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2012年9月14日 (金)

バカの壁 - 養老孟司

養老孟司
1937年鎌倉生まれ。
解剖学者、東京大学名誉教授。
「バカの壁」は2003年に出版された。

「題名の”バカの壁”は、私が最初に書いた本である”形を読む”(培風館)からとったものです。二十年も前に書いた本ですから、そのときはずいぶん極端な表現だと思われたようです。結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。そういうつもりで述べたことです。・・・

 若い人もそうかもしれない。なぜなら試験に正解のない問題を出したりすると、怒るからです。人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです。私はそう思っています。でもいまの学校で学ぶと、一つの問題に正解が一つというのが当然になってしまいます。本当にそうか、よく考えてもらいたい

 この本の中身も、世間のいう正解とは違った解をいくつも挙げていると思います。・・・だからそういう答えもあるのかと思っていただければ、それで著者としては幸福です。もちろん皆さんの答えがまた私の答えとは違ったものであることを期待しているのです

Baka

「”話してもわからない”ということを大学で痛感した例があります。イギリスのBBC放送が制作した、ある夫婦の妊娠から出産までを詳細に追ったドキュメンタリー番組を、北里大学薬学部の学生に見せた時のことです。・・・
 ビデオを見た女子学生のほとんどは”大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました”という感想でした。一方、それに対して、男子学生は皆一様に、”こんなことは既に保険の授業で知っているようなことばかりだ”という答え。同じものを見ても正反対といってもよいくらいの違いが出てきたのです。・・・
 その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。・・・つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の”バカの壁”です」

本当は何もわかっていないのに”わかっている”と思い込んでいうあたりが、怖いところです

説明したからってわかることばかりじゃないというのが今の若い人にはわからない。”ビデオを見たからわかる””一生懸命サッカーを見たからサッカーがどういうものかわかる”・・・・・・。わかるというのはそういうものではない、ということがわかっていない」

「ある時、評論家でキャスターのピーター・バラカン氏に『養老さん、日本人は、”常識”を”雑学”のことだと思っているんじゃないですかね』と言われたことがあります。・・・まさにわが意を得たりというところでした」

「このところとみに、”個性”とか”自己”とか”独創性”とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も、ことあるごとに”個性”的な教育とか、”子供の個性を尊重する”とか、”独創性豊かな子供を作る”とか言っています。
 しかし、これは前述した”共通了解”を追求することが文明の自然な流れだとすれば、おかしな話です。明らかに矛盾していると言ってよい。多くの人にとって共通の了解事項を広げていく。これによって文明が発展してきたはずなのに、ところがもう片方では急に”個性”が大切だとか何とか言ってくるのは話がおかしい

個性が大事だといいながら、実際には、よその人の顔色を窺ってばかり、というのが今の日本人のやっていることでしょう。だとすれば、そういう現状をまず認めるところから始めるべきでしょう。個性も独創性もクソも無い」

「いまの若い人を見ていて、つくづく可哀想だなと思うのは、がんじがらめの”共通了解”を求められつつも、意味不明の”個性”を求められるという矛盾した境遇にあるというところです」

「では、脳が徹底して共通性を追求していくものだとしたら、本来の”個性”というのはどこにあるか。それは、初めから私にも皆さんにもあるものなのです。なぜなら、私の皮膚を切り取ってあなたに植えたって絶対にくっつきません。・・・皮膚ひとつとってもこんな具合です。すなわち、”個性”何ていうのは初めから与えられているものであって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない

「若い人への教育現場において、おまえの個性を伸ばせなんて馬鹿なことは言わない方がいい。それよりも親の気持ちが分かるか、友達の気持ちが分かるか、ホームレスの気持ちが分かるかというふうに話を持っていくほうが、余程まともま教育じゃないか。そこが今の教育は逆立ちしていると思っています」

「逆に今、若い人で個性を持っている人はどういう人かを考えてみてください。真っ先に浮かぶ名前は、野球の松井秀樹選手やイチロー選手、サッカーの中田英寿選手あたりではないでしょうか。要するに身体が個性的なのです

「”男子三日会わざれば刮目して待つべし”という言葉が、”三国志”のなかにあります。三日も会わなければ、人間どのくらい変わっているかわからない。だから、三日会わなかったらしっかり目を見開いて見てみろということでしょう。
 しかし、人間は変わらない、と誰もが思っている現代では通用しないでしょう。刮目(かつもく)という言葉はもう一種の死語になっている」

「自分で一年考えて出てきた結論は、”知るということは根本的にはガンの告知だ”ということでした。学生には、”君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう”と話してみます。・・・では桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。知るということは、自分がガラッと変わることです

「人間が変わるのが当たり前。だから昔は”武士に二言はない”だった。武士の口が重かったのは、格好をつけていたからではない。うっかり言ったら大変だからです」

陽明学というのは何かといえば、”知行合一(ちこうごういつ)”。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。・・・これが”文武両道”の本当の意味ではないか文と武という別のものが並列していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味が無い、学んだことと行動が互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います」

「脚本家の山田太一さんと対談した際、彼は”日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している”と言っていました。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱することができない、という無意識の表れでしょう」

「信州大学教育学部が長年にわたって行っている実験があります。単純化して説明すると、こんな実験です。まず、子供の目の前に赤のランプと黄色のランプを置き、手元にはスイッチを押せるようにしておく。そして赤が点いたら何もせず、黄色が点いた時にだけ、スイッチを押すように指示をしておく。この時、スピードは競わない。ですから、子供はゆっくりでも正確に反応してくれればよいのです。ところが、子供はどうしても手元にあるものをついつい押したがってしまう。この間違い率を測ることで、どのくらい正確に行動しているかがわかる、という仕組みです。・・・ところが、約三十年前に小学校低学年が出していた正解率と、現在の小学校高学年が出している正解率とがほぼ同じ、という結果が出ているのです。・・・この実験のポイントになっているのが「抑制」です。・・・その我慢する能力の発育が三十年間で四、五年遅れていることが判明しました

「教育の結果の生徒は作品であるという意識が無くなった。教師は、サラリーマンの仕事になっちゃった”でもしか先生”というのは、子供に顔が向いていなくて、給料の出所に対して顔が向いているということを皮肉に言った言葉です。職があればいい、給料さえもらえればいいんだと、そういうことでしか先生に”でも”なったか、先生に”しか”なれなかった」

「そもそも教育というのは本来、自分自身が生きていることに夢を持っている教師じゃないと出来ないはずです。突き詰めて言えば、”おまえたち、俺を見習え”という話なのですから。・・・それでは自分を真似ろというほど立派に生きている教師がどれだけいるのか。結局のところ、たかだか教師になる方法を教えられるだけじゃないのか。・・・
だから、俺を見習えというのが無理なら、せめて、好きなことのある教師で、それが子どもに伝わる、という風にはあるべきです

「学者はどうしても、人間がどこまで物を理解できるかということを追求していく。言ってみれば、人間はどこまで利口かということを追いかける作業を仕事としている。逆に、政治家は、人間はどこまでバカかというのを読み切らないといけない。
大体、相手を利口だと思って説教しても駄目なのです。どのぐらいバカかということが、はっきり見えていないと説教、説得は出来ない。相手を動かせない」

「人間の脳が大きくなり、偉くなったものだから、ある種の欲は際限がないものになった。金についての欲がその典型です。キリがない。要するに、そういう欲には本能的なというか、遺伝的な抑制がついていない

「現代世界の三分の二が一元論者だということは、絶対に注意しなくてはいけない点です。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この百五十年で、嫌というほどたたき込まれてきたはずです。だから、二十一世紀こそは、一元論の世界にはならないでほしいのです。男がいれば女もいる、でいいわけです

本書で度々、”人は変わる”ということを強調してきたのも、一元論を否定したいという意図からでした今の一元論の根本には、”自分は変わらない”という根拠のない思い込みがある

「安易に”わかる”、”話せばわかる”、”絶対の真理がある”などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのは、すぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです

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