カテゴリー「German Life (ドイツの出来事)」の0件の記事

2009年5月29日 (金)

ドイツ生活に一片の悔い無し

長年いたドイツを去り、日本に戻ります。

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<ケルンの金子夫妻と>

6月からは、千葉県でサッカーコーチとして働きます。

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<ハー、ヴィッキー、マリーナと>

日本へは香港経由で帰るので、豚インフルエンザに気をつけます。

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<マルコと>

ドイツで強敵(とも)だちもたくさんできました。
ちょくちょく行けるようにがんばります。

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<クラウス、コリーナ、エヴァ、アキコさんと

我がドイツ生活に一片の悔い無し!

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2009年5月 5日 (火)

グスタボ家来襲

ボリビア人の友達グスタボに会いにロンドンに飛んだけど、結局会えずにそのままドイツに戻ってきた。グスタボはこれまでずっとドイツに住んでいて、ある日急にロンドンの弟のところに飛んでしまった。そして、ロンドンからボリビアに本帰国する可能性が高く、もう会えなくなるかもしれないから一度ロンドンに来てくれと自分で言っておきながら、出発の10日前からロンドンを去るまで何の連絡もなし。ドイツに戻って家の前に車を止めたところで、「オラー、もうロンドンに着いたかー?」と普通に電話があった。

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<グスタボの母ちゃんと>

グスタボがドイツにいた頃はよく一緒につるんでいて、グスタボの母ちゃんにはよく手料理をご馳走になった。語学学校でスペイン語の先生をしている。
今回、グスタボの母ちゃんからグスタボに携帯を渡すように頼まれていたけど、会えなかったことを伝えたら、「あの馬鹿息子は!」とあきれていた。地獄すら生ぬるい。

ちなみに、南米つながりということで、昔グスタボとメキシコのチュパカブラスについて話をしていたら盛り上がり、それ以来お互いチュパと呼び合うようになった。

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2009年4月16日 (木)

アレン来襲 2009

前回の来襲から早3年弱。チェコから友達のアレンが再びドイツを来襲した。

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<ドイチェスエックにて>

アレンとは、チェコのプラハに住んでいた時に知り合った。現在、アレンはチェコのピルツェンという街に住んでいる。俺がチェコからドイツに戻ってから、今回ですでに4度目の来襲となる。

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<デュッセルドルフの大会会場にて>

アレンもサッカーをしていて、ドイツで会うときはいつも一緒にボールを蹴っている。
今回、デュッセルドルフで行われていたU19の国際大会を観戦。大会には、日本高校選抜のほか、チェルシー、ビジャ・レアル、PSVアイントホーフェンが海外から参加。日本高校選抜は、5チームのグループリーグで1分3敗の5位。優勝はドルトムント。

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<スペイン料理をつまむアレン>

コブレンツにある行きつけのイタリアとスペインレストランも来襲。ちなみに、好きな飲み物はホットチェコレート。

今回もあっと今の来襲。
次はドイツかチェコか日本か。また会おう。

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2009年3月21日 (土)

「一番」ではじめての日本食

ドイツではまだまだ日本食は浸透していない。特に、あまり大きくない街には日本人も少ないので日本食レストランも少ない。あったとしても、日本人料理人がいない場合が多いので、一風変わった料理が出てくることもある。

俺のチームメイト
もまだ一度も日本食を食べたことがなかったので、数人を引き連れてKoblenz(コブレンツ)の「一番」という日本食レストランに行った。ここも今では中国人料理人がしきっているけど、ちょくちょく顔を出してる行きつけのレストランのひとつ。

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<包丁さばきを見学する>

「日本食と言えば寿司。寿司と言えば生魚。」多くのドイツ人はこのイメージを持っている。生ものを食べる習慣がほとんどないので、日本食はあまり眼中にない人が多い。今回一緒に来たチームメイトも、俺がいなかったら試そうとは思わなかったと言っていた。

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<緊張する面々>

何が何だかわからないので、やや緊張気味の面々。俺がいなかったら寿司にコーラを頼んでいたところだったらしいが、みんな俺のまねをして緑茶を注文してみた。

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「いただきまーす。」(マルセル)

箸の使い方を練習してから寿司に初挑戦。

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「まいうー。」(ヤニック)

がっつくヤニック。

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「まいうー」(ダーヴィッド)

味噌汁にも初挑戦。

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「これいけるぞ、おい。」(セルダー)

特にセルダーは日本食が気に入ったらしい。テリヤキソースにはまっていた。

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「ん?」(アギム)

特製のはしを使って食べるアギム。

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ガリが苦手なのが何人かいたけど、ワサビの辛さにも耐えぬいて完食。

次はXXLの大食いに挑戦。 

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2009年3月 2日 (月)

ドイツの日本っぽい菓子

ドイツ人はデザートをよく食べる。たらふくメインを食ったおっさんでも食後のデザートを楽しむ。俺も、3時のおやつ、そして、食事のシメとして甘いものを必要とする。ばくばく食うわけではないが、スーパーで見かけたものや気分によっていろいろ試している。

ドイツで発見した日本っぽいもの↓。

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<グリコのMIKADO(ミカド)>

中身はまったくのポッキー。ビターとミルクチョコ味がある。
ちなみに、ミカドというゲームもあり、適当にばらまいた焼き鳥の串みたいなものを音をたてないように取る。先っぽにいろいろな色で印がつけられていて、色によってポイントが決まっている。青もしくは黒いラインがついているものが1本しかなくて最高得点らしく、こいつのことを帝(ミカド)と言うらしい。

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<ニッポン>

チョコライス。なかなかいける。
ライスというだけで安易なネーミング。
小さめのパッケージもある。

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<侍>

ライススナック。
これまたもろなネーミング。
味はいまいち。
ちなみに、大阪というネーミングで同じようなものを発見したが、それはけっこういけた。

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2009年2月25日 (水)

川越水上公園のドイツサッカー視察

 ケラミックカップ2009終了後、川越水上公園の人たちと一緒にほかの施設の見学へ向かった。ケラミックカップを仕切ったアルフォンス統括本部長も一緒に付き合ってくれた。

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<ケラミックカップVIPレセプションにて>

まずはフランクフルトのDFB(ドイツサッカー協会)を訪問。DFBを訪れるのは、去年の11月ぶり。施設を見学後、担当の人と少しミーティング。

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<アルフォンス、DFBの受付にて>

その後、稲本選手が所属するアイントラハト・フランクフルトのホームスタジアム、コメルツバンク・アレーナへ。ちなみに、フランクフルトにはアイントラハトとは別にブンデスリーガ2部のチームもあり、コメルツバンクアレーナをホームスタジアムとして使っている。

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<フランクフルト>

選手控え室やVIPラウンジ、記者会見場などを見学。

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<カフェで息抜き>

フランクフルト見学を終えた後はケルンへ。

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<ケルンのスタジアム>

1FCケルンの練習場やホームスタジアムを見学。

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<ケルンの大聖堂>

昔ドイツで一緒にサッカーをして、今は川越水上公園でコーチを務める友達のジョウが2008年の春に選手3人とドイツを訪問した。

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<アルフォンス総統とジョウの初対面、2008年の春>

埼玉県川越水上公園では、今年の7月8月にケラミックカップ日本予選が開催される。優勝チームは2010年にドイツで行われるケラミックカップ本選に参戦。どこが優勝するか、行けばわかるさ。

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2009年2月13日 (金)

またまた雪地獄

今年のドイツは寒かった。雪も多かった。
でも、最近は天気のいい日が続いてた。そろそろ暖かくなりそうな気配もちらほら見せていた。
が、ここにきてまた雪地獄。

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<ヴィルゲスの人工芝>

昼まで天気が良かったのに、夕方の練習時間になったらいきなり雪が降り始めた。ツルツル滑りながら人工芝の上で練習をした。次の日も午後から雪が降り始めて、この日の練習は中止になった。

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<ヴィルゲスのホームグランド>

冬休みが終わってリーグの後半戦が再開という時だったけど、今年初めの公式戦は結局延期に。体調も整ってきて、やる気も十分だっただけに少し残念。来週はカップ戦とリーグ戦が控えているけど、この2試合もどうなるものか。

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<家の付近の山道>

どこもかしこも雪だらけ。
この前、考え事をしながら家に帰る山道を運転していたら、スリップして532度くらい回転した。夜中で周りに車がいなかったので助かった。何に対してか、誰に対してか、地獄すら生ぬるいと思った。

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2009年1月13日 (火)

チーム練習再開したけど寒い

今年のドイツの冬は寒い。まあ毎年寒いけど、今年はマイナス15度まで下がった。
キッチンや風呂場の水道管が凍って破裂する可能性があるということで、出かける時でもいつでも部屋の暖房を1にしてつけっぱなしにしておくように大家に言われた。

冬休みでリーグが中断していて約1ヵ月の間チームの練習もなかったので、たまに雪の積もった森の中をランニングした。ロッキーでいうと「4」にあたる。一度、大家の犬と一緒に森をランニングしに行ったら、あまりの寒さに犬が腹を壊した。

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<キーユーリーフー>

約1ヵ月の冬休みの後、1月13日に今年最初のWirges(ヴィルゲス)のチーム練習が行われたけど、芝はもちろんのこと、人工芝のグランドもコチコチに凍っていてまともにサッカーなど出来なかった。サーキットトレーニングと2対2などをやったが、スライディングタックルをしたら氷に突き刺さり膝が血だらけになった。

リーグ後半戦に向けて、どの選手もこの冬休みの間にリフレッシュして戻ってくる。リーグ再開まで1カ月しかないけど、この間に個人的にもチーム的にもコンディションを整えていくようにする。早く暖かくなれ。

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2009年1月 1日 (木)

明けました。

12月31日に日本を飛んでドイツに戻ってきた。
夜はKoblenz(コブレンツ)にあるライン川とモーゼル川の交差地点Deutsches Eck(ドイチェス・エック)にてカウントダウン。

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<ライン川の船>

ドイツでは大きな街以外花火が上がらないので、みんな自分たちで小型打ち上げ花火をボンボンあげる。

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<打ち上げる>

爆竹もそこらじゅうで鳴るので、足元にも気をつけないといけない。

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<ドイチェス・エックにて>

翌日は、どこもかしこも花火とビンで汚れきっている。一度チェコのプラハでカウントダウンを迎えた時はビンの破片だらけで、歩くたびにシャリシャリ鳴った。

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<タキートスにて>

最後は行きつけのタキートスにたどりついた。
明けましておめでとうございます。

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2008年12月14日 (日)

ライムズバッハの家庭訪問

今年最後の試合がアウェイのKoellerbach(ケラーバッハ)で行われた。ケラーバッハは、今シーズンこれまで行った18試合で1勝しかしていない。第2節のホームでの試合では2-0で勝利していて、今回も絶対に勝たなければいけない。

試合をしてみるとケラーバッハは決して悪いチームではなかった。テクニック系の選手が多く、下位チームながらショートパスでゲームを組み立てようとしていた。しかし、肝心なところでゴールが決まらず、チームとしての完成度はいまいちだった。運良く失点を免れて、途中交代のダニエルが後半2得点して勝利することができた。

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<ミヒャエルの奥さんの手作りクッキー>

試合はザールラント州で行われたので、昔所属していたReimsbach(ライムズバッハ)の監督ウドが来ていて、試合後少し話をした。その後、帰り道でライムズバッハに寄って2軍監督のミヒャエルの家を訪問した。

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<トビアス、ナタリーと>

奥さんのテアはどこかのクリスマスマーケットに出かけていたが、双子のトビアスとナタリーは家にいた。

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<ミヒャエル>

ミヒャエルの口癖は「泊まっていくか?」、「もっと食うか?」。
この日はチームのクリスマスパーティーがあったので、たくさんご馳走になったが、泊まらず帰った。

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<テレビの真似をするトビアス>

手を使わずにズボンを履くという技をテレビでやっていて、トビアスが真似をしていた。
学校の冬休みまであと1週間らしい。

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2008年12月13日 (土)

コブレンツのクリスマスマーケット

去年に引き続き、今年もKoblenz(コブレンツ)のクリスマスマーケットに潜入。

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クリスマスグッズ、グリューワイン、ソーセージなどなど、旧市街の広場には色々な露店が並ぶ。

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2年前はスケートリンクが設置されたが、去年からそり滑り台にかわった。

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ドイツのクリスマスマーケット専門家によると、マーケットによってはインスタント品や値段にそぐわないものが多いらしい。まあ、こういうイベントなのでいつもより割高になっているけど、ソーセージが炭火焼のところは評価が高かった。

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<エヴァ、マロミ、マサキと>

コブレンツのクリスマスマーケットは歩いて5分もあれば回れるくらい小さいけど、そこそこの人で賑わっている。

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2008年12月 9日 (火)

ヴォルムスのクリスマスマーケット 

友達のグスタヴォがWorms(ヴォルムス)という街で大学に通っている。パーティーがあるから来い、と言われKoblenz(コブレンツ)から車で一時間くらいかけていくことになった。

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<謎の二人組み>

試合が終わったあとだったので疲れた。
グスタヴォのところに1泊して、翌日はクリスマスマーケットを少しだけ見学。

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<クリスマスマーケットのスケートリンク>

ヴォルムスにはこれまで2回来たことがあるが、2回ともサッカーの試合だったのでスタジアムにしか行っていない。ヴォルムスは昨シーズン昇格したので、今シーズンは同じリーグで試合をすることはない。

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<スケートリンク>

ドイツのそこそこ大きな街では、11月25日あたりからクリスマスマーケットが始まる。ヴォルムスでも小さいながらクリスマスマーケットが始まっていた。

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<デパートのサンタクロース>

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<入り口に仁王立ちするサンタ>

ニーベルングの歌の舞台にもなっていて、街には竜のオブジェがいくつかあった。サッカーチームWormatia Worms(ヴォルマティア・ヴォルムス)のロゴにも竜が描かれていた。

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2008年12月 6日 (土)

ザールラント州 独日協会クリスマスパーティー2008

12月に入ると各団体がクリスマスパーティーを行い始めるが、ザールブリュッケンでもザールラント州の独日協会クリスマスパーティーが開催された。毎年開催されているこのパーティーだが、今回、昔の監督ウドに招待されて3年ぶり4回目の出場を果した。

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<ダルマに目を入れる画家>

この会にはドイツと日本に関係のあるいろいろな人が参加している。席順はすでに決められていて、俺はウド夫妻とともにJALの人や芸術家たちと同じテーブルに座ることになった。

今回は群馬県から関係者も訪れ、今後のザールラント州と群馬県の交流のためにダルマが用意されみんなで少しずつ片目を書いていった。俺も書かせてもらった。

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<ダルマに目を入れる芸術家>

パーティーの始めには、日本酒と寿司のビュッフェが用意される。時間通りに来ないとこの寿司はすぐに無くなってしまう。これまで一度も間に合ったことがなかったが、今回はウドが俺の分をとっておいてくれた。

しばらくするとみんな席に着き食事の時間になる。合間にクリスマス系の音楽などが行われるが、今回はピアノの演奏と歌とパントマイムだった。

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<パントマイム>

過去のクリスマスパーティーには数名のサッカーをやっている日本人と参加してきたが、この歌の時間が最大の試練だった。というのも、間近でドイツ人のおばちゃんがクラシックを熱唱している時に笑い出すやつがいて、さらには他のやつも道連れにしようと笑わせてくる。七変化か笑ってはいけないシリーズの辛さがわかる。「あんたたちは昔ずっと笑ってた。」と今でもウドの奥さんに言われるが、ウドの息子ダニエルもかなり笑っていた。

今回は、写真のパントマイムのおっさんが、歌の最中にじっと隣で待機していた。話の内容は聖書のことで、何人かはパントマイムのおっさんのいでたちに笑いをこらえていたように見えたが、隣に座っていたドイツ人のおばあちゃんは普通に笑っていた。

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<賞品のワイン>

最後はくじ引き大会。テーブルに置かれたネームプレートの裏に番号が書いてあり、当たると賞品がもらえる。俺の番号は確か611番で、4回目の出場にして今回初めて賞品をゲットした。もらったのはフランスワイン。

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2008年11月25日 (火)

やれ雪だー、やれサンタだー、

ドイツ(ラインラント・プファルツ州)では、今年、11月23日に雪が降り始めた。
去年は10月に降った気もするけど、雪の降らない静岡出身の俺にとっては、いつ降っても「もう雪かよ」と思う。秋なんか一瞬で終わってしまう。

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<家の窓から>

この時期一度雪が降ったらグランド状態は回復する見込みはない。やれ雪だー、やれヒョウだー、やれみぞれだー。10月から芝のグランドが使えず、ずっと人工芝での練習になっている。

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<隣村にポツンと立つ木のイルミネーション>

寒いだけだったら最悪だけど、11月25日あたりから各地でクリスマスマーケットが始まり、クリスマス本番まで街は賑わう。手の込んだものからちょっとしたものまで、街中だけでなくそれぞれの家が飾り付けを行う。かなり気合いを入れている家もけっこうある。

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<流れ星>

今住んでいるところに引っ越してきてから毎年見かける流れ星イルミネーション。村の丘の上に立つ城跡に取り付けられている。

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2008年10月17日 (金)

タイヤ破裂

 今日、車で出発しようとしたら変な音するので止まって見てみたら、右の前輪がパンクしていた。別にボンともひでぶともあべしとも言わなかったのに、完全にぺちゃんこになっていた。30分前には25キロほど走ってなんともなかったのに。

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近くでタイヤ屋をやっているシュテファンのところに行って見てもらった。ちょうど合う新品のタイヤがなかったので、とりあえず中古のタイヤをつけてもらった。どっちにしろ、ドイツでは11月から冬用タイヤに履き替えなければいけないので、来週に冬タイヤに換えてもらうことにした。

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先週はフランクフルトに行ったとき、アウトバーンで工事中のところを走っていたら小石がフロントガラスにぶつかって傷がついた。修理工場で働いている知り合いのロンギーに聞いたところ来週修理しないといけないらしい。

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2008年9月26日 (金)

ドイツで一番有名な日本人

 あるドイツに関する本を読んだら、「ドイツで一番有名な日本人は競輪の中野浩一である」と書かれていた。この本は10年以上前のものだと思うが、今のところ中野浩一を知っているドイツ人に出会ったことがない。ちなみに中野浩一は、世界選手権を10連覇していて、アートネーチャーのCMにも出ていた。

 実際にドイツで聞いたことがあるのは、小澤征爾、黒澤明、北野武、村上春樹など。あとは、俺の周りにはサッカー関係が多いので、やっぱりサッカー選手やスポーツ選手の名前がよく挙がる。サッカーでは中田英、中村、高原、小野、稲本がやっぱり知られているけど、中田が引退したことをまだ知らない人もいる。現在ヴォルフスブルクには長谷部が所属しているけど、アニメの影響のほうが強く、大空翼や日向小次郎、孫悟空のほうが知られている。ケンシロウやラオウを知っているやつも2人くらいいた。

 野球はほとんど普及していないので、イチローといっても全く通用しない。ウインタースポーツが盛んなので、スキージャンプの船木和喜を知っている人がたまにいるけど。日本、韓国、中国などの区別もつかないので、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーを日本人だと思っている人も多い。

 それ以外に日本といえば、定番の寿司、空手、侍、忍者、芸者、酒、神風などが思い浮かぶらしい。「こんにちは」、「さよなら」を知っている人もいるけど、混同していて出会った時にいきなり「さよなら」と言われるパターンも結構ある。

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2008年9月13日 (土)

ウィルゲスのキルメス(祭り)

 開幕2連勝で好スタートを切ったWirges(ヴィルゲス)だったが、第3節はアウェイでBad Breisig(バート・ブライスィヒ)に2-2の引き分け、第4節はPirmasens(ピルマゼンス)にホームで1-0で負け、第5節はアウェイでMetlach(メットラッハ)に開始18分で3点を取られて4-1で負けた。さらに、第6節のホームでのHasborn(ハスボン)戦では、攻めまくったのに得点が奪えず、ハスボンの唯一のチャンスだったといっていいほどのフリーキック1本を決められ1-0で負けた。

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<行進前、プラカートを持つジミーとスロボ>

 ハスボン戦で負けたので、次の日は日曜なのに朝っぱらから練習になった。その後、地元ヴィルゲスの街の祭りにチームで参加。他の団体と一緒に街を行進した。

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<デニスとマヌエル>

 前日の試合後はチームの食事会、次の日はキルメス参加で拘束されてみんなブーブー言っていたが、チームイベントにはしっかり参加しないといけない。

 写真のポータブルCDプレーヤーはマヌエルがいつも持ち歩いているもので、練習やアウェイの試合会場にも持ってくる。試合前はRockyの「Eye of the Tiger」から始まりテンションを高める。試合後、勝った時はがんがんかけているけど、負けている時は何人かの選手にボリュームを下げられるか電源を切られる。

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<ヴィルゲスのユースチーム>

 
2軍はこの日試合でいなかったが、ヴィルゲスのユースチームやおっさんチームも一緒に行進を行った。ヴィルゲスステッカーや試合パンフレット、チケットを道端の人たちに配りながら歩いた。

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<スロボとジミー>

 ジミーは軍のドイツ代表に選ばれて去年軍対抗のワールドカップに参加したが、その後怪我などがあり1年ほどヴィルゲスで試合に出ていなかった。第5節のメットラッハ戦で久しぶりに先発出場したものの、3点ビハインドの前半で一発レッドをもらい退場。久々の公式戦で散々な目に遭いへこんでいた。

 ハスボン戦では、後半にアルヤンが2枚目のイエローカードをもらい退場し、そのフリーキックから1点を決められた。さらに1点ビハインドの状態から、スロボが一発レッドで退場。

ということで、この日2人は行進の時のプラカード係に任命された。

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2008年9月 9日 (火)

ドイツ最古のワイン祭り ヴィニンゲンのワイン魔女

ラインラント・プファルツ州のWinningen(ヴィニンゲン)という村のワイン祭りに出かけた。コブレンツから車で約15分ほどモーゼル川沿いを走ると到着。

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<モーゼル川に光るネオン>

ヴィニンゲンは約2500人ほどの小さな村だけど、ドイツのきれいな村コンテストで優勝していて、ドイツで最も美しい村の一つにも挙げられている。

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<ヴィニンゲンのワイン魔女>

ヴィニンゲンのワイン祭りはドイツで最も古いものらしく、村の泉にはワイン魔女の像が建っている。

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<白ワイン>

1ユーロくらいで名物の白ワインが飲める。ワイン魔女の柄のついたグラスも1,5ユーロくらいで持ち帰り可能。

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<モーゼル川の上で花火>

訪れた9月7日はワイン祭りの最終日で、モーゼル川の上で花火があがりまくり。ちょっと前にライン川の有名な花火を見たけど、こっちのほうが人も少なくて距離がめちゃ近いので全然面白い。火の粉に注意。

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2008年8月25日 (月)

Akikoさんの誕生日 in Koblenz

8月20日、コブレンツの行きつけメキシカンバーTaqui Tos(タキートス)でAkikoさんの誕生日を祝う。

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平日だったので、この日は数人でおとなし目に。

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カクテルやらテキーラやらをいろいろ注文。

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<道で安らかに眠るマサキ>

無事終了。

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数日後の土曜日は人数も増えてAkiko宅にて。

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Herzlichen Glueckwunsch zum Gerburtstag!

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2008年8月20日 (水)

ラインヴェンのワイン祭り

 所属するWirges(ヴィルゲス)の新入選手歓迎をかねて、トリアー近くにあるLeiwen(ライヴェン)という街のワイン祭りに出かけた。泊まりでオクトーバーフェストという案もあったけど、数人の選手に却下された。

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<ステージ上でワインが次々に紹介される>

 年に数回、チームでどこかに出かけるイベントが行われる。前回はシーズン終了後の打ち上げでケルンに出かけたけど、貸し切りバスが数人の選手だけ乗せて予定時間よりも先にばっくれた。置いてかれた大半はタクシーで帰る羽目に。

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<会場のテント>

 新入選手によって事前にテントの座席が予約された。こういうイベントでは、入場料その他もろもろは新入選手がすべて支払う。他の選手はすべて招待。

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<ワインの女王タマラ>

毎年ワインの女王コンテストがあるらしく、ステージ上で各ワイン紹介をしていた。

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<新作ワインを試飲するシュテフェン>

 新作白ワインとシャンパンが13本紹介されて、次々に出てきた。このあたりは白ワインの産地らしく、赤ワインは出てこなかった。シュテフェンはこのあとはしゃいで足の裏をガラスで切り、病院で縫う羽目に。

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<ワイン注文>

来る前はビールが飲めないとブーブー言っていた選手もワインを飲みまくっていた。

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<チーム写真>

 今回は、予定されていた夜中の2時にみんなバスに戻ってきた。途中、病院でシュテフェンを拾い、家に着いたのは朝の5時半。数人はそのまま仕事に出かけていった。

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2008年5月31日 (土)

オーバーリーガ2007/08シーズン終了

 ホームアンドアウェイで34試合を終え、オーバーリーガ2007/08シーズンが終了した。今シーズンも長かった。俺の所属するWirges(ヴィルゲス)は、18チーム中8位。オーバーリーガにはいくつかのプロチームが所属していて、ヴィルゲスはそれらのチームと比べると全然練習量が少ないにもかかわらず、時には勝ち星もあげたりして何とかそれらのチームの下に喰らいついていく事ができた。ユース上がりの若手が多い中、この結果は満足できるものだと思う。

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<クリスチャン・ヌェラー>

俺は昨シーズンの最終節に膝を怪我し、今シーズンの開幕戦には間に合わなかった。前回と同じところを怪我して、前回よりも長引いた。前半戦の半分以上を棒に振ったけど、少しずつ試合に出ることができて、ヴィルゲスでの2シーズン目もチームの一員として行動できたと思う。

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<移籍したシュタリー>

来シーズンからブンデスリーガ3部が新たにできることになり、今までのレギオナルリーガ(3部)が4番目のリーグになり、オーバーリーガ(4部)が5番目のリーグになる。

来シーズンに向けて、今回は3選手がチームが離れていった。

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<ケルンの某クラブにて>

シーズン打ち上げで、ケルンのクラブに行く。
監督ハンズィの趣味で決めた場所なので、若手はあまり乗り気ではなかった。

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<ケルンの某クラブにて②>

貸切のバスを借りていたが、帰りに集合場所に行ったらバスがいなくなっていた。5,6人だけ乗せて先に出発しやがった。
時間前に集合場所に行ったにもかかわらず、監督ハンズィを含め10人くらいの選手がケルンに取り残された。しょうがないので、みんなでタクシーを拾って帰った。

翌週、監督ハンズィは練習で大激怒していた。

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<クリスチャン・ヌェラー>

ということで、約1ヶ月のシーズンオフに突入。
7月1日から練習が再開し、8月の頭からリーグ戦が始まる。

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2008年5月16日 (金)

さらばコブレンツ ケルンに引越し

新婚・金子夫妻のケルンの家が見つかり、いよいよコブレンツから引越しすることになった。

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<コブレンツのビアガーデン>

引越し前日に、コブレンツにあるライン川沿いのビアガーデンを訪れる。
もうすぐコブレンツともおさらば。

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<荷物を積む>

引越し用の車をEuropcarで借り、引越し開始。
金子夫妻、手伝いに来たマサキとともに荷物を車に積み込む。

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<コブレンツの家で昼休み>

ケルンへの1往復目を終え、コブレンツの家で昼休み。

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<キモイと言われたひとコマ>

その辺にあったものを身につけてみた。

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<ケルンの新居にて>

荷物をすべて輸送完了。
新居のすぐ向かえには、イタリア人のアイス屋がありにぎわっている。
当初荷物が散乱していた部屋も、今では家具もすべてそろいすっかりきれいになっている。

また遊びに行きます。
あまりアイスを食べ過ぎないように。

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2008年4月27日 (日)

女子サッカー ルワンダ代表ドイツ合宿②

 アフリカのルワンダから女子サッカー代表がドイツのKoblenz(コブレンツ)にやってきて合宿を行った。ルワンダはDFB(ドイツサッカー協会)やラインラントサッカー協会などからサポートされていて、これまでもルワンダ代表U18などがコブレンツにやってきて合宿を行っている。

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<ドイツのチームと練習試合をこなす>

 2007年にコブレンツで行われた第一回インターナショナルコーチライセンス講習に参加した時にルワンダのコーチやルワンダサッカー協会のテクニカルアドバイザーを務めるドイツ人のMichael Weiss(ミヒャエル・ヴァイス)と知り合った。その後、講習に参加していたヴィンセントが女子代表のコーチに就任し、今回、テクニカルアドバイザーのミヒャエルとともに再びドイツを訪れた。

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<DFBのツヴァンツィガー会長(一番右)の姿も>

 DFB(ドイツサッカー協会)のZwanziger(ツヴァンツィガー)会長はラインラント・プファルツ州の出身ということもあり、試合会場には会長自らが顔を見せた。

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<スポーツシューレの食堂にて>

2週間弱、コブレンツのスポーツシューレで合宿を行った。

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<自由時間はキッカーで対決>

自由時間はキッカーや卓球でリフレッシュ。
3人と卓球で勝負し、3人とも打ち破った。負けられん。

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<ルワンダコーヒー>

ヴィンセントからもらった本場のルワンダコーヒー。

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<試合後、ヴィンセントと>

 ルワンダに飛び立つ前日、選手対スタッフチームでゲームが行われた。ルワンダサッカー協会副会長、監督、コーチのヴィンセントと一緒に、俺も急遽スタッフチームで出場することに。他にもスタッフチームにはミヒャエルやドイツ人のコーチ、食堂のおっちゃんなどが参加。審判はラインラントサッカー協会会長。
 相手は女子チームであろうと、スタッフチームは容赦なかった。結局大差でスタッフチームが勝利し、女子チームの選手たちをへこませることに。ちなみにミヒャエルはキーパーで後半から出場し、準備運動が足りなかったのか、太ももを負傷しすぐに交代した。

それではまた会う日まで。クルディマ・ブガチュ!

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2008年4月20日 (日)

女子サッカー ルワンダ代表 ドイツ合宿①

 アフリカのルワンダから女子サッカー代表がドイツのKoblenz(コブレンツ)にやってきて合宿を行った。ルワンダはDFB(ドイツサッカー協会)やラインラントサッカー協会などによりサポートされていて、これまでもルワンダ代表U18などがコブレンツにやってきて合宿を行っている。

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<ルワンダ女子代表>

 ルワンダの人たちとは、2007年にコブレンツで行われた第一回インターナショナルコーチライセンス講習に参加した時に知り合った。そのときにはルワンダから7人のコーチが参加しており、ルワンダサッカー協会のテクニカルアドバイザーを務めるドイツ人のMichael Weiss(ミヒャエル・ヴァイス)が講師として参加していた。今回は、女子代表のコーチに就任したヴィンセントとテクニカルアドバイザーのミヒャエルと再会することができた。

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<ヴィンセント(左から3番目)とミヒャエル(一番右)>

 
今回、ルワンダ女子代表はコブレンツを拠点にテストマッチを何試合か行った。近くで行われた1.FFC Montabaur(モンタバウアー)との一戦を観にいった。モンタバウアーは女子の3部リーグに所属する強豪。

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<1.FFC Montabaurとの一戦>

 ルワンダの女子代表は結成したばかりで、ほとんどの選手が17,18歳と若い。ルワンダと比べると、モンタバウアーはとにかくでかい。

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<1.FFC Montabaurの選手たち>

ドイツの女子サッカーはレベルが高く、過去2回のワールドカップでは2連覇している。2011年の女子ワールドカップはドイツで開催される。

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<攻め込む1.FFC Montabaur(青)>

ドイツの女子代表の試合を見ていても、とにかく他の国と比べてでかくてごつい。大人と子供のような体格の差が出てくる。そして、でかいだけでなくうまくて速い。組織的にもしっかりしている。

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<コーチ・ヴィンセントのインタビュー>

 
ルワンダとモンタバウアーの力の差は歴然としていて、結果はモンタバウアーが5-1で勝利。ルワンダは攻撃でいい形を何度か見せるもフィニッシュが決まらない。守備でもイージーミスが多かった。

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<ヴィンセントと久々の再会>


 試合には完敗したが、日々チームが成長しているので、コーチ・ヴィンセントは満足しているようだった。他のみんなもルワンダでサッカーに携わって元気にしているようだった。

つづく・・・

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2008年4月13日 (日)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記⑥

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

ドイツの家庭でホームステイをしながら様々な活動をして、いよいよお別れの日となった。

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<感想を述べるセイヤ>

最後は3家庭が集まって、みんなで団欒。

「最初は言葉が全く通じなくてジェスチャーで伝えるのがたいへんだった。家族の人たちはとても優しくて、10日間がとても早く感じた。」(ジュンペイ)

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<3人を陰ながら見守ったコーチ・ジョー>

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<御世話になったドイツの3家族と記念撮影>

「これからはドイツで学んだことを生かしていろいろなことに挑戦していき、また機会があればドイツに行きたい。」(ジュンペイ)

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2008年4月11日 (金)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記⑤

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

 3少年は1.FCケルンヴィルゲスでの練習参加を終え、今回はAlemania Aachen(アレマニア・アーヘン)のU15で練習参加した。

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アーヘンのユニフォームをもらい、U15チームに練習参加。

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アーヘンのトップチームは現在ブンデスリーガ2部に所属。
元レッズのブッフバルトも監督に就任したが、成績不振で解任された。

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ケルンではぴりぴりしてた雰囲気だったが、アーヘンは比較的ほのぼのした感じだった。
3人はドイツのチームで練習を数回こなしてきたので、アーヘンではすんなりチームに溶け込めた。

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監督ベンの指示に耳を傾ける。

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U15の練習を終えたら、U16のカルロ監督に呼ばれ、こちらでも練習参加することに。

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アーヘンU15の選手たちと。

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<アーヘンの大聖堂にて>

「選手の身長にびっくりした」(ジュンペイ)

つづく・・・

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2008年4月10日 (木)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記④

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

ブンデスリーガ観戦、1.FCケルンでの練習参加のほかに、地元の学校も訪問した。
この学校は2006年にドイツを訪れたMASAYA少年も訪問している。

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<学校を案内してくれたファー先生と>

 
訪問した学校はNelson Mandera Realschule(ネルソン・マンデラ・レアルシューレ)。南アフリカのネルソンマンデラ元大統領にちなんで名付けられたこの学校はユネスコプロジェクトに参加していて、国際的な考え方や活動に重点を置いた教育をしている。このような学校は世界126カ国に4000校以上あり、それぞれの学校がネットワークを結び国際交流を続けている。そして、このラインラントプファルツ州にもそのうちの8校が点在している。

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<校長室にて>

 ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)というところに通う。ここは日本で言う小学校に当たるところで、その後は成績や目的によってHauptschule(ハウプトゥシューレ)、Realschule(レアルシューレ)、Gymnasium(ギムナジウム)の3つのどれかに進んでいく。レアルシューレはこのうちの真中のレベルで、途中で中級卒業資格がとれば、専門上級学校やギムナジウムの高学年へと進むこともできるらしい。

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<休み時間に校庭で>

ファー先生に学校を案内してもらったあと、3人は体育の授業に参加。

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<体育館でミニゲーム>

2学年上の生徒たちと死闘をくりひろげた。

「日本の体育と違って本気の試合でびっくりした。」(ジュンペイ)

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<死闘をくりひろげた強敵(とも)と> 

予想外のマジさ加減に驚くも、怪我もせず無事に終了。
体育の授業といえど、勝ち負けがかかっている時は全力を尽くす。格好つけてたらたらやっている余裕などない。

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<ヴィルゲスでの練習>

俺の所属するWirges(ヴィルゲス)でも練習に参加した。ケルンではピリピリした空気が流れていたが、ここではほのぼのとサッカーを楽しんだ。この日は人数が少なく、俺もコーチ・ジョウも練習に参加。

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<ヴィルゲスで練習を終えて>

「見た感じは怖そうな人が多かったけど、実際話してみたら優しかった。」(ジュンペイ)

つづく・・・ 

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2008年4月 9日 (水)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記③

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

 ブンデスリーガ観戦や観光を終え、いよいよ自分たちがサッカーをする番になった。今シーズン、ブンデスリーガ1部に返り咲いた名門の1.FCケルンU15に練習参加した。

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<コーディネーションのトレーニング>

ケルンのU15は、ユースのトップリーグでも上位に位置している。

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<コーディネーションその②>

少し緊張しつつも、ケルンの選手たちと一緒にメニューをこなす。

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<いよいよボールを使っての練習>

コーディネーションは見よう見まねでこなしたが、次はボールを使っての練習。
3人とも気合いが入る。
中盤でのパス回しから展開を意識した実践的な練習をした。

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<練習中のセイヤ>

時間が経つにつれて練習の要領がわかり、のびのびとプレーができ始めた。
物怖じせず、ケルンの選手たちとも積極的にコミュニケーションを取っていた。
3人ともタイプは違えど、負けず嫌い。何度かいいプレーを見せていた。

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<1.FCケルンの選手たちと>

練習を終えてケルンの選手たちと仲良く記念撮影。
2日間の練習参加だったが、ケルンの選手たちも3人の実力を認めたようで、仲良くなれたようだった。

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<監督、コーチと>

 最初はピリピリしていた監督だったが、3人の実力がわかり、選手たちを受け入れてくれた。
「ケルンの選手たちは同じような練習を何度もやってきたが、3人は初めてにしてはすぐに戦術を理解し練習に対応できた」とクーン監督のコメント。

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<練習後、ロッカールームで>

練習を終え、ロッカールームでも選手たちをコミュニケーションが取れた。言葉は通じなくても、サッカーを通して距離はだいぶ縮まった。
 
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<ケルンの大聖堂をバックに>

無事、1.FCケルンでの練習を終え、ほっと一息。
ケルンの大聖堂も拝み、ホームステイ先に戻った。

「レストランに入って肉の大きさにびっくりした。ケルンドームに感動した。」(ジュンペイ)

つづく・・・

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2008年4月 8日 (火)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記②

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

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<語学学校の人たちと>

ケルンとフランクフルトの中間あたりに位置するコブレンツ。この街の語学学校を訪問。
ドイツ語の初心者コースの教室に入って、授業を見学した。
「世界各国の人と交流ができてよかったです」セイヤ

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<ユース州1部リーグの試合>

ブンデスリーガの試合と比べるとかなりの差があるけど、同年代の子供の試合を見学。
全部のチームが芝生の上でやっているわけではなく、見学した州1部の公式戦は土の上で行われてラインズマンもいなかった。

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<ドイチェス・エックにて>

コブレンツの2大観光スポットの一つと言われている、ライン川とモーゼル川の合流地点のDeutsches Eck(ドイチェス・エック)。

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<セイヤとホームステイ先のケン>

コブレンツの旧市街を散歩。

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<エーレンブライトシュタイン要塞にて>

コブレンツの2大観光スポットのもうひとつ、難攻不落のエーレンブライトシュタイン要塞。

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コーチ・ジョウとどうやって要塞を攻略するか作戦を練る。

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門番(ケイスケ)

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<要塞からドイチェスエックを見下ろす>

「要塞から見た景色がとてもきれいだった。」(ケイスケ)

つづく・・・ 

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2008年4月 7日 (月)

1.FC 川越水上公園 サッカー少年ドイツ滞在記①

 埼玉県の川越水上公園で活動する1.FC 川越水上公園から、コーチのジョウと3人のサッカー少年がドイツにやってきた。ジョウは昔アントラーズに所属していて、その後ドイツにやってきたときに一緒にサッカーをした強敵(とも)である。

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<フランクフルト空港に到着>


 フランクフルト空港に到着後、約120キロ離れたところにある田舎のKleinmaischeid(クラインマイシャイト)という村に移動。ここで約1週間ホームステイをした。

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<左からケイスケ、ジュンペイ、セイヤ>

 1.FCとは、よくドイツのチームの頭につけられているもので、その町で一番初めにできたサッカークラブ(Fussball Club)という意味。ケイスケ、ジュンペイ、セイヤの3少年もコーチ・ジョウとともに、川越水上公園で初のクラブチームでサッカーを楽しんでいる。

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<クラインマイシャイトの村の風景>

ホームステイをしたクラインマイシャイト村はめちゃくちゃ小さいが、去年までは地理的にEUの中心地だった。

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<同居人のイグアナ>

 ケイスケの泊まる部屋で飼われていたイグアナ。手を近づけると尻尾をぴしぴしやって反撃してくる。動きはけっこう機敏。夜になると尻尾でガラスをぴしぴしたたいて、何度かケイスケの眠りを妨げたらしい。

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<レバークーゼンのスタジアムにて>

ブンデスリーガ初観戦。
レバークーゼンのスタジアムで、稲本選手が所属するフランクフルト戦を観戦。

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試合は泥試合に。
「身体能力がすごい」(セイヤ)
「プレーよりサポーターにびっくりした」(ジュンペイ)

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<レバークーゼン(赤)対フランクフルト(白)>

格上相手に、アウェイでフランクフルトが勝利。

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試合観戦でビールを買うコーチ・ジョウ。

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つづく・・・

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2008年3月29日 (土)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征④

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<ヘネフにて関根コーチと川又コーチ>

アーヘンとの一戦を終えて、6日目。この日はブンデスリーガ2部のマインツの下部組織と対戦。

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<マインツ(水色)対フッチ(オレンジ)>

昨シーズン、マインツのトップチームはブンデスリーガ1部から2部へ降格。今年は2部で昇格圏内につけている。

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マインツは下部組織の育成に定評がある。
フッチの選手たちはやや疲れも見え始めていて、試合はペースを握ったマインツが勝利。

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<デュッセルドルフ空港にて>

お疲れ様っす。
また、日本に戻った時はお邪魔します。

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<U15フットサル関東大会で優勝>

フッチは、U15のフットサル関東大会で優勝し、全国大会にも出場。
全国大会ではベスト8と健闘。

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<千葉県クラブユースU14新人戦総合優勝>

ジェフやレイソルを破って、見事千葉県の新人戦で優勝。

フッチのホームページは、ここ

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2008年3月27日 (木)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征③

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<これから練習です。>

ブンデスリーガ観戦と観光を終えて、この日からまた練習と試合が入る。
午前中は、ブンデスリーガ2部のアレマニア・アーヘンU16のカルロ監督と練習。

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<カルロコーチとトレーニング>

フッチの選手たちは飲み込みが早い。練習は4バックの組み立てなど、戦術的なことを中心に行われた。

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<アーヘン戦の直前>

午後には、アレマニア・アーヘンとのフレンドリーマッチ。
ちなみに、アーヘンのトップチームには、浦和レッズを優勝に導いたブッフバルトが就任したが、成績不振のためシーズン途中で解雇された。

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<試合はフッチペース>

初戦の相手デュッセルドルフは、体も大きく攻撃に勢いがあって、プレッシャーもガンガンかけてきた。それと比べると、アーヘン戦では多少余裕ができた。内容的にはフッチが優勢だった。

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<最後に同点に追いつかれる>

デュッセルドルフ戦のときと比べると、選手たちのコンディションもよくなってきていた。2-1とリードしていたが、最後にはアーヘンが意地を見せて、2-2の同点で試合は終了した。勝ちたかった試合だけど、ポテンシャルの高さを見せてくれたと思う。

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<フッチとアーヘン>   

つづく・・・

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2008年3月26日 (水)

千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征②

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

3日目はケルン観光。
1.FCケルンのホームスタジアム、Rheinenergie Stadion(ラインエネルギー・シュタディオン)へ。

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<ラインエネルギー・シュタディオン前で>

町の中へ移動。

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<ケルン大聖堂前で>

4日目はフランクフルトでブンデスリーガ観戦。

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<バスの中で>

この日は、フランクフルト対ハンザ・ロストックの試合。

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<タッチラインのすぐそばで>

稲本選手も先発で出場。目の前でいいプレーを披露。

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<フランクフルト(赤)の稲本選手>

ホームのフランクフルトが1-0で勝利。

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<一緒に応援>

ロストックのファンブロックのすぐそばでも負けずに応援。

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<レーマー広場にて>

フランクフルトの観戦でテンションもモチベーションも上がり、明日からはまた試合と練習が続く。

つづく・・・

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千葉フッチサッカークラブU15 ドイツ遠征①

 2007年の夏、千葉県市川のフッチサッカークラブU15がドイツ遠征を行った。初のヨーロッパ遠征、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<ハロー>

まずはベルギーのブリュッセル空港に到着。そこからドイツとの国境沿いにあるオランダのスポーツ施設へ。

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<カルロコーチとトレーニング>

2日目の午前からは早速トレーニング。
ブンデスリーガのAlemania Aachen(アレマニア・アーヘン)U16の指揮をとっているカルロコーチが4バックをメインテーマに指導。

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<デュッセルドルフとの親善試合>

午後からは、ドイツ3部リーグに所属するFortuna Duesseldorf(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)のユースチームと対戦。デュッセルドルフのユースチームは、ユース年代ではドイツのトップリーグに所属していて、トーナメントでは日本高校選抜に勝利したこともあるいいチーム。

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<試合前の最終チェック>

フッチはU14年代の選手が多く、デュッセルドルフの選手は一回り体が大きかった。フィジカルだけでなく、ゲームを組み立てることもでき、展開の早い攻撃はデュッセルドルフの大きな武器だった。

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<フッチ対デュッセルドルフの試合>

フッチもボールが収まってくると、早いパス回しから何度か攻撃のチャンスを作ることができた。負けはしたけど、初日から力強く勢いのあるいいチームと対戦して、選手たちは何かを学ぶことができたと思う。

Dinner

練習も試合も終わったらメシの時間。
しっかり食べて次の試合に備えるべし。そして、打つべし、打つべし、打つべし。

つづく・・・

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2008年3月25日 (火)

3月24日に結婚しました。

3月24日に結婚しました。
コブレンツ某所にて書類を書いて、拇印を押しました。

1回目は、「絵の具でええやろ」という意見も飛びつつ、結局、黒のインクで拇印を押したためNG。
2回目は、朱色で文句なしの完了。

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<コブレンツ某所にて、書類完了後>

金子さん、さゆりさん、おめでとうございます。
早くケルンで家を見つけましょう。
そして、カヒミ・カリィもしくは豚揚げインド唐めし大会しましょう。

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2007年12月25日 (火)

クリスマス (ドイツ→日本)

 日本では正月に家族や親戚などが集まるけど、ドイツではクリスマスを家族と過ごすので、各団体などのクリスマスパーティーはその前にさくっと行われる。サッカーチームは冬休み前の最後の試合後に集まるのが恒例となっていて、Wirges(ヴィルゲス)では12月9日の試合後のにさくっと行われた。

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<ドイツのクリスマスパーティー>

パーティーでは、サンタクロースやトナカイが何人(匹)か出現する。

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<シュトレン>

クリスマスシーズンに出回るシュトーレン(Stollen)はドイツのドレスデン生まれ。良いものは、中のフルーツなどの味を生地に染み込ませるために、1ヶ月以上寝かせるらしい。

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<日本のクリスマスケーキ>

日本で売られているケーキは、ドイツのよりこっていて上品に見える。ドイツではかなりの人が手作りで用意していて、俺も12月だけで10人以上の知り合いの手作りケーキを食べたので太った。

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<プレゼント交換>

 去年に引き続き、今年も開催された都内某所でのクリスマスパーティーでは、恒例のプレゼント交換が行われた。去年、俺以外に敬遠されるプレゼントを買った相棒のリーもー(もっちゃんさん)だが、今年は誰に当たってもいいようにミッキーを購入。結局、ミッキーは俺にあたり、もっちゃんの作戦は裏目に出た。

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<去年のプレゼント>

ちなみに、去年のもっちゃんのプレゼントは、バッファローマンとキンニクマンの握力トレーニンググリップ。

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2007年12月21日 (金)

ドイツのクリスマスマーケット

 ドイツの各都市でも、クリスマスの4週間前の11月下旬からクリスマスマーケットが開かれていた。フランクフルトとケルンのほぼ中間にあるコブレンツという街でも、規模は小さいながらもクリスマスマーケットが開かれていた。

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<コブレンツのクリスマスマーケット>

 クリスマスマーケットには、クリスマスグッズやソーセージ、グリューワインなどの出店のほかにも、ちょっとした遊園地のアトラクションのようなものが出ている場所もある。コブレンツには去年屋外スケートリンクがあったが、今年はゴムボートに乗ってすべる滑り台ができていた。

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<グリューワインのカップ>

 グリューワインとは、赤ワインに柑橘類やシナモンなどの香辛料と砂糖を加え、アルコール分を飛ばさないように温めたもので、クリスマスシーズンに欠かせないアルコール飲料。ドイツ語では「グリューヴァイン」と呼ばれている。 

 カップには現地の地名が書かれていて、カップを土産として持ち帰ることも可能。コブレンツではカップ付きで4ユーロ、カップを返せば2,5ユーロ戻ってくる。

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<ショッピングモールのツリー>

クリスマス期間中はどこもかしこもツリーだらけ。

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<IKEAのツリー売り場>
 
コブレンツのIKEAにもツリーの売り場が。確か、小さいのが20ユーロくらいからあった気がする。作り物でなく本物の木。

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<丘の上のビルにできたツリー>

店だけでなく、一般の家庭でもクリスマスのデコレーション合戦が始まる。夜はぴかぴか光まくっている。

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2007年12月15日 (土)

クルディスタン風結婚式

 友達のメディアの結婚式に行ってきた。メディアは、イラン、イラク、トルコ、シリア、アルメニアの国境地域にあるクルディスタン出身。クルディスタンは国として認められていないが、クルディスタン出身のクルド人は世界中に2500万から3000万人いて、独自の国を持たない1つの民族としては世界最大らしい。ドイツには50万人ほどのクルド人が住んでいるらしい。

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<新郎新婦と>

 メディアはトルコ語も話し、トルコでアナウンサーの仕事などもしていたが、トルコでは「トルコにクルド人はいない」という政治的な声明が出されていて、2004年までクルド語の放送や出版が禁止されていたらしい。メディアの友達のセレナはジャーナリストをしていて、クルド語で出版活動をしていたため2回逮捕されたと言っていた。2人ともクルド人の文化を広めようとしている。

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<クルディスタンの踊り>

 会場のステージではクルディスタン風の音楽が演奏され、それに合わせてみんなクルディスタンの踊りを踊っていた。踊り方は、まずみんなで輪を作り、小指だけで両隣の人と手をつなぐ。あとはステップを踏みながらゆっくりと時計と反対周りに回っていく。動き自体は少ないが、一曲がメチャメチャ長いのでけっこう熱くなる。

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<ケーキカット>

イスラム教のため、会場にアルコール類はなかったが、みんなテンションは高かった。

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新郎、舞う。

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ステージからも新郎新婦に歌が捧げられた。

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2007年9月 1日 (土)

クライナー、コブレンツ来襲

 この時期になると、チェコのプラハで知り合った友達のアレンがドイツへ遊びにやって来る。が、今年はアレン来襲が実現せず、代わりにクライナーが日本からやってきた。

 クライナーは、ドイツのザールブリュッケンという街に2年間住んでいて、ドイツのチームでサッカーをしていた。俺も当時ザールブリュッケンにいたので、クライナーと一緒にサッカーをしたり旅に出たりしたことがある。

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<コブレンツのドイチェスエックにて>

 Kleiner(クライナー)という呼び名はドイツ語の「klein(クライン)=小さい」から来ていて、直訳すると「小さいやつ」。チームの監督から「Kopf hoch, Kleiner! (コプフ・ホーホ・クライナー)=(がっかりしないで)顔を上げろ、クライナー!」と言われていたのを覚えている。

 ドイツでのサッカー生活を終えたクライナーは、日本に帰って学習院大学に入り、サッカー部に在籍しながらドイツ語の勉強をしている。今回は大学関係の短期留学でドイツのバイロイトという街に1ヶ月間勉強しに来たらしい。本当に勉強しに来たかどうか定かではないが、ドイツに到着した時と日本に帰る前に、数日間コブレンツの街に立ち寄った。

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<スカイフィッシュとクライナー>

 こっちは8つも9つも用意していたが、とりあえず、モーゼル川とライン川の合流地点ドイチェスエックとエーレンブライトシュタイン要塞のコブレンツ名物2トップを案内した。

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<ついでにケルンの大聖堂>

 クライナーはケルンも訪れ、その鍛え抜かれたふくらはぎでケルンの大聖堂の階段を登った。しっかり勉強してまた戻って来い!

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2007年7月29日 (日)

ペルーの独立記念日

 1821年7月28日にペルーはスペインからの独立宣言を行った。スペインがぺルーの独立を正式に認めたのは1879年だけど、ペルーの人たちは毎年7月28日に独立記念日を祝っているらしい。ペルー出身のアントニオに誘われて、この日ボンで行われたペルー独立記念日パーティーに参加した。

 アントニオの本名は、アントニオ・ラモス。インディオ系の顔立ちをしていて、初めて会ったときは「え、もしかして日本人?」と思った。俺の所属しているWirges(ヴィルゲス)のライバルチームEngers(エンガーズ)のコーチをしている。エンガーズではみんなにラモスと呼ばれている。ヴィルゲスの監督ハンズィとエンガーズの監督は犬猿の仲で、ハンズィはいつも何かあるごとにエンガーズの悪口を言っているが、選手同士では知り合いも多く結構仲がいい。試合の結果や近況報告のため、アントニオとはちょくちょく連絡を取り合っている。大体、ワンコール切りをしてくる。

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<ペルーの伝統的な踊りを披露するアントニオ>

 
会場ではアントニオがDJをしていて、ラテン系の音楽やペルー音楽が流れていた。冬にケルンで行われたラテンアメリカパーティーの時にはDJだけだったアントニオだったが、今回はアントニオ自らがペルーの伝統的な踊りを2度披露した。笛の音が印象的な音楽だった。アントニオが踊っている間、弟のホセがDJを任され、兄貴が踊っている様子を見て笑っていた。 

 アントニオやホセは、「南米のサッカーに踊りは欠かせないもので、リズム感はサッカーでとても重要だ」ということを言っていた。そして、「ドイツは何でも戦術で解決しようとして、がちがちに固めてしまう」とホセが愚痴っていた。逆に、現ドイツ代表のレーヴ監督は、「個人技やサッカーに対する適性で南米の選手に負けている部分は、戦術でカバーしないといけない」と言っていた。南米やアフリカからヨーロッパにやってくる選手は、みんなヨーロッパで戦術を覚えてワールドクラスの選手になっている。各地域のサッカースタイルや文化の違いなどはあるけど、両方バランスよくいかせることが大事だと思う。

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<一踊り終えたアントニオ(中)>

 
ペルーは、今年の6月7月にベネズエラで行われたコパ・アメリカ(南米選手権)で予選リーグを突破し決勝トーナメント(ベスト8)に進出したが、準優勝したアルゼンチンに0-4で負けた。優勝は3-0でアルゼンチンに勝ったブラジル。
 
 ペルー代表FWのピサロやゲレロはブンデスリーガでもプレーしていて、ドイツではかなり知られている。ピサロは今シーズン、移籍金無しでバイエルン・ミュンヘンからチェルシーへ。ピサロは昨シーズン、バイエルン・ミュンヘンからハンブルガーSVへ移籍した。

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<みんなで輪になってダンス>

 DJといっても、アントニオは適当にCDを選んで音楽を流しているだけ。曲と曲の間はたまに切れるし、参加者がサルサでノリノリで踊っているときにいきなりペルー音楽に変えたりしたので、「もっとサルサを流してくれ」というリクエストが何度も来ていた。アントニオがよく席をはずしたので、隣に座っていた俺にまでもリクエストをしてくる始末。まあ、なにわともあれ、ペルーの音楽になってもみんな輪になって楽しそうに踊っていたのでよかった。

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2007年7月 2日 (月)

ロンギーとランニング中

 1ヶ月弱のシーズンオフが終わり、チーム練習が再開した。昨シーズンの最終戦で怪我をした膝と足首はまだリハビリ中で、チーム練習初日、俺は別メニューでフィジカルトレーナーのロンギーとランニングをした。ボールは蹴れないが走ることはできるので、2日目のクーパーテストには参加。ここは負けられないので、もう一人のチームメイトのデニスとともにトップを独走してアピールした。昨シーズンのウインターブレイク明けのテストでは、半数の選手が走れず、監督のハンズィが激怒したが、今回はどの選手もしっかり休みの間に準備をしてきていた。

 フィジカルトレーナーのロンギーの本名はヨアヒム・シュロッターだが、背が高く(長く)ごついので英語の"long"から「ロンギー」というあだ名がつけられている。ロンギーと呼ばれている男を他には知らないが、ドイツでは背の高いやつはドイツ語の"lang(長い)"から「ランガー」と呼ばれている。どのチームにも「ランガー」は一人くらいいて(キーパーが多い)、昨シーズンWirges(ヴィルゲス)のキーパーのスヴェンも「ランガー」と呼ばれていた。
 
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<いつも黙って試合を見つめるロンギー(右下)>

 ちなみに、昔ドイツでサッカーをしていたハトリュー(仮名)という日本人は、ドイツ語の"klein(小さい)"から「クライナー」と呼ばれていた。そのチームの監督がよく「Kopf hoch, Kleiner! (コプフ・ホーホ・クライナー)」と言っていたのを覚えている。"Kopf"は「頭」、"hoch"は「高い」という意味で、この言葉はミスをしたり試合に負けたりしてうつむいている時に「がっかりするな、顔を上げろ」というように使われる。

 ロンギーは50歳になるが、年に数回、フルマラソンをしている。昨年も2つの地域大会で優勝し、ドイツ全土のオーバー50の大会では3位になった。そんなロンギーは、毎朝4時半に起き仕事前に1時間ほどランニングしている。そして、チームの練習前にもう2時間ランニング、更に練習で選手とランニング。とにかく走るのが好きらしく、さっきも「今日も別メニューでランニングするのか?」とメールが来た。

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<コーラと熊のハリボ>

 ちなみにロンギーお薦めの間食はHaribo(ハリボ)。ハリボとはドイツの有名なグミのことで、熊やらコーラやらフルーツやらワインやらいろいろなバージョンがある。カロリーが少なく、ゼラチンたっぷりなので関節にも良い。しかし、食べると止まらなくなるので、食べすぎには注意。ロンギーのお気に入りは熊のハリボで、「白いやつがうまい」と言っていた。

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<こんな形をしている>

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2007年6月17日 (日)

Rolling Stones ライブ

 マヨルカから帰ってきた後、チェコ人のレネという友達に電話をしてみたら、Rolling Stonesのチケットが2枚手に入ったけど行くかと言われて一緒に行くことになった。ライブは、高原選手や稲本選手が所属するブンデスリーガのEintracht Frankfurt(アイントラハト・フランクフルト)のスタジアムで行われた。このスタジアムでは一度、コンフェデレーションズカップの日本対ギリシャ戦を観たことがあるが、アイントラハトの試合はまだ観たことがない。今年は機会があれば行ってみたい。

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<ちょっと遠いけどローリングストーンズ>

 なかなか姿を現さないローリングストーンズにブーイングが出始めていたが、予定されていた時間から1時間半たってようやくライブがスタートした。ステージはサッカーグランド上に設置され、ステージのすぐ前にもいい席が用意されていたが、俺たちはゴール裏にあたるスタンドで立見していた。ステージ前の席には空席もあったが、俺たちの周りはぎゅうぎゅう詰めで、結構な数のアメリカ人がいた。

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<ステージごと観客の中に突入> 

 俺もレネもストーンズの熱狂的なファンというわけではなく、どちらかというとBeatlesやLed Zeppelinを昔よく聞いていたが、演奏された曲はほとんどが誰でも知っているものだったので2人とも楽しめた。ストーンズの中で好きな曲は、Wild Horses, Honky Tonk Woman, Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)で、Wild Horses以外はこのライブで聞くことができた。

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<ミックジャガーが少し近づく>

 パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)は、キース・リチャーズをイメージして演技したらしい。少し前にパイレーツオブカリビアンの3作目を観にいったら、キース・リチャーズがちょこっと出てきておいしいところを持っていった。このライブでもキースは2曲を歌ったが、今回はおいしいところは持っていくことは出来ず、客の反応もいまいちだった。レネは、歌わないほうがいいと言っていた。しかしながら、メンバーたちはもう65歳近いのに、普通の65歳のじいさんだったら絶対出来ないようなパフォーマンスを見せてくれた。

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2007年5月12日 (土)

ルワンダへ旅立つ

I remember when we used to sit in a government yard in Koblenz,
observing the hypocrites as they mingled with good people we meet.
Good friends we had, good friends we´ve lost along the way.
In this great future you can´t forget your past, so dry your tears I say.

 Koblenz(コブレンツ)での約3週間にわたるインターナショナルコーチライセンスコースが終わり、参加者はC級ライセンスの証明書を手にそれぞれの国へ帰って行った。期間中はサッカー三昧だったけど、各国の文化、共通の音楽、映画などの話でも盛り上がった。上に書かれているのは、ある歌の地名の部分をKoblenz(コブレンツ)に変えたこのグループのテーマソング。コブレンツの見所となるDeutsches Eck(ドイチェスエック)やEhrenbreitstein Festung(エーレンブライトシュタイン要塞)はもちろんのこと、参加者はコブレンツ滞在を存分に満喫していった。

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<ルワンダのみんなとドイチェスエックにて>

 ルワンダからは7人が参加していて、期間中一緒にいることが多く、いろいろな話をした。ルワンダの人口は800万人弱で首都はキガリという都市。公用語としてケニヤ・ルワンダ(ルワンダ語)、英語、フランス語が使われている。ちなみにケニヤ・ルワンダで乾杯は「クルズィマ・ブガチュ!」。

 以前にも書いたけど、Keita(ケイタ)という名前はアフリカ系の苗字らしい。改めて彼らに確認したところ、コートジボアールなどにはケイタがわんさかいるらしい。ワールドカップではコートジボアール代表のケイタがゴールを決めていた。また、ブンデスリーガ2部に所属しているTusコブレンツにはベルギー国籍のケイタがいる。ルワンダにはまだしっかりとしたプロサッカーリーグはないが、ヨーロッパで活躍している選手も何人かいるらしい。

 サッカー事情以外にも、フツ族とツチ族の内戦のことや1994年に起きた大量虐殺のことを一生懸命語っていた。話だけでは伝われらないので、とにかくルワンダに来て欲しいとみんな言っていた。大量虐殺では100日で100万人が殺されたらしく、2004年にハリウッドで「ホテルルワンダ」と言うノンフィクションの映画が作られているので見てみたい。日本では当初公開されなかったけど、インターネットの署名で公開が実現したらしい。

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<ポーランドのアダム(左)とマーシェック(右)と>

 ポーランドからはアダムとマーシェックの2人が参加していた。アダムはポーランドの3部リーグでプレーしていて、マーシェックは体育の先生をしている。授業も積極的に受けていて、当たり前だけど時間もしっかり守っていた。ルワンダの数人はなかなか時間にルーズで、ドイツ人コーチに「他の国ではわからないが、ドイツは9時といったら9時に始まる。」と言われていた。一緒に遊びに行く時も、ルワンダの数人には他の人よりも15分前に時間を設定しておいた。

 元ルワンダ代表のキーパーで、今は代表のキーパーコーチをしているクロードは、ルワンダグループの中でもボス格だが、こいつが一番時間にルーズだった。威張ったりしているわけではないが、時間の概念がないに等しい。いつもマイペースで楽しくやっている。俺がルワンダに行ったら、こいつの家も車もすべて使い放題らしい。「すべて任せておけ」と言っていたが、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<Mr. President、コブレンツで記念撮影>

 一番仲のよかったヴィンセントはいろいろな国の言葉を操り、いろいろなことを教えてくれた。ボブ・マーリーとレゲエを愛し、時間もしっかり守るし、真面目にサッカーの勉強をしていた。ルワンダに行ったら何も心配は要らないといっていたが、本当に信頼できる男。

 上の写真の男は、ルワンダの他のみんなから「ルワンダのコメディアン」と言われていた。一番テンションが高いので一見いい加減そうだが、時間をしっかり守るし、遊びに行っても一番真面目。なぜかわからないがみんなからは「Mr. President」と呼ばれていて、本名が「テオナス」だと知ったのはコースが終わる1週間前。テオナスとは太陽の神という意味らしい。自分でも「将来はプレジデントになる」と言っていたが、いつか大物になるかもしれない。俺がルワンダに行ったら、アシスタントコーチとして雇ってくれと言っていた。

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<ジャージをもらいルワンダの仲間入り>

 
上の写真の男は、ルワンダサッカー協会の秘書などをしているハサン。授業では一番発言をしていて、その自信あふれる言動から、みんなから「モウリーニョ」と呼ばれていた。俺がルワンダに行ったら「何の問題もない」と断言していたが、将来はアメリカに留学をしたいとも言っていた。

 ソーステンと言う男からは最後にルワンダのユニフォームをもらったが、これは彼が代表で着ていたものらしい。ルワンダでは一人暮らしをしているので、いつでも泊まりに来ていいと言っていた。彼にラストサムライのDVDを貸したらえらく日本に興味を示していたが、トムクルーズだけ最後に生き残ったのには納得いっていなかった。日本のことについていろいろ聞いてきたが、日本がヨーロッパの一部だと思っていたのには驚いた。「ファーストサムライ面白かった。」と言っていた。

 最後に、キガリの役所で働くアタナスというたいへん華奢な男がいたが、いつも疲れきっていて、部屋を真っ暗にしてベッドの中でぐったりしていた。普段は無口で物静かだが、たまにキラーパスとなる発言をする。最終日のフランクフルト空港では、エスカレーターの最上部まで上がったはいいが、たくさん荷物を積んだカートを押し切れず、後ろから上がってくるハサンのカートにはさまれていた。ハサンは「アタナス!アタナス!」と叫んでいたが、アタナスはまるで他人事のように「アタナス!アタナス!」とハサンのマネをしてからかっていた。ルワンダのみんなにはいろいろなお土産を渡したが、アタナスは「北斗神拳伝承者」と書かれたTシャツを着てフランクフルト空港を飛び立っていった。

それではまたルワンダで会う日まで。クルズィマ・ブガチュ。

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2007年5月10日 (木)

インターナショナルコーチライセンス 課外授業編

 ドイツのKoblenz(コブレンツ)という街で、サッカーのインターナショナルコーチライセンス講習が行われている。約3週間、教室で理論を学んだりグランドで実際に演習を行ったりし、最後に筆記試験とコーチの実技テストに合格するとドイツのC級ライセンスがもらえることになっている。参加者は、地元ドイツのほかに、ルワンダから7人、ポーランドから2人、ブルガリア、グルジア、コソボ、日本。これらの外国人のために講習はすべて英語で行われた。講習以外にもかなりのハイテンション具合でいろいろなことをしたので参加者たちはとても仲良くなった。

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<今年初プール>

 期間中、5月ながら夏のように暑くなる日があり、夜遅くまで外でBBQをしたりライン川沿いでジャーマンスープを飲んだりすることができた。ジャーマンスープとはスープのことでなく、このグループではビールのことを指す。
 みんなでプールにも行ったときは、ルワンダの仲間たちとウォータースライダーではしゃいだが、前日の疲れからか、みんなその後はもっぱら日光浴をしていた。ルワンダのハサン(写真赤シャツ)は一生懸命平泳ぎの練習をしていた。シドニーオリンピックでおぼれそうに泳いでいたギニアのムサンバニを思い出した。

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<お気に入りのメキシカンバーにて>

 写真は仲のよかったテオナス(左)、アタナス(中)、ヴィンセント(右)と行きつけのメキシカンバーへ行った時。初めてこのバーにルワンダの数人を連れて行ったところ、えらく気に入った様子で、「これがヨーロッパだ。ドイツに来てから一番楽しい。」と言っていた。残念ながらドイツではなくメキシコのバーだったけど、とにかくみんなジャーマンスープを堪能しながらはしゃいでいた。部屋で爆酔していたハサンは、翌日仲間からバーの様子を知らされ「何で起こしてくれなかったんだ。次は絶対に連れてけ。」とうるさかった。結局、期間中このバーには4回来ることになった。

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<チャンピオンズリーグを観戦>

 講習期間中、チャンピオンズリーグやUEFAカップの試合もあり、スポーツシューレのバーや街のスポーツバーでみんなで観戦していた。とにかくみんなサッカーが好きなので、これらの試合を見逃すわけには行かない。やれあの選手が好きだの嫌いだの、やれ今のプレーはいいだの悪いだの、やれあの選手のほうがあの選手よりもいいだの、とにかくサッカーを知らない人がこの集団に入ったらさぞかし退屈することになると思う。
 こんな感じで、授業がないときも話の話題はほとんどがサッカーのことになる。

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2007年5月 2日 (水)

インターナショナルコーチライセンス

 ドイツサッカー協会(DFB)やラインラントサッカー協会(RFV)などの協力により、4月18日からドイツのKoblenz(コブレンツ)で外国人を対象としたサッカーコーチの講習会が行われている。内容はドイツC級ライセンスと同レベルで、実技と講義はすべて英語で行われる。3週間弱の講習を終えてテストに合格すれば、ドイツのC級コーチライセンスをもらうことができる。自分は2005年にドイツのC級ライセンスを取ったけど、Wirges(ヴィルゲス)関係でこの興味深い話が回ってきたので、時間があるときに部分的に参加させてもらうことになった。参加者は、この前対戦したルワンダから7人、そのほかにもポーランド、ブルガリア、グルジア、ボスニアなどからはるばるやっている。とにかくサッカー好きばかりが集まっている。

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<教室での授業風景>

 受講者はコブレンツのSportschule(スポーツシューレ)に泊まり、教室やグランドでの講習を受けた。スポーツシューレとは直訳するとスポーツ学校という意味だけど、実際は学校ではなくスポーツ総合施設。敷地内にさまざまなスポーツ施設や宿泊施設があり、地域の各スポーツ協会などが置かれている場合が多い。ドイツ国内に20数箇所あり、オリンピック選手のトレーニング、地域選抜チームの合宿、さらにプロアマ問わずさまざまなスポーツの講習などのために使用されている。コブレンツのスポーツシューレにはRheinland(ラインラント)サッカー協会が置かれている。食事の時間に遅れると食堂のおばちゃんに怒られるので気をつけなければいけない。

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<ストレッチ講習で痛がるルワンダのハサン>

 
授業にはドイツ人の講師が入れ替わりで来ている。フィジオセラピーの授業にはU18ドイツ代表でフィジオセラピストをしているマティアスが来て講義と実演を行った。プロチームではドクターと2,3人のフィジオセラピストがチームを組んでチーム全体のコンディションの管理を行っているが、ドイツでは各アマチュアチームにも最低1人の専属フィジオセラピストがついている。彼らの仕事は、選手のマッサージからテーピング、試合中負傷した選手の治療、怪我人のリハビリなどさまざま。ドクターの診断を下に、選手をできるだけフィットした状態で試合へ送り出す。彼らは、治療などで選手と身近に過ごす時間が多いので、選手が監督やコーチには話さないようなプライベートな話も聞くことができる。選手のコンディションをフィジカル的だけでなくメンタル的にも管理する上で、こうした情報はコーチ陣にとっても貴重なものになる。

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<放課後はライン川沿いで>

 教室やグランドでの授業以外にも、Frankfurt(フランクフルト)対Bochum(ボーフム)のブンデスリーガ観戦やフランクフルトのDFB(ドイツサッカー協会)本部の訪問、ブンデスリーガ2部に所属する地元のTus Koblenz(トゥス コブレンツ)の試合観戦なども含まれて、参加者はドイツを満喫していた。

 コブレンツのスポーツシューレはライン川沿いにあり、授業が終わって時間があるときはみんなで川沿いでサッカーをしたり飲んだりできる。乾杯はそれぞれの国の言葉で何回も行われ、それぞれの国の国歌も歌われた。最終的にはいつも陽気なアフリカのノリになり、歌やダンスが始まる。

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2007年3月 2日 (金)

復活 バルボア

 イタリアの種馬が復活するという噂は前々から流れていたけど、ようやく本当の話になった。1976年に1作目が出て、今回で6作目。1、2作目でアポロとの話が一旦終わり、その後、5作目まで「いつまで続けるんだ?」とか「やっと終わったか」というコメントをしている人もいたけど、俺も含め、好きなやつは早速みんな映画館へ。一緒に行こうとしていた友達がロッキーをよく知らないということで、1作目から5作目までをしっかり予習させてバルボアファンに仕上げた。映画館へ向かう車の中ではもちろんロッキーの音楽をかけていった。

 ロッキーといえばおなじみの音楽(Gonna Fly Now)が思い浮かぶけど、ここドイツではかなりの確立でロッキーの音楽を耳にする。特に、3作目の最後や4作目の初めに流れるSurvivorのEye Of The Tiger。ドイツ人にはロッキー好きなやつが多く(サッカーをやっているやつだけかもしれないけど)、ロッカールームやウォーミングアップ中に流しているチームがけっこうある。ラジオを1日流しておけばたいてい1回はかかる。一度、天気予報のBGMで流れていたこともあり、その気合いの入れようには驚いた。

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<必須アイテム>
 
 俺の中でも、ロッキーのCDとDVD(昔はビデオ)は中学生の頃からの必須アイテムになっている。CDは1と4を持っているけど、昔、ロッキーのCDを買いに行った時に「2と3もあるよ」と店員に薦めれて「あ、いいです」と断った。

 ちなみに、気合いの入るシーンを一つ挙げるとすると、2のエイドリアンとロッキーの病院でのやり取り。それまで、エイドリアンはロッキーとアポロの再戦に反対で、ロッキーやトレーナーのミッキー、兄貴のポーリー、そして俺をいらいらさせる存在だった。病院でエイドリアンが昏睡状態から目を覚ました時、ロッキーもリングへの復帰をあきらめようとしていた。が、エイドリアンがロッキーに言いたいことがあると。近くに寄れと。そして、一言「Win.」。そのあと、ロッキーのトレーニングシーンが始まる。
 明日からリーグ戦が再開するので、俺もロッキーで気合いを入れてく。

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<仕上げはいつもこのポーズ>

 ロッキーの新作には、いつものキャストにいつもの場所が出てくる。一度は行ってみたいと思っているのが、ロッキーがトレーニングでいつも最後に駆け上がるフィラデルフィア博物館の前の階段。実際に、ロッキーのポーズを真似して写真を撮っている人がいるらしい。
 新作ではフィルムが終わってもすぐに席を立たないように。マニアには見逃せないシーンが出てくるはず。そして、帰りももちろん車の中でロッキーをガンガンに流して家路に着いた。

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2007年2月20日 (火)

カーニバル シーザー撃沈

 ドイツは今どこもかしこもカーニバル(Karneval)でまさにお祭り騒ぎになっている。地方によってはファストナハト(Fastnacht)やファッシング(Fasching)という呼び方をしている。グループで変装をしてお菓子をばら撒きながら街中をパレードする。そして、飲んで騒ぐ。変装はグループによりさまざまで、騎士の集団もいればエスキモーの集団もいる。インディアンもいれば豚の集団もいる。

 カーニバル本番の1週間前にはケルンアリーナで「笑いのケルン」みたいなイベントがありチームで乗り込んだ。バスの中にはすでにビールが用意されていて、それを飲みながらみんなでケルンに向かい、そのまま会場にビールをケーズごと持ち込み飲み続けた。毎年参加しているらしく、8月にはすでに受付を済ませていた。そのおかげもあり、アリーナでは特別リングサイドクラスの席が用意されていた。

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<アクロバティック>

 ケルンアリーナのイベントではパレードはなかったけど、会場に来る人たちがそれぞれ変装をしてきた。要するにコスプレパーティー。いろいろな集団がいたけど、俺たちは決まった格好をせず、それぞれが好きなように変装していった。アリーナのステージでは、ギャグを言ったり歌ったり踊ったりいろいろ事が行われた。チームメイトが言うには有名なやつらが出ていたらしい。

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<ペンギンブラザーズ>

 イベント前の練習の無い日に、チームメイトのユーリと一緒に衣装を探しに行った。何にしようか迷ったけど、試着をした結果ペンギンに決定。会場では俺たち以外のペンギンをなかなか見つけられなかったけど、帰り際に幼稚園児くらいの小ペンギンを発見して、そのお母さんに衣装を褒められた。

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<パイロット>

 スタリーとシュテフェンはパイロットに変装。スーツケースを転がしてきたかったと言っていた。

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<巨大ケチャップ>

休憩

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<古代ローマのシーザーと囚人>

 双子の弟スヴェンは古代ローマのシーザーに変装。ひらひら具合がうっとうしいと言っていたけど一番はしゃいでいた。ところかまわずいろいろなやつにからんでいた。囚人に変装したアッツィはこの企画の幹事。イベント後、無事釈放された。

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<シーザー撃沈>

 はしゃぎすぎたシーザーはホールの隅で一眠り。その後、気持ち悪くなりアリーナの外で吐くが見事に復活した。
 イベントが終わりバスに戻ると、さっきまではしゃいでいたはずのニコが撃沈してすでに運び込まれていた。バスは無事にコブレンツの駅に到着したが、ニコはまだ少しグロッキーだった。ロッキーの最新作を見て影響を受けたせいか、おぼつかない足元で「エイドゥリアーン」と叫びながら家路についていった。

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2006年12月21日 (木)

ドイツのクリスマス2006

今年もこの時期がやってきた。
冬は寒くて嫌だけど、11月後半あたりから街はクリスマスモードで盛り上がり始める。

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ケルンのクリスマスマーケットは大聖堂の前でお祭り騒ぎだった。

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ケルン大聖堂付近のホテルの上にサンタクロース発見。

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この時期、コスプレも流行る。

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お祭り騒ぎに便乗する、ケルンサポーター。
いろいろなポーズをとりながらゆっくりと動いている。
一緒に写真もOK。

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フランクフルトはさらに混みまくりだった。
密着マークされ、前に進まなくてかなり疲れた。

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レーマー広場もごった返し。

ちなみに地元のコブレンツは小さいクリスマスマーケットが出ていた。
スケートリンクが設置されていたけど、マーケット自体は5分で見学終了。
このままクリスマスが終わるまでドイツ各地で盛り上がりが続いていく。

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2006年10月19日 (木)

30歳に

 とうとう30歳の節目を迎え、30回目の誕生日パーティーが開催された。といっても30歳になったのは俺ではなく、チームメイトでヴィルゲスのキャプテンでもあるクリスティアン(あだ名チジー)。パーティーは、昔チジーが所属していたと思われるチームのクラブハウスで行われた。チジーは昔、カイザースラウテルンやケルンでもプレーしていて、ヴィルゲスに来る前はコブレンツでプレーしていた。中盤で安定したプレーをしている。パーティーにはチームメイトや監督のハンズィも駆けつけ、ここぞとばかりに酒を飲んで騒いでいた。

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<チームメイトのチジー(左)とデニス(中)>

 サッカー選手にとって30歳はひとつの節目。チジーはまだこれからサッカーを続けるだろうけど、チームメイトの中には「30まであと数年だから(30歳でサッカーもおしまいだから)」と言って、古傷の手術もしないでやっているのもいる。
 スポーツ選手で30歳と言うともう若くないと言うマイナスのイメージがあるかもしれないけど、若い頃から継続して鍛えられていれば筋力的にはピークのはず。回復力は若い頃より落ちているかもしれないけど、積み重ねてきた経験とともにいいプレーが出来ないわけがない。

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 残念ながら怪我などでサッカーを思い通りに続けられなくなった人もたくさんいるけど、ラモスやカズ、ゴン中山みたいな選手もいる。ラモスは、「自分がよく歳だと言われるけど、今が一番調子がいい。年齢だけで判断されるのはムカつく。」というようなことを35歳を超えても言っていた。
 海外には歳をとり続けても世界のトップで活躍し続けている選手が何人もいる。今、チャンピオンズリーグに出ているチームの中でも、ロベカル、カンナバーロ、マケレレなどは33歳、フィーゴ34歳、カフー、ファンデルサール36歳、マルディーニ38歳などなど、30歳を超えている選手はたくさんいる。
 カメルーンのロジェ・ミラは42歳の時にワールドカップ(ロシア戦)でゴールを決めている。ジョージ・フォアマンは45歳でボクシングヘビー級チャンピオンになっている。ジャイアント馬場は61歳の時に引退試合をした。そして、スタローンは60歳になった。ロッキー6とランボー4の製作発表がされたけど完成はいつなのか?

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2006年9月 6日 (水)

ヴァッチィの結婚式

 チームメイトのWatschi(ヴァッチィ)の結婚式に行った。ヴァッチィの本名はたしかヴァーツラフだったと思うけど、とにかくみんなヴァッチと呼んでいる。

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 まずは教会にて。牧師の話や歌を歌った。牧師はサッカーが好きらしく、あんまり関係のないサッカーの話もしていた。
 無事に儀式も終了。

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 教会での式が終わった後、俺たちWirges(ヴィルゲス)の選手たちはユニフォームを着て外で待ち構えていた。 シュートを決めればキス、はずしたらウォッカ一気飲みの刑。

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期待にこたえて見事にシュートをはずす。これを4回は繰り返した。

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 場所を移し食事会へ。ヴァッチィはロシア系のドイツ人ということで、ロシア系の友達がたくさんいた。ステージではロシア語の歌がライブで流れていた。各テーブルにはウォッカがしっかり用意されていた。

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パーティーが始まる前にロシア系の友達何人かとヴィルゲスの選手何人かが駆り出された。どうやら聖なるスープを運ぶ係に任命されたらしく、エプロンや手袋、帽子を装備させられ入場。無事にスープをこぼさず大役を果たした。 熱さに耐えてよくがんばった。

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左から、俺、ユーリ、イレーナ、ヴァッチィ、キーパーのアギム。
最後はウォッカの量も増え、みんなでロシアのダンスを踊っていた。たぶん無事に終わったと思う。しかし、ヴァッチィには翌日、まだ自分の誕生日パーティーが控えていた。
いいたいことはまだまだあるけど、かいつまんで言うと、ヴァッチィとイレーナ、おめでとう。

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2006年8月12日 (土)

アレン来襲 2006

 毎年恒例となったアレン来襲の季節になった。アレンとはチェコで知り合い、プラハでは強敵(とも)のモリクンと一緒によくつるんだ。俺がドイツに戻ってからも、もう4回ほどドイツを来襲している。

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<ケルンの大聖堂前にて>

 前回まではザールブリュッケンを拠点にサッカーばかりしていたけど、今回は引っ越したコブレンツを拠点に行動した。まずはここ最近よく訪れているケルンに行き、大聖堂の上まで登ってみた。狭いのに人がたくさんいて、階段の下のほうは熱気とおっさんの匂いと酒臭さでたいへんだった。上に登ると風が入ってきて、なんとか命拾いした。

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<デュッセルドルフでメンチを切るアレン>

 
ケルンでやることもなくなったので、電車でデュッセルドルフに移動。ビールを1杯飲んでまたケルンに戻った。

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<Dunkin Donutsでドーナツ>

 
俺もそうだけど、アレンも甘いものが好きなので、ケルンでDunkin Donutsを発見したときはものすごく反応していた。通った道をわざわざ引き返し店に駆け込んだ。大好物のホットチョコレートを頼んだが、残念ながらセットではコーヒーしか頼めなかった。アレンは悲しい眼をしていた。
 しかし、そのあと大好物の肉を食い満足していた。アレンはネギ類が食べれない。

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<コブレンツのエーレンブライトシュタイン要塞にて>

 コブレンツではおなじみの場所に乗り込んだ。

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ドイチェスエックでリフティングをするアレン>

 
リフティングをミスると雄叫びをあげるアレン。通りがかる人も気にせずに真剣に取り組んでいた。

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<ヴィルゲスで練習に励むアレン(緑ソックス)>

 
アレンはとにかくサッカーが好きなので、今回はヴィルゲスの2軍の練習に参加して汗を流した。ここ1年まともに練習できていなかったので思い通りに体が動かなかったらしい。
 短いドイツ来襲を終え、アレンは次の目的地、昔住んでいたアムステルダムへ旅立っていた。カバンにはボクシンググローブが入っていて、ドージョーチャクリキとボスジムを尋ね、キックボクシングの練習すると言っていた。
 じゃー、アレン、また来年。ナスフレダノウ。

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2006年5月30日 (火)

エルツ城を攻める

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<山の中にそびえ立つエルツ城を見下ろす>

 ラインラント・プファルツ州の山奥にそびえ立つエルツ城(Burg Eltz=ブルク・エルツ)。コブレンツから車で約1時間。思っていたよりも山奥にあったので、行ったり来たり、道に迷った。
 車で駐車場まで行って、そこからは急な坂を上ったり下ったり。20分ほどで城にたどり着く。ちなみに駐車場は有料。

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最寄り駅からハイキングコースを通って徒歩で行けるけど、1時間くらいかかるらしい。城の横の道からハイキングコースを通ってたどり着いた人たちが出てきたけど、かなりお疲れの様子だった。疲れていて会話も少なかった。

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<城の入り口>

 城は12世紀に建てられたて、一度も陥落したことがないらしい。ドイツ3大美城のひとつらしい。城中の見学ツアーもあったけど外だけにした。
 帰りの車の中でボスと電話で話した。「おまえ、あそこは城の中がいいんだぞ」と言っていた。

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2006年5月20日 (土)

ドイツの角 ドイチェス・エック

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<ライン川対岸のエーレンブライトシュタイン要塞をバックに>

 スイスから流れてくるライン川と支流のモーゼル川がコブレンツで合流する。その地点はDeutsches Eck(ドイチェスエック=ドイツの角)と呼ばれていて、対岸の崖の上にあるエーレンブライトシュタイン要塞からはっきり見ることができる。俺の家から走って5分でその場所が見えてきて、そこから泳いで岸にたどり着くことができるけど、船にひかれるからやめたほうがいい。

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<ヴィルヘルム1世のバックに>

 
ドイチェスエックにはヴィルヘルム1世の像が立っていて、ベルリンの方向を向いているらしい。階段や広場には人がたまっていて、ヴィルヘルム1世の下の建物は上まで登ることができる。夜は途中までしか登れない。

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<合流地点を上から眺める> 

 ヴィルヘルム1世のすぐ下まで登ると、父なるラインと母なるモーゼルの合流地点をよく見ることができる。左から流れてくるモーゼル川が右側のライン川に合流する。クルーズをしている船が行ったり来たりしている。

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<黒王?松風?>

 角を見下ろした後、振り返って上を向いてみるとヴィルヘルム1世の馬が襲い掛かってくるから気をつけたほうがいい。と、友達のちっこいおっさんが言っていた。


 

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2006年5月15日 (月)

エーレンブライトシュタイン要塞を攻める

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<エーレンブライト要塞のミニチュア見取り図>

 ザールブリュッケンからコブレンツへと引越しが完了し2ヶ月が経った。ちょっと周りを散策してみることにした。すぐ家の前をライン川が流れていて、川沿いに右のほうへ目をやると崖の上になにやら城らしいものが見える。こいつは城ではなく要塞で、名前はFestung Ehrenbreitstein (エーレンブライトシュタイン要塞)だった。

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<要塞の中>

 要塞に近づくには車で上まで登るか、リフトで上にあがらなければならない。リフトはスキー場にあるような感じのものだったが、俺たちは車で上がったので詳しいことはわからない。要塞自体はパンフレットによると、3月13日から11月13日までの時期に、毎日9時半から17時まで開いているとのこと。入場料は2ユーロ。中にある博物館などは別料金をとられる。
 数人のグループや学校の遠足みたいな集団もいて、思ったより多くの人が訪れていた。わざわざフランスから来ているバスもあった。

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<難攻不落のエーレンブライトシュタイン要塞>

 昨年のフィンランドの旅では世界遺産に登録されたスオメンリンナ要塞に乗り込んでみたが、そこは海に浮かぶ要塞で大砲なども置かれていた。そこも広かったけど、このエーレンブライトシュタイン要塞もヨーロッパで最も大きい要塞のひとつに挙げられているらしい。10世紀の完成から難攻不落として知られ、ヨーロッパでも最高の状態で保存されている要塞のひとつ。

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<要塞から眺めたドイチェスエック>

 ライン川とモーゼル川が合流するこの場所は、長いあいだ重要な戦略地だった。崖のほうへ歩いていくと、コブレンツの街とライン・モーゼルの合流地点を見渡すことができる。上から流れてきているのがモーゼルで、左から右に流れるのがライン。モーゼルのほうが川の水が濃く見えた。合流後はライン川になる。ちなみに、ライン川の向こう岸沿いを右へ走っていくと俺の家にたどり着きます。

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 街を見渡せる広場の隅にはユースホステルがある。景色は最高だけど、荷物を持ってここまで上ってくるのはかなりたいへんそうだった。ユースホステルの前では記念撮影が可能。友達のちっこいおっさんがどうしてもやりたいということで、しょうがなく一緒に撮影した。
 さすがに難攻不落の要塞とだけあって、俺たちだけでは厳しい戦いだった。

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2006年4月24日 (月)

MASAYA少年、ドイツを発つ

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<マサヤ、安楽コーチと>

 
ドイツでの約10日間のホームステイを終え、マサヤが日本に帰ることになった。ホームステイ中は、試合観戦、地元のクラブチームとのサッカーの練習、学校訪問、観光などといろいろなことをした。ホームステイ先のKleinmaischeid(クラインマイシャイト)ではサッカーや学校を通して友達ができ、いつでも戻ってこれる場所ができたと思う。そして、サッカーだけじゃなくて、それ以外にも日本とは違った体験をいろいろすることができてマサヤは成長したと思う。日本に着いた安楽コーチからも「マサヤが変わった、とみんなが言ってる」という報告をしてきてくれた。マサヤはもともとしっかりしている子だったけど、ドイツでも自分からどんどん行動していろんなことを感じとったと思う。
 次はいつになるかわからないけど、俺とマサヤと安楽コーチの3人でトライアングルの再結成が来る日を待つ。相手がドイツでもチェコでもスペインでもあろうとも。それまで安楽コーチもしっかり体を作っておいてください。ほんと頼みます。

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2006年4月18日 (火)

MASAYA少年、またまたドイツ学校訪問

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<Martin-Butzer学校の校章>

 ドイツにホームステイ中のマサヤ少年は、前回のネルソンマンデラ学校に続き今回はMartin-Butzer(マーティン・ブッツァー)学校に登校する。ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)で学び、そのあと成績や目的によって3つのコースに別れる。このマーティン・ブッツァー学校はGymnasium(ギムナジウム)にあたり、3つのコースのうちの進学コース。学校に入った瞬間、この前に訪れた学校とは全く違った感じがした。マサヤが言うには、「生徒たちが普通に手に本を持っている」とのことだった。本当のところはどうかわからないけど、「勉強してます」という感じをかもし出していた。担当の先生は、「生徒の質はいいし、外国人にもすごく慣れている」と言っていた。ちなみに安楽コーチは風邪のためこの日は不登校だった。

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<1つ上の数学の授業に参加>

 前回と同じく学校の説明を聞いた後、担当の先生と一緒に教室に行く。そのクラスは高校1年のクラスだったので、中学3年のマサヤにとっては1つ上の学年の授業になってしまった。しかも普通に数学の授業を受け、マサヤは、「まだ習っていないところなので全くわからない」と言っていた。俺にもプリントが配られ、一緒にサイン、コサイン、タンジェントを勉強した。先生の質問に対して生徒はどんどん答え、質問されなくても自分から積極的に発言していた。

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<体育の授業>

 ようやく得意の体育の授業と思いきや、サッカーではなくバレーだった。しかも、この日は先生が生徒の評価をつける日だった。先生が、「バレーはチームに2人でもできないやつがいるとバレーにならない」と言うように、このクラスのバレーも全くラリーが続いていなかった。生徒たちも見た感じ運動があんまり得意そうではなく、けっこうな確立で先生の罵声が体育館に響いていた。いいプレーは褒めていたけど。

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<先生の罵声が飛ぶ体育館の授業>

 次の授業に行くために、授業時間の長い体育のクラスを途中で抜けることになった。帰り際、先生とサッカーの話になり、「ドイツサッカーは今全然だめだ」と言っていた。「子供たちがテレビゲームなどで遊ぶようになり動けない子供が増えた」とも言っていた。更に、「ドイツは絶対ワールドカップで優勝できない」と嘆いていた。

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<マサヤも一安心のちびっ子クラス>

 ちびっ子クラスに行った時はちょうど地理の授業だったので質問タイムとなった。気候や学校のことからプライベートな質問までいろいろあった。「トーキョーホテルというバンドは好きか?」という質問は他のクラスでも聞かれた。ドイツで今人気のある子供たちのバンドらしい。

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<先生に合わせて演奏中の音楽の授業>

 
最後の時間には担当の先生と一緒にいろいろな教室をまわった。科学室から生物室、音楽室と学校の中をくまなく案内してくれた。教室を訪れるたびに自己紹介をすることになったけど、いろいろな授業を見ることができた。
 音楽室では弦が1本しかない楽器を使ってちょうど音の勉強をしていた。先生に合わせてみんなで音を出していたが、何人かの生徒はしっかり理解しておらず、ごまかして弾くふりをしていた。先生が怖かったのか、みんな一生懸命弾いていた。

 ということで、これでマサヤの学校訪問も終了した。どうやら、マサヤには最初に行ったのんびりとした学校のほうが気に入ったようだった。そして、安楽コーチは仮病だという噂もチラホラ出ていた。

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2006年4月16日 (日)

MASAYA少年、ドイツで学校訪問

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<ネルソンマンデラ学校の校章>

 マサヤ少年はドイツでのホームステイ中、地元の学校にも訪れた。まず最初に訪問した学校はNelson Mandera Realschule(ネルソンマンデラ・レアルシューレ)。南アフリカのネルソンマンデラ元大統領にちなんで名付けられたこの学校はユネスコプロジェクトに参加していて、国際的な考え方や活動に重点を置いた教育をしている。このような学校は世界126カ国に4000校以上あり、それぞれの学校がネットワークを結び国際交流を続けている。そして、このラインラントプファルツ州にもそのうちの8校が点在している。

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<ヴァーグナー先生の担当クラスの生徒たちと>

 
州によって多少違うらしいけど、ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)というところに通う。ここは日本で言う小学校に当たるところで、その後は成績や目的によってHauptschule(ハウプトゥシューレ)、Realschule(レアルシューレ)、Gymnasium(ギムナジウム)の3つのどれかに進んでいく。レアルシューレはこのうちの真中のレベルで、途中で中級卒業資格がとれば、専門上級学校やギムナジウムの高学年へと進むこともできるらしい。学校の説明を聞いたあと、ヴァーグナー先生担当の1時間目の社会のクラスへと移動した。ちょうど社会ということで、日本のことについていろいろと質問された。

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<教室での質問タイム>

 
いくつかのクラスへと参加させてもらって毎回質問タイムがあったけど、日本での学校の時間や塾のこと部活のことなどをマサヤが説明すると、ドイツの子供たちは「それはないよー」という感じで驚いていた。ドイツの学校は日本よりも少し早く始まって13時か14時くらいには終了する。でも、ドイツでも子供の学力低下は問題らしい。
 生徒たちは漢字に興味があるらしく、「名前はどう書くのか」、「俺の名前は漢字でどう書くのか?」などといった質問がよく出た。マサヤに付き添った安楽コーチも自分の名前を黒板に大きく書いた。 

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<アットホームな雰囲気の職員室>

 
休み時間は職員室で待機した。職員室には先生たちの自分専用の机はなく、適当なところに座ってみんな談笑していた。「日本の職員室とは違いすごくアットホーム」とマサヤが言っていた。更に、「職員室でものを食べている先生が多い」とも言っていた。
 職員室で休憩した後、体育館でのサッカーの授業に出た。この日は2クラスのサッカーの授業に参加して、高学年クラスの授業では俺とマサヤと安楽コーチが一緒のチームで生徒たちと試合をした。マサヤはもちろんのこと、安楽コーチも子供相手に容赦ない攻めを見せていた。「あたりまえや」と言っていた。

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<リフティングを披露するマサヤ>

 
下の学年のクラスのサッカーの授業では、先生に頼まれ、安楽コーチが1時間授業を担当することになった。子供たちはマサヤと一緒にみんな大はしゃぎでサッカーしていた。このクラスに限らず生徒たちはほとんど人懐っこく、他のクラスでも廊下でもマサヤは人気者だった。

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<幼稚園クラスの子供たち>

 この日学校を案内をしてくれたヴァーグナー先生は、「ドイツの教育システムは州ごとに違うので、州によって教育レベルが違う。そのことから大学入学資格が他の州では無効になったりしてもう最悪だ。さらにそのことを生徒や親が理解していない場合が多い。」などと嘆いていた。ただ、「この学校の国際的な活動に関しては誇りを持っていて、生徒たちも外国人に対してオープンだし、とてものびのびと暮らしている。」と言っていた。
 マサヤも、「みんな人当たりがいいし、授業もぴりぴりしてなくていい。でも、あんなにのんびりしていいのかと思った。」と言っていた。
 こうして学校での1日が終わった。マサヤはよっぽど学校が気に入ったらしく、ヴァーグナー先生に頼んで翌日も一人で学校に登校することになった。

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2006年3月28日 (火)

引っ越し ザールブリュッケン→コブレンツ

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<家の前を流れるライン川と犬の散歩をするオヤジ>

 2週間前、ザールブリュッケンからコブレンツへの引っ越しをはじめた。車で1時間半から2時間かかる。荷物を持ってきたのはいいけど片付ける時間もなく、いまだにものが散乱している。ようやく落ち着いてきたので、今週中には片付けたいところ。

 約3年半住んだザールブリュッケンの家は森のすぐ近くだったので、森ラン(森の中をランニング)などもでき静かなところだった。今回住むことになったコブレンツの家はライン川沿いにあり、川沿いの散歩道で川ランができる。5分も走ればドイチェスエックと呼ばれるライン川とモーゼル川の合流地点まで行くことができる。川と家の距離は40メートルくらいで間には芝生の公園があり、家からはライン河を通る船や対岸を走る列車、遠くのほうには崖の上にあり観光地にもなっているエーレンブライトシュタイン城塞が見える。まだ行ったことがないけど、エーレンブライトシュタイン城塞からはコブレンツの街を上から見渡せるらしい。家からの眺めはなかなかいいけど建物の1階に住んでいるので洪水がきたら一発でやられる。最初に着いた日は雪が解け始めたときだったので、雪解け水で水かさが増して川沿いの散歩道が水の中に沈んでいた。
 家の中を整理中、戸棚を開けたらメモが貼ってあり、そこには昔の洪水のときの水かさが記されていた。ふつうに俺の身長以上の高さだった。大家のおばちゃんが「あまり家具を持ち込まないで」と言っていたが、どうやら洪水の時にすぐに移動できるようにするためらしい。

 

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2006年3月 5日 (日)

アウェイでのボーリング対決 in ドイツ

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 ここザールブリュッケンにも数年前、フィットネスジムやボーリングなどで遊べる総合施設ができた。ドイツでは日本ほどボーリング場を見かけないけど、最近ではけっこうはやり始めてるようで、ここのボーリング場もいつもいっぱいの状態。この日もレーンが空くまで少し待たされた。

 ドイツにきて1年目、はじめて行ったボーリング場は、小さくて古いところだった。一緒にいたグループにはドイツ人もいたけど、そいつはあまりうまくなかった。他のレーンも見てみたけど、ほとんどのドイツ人が100以下のスコアだった。投げ方もうまそうに見えなかった。俺も時々しかボーリングに行かないし、めちゃくちゃうまいわけではないけど、ボーリングに関しては日本人のほうがドイツ人よりも全然うまいという感想だった。

 この意見は今でも変わっていない。ボーリング場が少ないし、まだまだそんなにボーリングが浸透していないということもあるけど、うまいドイツ人を見かけることはほとんどない。チームメイトなどに聞いても、ボーリングに行ったことがないというやつもけっこう多かった。そのかわり、ケーゲルというボーリングに似たものはやったことがあるらしい。球はボーリングよりも少し小さくてピンは9本。ケーゲルをやったことがあるならボーリングもうまいと思うけど、ケーゲル自体もそんなに流行ってるわけじゃないので、ボーリングで力を発揮するドイツ人はほとんど見かけない。

 この日、隣のレーンにはロシア人らしき集団がいた。ビールを飲みながら楽しそうにやっていた。俺たちが行くと、すでに球が台の上にいっぱいだった。多すぎてあふれ出て、フロアに球が落ちることもあったけどお構いなし。自分の球が帰ってくるもの待たずに、他の球を次から次へと投げまくっていた。あまりにもペースが速かったのか、球がつまって戻って来なくなることもあった。球を占領していたので、「使ってない球を貸してくれ」と他のレーンから来る人もいた。何ゲームか終わってこいつらは帰っていったけど、使った球は全部そのまま放置されていった。俺たちの必要な分だけ球を残し、台をすっきりさせる。こいつらだけでなく、ほとんどのドイツ人は球や他の人のことをあまり気にしてないので、いつもこんな感じ。投げるときも、隣のレーンの人のことなどお構いなし。ドイツでボーリングがまだまだ浸透してないことは、こんなことからも感じた。

 とまあ、いつものことなので俺たちは普通にボーリングを楽しむ。最初の一回目の後半から少しずつ感覚が出てきた。2回目は調子も良く、途中でターキー。4,5連続ストライクといっちゃうかなと思っていたところで、俺の球が消えた。隣のレーンのやつが使っていたので、そいつが投げるまで待つことに。待っていたら、そいつがボールを持ったまま電話し始める。更に、座席の上に球を置いたまま外に出て行ったので、そいつの友達に言って球を返してもらう。すっかりリズムが乱れ集中力もなくなっていたので、あえなく撃沈。
 ドイツでのボーリングは全くのアウェイなので、もっともっと精神的に強くならないといけない。
 
 

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2006年2月28日 (火)

ファッシングパーティー

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<バンドで盛り上がるパーティー会場>

 
カップ戦での敗戦後、チームメイトの何人かとそのままファッシング(謝肉祭)パーティーへと出かけた。この時期には、個人や集団でいろいろな変装をしてパーティーに参加する。パーティじゃなくても、店の店員や街を歩く人も変装している。俺たちは試合からそのまま来たので変装もしなかったけど、どこもかしこも変装だらけだった。
 出た時間がまだまだ時間が早かったのでライムスバッハの近くのバーで時間を潰す。しかし、そのバーもこれから開くところだった。無理言ってそこで時間を潰したあと、パーティー会場へと向かうと思いきや、飲んだくれのマルセルがまたまた違うバーに立ち寄りそこで時間を潰す。バーにいたサッカー関係のおっさんたちと絡み、俺は見事そこのおっさんのチームからオファーをもらった。 

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< 右から、アレックス、クリストフ、イェギー、トミー>

 ようやく会場に着いた頃には、チームメイトの飲んだくれのマルセルはすでに酔っ払っていた。来る途中で教えた日本語「まじでー」を連呼しながら会場に近づいていった。何回教えても3分後には忘れていて、教える度にところかまわず「まじでー、まじでー」と叫んでいた。
 会場にはたくさんのやつらが変装していて、天使、悪魔、ドラキュラ、農夫、ドクターからパンダ、スパイダーマン、クリンスマンまで何でもありだった。

Andreas_040_1  俺たちはいつものごとく、ビールスタンドの近くに陣取る。会場にすでにいたチームメイトも合流してみんなでわいわいしていた。マルセルは酔っ払って誰かまわず絡んでいた。更に、飲み会の大御所ショービーが何人かを引き連れてやってきてより騒がしくなった。試合後はへこんでいたショービーだけど、この時はすっかり上機嫌だった。
 その後、会場も盛り上がり始め、知らないやつらと乾杯や話をしていると、一緒に来たマルセルがいなくなっていた。俺のジャケットもやつのところに置いてあったのに先にばっくれやがったと思っていたら、酔っ払いすぎたため、ショーバーに強制送還させれられたらしい。仕方なく、しばらくしてからタクシーを拾って家に帰った。 


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2006年2月24日 (金)

ドイツCMデビュー

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<撮影前にメイクされる>

 
監督のウドの指令でデュッセルドルフに到着。撮影当日の朝、スタジアムのロッカールームに集合すると、一緒に撮影に参加する選手たちがすでに何人か来ていた。みんなと挨拶をし、昨日試着したユニフォームに着替える。順番にメイク係りのおばちゃんのところに行った。
 今回の撮影のシーンはチャンピオンズリーグの準決勝を想定されているらしく、世界各国の選手がプレーしているということで、俺が日本人選手役として参加した。更に、雨の多い時期の試合の後半を設定しているので、そんな感じのメークをされた。髪は少しぼさぼさにセットされ、汗の感じを出すために顔や手足にオイルを塗られてテカリ気味になった。顔にも汚れをつけられて、最後は霧吹きでシュッシュされまくった。

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<撮影に備えてみんなでアップをする>

 
デュッセルドルフのスタジアムは屋根がついていて雨の心配はなかったけど、動いていないとけっこう寒かった。撮影では実際に動くので、演技指導の監督・Uli(ウリ)のウォーミングアップで体を温めた。ウリは実際にサッカーの監督経験があり、日本でも1年間監督として働いていたらしい。ボール扱いもうまくて、撮影にも選手として一緒に加わった。アップの最後には、みんなでスライディングタックルを何本かして、ユニフォームを泥や芝生の跡で汚した。

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<撮影シーンのスタートポジション。俺は8番>

 アップが終わり、ウリから実際に行われるシーンについての説明が入る。赤チームの8人が攻撃して、金色チームの6人が守備についた。撮りたい絵は、フリーキックのリスタートからゴールするまでのシーンで、まずは通しで最初から最後までやってみた。
 パトリック(FW)からのショートパスをクリスチャン(FW)が落とす。その落しをパトリックが浮き球で左サイドのエディ(左MF)に展開。エディがドリブルで敵を抜きゴールラインまでえぐる。そこで切り返してファーポストの俺(右MF)にセンタリング。俺はジャンプヘッドでそのボールをルーベン(MF)に折り返し、それをルーベンが弾丸でシュートする。ゴールしたらみんなで喜ぶ、という感じだった。

 通しで何度かやった後、カット別に撮影した。今度は目線やら体の動きを強調しながらやらなければならなかったので、ボールに集中するのがたいへんだった。何度かやり直しをしたけど、どの選手も元プロやプロの2軍、ユースでプレーしているので、大きな問題もなくうまく進んでいった。

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<撮影終了後、コンゴ代表のエディと>

 夕方には無事にすべて終了。CMが流れるのはワールドカップ前らしいけどはっきりはわからない。撮影に参加したのは、ドイツ、ポーランド、ブラジル、トルコ、ポルトガル、コンゴ、日本など。撮影の合間に暇があればみんなでボールを蹴っていた。中でもエディとはよく練習した。エディはブンデスリーガ1部のケルンの2軍に所属しているけど、コンゴ代表としてこの前のアフリカ選手権に出場して得点もしたらしい。センタリングシュートの練習をしたときのやつのバネはやはりすごかった。
 ザールブリュッケンにもその日のうちに着いたけど、ヘディングのし過ぎで、翌日、額と頭皮が痛かった。

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2006年2月22日 (水)

デュッセルドルフ発上陸

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<ロケの行われるLTUアリーナで>

 監督のウドからの指令でデュッセルドルフに行くことになった。指令内容はCMの撮影。各国の選手がサッカーをしているシーンを撮るらしく、俺は日本人選手役として参加することになった。過去にも、チェコのプラハにいる時に侍として一度CMに出演したけど、その時は侍だか忍者だかよくわからない感じだった(詳しくはここで見て)。今回は前回と違い、いつもどおりサッカーをするだけなのでけっこう気楽だった。

 ザールブリュッケンから車で3時間かけてデュッセルドルフに初上陸。その後、待ち合わせ場所のLTUアリーナへ向かう。LTUアリーナはドイツ3部のFortuna Duesseldorf(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)のホームスタジアム。屋根付きでかなりきれいなところだった。Fortunaは過去ブンデスリーガ1部に所属していたチームで、俺のチェコ時代のチームメイト(シュタイナー・あだ名シュタイニー)もここでプレーしていた。しかし、こいつがいる間に1部から3部まで降格してしまった。一時は4部まで降格したがようやく3部に上がり、今では2部への昇格圏内に入っている。

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<ロッカールームで衣装合わせ>

 
この日は機材のテストやら衣装合わせやらで、撮影は行われなかった。ロッカールームに行き、ユニフォーム、スパイク、すねあてなどのサイズを確かめた。用意されたものは全部アディダス製品。俺の足はアディダスの型に合っていないらしく、今までアディダスのスパイクを履いてプレーしたことはない。今回がアディダスのスパイク初体験となる。
 衣装合わせ終了後、スタッフにホテルまで送ってもらう。支度をして街に出るが、調子に乗って薄着で出たのでとても寒かった。気温は0℃近くで雨も降っていたので、早々に切り上げ、次の日に備えてふて寝した。

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2006年2月20日 (月)

ライムズバッハの仮装パーティ

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<パーティー前にチームメイトと飲み始める>

 土曜は午前に練習、午後に試合があり、その後Reimsbach(ライムズバッハ)主催のFaschingparty(ファッシングパーティー・謝肉祭パーティー)へと突入していった。試合が終わったあと、パーティーが始まるまでクラブハウスでチームメイトとゲームをしながら飲み始めた。やつらにとっては何のパーティーかは関係なく、毎回そこで飲んで騒いで楽しむ。

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<変装するテレーゼ(左)と会長のエドガー(右)>

 このキリスト教の謝肉祭は、人や地域によってFasching(ファッシング)またはFastnacht(ファストナハト)またはKarneval(カーネバル)と呼ばれる。個人やグループで打ち合わせして同じ変装をして、パーティーを開いたり街を練り歩く。時間になると、クラブハウスにも変装した人たちが現れ始めた。

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<2軍監督のミヒャエル(右)たち>

 DJが古いドイツ語の音楽をかけ始めると、変装したおっさんやおばさんたちが踊り始めた。前回のクリスマスパーティーのごとくマイクを持ってカラオケを歌い始めるやつが出始めた。

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自分の世界に入って熱唱するチーム関係のオヤジ。
もちろん誰も聞いていない。

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更に暴走し、いすの上で三点倒立を試みるチーム関係者のオヤジ。
もちろん誰も見ていない。

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<調子に乗りケースに入ったビンを全部割る若者>

 そのままパーティーは続き、みんな飲んだり踊ったりはしゃいだ。俺はクラブハウスの近くの2軍監督・ミヒャエルの家に行き一泊させてもらう。次の日の朝、クラブハウスの掃除を少し手伝い、昼すぎに無事にザールブリュッケンに到着。飲みすぎたので、ランニングをして汗を流した。

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2006年2月18日 (土)

柔道クラブ Wemmetsweiler

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<ドイツの柔道仲間>

 ほんとに時々だけど、時間があるとドイツでも柔道をやる。俺の行っている柔道クラブは、ザールラント州のWemmetsweiler(ヴェンメツヴァイラー)という街にあり、クラブ名もヴェンメツヴァイラー。日本好きのドイツ人の友達がそこで柔道をやっているので、俺もそこに遊びにいったのがきっかけ。去年、練習もロクに出ていないのに選手登録をさせられ、団体戦の大会に出場し、ドイツでの柔道デビューを果たした。

 ドイツには部活がないので、サッカーでも柔道でも陸上でもクラブに所属することになる。そのクラブの所属の下で、リーグに参加したりトーナメントに参加したりすることになる。ドイツのサッカーリーグは日本でもブンデスリーガとして知られているけど、他のスポーツでも一番上のリーグはブンデスリーガと呼ばれている。卓球のブンデスリーガ、ハンドボールのブンデスリーガ、そして、もちろん柔道にもブンデスリーガは存在する。

 俺の所属するヴェンメツヴァイラーは、Bundesliga(ブンデスリーガ)、Regionalliga(レギオナルリーガ)に続く3番目のOberliga(オーバーリーガ)に所属している。団体戦はこのリーグで戦い、個人戦ではBundesligaに所属している選手もいる。
 練習はというと、日本の練習に比べればのんびりと平和に続く。いろいろなレベルの人や年齢の人が参加していて、疲れたらすぐに休憩になる。中には柔道一筋のドイツ人柔道家もいるけど、全体的には武道というよりも完全にスポーツとして浸透している。

 過去に何度か柔道の試合には召集されたけど、サッカーの試合があったので今まで一度しか柔道の大会には出ていない。そんなこともあり、まだ2月なのに監督から11月の大会の日程を知らされた。それまでにしっかり減量しとくように言われた。
 

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2006年2月12日 (日)

多国籍カフェ

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<左からチャド、トルコ、ドイツ、フランス、日本>

 語学学校で知り合いになった先生のところでパーティーがよく行われる。俺は日程が合わず、この先生の授業には5回くらいしか出ていないけど、たまにみんなで集まってイベントをやっている。クリスマスパーティーと仮装パーティーには参加できなかったけど、この日のカフェには参加できた。
 メンバーは、先生とその生徒や昔の生徒。この日は、日本、ドイツ、フランス、トルコ、ポーランド、クロアチア、チャド、ブラジル、アルゼンチン。

 授業中でもそうだけど、やつらは日本のことをよく聞いてくる。話を聞いていると、日本、中国、韓国の区別がついていないやつが多い。同じ言語を話していると思っているやつもいるし、ブルースリーやジャッキーチェンが日本人だと思っているやつも少なくない。あとは、寿司の話や日本とそれぞれの国との違いなど話題はいろいろ。
 よく言われてその通りだと思うのは、「日本は閉鎖的だ」とか「日本人の生徒は一人で飲み会などにほとんど顔を出さない」など。面白いと思った質問は、「日本にはNo(いいえ)と言う言葉はないのか?」。日本人はなかなかはっきり「No」と言わないからなのかもしれないけど、「そんなことはねーよ。」と答えた。

 最近は組み合わせも決まったので、ワールドカップの話も出てくる。同じグループで戦うブラジル、クロアチアと話していると横からフランスが口を挟んでくる。
 フランス大会で日本はクロアチアに1-0で負けたせいか、クロアチアは「日本はクロアチアに負けて予選通過できない。」とはりきっていた。だけど、次に会ったときは「この前はごめんなさい。実はクロアチアもそんなに強くないよ。」と謝られた。
 確かに、当時のフランス大会で3位になった時の主力メンバー、ボバン、プロシネツキ、スーケル、ヤルニなどと比べると今回は落ちている。けど、最後には「やっぱりミルコは強いね」ということで話はまとまった。

 

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2005年12月25日 (日)

ドイツのクリスマス2005

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<広場で飛行中のサンタ>

 1ヶ月間続いたクリスマスが終わった。ここザールブリュッケンでもクリスマスツリーなどで街が飾られて、小さいけどクリスマスマーケットが登場していた。広場ではたまにサンタクロースがワイヤーで吊るされて飛んで来るセレモニーが行われていた。広場のそばのマクドナルドの横にはしごがあって、そこからサンタクロースが昇り降りしていたので、セレモニーの前後に多くの通行人に目撃されていた。

 23日の夜に旧市街広場のクリスマスマーケットに行ったら、トラックがたくさん横付けされていて、店が全部解体されているところだった。立ちながら飲んでいる人はいたけど、売り物は全部片付けられていた。
 24日の午後早くから25,26日とクリスマス休みで店が全部閉まってしまうため、24日の昼前に買出しに出かけたら、たくさんの人が広場で集会っぽいことをやっていた。

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<雪だるまのゴミ箱>

 ドイツ人たちはクリスマスを家族と家で静かに過ごす。なので、日本のように外に出かけることができない。店が全部閉まっている。24日の夜、チームの監督とチームメイトに家に来るようにせっかく誘われたけど、他でパーティーすることになっていたので断ってしまった。
 25日の朝は協会に行くみたいだけど、チームメイトに聞いたら、「朝から広場に集まってみんなで酔っ払う」と言っていた。チームの飲み会のエース・Muecke(ミュッケ)から連絡があったけど、この日はフランクフルト空港に行く用事があったため参加できず。
 
 フランクフルトからは、友達のアキラが2年半滞在していたドイツを後にすることになっていた。チェックインが終わってから3分後、搭乗券をなくしたことに気づきあちこち探すが、どこを探しても見つからず。結局、再発行してもらいなんとかゲートへと送り込んだ。今頃、飛行機の中だと思うけど、無事日本に着くことを祈る。

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2005年12月20日 (火)

クリスマスパーティー in Reimsbach

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<盛り上がる若者コーナー、酔っ払うカーステン(一番奥)>

 毎年恒例の1F.C.Reimsbach(ライムスバッハ)のクリスマスパーティーが開催された。クラブハウスにはチーム関係者や選手が大勢集まった。俺は用事があって遅れていったが、会場はまだまだ盛り上がり始める前だった。
 テーブルのほうには、会長や監督など年配組みが綺麗な服装をして座っていた。一方、反対側のバーのほうでは選手を含めた若者たちが、ここぞとばかりにタダ酒を飲んでいた。あいだに、お疲れの意味をこめて、チームに関係した人たちに花束などの贈呈があった。俺は、クリスマスプレゼントとして新しいチームジャージをもらった。

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<踊るチーム役員夫妻>

 しばらくして、DJがダンスミュージックを流し始めた。初めのほうは年配用に古いカントリー調の音楽が流れていたので若者がブーブー言っていたけど、ヒップホップがかかり始め若者もノリ始めた。年齢層が幅広かったからDJもたいへんだった。
 しまいには、いつも試合前に会場で選手紹介をしているオヤジが登場し、曲名やDJの名前をマイクで連呼し始めた。これが以外にいい声で場を盛り上げた。

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<マイクを持ち暴走する2軍監督Michael>

 司会進行はチームの2軍監督Michael(ミヒャエル)が担当していた。チーム関係者の紹介や花束贈呈などを盛り上げつつこなしていた。そして、音楽がかかり始めたあたりからMichaelも積極的にダンスに参加していた。更に、DJがドイツ語のカラオケの曲を流したところで、Michaelの一人舞台が始まった。客をあおりつつ、自分の世界に入っていった。

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<ノリにノッているMichael>

 その後、女同士の乱闘騒ぎなどもあったけど、無事次の日の朝に終了した。俺も含め、何人かの選手は、次の日の室内サッカートーナメントに参加した。

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2005年12月13日 (火)

独日協会クリスマスパーティー2005

 毎年この時期になると、ここザールブリュッケンでは独日協会クリスマスパーティーなるものが開催される。俺は去年・一昨年と参加できなかったけど過去2回参加している。参加しているのは、日本人留学生・サッカー選手・音楽家などなど。他にも、ドイツ人の関係者やザールブリュッケンの偉い人たちも参加してると思う。うちのチームの監督Udo(ウド)と奥さんのMarene(マリーネ)、JALで働いているドイツ人、ザールラント選抜チームの監督などもいた。

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<次のご馳走を待つ友達のアキラ>

 で、何をするかというと、まず初めに寿司が出てくる。それを食べながら、何かを飲みながら、席を立っていろんな人と話をする。しばらくすると、みんな席について正式に会が始まる。でも、俺はこの寿司をまだ食べたことはない。なぜなら、これまで時間内に会場にたどり着いたことがないから。寿司は人気で、いつもすぐに無くなっている。

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<琴の演奏を聴いてる>

 今回のオープニングは琴の演奏だった。食事が用意されて、その間にピアノやフルート、歌などが続いた。途中に何回かクリスマス関係の小話が入るけど、これがまた長い。司会者もノッテきてなかなかマイクを離さない。

 自己紹介コーナーでは、招待された日本人の学生やサッカー関係の人が前に出て1人ずつ質問される。もう最後のほうはみんな聞いてなかったと思うけど。最後は賞品をかけての抽選会。賞品は、キューバ旅行からカーペットや関係者の描いた絵まで様々。俺は当たった事はまだない。

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2005年12月 7日 (水)

利府高校、ザールブリュッケンにやってくる

 一昨日から、宮城県の利府高校がドイツに来ている。来ているのはスポーツクラスの生徒達で80人ほどいるらしい。昨日は、ザールブリュッケンの大学やスポーツシューレを訪れて、各スポーツごとに地元の人たちとの交流を行った。

 1週間前あたりからこの話を聞いていたけど、どこの生徒が何人来るのかは全く聞かされていなかった。ただ、監督のUdo(ウド)に「日本から高校生が来るから指導しろ」と言われただけ。
 ウドは10年ほど前に、宮城県のサッカー協会との関係で、宮城に3ヶ月ほど滞在したらしい。それからちょくちょく日本とドイツを行き来しているので、たまに日本からのサッカーチームとドイツで接する機会がある。俺は大体その場に連れて行かれる。
 
 ということで、俺は24人のサッカー部員を指導することになった。用意されたものはボール7個、ビブス10枚、マーカー。アシスタントとして、ウドの息子ダニエルがついた。ダニエルは現在、大学でスポーツを専攻している。
 練習では監督のアドリブ能力も必要とされる。選手の能力、人数、道具、天候や季節を考えて臨機応変に練習メニューを考えないといけない(ライセンス講習で習った)。長旅で疲れていて、しかも、一回きりの練習なので、ドイツやチェコで実際に行ってきた練習を紹介しつつ、ゲームを取り入れて楽しくやっていくことにした。

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<利府高校サッカー部員と>

 ウォームアップのメニューは、選手たちには少し物足りなかったかもしれない。でも、レクレーション的な単純なものだったけど、かなりのイージーミスが見られたと思う。それをわかってもらうために、次は一見単純に見える4人組のパス練習をした。まずは何も言わずに様子をみていたけど、足が止まっていたり、ファーストタッチが雑だったり、パスがずれていたりする選手が見られた。
 単純に見える練習でも、いくらでも改善する点はあると思う。次のプレーを考える事、数センチ単位でのトラップ、パスの強度や質は、プロになっても改善の余地はあると思う。

 ただ、利府高校の選手たちは、1回の指示でだいぶミスが減った。監督不在でも、練習の間、統率が取れていてとても指導しやすかった。このチームならもっと伸ばせるところはあるし教えがいもあると思った。
 
 利府高校サッカー部は、宮城県代表として全国高校サッカー選手権に初出場する。一回戦は12月31日、14:10から等々力競技場で。対戦相手は四日市中央工業。応援よろしく。

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2005年11月25日 (金)

ザールブリュッケン着

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<出発前空港にて、タッグパートナーのモリクンと>

 日本からザールブリュッケンに再び戻るということで、出発の2日前に静岡から東京に向かった。東京ではタッグパートナーのモリクン(もっさん、もり、さき)のところでまたまた世話になった。モリクンのボスの陽子さんのアトリエで開かれたワイン教室にも参加させてもらった。

 東京滞在中には、いろいろな作戦会議をし、昔のドイツ仲間何人かで集まることもできた。2年ぶり以上に会うやつもいたけど、昔の事やこれからの事を話して、久しぶりにみんなで騒ぐことができた。近いうちにまた会うだろうし、一緒に何か作戦を実行できれば良いということで一致した。

 出発当日はモリクンが空港まで送ってくれた。レストランで話していたら出発時間ぎりぎりになってしまったけど、出発ゲートの前で得意の記念撮影をしてフランクフルトに向かった。

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<今朝のシュンさんちの前の様子>

 フランクフルトが近づいてくると、「小雪が舞っている」という現地情報がアナウンスされた。ドイツで今年初めての本格的な雪らしかったけど、短時間で結構な量が降りやがった。東京を出るときは空も晴れていてTシャツにジャケット一枚だったので、この気候ではなかなか寒かった。
 天気はこんな雪だったけど、フランクフルト空港にはドイツでいつも世話になっているシュンさんが迎えに来てくれた。到着した日はシュンさんのところに泊めてもらい、今日の昼前にシュンさんとともにザールブリュッケンたどり着いた。
 到着後は、監督のウドを含めた大勢で昼飯を食べに出かけた。イタリアンをみんなでたらふく食べたあと解散して、シュンさんも遠い道のりを車で帰っていった。

 Reimsbachは明日、アウェイで大事な試合があるので、俺は体をほぐすために今日は軽くランニングした。道の脇には雪がまだ残っていて寒かったが、ロッキー4のドラゴ戦前の雪山でのトレーニング風景を連想しながら走ることができた。
 そして、明日は特別に試合前の午前中に練習がある。軽く体を動かして、みんなで昼食をとって、士気を高めてから試合に望むことになっている。ロッキー4の敵地でのドラゴ戦のようにいい結果につながればいいと思う。

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2005年11月 5日 (土)

サンタ来襲

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<身長150cmくらいの踊って歌うサンタクロース>

 最近、街にクリスマス商品が並ぶようになってきた。広場や街にはまだクリスマスマーケットは出ていないけど、デパートにはクリスマスコーナーが設けられている。ザールブリュッケンは小さいけど、もう少しすればもっとクリスマスモードに突入していく。

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<デパートのクリスマスコーナー>

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2005年10月29日 (土)

武士道を読んで 侍のイメージ編

 1年半くらい前、俺がまだチェコにいた頃、CMとポスターに出ることになった。しかも、ピンで。ちょうどユーロ2004(サッカー・ヨーロッパ選手権)が開催されて、そのためのCMだった。このCMは、東欧10カ国で流れていたらしい(大会中はドイツにいたのでCMをライブで見てない)。

 撮影は半日ずつかけて2日で終わったけど、その前に2週間くらいかけて、剣道とワイヤーアクションの練習をさせられた。剣道では手の皮がむけまくり、ワイヤーアクションではワイヤーに吊るされまくって腰がすりむけた。面白かったけど。
 設定では侍だったが、侍なのか忍者なのかよくわからない格好をした。メイクもしたけどこれが気持ち悪く、しかも、モデルにしたのが歌舞伎だった。撮影のカットはどうやら「Kill Bill」からパクっているような気がした。

こんな感じ。→CMが貼り付けてあるページ

 侍に関する映画をいろいろ見ていると思われるCM撮影の監督(チェコ人)でも、忍者?侍?みたいな感じになっている。逆に、海外で流れているバッタもんの侍を見すぎて、イメージがごちゃ混ぜになってるのかもしれない。
 とにかく日本的な絵を撮りたかったらしく、撮影には盆栽や寿司までわざわざ用意された。この寿司は撮影前にこっそりつまみ食いしたけど。

 日本的なものへの外国人の偏見や勘違いはいろいろあるけど、海外でみられる侍は、「なんとなくこんな感じだろ?」というノリで作ったと思うようなものが多い。しかも、日本なのか中国なのか韓国なのか。それはそれで面白いときもあるけど。
 実際に「ジャッキーチェンは日本人なのか?」とけっこう多くの外国人に質問された。(ジャッキーの映画はドイツでよく流れてる、サモハンも。ドイツ人は、ジャッキー・シャンって呼んでるけど)
 そして、「違う」と言っても、「でも、ブルース・リーとジェット・リーは日本人だろ?」と突っ込んでくる。中国と韓国と日本では、一緒の言葉を話していると思っているやつもいる。

 こんな勘違いもあるけど、ヨーロッパにも侍に似た騎士がいた。「武士道」の中では、武士(侍)に対して何度か騎士を引き合いに出していた。でも、武士と騎士の響きは全く違う。それは、武士は宗教の大きな影響よりも、成文法ではない道徳的な掟「武士道」によって、全く独自の形をしているから、だと。

 そんな武士道もその制度は滅びているし侍もいない。今から約100年前、「武士道」の中で、「武士道はすでに滅びつつあるが、完全には消え去りはしない」と書かれていた。「鳥のくちばしや、魚のヒレがすぐに無くならないように、武士道の700年の蓄積されたエネルギーは急には止まらない」とも。
 映画などにも取り上げられて、ファッションとしての影響もあるけど、「最も進んだ思想を持つ日本人であっても、一皮むけばそこに侍が現れる」と新渡戸氏は言っている。多かれ少なかれ、武士道精神・侍魂がどこかで伝わっている。

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2005年10月27日 (木)

武士道を読んで 微笑み編

 もう3年くらい前になるけど、ここSaarbruecken(ザールブリュッケン)に日本人サッカー選手が何人かいるということで新聞の取材がきた。新聞には、俺たちの割と大きめなカラー写真と「サッカー選手・微笑みの国から」みたいな題で記事が掲載されていた。「微笑みの国から」というタイトルを見て「なめてんのか?」とも少し思ったけど、なかなか鋭いとこをつくとも思った。

 と昔のことを掘り出したけど、ちょうど新渡戸稲造氏の「武士道」を読んだところで、しかも、今日このこと(微笑み)に関係したことをドイツ人の理学療法士の1人に質問されたのでこういう展開になった。

 新渡戸稲造、1862年、盛岡生まれ。農政学者、教育者としても知られる。札幌農学校在学中にキリスト教徒となる。1884年、東京大学を退学し渡米。1887年、ドイツのボン大学などに留学。1891年、メリー・エキルトンと結婚。
 1899年、アメリカで静養中、「武士道」を英語で執筆出版。校長、学長などを歴任した後、1920年に国際連盟事務次長となる。1926年まで国連平和に尽くし、「ジュネーブの星」と謳われた。
 1933年、カナダのバンフでの太平洋会議に出席、発病し、死去。

 新渡戸氏は老教授との散歩中、宗教の話になった。
「日本の学校では宗教教育が行われていない?宗教がなくてどうやって道徳教育ができるのか?」と言われてその時どう答えていいかわからなかったらしい。その後、いろいろ考えてみた結果、自分の善悪の判断が武士道であることにたどり着いたらしい。
 出版の直接のきっかけは、奥さんが外国人ということもあって、日本のことについていろいろと質問してきたことらしい。しかし、それを説明するには、封建制度や武士道をまず理解してもらわないといけない。ということで、それらの話や答えたものを整理したものが「武士道」となった。

 新聞の「微笑みの国」というのはどこから来たのか?ワールドカップ・フランス大会でラモスがキレテいたけど、フォワードの城がミスをしているのに笑っていたからか?見知らぬ人にでも笑顔を見せるからか? 

 まず、城がミスして笑っていた場合(城ばっかり言われてかわいそうだけど)。「武士道」の中で「武士が感情を顔に表すのは男らしくない」、「喜怒を色に現わさず」とあったけど、そこから説明がつくと思う。
 俺もあると思うけど、ミスをして笑う、苦笑いをする場合は、もちろんうれしいわけでもなく、ミスをしてあせる自分を他人に見せたくないから。動揺する自分を隠すために笑っていると思う。(もちろん、本当に楽しい笑いとか、負け犬の笑いもあるとは思うけど。)
 ヨーロッパ人はミスをした時、吼える、逆ギレといった場合が多い。その意味は気持ちの切り替え、ストレス発散、責任転嫁などいろいろあると思う。

 これはミスだけじゃなくて、例えば、怪我をした時、痛いけど痛がっている自分や痛みに耐える自分を見せたくないから笑顔でごまかすということもそうだと思う。
 でも、これが外国人に誤解される場面を見たことがある。俺の日本人の友達(バシタカ)だが、試合中に結構ひどく負傷したので監督に交代を申し出た。しかし、このやせ我慢の笑顔が出ていたため、監督には「痛いのに何で笑ってんだ?」、「笑ってるくらいならまだできるだろう」と解釈されてその後しばらくプレーしていた。

 2つ目の見知らぬ人にも笑顔を見せる場合。今日、理学療法士に質問されたこと。これは別に日本人じゃなくてもやると思うけど、時には外国人にとっては必要以上の笑顔にうつって、その裏に何か意味があるのかと不思議・不安になると思う。
 このことは、武士道の「礼儀」から言えると思った。礼儀は「他人の感情を察する同情的な思いやりが外に表れたもの」、礼が要求するものは「悲しむものとともに悲しみ、喜ぶものとともに喜ぶこと」とあった。
 だから、この場合の笑みは初対面の相手が不安がらないように気遣って、「俺たちはフレンドリーだ」、「敵じゃねーぞ」とアピールしている部分があると思う。プラス、自分自身が緊張していて、その緊張を隠すための1つ目の笑みの場合もあるかもしれないけど。でも、時として、外国人にはこれが裏目に出て、その気遣いの笑みがヘンに理解される可能性もある。

 笑みは、武士道の中では付属的なところだったけど、普段の生活でもサッカーの中でも、日本人らしい特徴のひとつだと思った。

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2005年10月18日 (火)

とんがりキャベツ Spitzkohl

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最近、写真のこいつをスーパーでよく見かけるようになった。
名はSpitzkohl(シュピッツコール)。Spitze(シュピッツェ)とは「とがった先っぽ」とか「先端」とか言う意味。そして、Kohl(コール)とはキャベツのこと。
こいつはいつもキャベツの隣に置かれている。今日はこの「とんがりキャベツ」を買ってみた。

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半分にぶった切ってみるとこんな感じ。

味はキャベツ。甘みもある。
とんがった部分をつかめば持ち運びにも便利。
これからはとんがってけ。

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2005年10月 9日 (日)

ドイツで柔道デビュー

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<ドイツの柔道仲間たち>

 昨日は、ドイツで初めて柔道の大会に出場した。今まではサッカー選手として体調管理しなければならなかったので柔道をする暇がほとんどなかったけど(今でも選手として最低限の準備はしてるけど)、選手からコーチにメインを切り替えたので柔道をする余裕も少しできた。

 まず、最初の敵は計量だった。2キロくらいだったらすぐに落とせる範囲だけど、前日に体重を量ったら500グラムオーバーしてた。家に体重計がないので、念を入れて、試合当日は朝からチョコレートと紅茶を1杯だけしかとらなかった。試合が午後だったのですごく腹が減った。会場についてからすぐに計量してみたら、リミットの73キロに1キロも余裕があった。とりあえず試合に出れることになった。

 会場は小さな体育館で試合場が2つ用意されていた。畳が一列分取り除かれていて、日本の時よりも一回り小さい試合場だった。
 この大会は団体戦で、体重別に5人が戦う。81キロ以下級、90キロ以下級、65キロ以下級、73キロ以下級、90キロ超級という順番だった。この日は4試合あった。

 1試合目は73キロ以下級に出た。俺は二段だから本当は黒帯をつけて出る予定だったけど、監督が「いきなり得体の知れない日本人が出たら文句をつけられるかもしれないから、新入りと言うことで黄帯をつけて出ろ。」と言われた。
 デビュー戦の相手は黒帯の選手だった。が、始まって組んで内股で秒殺した。俺は黄帯で出ていて、相手はいきなり内股をかまされてびっくりしていた。審判も周りの観客もびっくりして笑っていた。この団体戦は3対2で勝利した。

 2試合目の相手は順位が上に決まっているチームだった。接戦している他のチームに勝たなければならないということで、俺はこの試合は休憩だった。チームとしてもこの試合は不戦敗になり次の試合に備えた。

 3試合目は81キロ以下級で先鋒として戦った。1試合目で使った内股が警戒されて、しかも、相手がひとつ重い階級の選手だったので少してこずった。何回か「マテ」がかかった後、「足を動かせ」と監督に言われたので少し動いて相手を揺さぶった。いいところを持って足技を仕掛けた後、連絡技で内股を仕掛けた。これが綺麗に相手を浮かせて一本で勝つことができた。この団体戦も3対2で勝つことができた。

 最後となる4試合目は、また73キロ以下級で出ることになった。最初の二人が負けて、3人目となる監督の息子Hanu(ハヌゥ)が一本で勝った。チームが勝つためには俺は絶対に勝たなければならない。
 少し組んだ瞬間そんなに強くないと思ったが、それは俺がしっかり練習しているという前提でだった。相手チームは、俺が2試合とも内股で一本勝ちしていたのを知っていた。相手選手はすごく警戒してきてほとんど組まずに背負いなどを仕掛けてきた。
 練習不足からかなかなかいいところを持たせてもらえず、相手のペースで進んでいった。途中、思い切って突っ込んでいったところを背負いで有効かなんかを取られた。こっちも惜しい技が何回かあったが、しっかりと組めていなかったので決めきれなかった。
 残り1分をきったあたりで、相手の疲れも見え始めた。そして、リードを守ろうと逃げ腰になっていた。やっといいところを持てたところで思い切り内股をかけたらこれがまた決まり、逆転の一本で勝つことができた。自分で苦んで、試合を盛り上げて、最後に勝ったという感じだった。
 ここまでで2対2のスコアになったが、最後の砦のAxel(アクセル)がまさかの敗北で、チームは3対2で負けてしまった。

 チーム的には2勝2敗とまずまずだったらしい。俺は3試合一本勝ちで、なんとか日本人助っ人としての面目を保つことができた。監督は「いい自己紹介ができたな」と言っていた。最後の試合が終わった時、「Gut gekaempft!(グートゥ ゲケンプフトゥ)=よく戦った!」と子供が言ってくれた。久しぶりの試合でだいぶ疲れたけど、ドイツに来てからサッカーばかりやっていたので良い気分転換になった。次回の大会にも召集されたけど、サッカーの日程を見てみないとわからない。

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2005年10月 7日 (金)

減量中

 先週、ここドイツでたまに遊びに行っている柔道クラブから連絡があり、大会(団体戦)に出てくれと言われた。と言っても、サッカーの仕事のほうを優先させなきゃならないので、まだ稽古には3回くらいしか顔を出していない。

 この柔道クラブに初めて顔を出したのは確か去年だったと思う。ドイツ人の友達がこのクラブに所属していたので連れていってもらった。
 最初の寝技の乱取りでいきなり監督がやろうと言ってきた。「これは負けられねー」と思って最初から飛ばしていった。もう4年くらいまともに柔道をしてなかったので、腕もすぐにパンパンになったし指の皮も剥がれて血が出た。でも、なんとか気合いで2回「まいった」させることができた。その後の立ち技の乱取りでもなんとか勝つことができて日本人の面目を保った。
 俺の師匠が言っていた。「負けてよくやったなんて言うのは日本だけだ。海外では勝者は美しく、敗者は負け犬だ。惨めなジャップだ。」と。

 先週の柔道の試合は、サッカーの試合と重なったため出ることはできなかったが、今週はサッカーとかぶらないので明日の柔道の試合に出ることになった。
 練習無しでいきなり試合はまずいと思ったから、火曜日に一度柔道の稽古をしてきた。長いあいだ柔道をしていなかったので、また腕がパンパンになり指の皮がめくれた。しかも、73キロ以下級に出てくれって言われたので、火曜日から2キロほど減量中。力石やジョーに比べたらたいした減量じゃないので、このまま行けば明日はちょうど73キロくらいになってると思う。もしだめでも、少し走ればすぐに調整できる範囲だと思う。
 
 今日はランニングしてイメージトレーニングをした。少しでも勘が戻って、明日の大会でいい動きができればいいと思う。

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2005年8月29日 (月)

ハウル、ドイツ来襲

 ドイツでもやっと「ハウルの動く城」が映画館で上映され、友達と昨日観に行ってきた。原作はイギリス人の書いた「Hawl's moving castle」って言うらしいけど、ドイツでのタイトルは単純に「Das wandelnde Schloss(歩く城)」。

 ドイツ人は、映画館でもDVDでもほとんど吹き替えで映画を見るけど、ドイツ語の吹き替えはたまにむかつく時がある。今回の吹き替えは日本バージョンの声に似ていてそんなに違和感はなかった。でも、上映されたばかりなのに観客は少なかった。

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2005年8月11日 (木)

アレン来襲 in Saarbruecken

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<アレンとカフェバーで>

今、チェコから友達のアレンがザールブリュッケンに遊びに来ている。今回で3回目。アレンとは、チェコのプラハで知り合った。俺がボヘミアンズ・プラハで試合をしている時、アレンが試合を観にきていて、それからよく遊ぶようになった。

アレンにはプラハでいろいろな場所や人を紹介してもらった。相方のリーモーも含めて、よく3人で一緒に街に繰り出した。当時、アレンはプラハで働いていたけど、今は仕事の関係でPilsen(ピルゼン)にいる。

アレンはサッカーがすごく好きで、試合もいろいろ観てるし、いつもテレビで試合があると真剣に見る。オランダ、フランス、ベルギーにもいたからヨーロッパのサッカーにもすごく詳しい。アレン自身もヨーロッパ各地でのサッカー経験があったから、プラハで何回か一緒にサッカーをしたことがある。そのプレースタイルはファンバステンを彷彿させ、子供相手でも容赦はしない。

今、ザールブリュッケンに来てるけど、一緒に俺の所属するライムズバッハの練習にも参加している。練習でも勝負に対するこだわりはとても強い。あの真剣さにライムスバッハの選手一同も度肝を抜いていた。このアレンの勢いも加わって、このまま次の試合も勝つ!

アレン、また遊びに来て。

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2005年6月21日 (火)

ハイデルベルク城で結婚式

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<ハイデルベルクの城で、ジョウとミナと>


 友達のジョウと奥さんのミナが、ハイデルベルクで結婚式をやるために日本からやってきた。ジョウとは昔ドイツで一時期いっしょにサッカーをした。会うのは一年半ぶりくらいだった。

 まずはホテルからロールスロイスに乗って城に向かった。それから、城の教会の中で式を挙げた。式では、神父が聖書の中からいくつかの言葉を引用した。そのあと、神父みずから、パイプオルガンに合わせてトランペットを吹いた。気が向いたときにいつも吹くのだと言っていた。

 式も無事終わり、乾杯をして、城のいくつかの場所で記念写真を撮った。観光客も周りにたくさんいたので、2人を見るとみんな祝福していた。観光客の人は、俺がジョウの兄弟だと思っていた。カメラマンも俺のことを「ブラザー」と言っていた。

Herzlichen Glueckwunsch und alles gute!

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2005年6月15日 (水)

リュウよ永遠(とわ)に!

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<リュウとエストニアのビーチにて>

 とうとう友達のKleiner(クライナー)が日本に帰った。またの名をリュウ。Kleinerとは愛称で、直訳すると「ちいさいの」、「ちっこいやつ」。ドイツ人がよく愛称でそう呼んでいた。しかし、奴は強靭なふくらはぎを持っていた。奴のサッカーソックスは、いつもはちきれんばかりにパンパンだった。

 先週は、Kleinerも含めた3人で、フィンランド・エストニア・ベルリンの旅に出かけた。去年も同じメンツで旅行に出かけた。同じアパートの隣に住んでいたので、よく一緒にいた。
 稲中のキャラクターでは、田中や田原俊彦、岸本のばあさんが好きだと言っていた。そんなKleinerも、今では日本でがんばっているだろう。口癖になりかけてる茶魔語はあんまり使うなよ!

リュウよ、お前もまさしく強敵(とも)だった。

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2005年6月 4日 (土)

Oliの誕生日

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<昔のチームメイト・Oli(オリ)と>

 昔のチームメイト・Oliとたまたまグランドで会った。話をしたら、ちょうどこの日が誕生日だったので、少しだけ家に寄った。Oliは、バーの上に住んでいるので、よくそこのバーに行ってOliの所に泊まらせてもらった。

 Oliとは昔1シーズン一緒にプレーをした。チームの中でも一番仲がよかった。Oliはディフェンシブミッドフィールダーで、プレースタイルは小さな巨人タイプ。中盤でガツガツぶつかっていて、敵の選手をつぶす。一度、40メートルオウンゴールを決めたこともある。

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2005年6月 3日 (金)

Saarlouis(隣町)の祭りに出かける

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<警察官のチームメイト・Pascalと>
 
 昨日から、隣町のSaarlouis(ザールイ)で祭りが始まった。この辺では一年で一番大きい祭りらしい。友達のMuecke(ミュッケ)が誘ってくれたので行くことにした。
 
 街について一番初めにあったのは、チームメイトで警察官のPascalだった。パスカルはまだ新米なので、ベテランの2人と祭りの見回りをしていた。

 中心に向かうに途中、何人かの知り合いにあった。いくつかのビールスタンドでも知り合いが働いていた。そして、最後にたどり着いたビールスタンドでは、ミュッケが働いていた。日曜までそのビールスタンドにいるらしい。時間が経つにつれて、他のチームメイトも何人か現れ始めた。

 金曜から日曜にかけて更に多くの人が来るらしい。2年前にも来たが、その時はたくさんの人でまともに歩けないくらいだった。

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2005年6月 1日 (水)

バウムクーヘンを食らう

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<輪切りにしたバームクーヘン>

 少し前だけど、バームクーヘンを食った。ドイツのは初めて食った。何種類かあったけど、周りがチョコレートで覆われているのを食った。パサパサせず程よい硬さだった。

 Baumkuchen(バウムクーヘン)。輪切りにした切り口が、木の切り株の年輪の模様になっている。Baumは「木」、Kuchenは「ケーキ」。

 でも、身近なドイツ人にバウムクーヘンの話をしてみたが、ピンと来る人はいなかった。日本人から見れば、バウムクーヘンはドイツの名物だと思っていたけど、ドイツ人の反応は薄かった。
 ただ、棒の周りに生地の層を何層も重ねていくので、作るのにすごく手間がかかるといっていた。そういうわけで、作るのが面倒くさくてあまり家で作らないから、一般の人たちには馴染みが薄いんじゃないのかと思った。他の手作りケーキはいろいろ食べたことはあるけど、バウムクーヘンはまだ一度も出てきていない。

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2005年5月13日 (金)

マザーキ オーノ

 ドイツ語の先生からある本を借りていたが、今日やっと終わらせることができた。普段聞きなれない表現や単語が多くて俺には難しかった。半分くらいしか頭に残っていないかもしれない。

 この先生にはドイツに来たときからドイツ語を教わっている。名はClaudia。ケルン出身で、学生時代は語学留学でいくつかの国に滞在していたらしい。語学の才能があり、英語、スペイン語、トルコ語、ロシア語、イタリア語などいろいろ話す。俺も時々ドイツ語以外の言葉を教えてもらう。
 最近、彼女は日本語のコースに通い始めた。日本人にドイツ語を教えて3年以上経つが、急に日本語を勉強しようと思ったらしい。大学時代にロシア語ではなく日本語を勉強しとけばよかったとまで言っている。Claudiaのほかにも、理学療法士のRobertも日本語を習い始めた。

 ケルン出身のClaudiaとスイス人のRobertが言うには、ザールランドの方言は何を言っているかわからない時があるらしい。確かに、Reimsbachのじいさんたちの話は聞き取りにくい。酔っ払いながら話しかけてくるし、声が重低音なのでさらに何を言っているのかわからない。

 片言だが、俺の周りのドイツ人はいくつかの日本語を話す。
 監督のウドもいくつかの言葉を知っている。よく耳にする言葉は、「ダメー」、「ハヤクー」、「タブン」、「ツカレタ?」、「イチタイイチー(1対1)」など。
 チームメイトの間では「マザーキ オーノ」が合言葉になっている。ウドのことを意味している。
 「カミカゼ」、「ゲイシャ」、「ニンジャ」などは定番だが、「お前はもう死んでいる」や「1,2,3、ダー」を覚えたやつもいた。

 話は変わるが、以前ドイツに関するある本を読んだことがある。そこにはこう書かれていた。「ドイツで一番有名な日本人は競輪の中野浩一である」と。いまのところ、中野浩一を知っているドイツ人に会ったことはない。

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2005年5月10日 (火)

ヒデよ永遠(とわ)に

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<帰国直前、うかれるDavidとヒデ>

 今日は、我が強敵(とも)の一人、ヒデが日本へと旅立った。人は彼をTorjaeger(トアイェーガー)と呼ぶ。Tor(トア)はゴール、Jaeger(イェーガー)は狩人・ハンターを意味する。

 夜の飛行機の時間に合わせて、電車でフランクフルトに行くことになっていたが、車の問題で電車を乗り過ごしてしまった。結局、フランクフルト空港まで車で行くことになった。なんとか時間前に空港に着き、無事チェックインを済ませた。
 最後の最後までハプニングがあったが、明日には無事に日本に着いていることを祈る。そして、近い将来ヒデがドイツに戻ってきてくれることを祈る。

 がんばれヒデ!お前もまさしく強敵(とも)だった。

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2005年3月30日 (水)

ケバブを食らう

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<行きつけのケバブスタンドで店長のハカンと>

 ようやく暖かくなってきたのに、ここ何日か毎日雨が降ったりやんだり。昨日は室内で筋トレだったからよかったけど、外で練習するときは晴れていてほしい、ほんとに。
 平日は夕方から練習するので、家に戻るのが九時半をまわってしまう。疲れて料理するのが面倒なときは、行きつけの店でKebab{ケバブ(プ)}を買って帰る。

 Kebabは、焼いた肉と野菜のトルコ料理。人によっては、Doner(デュナー)って呼ぶ人もいる。Giros(ギロス)はギリシャ?
 基本的には、でかい肉のかたまりから焼けた部分を削ぎ落としていって、野菜などと一緒に食べる。普通に皿で食べる場合、丸っこいパンにはさんで食べる場合、薄い生地に包んで食べる場合がある。俺はいつも気分次第でパンか生地かを決めて、お持ち帰りする。俺の行きつけの店は鶏肉だけど、店によっては牛・豚・鶏とそろえているところもあり、トッピングも店により様々。鮭バージョンも出るとか聞いたけど。

 ドイツにはトルコ人が多い。ケバブスタンドもトルコ人かトルコ系の人がやっている場合が多い。サッカーの対戦相手でも何人か見かけたし、、チームメイトとしても2人のトルコ人と一緒にサッカーをした。2人ともケバブを作ると言っていた。
 この二人は人懐っこくて、とてもいいやつらだった。今まで会ったトルコ人の多くもそうだったが、とてもフレンドリーだ。でも、すぐに熱くなる(俺もそうだけど)。サッカーの試合でもトルコ人はファールが多い。荒っぽいプレーをする。「トルコのサッカーファンは、イングランドのフーリガンより危ない」と言っていた。

 一年くらい前、行きつけの店の店長が、ケバブを切るナイフで自分の指を切って、とてもでかい包帯を指に巻いていた。今後もお世話になるので気をつけてほしい。

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2005年3月13日 (日)

ドイツに舞い戻る

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<プラハでのデビュー戦後>

 3ヶ月の日本滞在か