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2012年11月27日 (火)

決断力 - 羽生善治

羽生 善治(はぶ よしはる)

1970年、埼玉県生まれ。小学6年生で二上達也九段に師事し、プロ棋士養成機関の奨励会に入会。中学3年生で四段、プロになる。19歳で初タイトルの竜王位を獲得し、96年には将棋界始まって以来の七大タイトル全てを獲得。棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰り出す妙手は「羽生マジック」と呼ばれている。「決断力」は2005年に出版された。

 名人――将棋界の最も権威あるこの地位に、私は小学校のころからずっと憧れを抱いていた。日本の将棋界に初めて名人が誕生したのが1612年。徳川家康が大御所として実験を振るい、豊臣家殲滅をひそかに画策していたころのことだ。以来、四百年近く、この間に「名人」の地位を得たものは、わずかに二十五人。

 1994年6月6日、私は第五十二期名人戦六局の席に着いた。私にとって初めての名人位への挑戦であった。名人は米長邦雄先生。私は23歳であった。このきわめて希な名誉ある地位に、私はあと一歩のところまで迫っていた。それまでの勝敗は三勝二敗。第一局より三連勝して、誰もが新名人誕生を期待してからの二連敗。名人位にそれこそ大手をかけたところで足踏みしていたのである。

 名人戦にはこんなエピソードもある。その八年前に、中原誠名人と大山康晴十五世名人との間で戦われた第44期名人戦。対局が始まる前に、ある人がこう言った。
「心・技・体、すべて充実した中原に立ち向かうのではなく、何か違う中原のときに叩かなければ勝機はない。この勝負にしても大山十五世名人が勝とうとしたら、●●○●○○○(第三局を勝っての一勝三敗からの逆転勝ち)しかないだろう」
 つまり、あと一勝というところまできた中原名人に気の緩みや油断などをもたらすことで、いつもの中原名人ではなくなるだろうという作戦である。・・・この予想をしたある人というのが米長先生その人だったということである。
 まさか米長先生はそれをご自分でやろうとしているのでは・・・・・・。三連敗は最初からの作戦だったのでは・・・・・・。

 将棋は自分との孤独の戦いである。追い込まれた状況からいかに抜け出すか。追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。米長先生に挑戦した名人戦は、それを骨の髄から学んだ大きな一番であり、私の分岐点となった勝負であった(最後は4勝2敗で勝利)。

Habu

「同じ人と何十回と対戦していくとなると、”奇襲作戦”は意味がない。一回それでうまくいっても、次は絶対に成功しない。王道、本筋を行くことが非常に大事なのだ。楽観はしない。ましてや悲観もしない。ひたすら平常心で

「対局者同士で一つ一つの場面での判断の違いは小さな差であると思う。しかし、それが十個になり二十個、五十個となると大きな差になる。作戦の考え方、組立て方では大きな違いがなくても、ちょっとした判断の違いが積み重なると、局面に棋士の個性が出てくるのだ

「駒がぶつかったあとからは争点がはっきりとするのである意味、考えやすい。そこから逆転の機会をつかむのは難しい。勝負どころはもっと前にあるのだ。駒がぶつかっていればだれでも考えやすい。争点だけ考えればいい。しかし、戦いが始まる前に香車を上げるとか端の歩を突くというのは難しいし、考えづらい。それが争点で生きてくる。相手に差をつける勝負どころなのだ

「勝負どころでは、あまりごちゃごちゃ考えすぎないことも大切である。・・・一般社会で、ごちゃごちゃ考えないということは、固定観念に縛られたり、昔からのやり方やいきさつにとらわれずに、物事を簡単に、単純に考えるということだ。・・・そう考えることから可能性が広がるのは、どの世界でも同じであろう」

「何かを”覚える”それ自体が勉強になるのではなく、それを理解しマスターし、自家薬籠中のものにする―― その過程が最も大事なのである。それは他人の将棋を見ているだけでは、わからないし、自分のものにはできない。・・・私は、将棋を通して知識を”知恵”に昇華させるすべを学んだが、その大切さは、すべてに当てはまる思考の原点であると思っている」

「かなり危険だと判断しても、私は、踏み込んで決断をするほうだと思う。見た目にはかなり危険でも、読み切っていれば怖くはない。・・・逆に相手に何もさせたくないからと距離を十分に置いていると、相手が鋭く踏み込んできたときに受けに回ってしまう。逆転を許すことになる」

「大山康晴せんせいは、”相手に手を渡す”のが上手で、意図的に複雑な局面をつくり出して相手の致命的なミスを誘導してしまうのが非常に得意であった。自分の力ではなく相手の力も利用して技をかける、だから強かった」

「私は、人間の持っている優れた資質の一つは、直感力だと思っている。というのも、これまで公式戦で千局以上の将棋を指してきて、一局の中で、直感によってパッと一目見て”これが一番いいだろう”と閃いた手のほぼ七割は、正しい選択をしている

「将棋にかぎらず、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は、この大局観と感性のバランスだ。感性は、どの部分がプラスに働くというのではなく、読書をしたり、音楽を聴いたり、将棋界以外の人と会ったり・・・・・・というさまざまな刺激によって総合的に研ぎ澄まされていくものだと思っている

リスクを避けていては、その対戦に勝ったとしてもいい将棋は残すことはできない。次のステップにもならない。それこそ、私にとっては大いなるリスクである。いい結果は生まれない。私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている」

先入観や思い込みを持っていると、”違う手もあるのではないか””ゼロに近いことに挑戦しよう”という考えは思い浮かばない

一気に深い集中には到達できない。海には水圧がある。潜るときにはゆっくりと、水圧に体を慣らしながら潜るように、集中力もだんだんと深めていかなければならない。そのステップを省略すると、深い集中の域に達することはできない」

生活の中でぼんやりすることは大切だ。・・・将棋はいつでも、どこでも考えられる。頭が煮詰まってしまう。いかに切り離すかが大事なのだ。・・・経験からも、一年なり二年なり、ずっと毎日将棋のことだけを考えていると、だんだん頭がおかしくなってくるのがわかる」

「ミスがミスを呼ぶとよくいわれるが、それは連鎖的なものということだけではなく、状況自体が複雑になって難しくなってしまうために起こりやすくなっているのだ

「一局の中で前のミスを考えるのはよくない。・・・すでに過ぎ去ったことは仕方ない。実戦中は振り返らないことが大事だ。・・・反省は勝負がついた後でいいのだ。極力、前向きな気持ちを保ちたい」

「プレッシャーはその人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければプレッシャーを感じることがないはずだ。・・・プレッシャーを感じるのは、自分自身がそのレベルに到達していないからだ」

「将棋は勝負に勝つことが目的だが、勝とうとすることはある意味で、欲である。その欲が考えを鈍くしたり、度胸を鈍くするからだ

「”オールラウンドプレーヤーでありたい”私が棋士として大事にしていることだ。一つの形にとらわれず、いろいろな形ができる、そんな棋士であり続けたいと思っている

「土壇場になって時間がないときなどには、人間の本質のようなものが出たりする。自分自身のことも、たとえば、弱気な部分が鏡に映るように表れたりする」

「将棋は厳然として勝ち負けの結果が出る。”道”や”芸”の世界に走ると言い逃れができる。だが、それは甘えだ。勝負に負けたけれど、芸や道では勝ったとか。私は、厳しいがドライに割り切って考えるべきだと思っている」

「しかし、勝ちにこだわる将棋は、将来的にはマイナスになりかねない要素でもある。勝つことだけを優先していると、自分の将棋が目の前の一勝を追う将棋になってしまう。今はいいが、将来を考えると”よくないな”と気づいた」

スポーツ観戦は七割が単なる趣味で、あとの三割は自分の将棋のためでもある。役に立つ部分が結構ある

「以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている

「無理やり詰め込んだり、”絶対にやらなきゃ”というのではなく、一回、一回の集中力や速度、費やす時間などを落としても、毎日、少しずつ続けることが大切だ。無理をして途中でやめてしまうくらいなら、”牛歩の歩み”にギアチェンジした方がいいと思っている

「先生は、弟子の将棋や生活態度を見ていると”この場面の考え方はどうかな””将棋にもっと真剣に取り組まなくては・・・・・・”などと思うことはよくあるそうだ。だが、それを本人に直接言っても意味がないと考えておられる。・・・本人が自分で気づかないと上達しないというのだ」

「将棋は進化している。技術や社会もそうだろう。取り残されないためには油断は禁物だ。今はこれがいいという勉強法でも、時間とともに通じなくなる。変えていかなければならない。私は、年齢とともに勉強法を変えることは、自分を前に進めるための必要条件だと考えている

普段練習で指しているときも、公式戦で大きな勝負をやっているときも、私は、同じ精神状態で、同じ力を発揮することを考えている

プロらしさとは何か?と問われれば、私は、明らかにアマチュアとは違う特別なものを持っており、その力を、瞬間的ではなく持続できることだと思っている。私が大事にしているのは、年間を通しての成績である」

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