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2015年9月の1件の記事

2015年9月26日 (土)

荒天の武学 - 内田 樹、光岡英稔

内田 樹(うちだ たつき)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家・武道家。専門はフランス現代思想、武道論等。

光岡 英稔(みつおか ひでとし)
1972年岡山県生まれ。日本韓氏意拳学会会長。多くの武術・武道を学び11年間ハワイで武術指導。

内田:初等教育をアメリカで受けた青年たちを私は身の回りに何人か知っている。彼らに共通することがひとつある。それは「規格化されること」に対する強い抵抗である。それが彼らの日本社会への「過剰適応」を阻んでいる。
 まるで大気のように日本社会に充満しているこの企画化圧に対する嫌悪は、本書の中でも、光岡先生の口から洩らされている。

内田:自分がやってきたことを変えたくない、自分のしてきたことに執着があるという人はやはり新しい出会いには恵まれないですね。

光岡:殷周の時代の物語のおもしろさは、方術家もいれば、幻術を使う人もいるし、中にはススメバチを操る人もでてきますよね。

光岡:画期的な展望の見えない状況で、武道がどう生きるかということですよね。まさに今それが試されている。内田先生は荒天型と晴天型というふうに社会をふたつのモデルに分けて、これからは荒天型の世だとおっしゃっています。・・・
武の本質を考えたら、自前で食料を確保したりすることも大事で、たとえば火を起して煮炊きをするだとか、生きていく術を様々な方面から見ていかないといけないわけで、結局、腕力だけあっても物理的に食べられなくて死んだら負けなわけです。

光岡:「新しい未来を築こう」と言っている人たちが現状維持に一生懸命になっているわけです。・・・報道は「冷静な行動」と評していましたが、あれは単なる習慣でしょう。昨日の続きを止められないだけの話で、それを「冷静」と評価している

内田:どうも四十代以上の人たちは、なんだかふてくされているように見える。「どうせこの社会はダメだ」と言い放つだけで、でも、このダメな社会で出世したり、年収を増やしたりすることしかやることはないと思っている。視野が狭いし、さっぱり希望がない。週刊誌とかテレビの政治報道を見ていると、そういう暗い、底意地の悪い言葉ばかりが行き交っている。

光岡:たとえば、アメリカで自由を絶対とする教育を受けると、自由と自分勝手、自立とワガママの違いがわからない人が出てきます

内田:「オレとどっちが強いか比べてみよう」と言われても、ぼくにはぴんと来ないんです。それって、ぼくにとっては「オレとどっちが歌がうまいか比べてみよう」とか「オレとどっちが定期預金の残額が多いか比べてみよう」と言われているような感じなんです。

光岡:自分に疑いのない人間のほうが強いです。たとえば自分を育ててくれた文化のアイデンティティとか自己のアイデンティティをちゃんと確保している人は意識が拡散しないから、ちょっと手強いですね。力の集中のさせ方とか、そういうことが自然にわかっていますから。

光岡:緊張に対してよく言われるのがリラックスや脱力ですが、これもあまり良くない状態です。なぜならリラックスや脱力には生き生きとした生命の働きがありません。身体が生きようとする気持ちを放棄することだからです。自分の体や生命に対する甘えと怠慢です。

光岡:絶対正義が示されていないのに社会的に「このラインから向こうは悪だ善だ」と決めるのは矛盾がありますよね。

光岡:論理的に白黒はっきりつけるようになると、それに依存するようになります。そうすると自分の感覚がいよいよ鈍ってくるので、人を見る目もなくなってきますよ。・・・
たとえば、「あの人は見た目はちゃんとした格好をしているから大丈夫」というふうに理屈で自分を丸め込んでしまえる。

内田:相手によって、対応の仕方はその都度変えなくてはいけない。でも、人を見る目がないと、誰に対しても同じパターンで接するようになる。ネット社会になってから、その傾向に拍車がかかっていますよね。

光岡:最終的に武術で問われるのは「私がどこまで覚悟ができているか」を稽古を通じて見ていけるかということです。しかし、これはいちばん難しい。なぜなら覚悟を稽古するということは、シミュレーションや想定で固めて「覚悟を決めたからオレは大丈夫だ」と自分に信じこませるのとは違うからです。ポジティブ思考とか自己啓発的なものではなくて、覚悟とは、字の通り目を覚ませということです。目を覚まして悟れということだから、はっとするところを常に見ていかないと覚悟の稽古にならない

内田:「私のやっていることは法律違反ですか?」ということを平然とテレビカメラの前で口にでいる人がいる。法律に抵触しないぎりぎりまでのことは自己利益のためにやってもいというふうに理解している。つまり、この人は自己規律を持っていないということです。

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