった貴重なもののエキスだからです。その人の持っているすべてをしぼったエキスです。

勝つための方法と強くなるための方法は、まったく異なるのです。

5章 強者は泥沼で戦う
勝負に勝つ二つの心得、「雑の精神」「省の精神」

強い人ほど、どこで形勢に差がついたかを、序盤の早めのうちに発見します。

この局面ではこの手でなくてはならない、という研究の仕方は頭を硬直化させる、と私は思うのです。

序盤で私が一番重視するのは何かと言いますと、自分のほうが決定的に悪くなるかどうかを見極めることです。こう指してもよし、ああ指してもよし。だけど、この手を指したら負け、という境界を知ることで、これも1章で述べた許容範囲ということです。

強い棋士なら、序盤や、中盤の早い時期にパターンから外してしまうこともできるのです。というより、むしろ、強い棋士ほどパターンから外れて戦おうとします。

「弱い者は結論を先に出したがる」というのは勝負の金言であり、鉄則です。

6章 逆転のテクニック
一気に浮上するためには、どう辛抱するか

形勢が不利な時に、妙案のつもりでおかしなことをやっても、たいていは墓穴を掘ることになります。

嫌な仕事を一生懸命にやりながら、自分のしたい仕事に対する準備を、万端、整えておくわけです。この二つともやらない人は、人生に失敗する危険性が多々あるのではないでしょうか。

一度ミスをしたら引き返せばよいのですが、人間というのは一回ミスをすると、引き返せなくなる。

カンが狂っているから、負けがこむ。・・・そのカンを正常に戻すことが何よりも大切で、そのための手当てが必要です。

その人との付合いが私の将棋にマイナスになると思ったら、断乎、付合いを止めます。

7章 男らしさとは何か
さわやかの原点は、他人に”借金”をしないこと

私の考えでは、男らしさとは大局観だということになります。・・・男らしさとは”理性”と”思いやり”です。

男というのは貸し方に回るか、借り方に回るかということが、ひじょうに大事なことだと、私は信じています。・・・何も大金持ちにならなくても、ほんのささやかなゆとりがありさえすれば、貸し方に回れるはずです。

どこまで我慢できるかが一つの男らしさの指標になるはずです。・・・一言で言うと「恨まず」ということになります。

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2015年11月23日 (月)

荒木飛呂彦の奇妙なホラー映画論 - 荒木飛呂彦

荒木 飛呂彦(あらき ひろひこ)
1960年6月7日生まれ、宮城県仙台市出身。東北学院榴ヶ岡高等学校卒業後、仙台デザイン専門学校卒業。代表作は『ジョジョの奇妙な冒険』。

Jojo

第一章 ゾンビ映画
第二章 「田舎に行ったら襲われた」系ホラー
第三章 ビザール殺人鬼映画
第四章 スティーブン・キング・オブ・ホラー
第五章 SFホラー映画
第六章 アニマルホラー
第七章 構築系ホラー
第八章 不条理ホラー
第九章 悪魔・怨霊ホラー
第十章 ホラー・オン・ボーダー

荒木飛呂彦が選ぶホラー映画 Best20

1) ゾンビ完全版(’78)
2) ジョーズ
3) ミザリー
4) アイ・アム・レジェンド
5) ナインスゲート
6) エイリアン
7) リング(TV版)
8) ミスト
9) ファイナル・ディスティネーション
10) 悪魔のいけにえ(’74)
11) 脱出
12) ブロブ 宇宙からの不明物体
13) 28日後
14) バスケットケース
15) 愛がこわれるとき
16) ノーカントリー
17) エクソシスト
18) ファニー・ゲームU.S.A.(’07)
19) ホステル
20) クライモリ

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2015年10月31日 (土)

Jack-o'-Lantern

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2015年10月23日 (金)

無知との遭遇 - 落合信彦

落合 信彦(おちあい のぶひこ)
作家・国際ジャーナリスト。1942年東京都生まれ。アメリカのオルブライト大学、テンプル大学大学院で国際政治学を専攻。オイルビジネスに従事した後、ジャーナリストに転身。97年、オルブライト大学より人文学名誉博士号を授与される。

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はじめに

問題は、日本人がその「長所」に気付いていないということである。もしくは、長所をどうやって生かしていくかについて、鈍感すぎる。国際感覚に対して「無知」であると言ってもいいだろう。

グラマーや発音はもちろん大切だが、私が重要さを説きたいのは、コミュニケーションの道具としてどれだけ英語を使いこなせるかだ。

本書では「世界にあって日本にないもの」が何なのか、数多く指摘した。これからの日本を背負って立つ人材には、矮小な「日本の常識」にとらわれることなく、世界へと飛び出していってもらいたい。

第一章 政治の無知

世界になって日本にないもの ― と考えた時に最初に思い浮かぶのが「有能な、ブレない政治家」だ。

最近、日本でも政治やビジネスの世界で「コンセンサス」という言葉がやたらと使われているが、そんなものは上に立つ人間の逃げ口上に過ぎない。極論を言えば、「コンセンサス」は「無責任」と同義語だ。

リーダーにとって、「決断すること」と「責任を取ること」は常にセットになる。

よく「日本人を月曜日に笑わせたかったら金曜日にジョークを言っておけ」などと言われるくらい、日本人はユーモアのセンスが欠けているとされている。

私はイスラエル大統領のシモン・ペレスが言っていた言葉を思い出した。
「自分にとって好ましい結果が出た世論調査というものは、香水と同じである。本当に素晴らしい香りがして、じばらくの間うっとりした気分にさせてくれる。しかし、それをそのまま飲んではいけない」

第二章 文化の無知

誰も責任を取らず、あやふやなまま物事が収束していくのは、日本という「ガラパゴス」の中でだけのことだ。

第三章 若者の無知

「I can't accept failure, but I can't accept not trying」 マイケル・ジョーダン

野生のムスタングは、捕まって去勢されるよりも死を選ぶ。崖まで追い詰められて、捕まえられそうになったら、崖から飛び降りてしまう。

「学校の給食の時間に『いただきます』と子供に言わせるのはおかしい」とクレームをつける母親がいると話題になったが、これなど親が”人生最初の教師”としての機能を失ってしまっている典型例と言わざるを得ない。

カネを払って楽をすることに、何の罪の意識も、何の恥も感じなくなってきているということだ。

バブル期には「高収入、高学歴、高身長」という「3高」が男に求められる条件だったが、最近は「3低」だという。「低リスク、低依存、低姿勢」である。・・・そんな条件を突きつけている時点で、自分たちの内面の醜さ、愚かさを晒してしまっていると私などは思うが、そんな彼女たちが結婚し、また母親になっていくかと思うと空恐ろしいものがある。

勉強というのは、自分が問題意識を持って取り組まなければ、血となり肉となることはない。ペーパー・テストの点数ばかり気にする親が、子供の才能を育てられるとは思わない。

毎月正月になると、小学生が進学塾で鉢巻を巻いて勉強している姿が風物詩となっているこの国が病的でなくてなんだろうか。

オンリーワンでさえあればいいという考え方がはびこるから、夢ばかり語って努力をしない若者が増える。・・・受験勉強などというものは、答えを覚えれば必ず点数が上がる。受験勉強以外に、努力が必ず成果に結びつく、などということが罷り通るものがあるだろうか。「努力をすれば必ず叶う夢」など夢でも何でもない。努力しても結果に結びつかないかもしれない。

私は甲子園の中継を見ていると、いつも北朝鮮を連想してしまう。開会式の入場行進が朝鮮人民軍のパレードに、アルプススタンドの応援は”将軍様”の誕生日を祝うマス・ゲームに、不気味なほど酷似しているではないか。

おわりに

たとえ失敗することがあっても、「いつも心にユーモアを」

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2015年9月26日 (土)

荒天の武学 - 内田 樹、光岡英稔

内田 樹(うちだ たつき)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家・武道家。専門はフランス現代思想、武道論等。

光岡 英稔(みつおか ひでとし)
1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会会長。多くの武術・武道を学び11年間ハワイで武術指導。

内田:初等教育をアメリカで受けた青年たちを私は身の回りに何人か知っている。彼らに共通することがひとつある。それは「規格化されること」に対する強い抵抗である。それが彼らの日本社会への「過剰適応」を阻んでいる。
 まるで大気のように日本社会に充満しているこの企画化圧に対する嫌悪は、本書の中でも、光岡先生の口から洩らされている。

内田:自分がやってきたことを変えたくない、自分のしてきたことに執着があるという人はやはり新しい出会いには恵まれないですね。

光岡:殷周の時代の物語のおもしろさは、方術家もいれば、幻術を使う人もいるし、中にはススメバチを操る人もでてきますよね。

光岡:画期的な展望の見えない状況で、武道がどう生きるかということですよね。まさに今それが試されている。内田先生は荒天型と晴天型というふうに社会をふたつのモデルに分けて、これからは荒天型の世だとおっしゃっています。・・・
武の本質を考えたら、自前で食料を確保したりすることも大事で、たとえば火を起して煮炊きをするだとか、生きていく術を様々な方面から見ていかないといけないわけで、結局、腕力だけあっても物理的に食べられなくて死んだら負けなわけです。

光岡:「新しい未来を築こう」と言っている人たちが現状維持に一生懸命になっているわけです。・・・報道は「冷静な行動」と評していましたが、あれは単なる習慣でしょう。昨日の続きを止められないだけの話で、それを「冷静」と評価している

内田:どうも四十代以上の人たちは、なんだかふてくされているように見える。「どうせこの社会はダメだ」と言い放つだけで、でも、このダメな社会で出世したり、年収を増やしたりすることしかやることはないと思っている。視野が狭いし、さっぱり希望がない。週刊誌とかテレビの政治報道を見ていると、そういう暗い、底意地の悪い言葉ばかりが行き交っている。

光岡:たとえば、アメリカで自由を絶対とする教育を受けると、自由と自分勝手、自立とワガママの違いがわからない人が出てきます

内田:「オレとどっちが強いか比べてみよう」と言われても、ぼくにはぴんと来ないんです。それって、ぼくにとっては「オレとどっちが歌がうまいか比べてみよう」とか「オレとどっちが定期預金の残額が多いか比べてみよう」と言われているような感じなんです。

光岡:自分に疑いのない人間のほうが強いです。たとえば自分を育ててくれた文化のアイデンティティとか自己のアイデンティティをちゃんと確保している人は意識が拡散しないから、ちょっと手強いですね。力の集中のさせ方とか、そういうことが自然にわかっていますから。

光岡:緊張に対してよく言われるのがリラックスや脱力ですが、これもあまり良くない状態です。なぜならリラックスや脱力には生き生きとした生命の働きがありません。身体が生きようとする気持ちを放棄することだからです。自分の体や生命に対する甘えと怠慢です。

光岡:絶対正義が示されていないのに社会的に「このラインから向こうは悪だ善だ」と決めるのは矛盾がありますよね。

光岡:論理的に白黒はっきりつけるようになると、それに依存するようになります。そうすると自分の感覚がいよいよ鈍ってくるので、人を見る目もなくなってきますよ。・・・
たとえば、「あの人は見た目はちゃんとした格好をしているから大丈夫」というふうに理屈で自分を丸め込んでしまえる。

内田:相手によって、対応の仕方はその都度変えなくてはいけない。でも、人を見る目がないと、誰に対しても同じパターンで接するようになる。ネット社会になってから、その傾向に拍車がかかっていますよね。

光岡:最終的に武術で問われるのは「私がどこまで覚悟ができているか」を稽古を通じて見ていけるかということです。しかし、これはいちばん難しい。なぜなら覚悟を稽古するということは、シミュレーションや想定で固めて「覚悟を決めたからオレは大丈夫だ」と自分に信じこませるのとは違うからです。ポジティブ思考とか自己啓発的なものではなくて、覚悟とは、字の通り目を覚ませということです。目を覚まして悟れということだから、はっとするところを常に見ていかないと覚悟の稽古にならない

内田:「私のやっていることは法律違反ですか?」ということを平然とテレビカメラの前で口にでいる人がいる。法律に抵触しないぎりぎりまでのことは自己利益のためにやってもいというふうに理解している。つまり、この人は自己規律を持っていないということです。

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2015年7月10日 (金)

芸人 - 永 六輔

永 六輔(えい ろくすけ)
1933年、東京都浅草生まれ。早稲田大学文学部在学中より、ラジオ番組や始まったばかりのテレビ番組の構成にかかわる。放送作家、作詞家、司会者、語り手、歌手などとして、多方面に活躍。

Eichan

「自分が興奮して、メンバーも興奮するのは三流、
自分は冷静で、メンバーが興奮するのは二流、
自分もメンバーも冷静で、客が興奮すれば一流の指揮者」

カラヤン

芸人は常に恐ろしい敵に囲まれている。
その敵は、彼の才能を讃めちぎる連中だ。

シャリアピン

この本のタイトルは「芸人」である。
ここでは、芸能に関わる全ての人の総称として、敬愛の念をこめて「芸人」という言葉をつかう

修理してつかおうとすると「買ったほうが安いですよ」と言われるように、芸人もまた使い捨ての時代なのである。

「昔の芸人は芸の上手下手が人気をわけました。近ごろの芸人は運が良いか悪いかです」

客が時間を気にしたら、芸人の負けである。

芸と商売は違います

「俳優とかアーティストとか言ったってね、早い話が日雇いの芸人です」

「歌ったり、演じたりしているんじゃない。歌わされたり、演じさせられたりしているんです。そこがわかっていないから、憧れる奴がいるんですね」

「マジックを楽しめない人たちもいます。たとえばインテリと呼ばれる人たちですね。インテリは自分に理解できないと怒りだしますから」

「余計なことをやらせない。そこが演出というものでしょう」

「近ごろ、<序破急>という日本の芸能のリズムが、すっかり、<起承転結>になってしまった」

「日本の劇団の多くは、稽古場で完成品にしてしまうんです。だから客と育てる部分が少ない。つまり、おもしろくないということです」

「同じリズム、同じメロディのくり返しは下品とされてきました。官能的であって文化ではない。モーツァルトも最初はこれで認められませんでした。いまでいえば、コムロ・ファミリーですか」

「テレビはゴミ捨て場です。ゴミ捨て場ですから、もったないものも捨ててあります」

ビートルズが日本に来た時、「河原乞食ごときが武道館をつかうとは許せない」といった評論家がいました。

有名になりたいという夢がかなって有名になっても、支える芸は何もないという現実。そして、そのことを別に恥ずかしいと思わないという感性。「何もできない芸人」という芸人が生まれつつあるわけです。

いつ鳴るかわからない自然の風が鳴らす風鈴の音がやかましく、リズミカルなコンピューターの風鈴あらそれをやかましく思わない時代になりました。

いい歌だから買って覚えるのではなく、予約で売れてしまう時代になりました。コムロ・アムロを買うことがファッションなのです。

世界で先に認められた人は、日本で足をひっぱられたりします

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2015年5月13日 (水)

マーフィーの法則 - アーサー・ブロック

Murphy


失敗する可能性のあるものは、失敗する。

何かをしようとすると、先にやらなければならない何かが現れる。

製品の性能のスペックには、0,5をかけてみるべきである。
セールスマンが主張する性能には、0,25をかけてみるべきである。

待ち続けていた電話は、部屋を出た瞬間にかかってくる。

奇数回間違えた場合のみ、何かがおかしいことに気づく。

楽観主義者が、予期せぬ好運に驚くことはできない。

トーストのどちらの面にバターを塗るのが正解かは、事前にわからない。

専門的な知識を持たない人ほど、意見を述べたがる。

前任の不適任者が去ると、公認の不適任者が補充される。

ボスよりも自分が有能であることをボスに悟られてはならない。

階級組織では、人は自分の責務をまっとうできない無能レベルまで昇進する。

人々が自分の声にもっと耳を傾けていれば、発言は減るはずである。

委員会とは、一人分のいごとをしている12人のことである。

急ぎの仕事は、すべて締切り日が同じになる。

それ以上改良できない点は、特色とせよ。

できる者は、実行する。できない者は、教える。

教える能力がない者は、管理する。

七面鳥と働いていると、鷹と一緒に空に舞い上がるのは難しい。

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2015年4月15日 (水)

PEP GUARDIOLA - マルティ・パラルナウ

著者: マルティ・パラルナウ
1955年バルセロナ生まれ。1980年のモスクワオリンピックに高飛び競技で出場。その後ジャーナリストとして、さまざまな新聞やテレビ局でスポーツ関連のディレクターを務めながらコラムを執筆。

訳者: 羽中田 昌、羽中田まゆみ
1964年生まれ、山梨県甲府市出身。憧れのヨハン・クライフがいるスペイン・バルセロナに留学(5年間)。帰国後は暁星高校と韮崎高校でコーチ、カマタマーレ讃岐と奈良クラブで念願の監督を歴任。現在は東京23FC監督、サッカー解説者、講演活動、執筆業など幅広く活動、2006年JFA公認S級ライセンス取得。

Pep

ペップの知性は、まるでチェスプレーヤーのよう。

監督は、とても孤独だ。隣に、誠実な人間が必要なんだ。

(非公開練習の理由として)注意散漫になる中でのトレーニングをしたくない。

ペップは発電機みたいな人間で、一度発火したら止まらない。だから、今までと真逆なコンセプトを選手たちに与えすぎないために、ペップにゆっくり、ゆっくり(ピアノ、ピアノ)と言わなければならない時もある。

効果的なカウンターアタックができないチームはブンデスリーガには存在しない。

彼らとともにやるのは、すごく楽しい。大人たちを教えるよりも心地いい。(バルサでカンテラを指導したとき)

父の教えはいつも「男は他人のせいにしてはいけない、自分の行動に責任を持て」だった。

ペップの中にはまだまだ保存されているアイデアがいっぱいある。彼らの頭を麻痺させるのを避けるために、適度な量を節度を持って教えている。

本当に彼(ペップ)を怒らせていたのは、どんな試合にも勝てる、もうやりつくしたと思ってしまう油断だ。

山の頂上に居る時と、平野に居る時とでは戦い方が同じではない。(チェスの元世界チャンピオン・カスパロフの言葉)

ペップのすごい集中と強度は、やがて俺たちをヘトヘトに疲れさせる。ペップは素晴らしい監督だが、それ以上に心理学者だ。・・・ペップは絶対に幸せになれない。なぜなら、完璧主義者だからね。(チアゴ・アルカンタラの言葉)

私たちは人間であって、ロボットじゃないからだ。したいことが、いつでもできる訳じゃない。

試合のリズムはトレーニングによってのみ獲得できる。トレーニングでのリズムが悪かったら、試合のリズムも悪い。物凄いインテンシティでトレーニングしたら、試合でも物凄いインテンシティでプレーできる。

詳細も知らずに外部から眺めただけで分析するのはどんなに安易で無責任なことなのか(著者)

多分、選手たちを魅了して夢中にさせることができなくなる。その時が、私の立ち去る時だ。

批判は居眠りしないように目を覚ませてくれる。

賞賛は人を弱くする。それは私たちすべての人間に起こる。ベルリンの後、私は腑抜けになった。試合の翌日のトレーニングを休みにしてくれと選手たちに頼まれた時、受け入れてしまった。

走るのを止めるということだけで、糸は簡単に切れる。

もし走らなければ、私たちは何者でもなくなってしまう。もしボールをスペースでもらう代わりに足元で求めれば、私たちは取るに足らない者になり果てるしかない。

前にばかりピースを集めても、勝てない。

中盤に良い選手たちを置いて結びついてプレーする時、私たちはゲームをコントロールできる。もし負けたとしてもいい。満足だ。なぜなら、私が信じたプレーをしたのだから。

私たちはフットボールの世界で長いこと生計を立てているにもかかわらず、そこで実行されているプレーを少しも分析しようとしないで、1点や1失点に一喜一憂し続けている。つまり、いつも結果なのだ。・・・フットボールというのはそれだけじゃない。もっと豊かなスポーツだ。(バイエルン・ミュンヘンCEOルンメニゲ)

ペップは今日のためのトレーニングをするが、それは明日のためのトレーニングでもある。(ホイビュルクのコメント)

怖がらずに、ボール思ってプレーすること。・・・戦術とディフェンスをたくさん教えてくれた。それから、特に、ハートを学んだんだ。(ラームのコメント)

実際に、全てのチームで起こっている問題は、エゴによるものだ。

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