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2012年8月の3件の記事

2012年8月29日 (水)

日本の常識を捨てろ! - 落合信彦 ②

①のつづき

落合信彦

作家・国際ジャーナリスト。アメリカのオルブライト大学、テンプル大学大学院で国際政治を専攻。オイルビジネスに従事した後、ジャーナリストに転身。愛称はノビー。「日本の常識を捨てろ!」は1998年に書かれたもの。

感覚のずれは、日本が依然として村の感覚で物事を判断している結果だ。そのうえ、”おいらの村”というのは、世界中から注目を集めていると思い込んでいる。・・・
マライア・キャリーが来日した時にもあった。記者会見の席で、日本の芸能リポーターが”松田聖子を知っていますか”と、とんちんかんな質問を彼女にした。当然、世界的にはまったく無名の松田聖子のことなど知るわけはないのだが、あまりにその女性レポーターがしつこく質問するので、”松田聖子という名前は聞いたことはあるけれどどんな人なのかは知らないわ”とマライアは答えた」

「世界中のテレビを見てきて、最もテレビの質が悪いのは日本だ。・・・バラエティと言えば聞こえはいいが、なんてことはない。覗き見主義の、ただの内輪受けだ。・・・
はっきり言って、いまのテレビというのは、バカが作って、バカが演出して、バカが見るようになっている。
ときどき、キラリと光る珠玉のような番組はあるが、そういう番組はすぐ消えてしまう。あまりにもレベルが高すぎて、視聴者がついていけず、視聴率がよくないからだ」

「”タレント”という言葉は”タレンテッド・パーソン”から来ていて、”才能ある人間”という意味を持っているのだが、日本のタレントと呼ばれる人たちには才能のかけらもない連中があまりにも多い」

「フルブライトという議員から、”あなた方は、どうして、こういう過激な番組を作るのか”という質問が出た。
これに対してCBS(放送局)の会長が”これはバイオレンスかもしれないが、しかしながら、これを見て犯罪に走る者は数少ない。子供たちにだって、ちゃんと常識があります。こんな番組に影響されるような子どもたちはそんなにいません”と答えた。
するとフルブライトは質問を変えて、”あなた方はよくコマーシャルを流すけれども、なぜ、スポンサーはコマーシャルを出すと思いますか”と聞いた。CBSの会長は、”テレビを通して購買力をそそるということを狙っているからです。それだけ、影響力があるからです”と答えた。
その答えに対してフルブライトは、”それはおかしいじゃないか。さっき言ったことと矛盾している。子供たちにはバイオレンスの影響がないと言いながら、スポンサーが商品を宣伝するのは影響力が強いからというのは、どういうことなんだ”。
CBSの会長は答えに詰まってしまった。
こういうことが日本にはまったくない。何かしようとすると、新聞やテレビが、表現の自由の侵害だとか言って、ギャーギャーわめきたてる。

しかし、一番怖いのは、くだらない番組ばかり流していると、”くだらない番組はけしからん”と、それを口実にマスコミ規制が行われることだ。
たとえば、いまの週刊誌は、名誉毀損に当るような記事をずいぶんと書いているが、政治家がこれを読んで、”だから、週刊誌は駄目なんだ”と言って検閲を始める。こういうことがいちばん怖い。

やはりマスコミの責任というのは大きいということだ。だから、自由、自由と言うけれど、自由以上に、その三倍の責任がのしかかっているということを、マスコミ自体が自覚しなければならないのだ。コマーシャルを出すスポンサーも、”こういうひどい番組にはコマーシャルは出さない”ぐらいの見識が必要だ」

「日本には悪しき習慣というものがたくさんある。人々はそれにがんじがらめに縛られて、自分たちがいかに馬鹿げたことをやっているのか気がつかない。その代表的な例が、ホテルや結婚式場による完璧なコマーシャリズムに乗ってしまった”日本の結婚式”だ。・・・二人の事は二の次で、家族の面子や世間体ばかりを考えるから、いったい誰と誰が結婚するのかぼやけてしまう。

結婚式以外にも、日本の悪しき習慣はたくさんある。葬式の香典返しもそのひとつだが、身内を失った人がなぜ他人にそれほどまで気を使わねばならないのか。世界の常識ではまず考えられないことだ。
それから、毎年恒例の年賀状。・・・毎年会っている人にどうして年賀状が必要なのか。・・・
それから、お中元とお歳暮なども、デパートなどのコマーシャリズムの犠牲になっているにすぎない。・・・
それからバレンタインデー。本来日本人には関係ないものなのに、チョコレート会社が仕掛けたコマーシャルに皆が乗せられてしまっている。ホワイトデーも同じで、本当の意味が分かっている人などまずいないだろう。・・・
それと同じことはクリスマスについても言える。クリスマス商戦にまんまと乗せられる。クリスマスというのは、キリストが生まれた日だから、これは祝うのではなく、敬虔な気持ちで祈念する日なのだ。セレブレーションではなくて、コメモレーションなのだ」

「日本人のブランド志向というのは、成金趣味的なところがある。成金というのは、それがいい悪いに関係なく名が知られているから手に入れようとする。そのブランドを持つことによって、自分も少しは大きな人間になれると思い込んでしまうらしい。
しかし、ブランド物は、それにふさわしい人が持って初めて生きるものだ。・・・若者でブランド志向というのは、世界広しといえども韓国と日本だけだ。女子高生がシャネルを着てもおよそ似合うはずがない。・・・シャネルやエルメスなどのブランド物を、まだ尻が青いガキが着てもただ滑稽に映るだけだ。こういう中学生や高校生は成長しても結局、ブタ女になる。メンタル・メイク・アップが完全にその方向に向いているからだ。そして、大人になってからもブランド志向はやまないだろう。しかし、ブタはタキシードを着てもブタなのだ

「日本国内では通用していることでも、他国へ行ったら通用しないこともたくさんある。たとえば、日本人の騒々しさはイギリスでは嫌われる。日本人というのは二人では騒がないが、三人以上になると大きな声でギャーギャー騒ぎ出す。・・・いちばん困るのは、アルコールの入ったときのラウドネスというか喧騒・騒がしさだ。飛行機の中で酔っ払って騒いでいるのは日本人だけだ」

「飛行機や電車の中で子供が騒いだり泣いたりしていても、知らん顔をしている母親や、ホテルを走り回っている子供を注意するマネージャーを睨みつけたりするお母さんがいる。”子供のすることだから仕方がない”と言うかもしれないが、それは大きな間違いだ。・・・
子供と言うのは、ルソーが言ったように、”気高い野蛮人”なのだ。ソーシャル・コントラクトも知らないし、社会のルールも知らない。それを教えていくのが親の役目であり、教育なのだ」

「私はアメリカ人や中国人とよく歴史的な事柄について、ホットな議論をするが、そういう時よく嫌味を言われることがある。”おまえは日本人じゃない”と。私はニヤッと笑って、”お前の考える日本人というのは、どういう日本人なんだ”と聞き返す。すると、”曖昧で、何を言われても黙っていて、自己主張しないのが日本人だ”という答えが返ってくる」

「(日本人の)付和雷同性を評して、よくアメリカ人が言うジョークに次のような話がある。
船が沈みかけていて、何人かが海に飛び込まないと船は沈んでしまう運命にある。船長が、”自由と平等と博愛のために”と言うとフランス人が海に飛び込む。”ユニオンジャックと女王陛下のために”と言うとイギリス人が飛び込む。”民主主義を守るために”と言うとアメリカ人が飛び込む。そして最後に残った日本人には、”さあ、皆が飛び込んでいますよ。一緒に飛び込みましょう”と言えば十分だと」

「民族的に言うと、ユーモアをいちばん解するのはユダヤ人と黒人と言われる。・・・アメリカ社会でいちばん虐げられている民族が、最もユーモアのセンスがあるというのは皮肉に思われるが、実はそうではない。虐げられるからこそ、ユーモアのセンスがなければ生きてゆけないのだ

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2012年8月27日 (月)

日本の常識を捨てろ! - 落合信彦 ①

落合信彦

作家・国際ジャーナリスト。アメリカのオルブライト大学、テンプル大学大学院で国際政治学を専攻。オイルビジネスに従事した後、ジャーナリストに転身。愛称はノビー。「日本の常識を捨てろ!」は1998年に書かれたもの。

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「私が若い人たちに言いたいのは、同じ時間を費やすなら、世界で最も汚染されたハワイのワイキキビーチなどへ行って意味のない時間を過ごすよりも、アフガニスタンの難民キャンプに言ったほうがいい、ということだ。・・・ある国へ旅をするのだったら、確固たるなんらかの目的を持って行くこと。・・・くだらないテレビ番組ばかり見て、ゲラゲラ笑っていたら、五年後も、十年後にも、自分は全く変わっていない」

「日本が経済大国と言われるようになって久しいが、それは決して日本が世界に受け入れられたということではない。日本人はこの点で、大きな錯覚に陥っている。・・・海外に出て、冷めた目で外国から日本を見てみると、これまでとはまったく違った日本が見えてくる。”日本という国は、諸外国からあまり重要に考えられていないな”ということに早く気づいて、そこからスタートしていけばいい」

「東大を出て、冷たい官僚になるより、涙がわかる人間になった方がはるかにいい。東大を出て大蔵省に入って銀行局長になった人間が、どれだけ中身のない人間かを、われわれは先の住専国会証人喚問の時、見せつけられたではないか。建前の教育だけを重視し、真の”教育”をないがしろにしたため、いかに多くの血も涙もない連中が、大学という巨大動物園から作り出されたことか

「教育が金儲けのための一大産業に成りあがっているのも日本の特徴の一つだ。・・・予備校と進学塾がなくなったら、日本は少しはまともな国になると思う。人間が住む国になる」

「日本人は世界からどう評価されているかを、正確には把握していない。たとえば、トルコやフィンランドは伝統的に親日的だ。彼らの日本人観は、正直で、勤勉で、謙虚で、礼儀正しく、そして何よりも名誉を重んじる国民だと思っている。フランシスコ・ザビエルが日本に来たときの日記のなかにも、”日本人はいちばん名誉を重んじる”と書いてある。現状の日本と照らし合わせるとまったくマッチしそうにないが、まだなかにはそういう精神を持った日本人もいる。
ところが、アメリカ人に言わせると、太平洋戦争開戦時に”真珠湾”を騙し討ちされたことが意識の根底にあるので、日本人というのはずるい狐ということになる。・・・また日本人を猿だという見方をするアメリカ人も多い。
このように国によって評価は異なるが、いまの日本人を見る世界の平均的な評価は、”非常に働き者だが、人間性がない”というようなことになる」

「アメリカのCIAがよく日本のことを叩いて、日本のパラダイムと西洋のパラダイムは違うと指摘する。西洋のパラダイムは、民主主義、平等、愛だが、日本のパラダイムは金儲けだけだと厳しい」

「日本人が見逃してはならないことは、”富を持っているものには責任がある”という点だ。これはジョン・F・ケネディの、”多くを与えられている者には責任がある”という言葉にも表わされているが、富には責任がつきまとうということを日本人は忘れている。
今の日本は、金を世界中に多く与えてはいるけど、責任というものは全く自覚していない。・・・その場だけはチヤホヤされるけれども、本当はバカにされていることに気づかない。そのうえ、有償やヒモ付きの援助がやたら多い

「英国作家、ジョージ・バーナード・ジョウが”本当にシニカルな人間とはどういう人間かというと、あらゆるものの値段は知っているけれども、価値をまったく知らない人間だ”ということを言っている。その言を借りれば、いまの日本人というのは最もシニカルな人間ということになる。価値はまったく知らなくて、値段ばかりを気にしている。”これ、いくらしました。これ、高かったでしょう”だけではあまりに情けない」

日本は世界の成金で、精神的には非常に貧しい国だと、たびたびヨーロッパの指導者から指摘を受けてきたが、いっこうに改善される気配はない。
同じアジアでも、シンガポールの場合は、指導者が自国の心の貧しさを憂える見識がある。
シンガポールは・・・96年の一月に先進国の仲間入りの資格を得た。ところが、首相のゴー・チョクトンは、国民に向けた新年のメッセージのなかで、”シンガポールは貧しい”と述べた。何が貧しいのかというと、心が貧しいと。どうしてかということを、ゴー・チョクトンは次の二つの例を挙げて説明した。
政府が貧しい人たちに、無償で教科書を配ろうとしたら、それを主催者までが取り合った。それから、日本円にして一個365円くらいのクリスマス・プレゼントを貧しい人たちに配ろうとしたら、それを貰いに高級乗用車で乗りつけた人たちがいた。こういう行為は精神的に貧しい、とゴー・チョクトンは言った。・・・
しかし、こういうことを指摘する政治家が日本にはいない。残念ながら、日本は精神的にだけではなく、政治的にも貧しい。・・・自由の意味を日本人がはき違えている間は、日本は貧しさから脱却はできない」

「ODAの問題も含めて日本は金の使い方にもう少し配慮が必要だ。金の使い方次第では、軽蔑の対象になるし、軽蔑を通り越して憎しみの対象にもなるということを知らなければならない。
1950年代から60年代にかけては”アグリー・アメリカン”というフレーズがよく使われたが、今日ではそれが、”アグリー・ジャパニーズ”にとって代わった。なぜかというと、歴史から何も学んでいない日本は、40年前にアメリカが犯した過ちをミャンマーで繰り返しているからだ」

「いつから金ですべてが解決できると日本人が考えるようになってしまったのだろうか。いろいろな意見があると思うが、私の考えでは、それが目に見える現象となったのは、かのロッキード事件で失脚した田中角栄の登場からだと思う。
田中は金さえあれば総理の座でも買えるし、一国の政治も自在に動かせることを証明した。この金万能主義は国民の心のなかに浸透し、それが後のバブルへの下地となった。バブル期に国民が一億総財テクに走ったのは当然の帰結だった。・・・
それまで株に関心を持ったことがない主婦たちまでNTTの株を買いあさり、株価がどんどん上がるのを見て、こんなに儲かるならとほかの株にも手を出した。ところが、バブルが弾け株価が下がり出す。慌てた彼女たちは、”金を返せ”と騒ぎ出した。何と甘いことか」

「まだ日本が金持ちのうちはいいが、もし貧乏になったときに、無条件で援助の手を差し伸べてくれる国があるかと聞かれたら、今の時点で私には自信を持って挙げられる国名はない」

つづく・・・

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2012年8月 7日 (火)

知ってるつもり?サッカーのウソとホント

ドイツのS級とA級ライセンス所持者が会員になれるBDFL(Bund deutscher Fussball-Lehrer)という組織では、EUROやワールドカップ、チャンピオンズリーグ、ブンデスリーガなどの分析をもとに、年に1回大きな会議”ITK(Internationaler Trainer-Kongress)”が開かれている。

 2011年に行われた第54回の会議では、ドイツサッカー協会やドイツ代表、1.FCケルンなどのスタッフが講演や指導実践を行い、ザマーやクロップ監督などによる討論会も行われた。

”スポーツ科学者Dr. Roland Loyの講演”
(ベッケンバウアーのもとドイツ代表やバイエルン、マルセイユでスタッフを務める)

 ギリシャの哲学者ソクラテスは「私は、自分が何も知らないことを知っている」と言いました。それに対して、ジョゼ・モウリーニョはチェルシーの監督だったとき「私はサッカーのすべてを知っている」と言いました。どちらの言葉がより的を得ているか、次のような質問を考えてみました。

「サッカーの戦術において何が正しくて何が間違っているか、我々はどれだけ知っているのか?」

「どの発言が、あくまで予測でしかないのか?」

「どの発言が、サッカーの戦術において間違ったものであるのか?」

 何人かのワールドクラスの選手が言った言葉も挙げてみましょう。

「ピッチが濡れていたら、二列目から積極的にシュートを打つべきだ」

「我々はもっとサイドから攻撃しなければいけない」

「ロングシュートは勝利に導く」

「ファールされてPKをもらった選手がPKを蹴るべきではない」

「我々はもっと走るべきだった」

 私がこういったことを考え始めたきっかけは、シュトゥッツガルトでデットマール・クラマーに会った時でした。彼は言いました。「ロイさん、サッカーの戦術の事に関しては全て疑ってみることです。疑うことが進歩の始まりです」それから私は機材を作り、代表戦やヨーロッパのカップ戦、ブンデスリーガなど3000試合以上を攻守にわたり分析しました。

”勝った試合のメンバーは変更しない”

 試合に勝った先発メンバーを変更せずに次の試合でも使うのはよくあることです。2000試合でこのような点を確認することができました。メンバーを変更しなかったチームは36%の試合に勝利しました。しかし、メンバーを変更したチームも36%の割合で勝利を収めました。よって、この発言を正しいとは言えません。

”ファールされた選手はPKを蹴るべきではない”

 2007/08シーズンのバイエルン対ブレーメン戦でルカ・トーニがPKを外した後、ベッケンバウアーがこの発言をしました。多くの人々は、このことは”鉄則”であると賛同するでしょう。分析結果によると、ファールされてPKをもらった選手以外がPKを蹴った場合、75%が成功しました。ファールをされてPKをもらった選手も、同じく75%成功しました。ということは、ファールを受けた受けないということだけでキッカーを決めるのは疑問です。

”中央よりもサイド攻撃が有効である”

 ARD(テレビ局)の解説として、ギュンター・ネッツァーはこの言葉をよく使いました。この発言の根拠は、コンパクトな中央よりもサイドの方がスペースが多いということでしょう。1万以上の攻撃を分析した結果、サイド攻撃から得点につながったのは1,5%でした。しかし、中央突破から得点につながったのも1,5%でした。さらに、中央からの攻撃は、サイド攻撃よりもシュートで終わる回数が多いという結果がでました。これらのサッカーに関する発言は、客観的な分析によると正しいとは言えないことになります。

”コーナーキックはゴールに向かうボールを蹴るべき”

 このアドバイスはFIFAの教本でも確認することができます。5000のCKを分析してみました。結果、CKのボールがゴールに向かうか離れるかということは大きな違いはありませんでした。どちらも2%の確率でゴールが決まりました。

”1:0でリードしているチームは負ける”

 先制点をとったチームは、油断して集中力が切れるということでしょうか。しかし、先制点をとったチームの67%が勝利を収め、先制点をとられたチームが勝利したのはたった11%でした。そして、22%が引き分けに終わりました。

”フェアープレーが勝利に導く”

 ファールの影響は、よく議論されるテーマです。コーチによってはファールを積極的に減らし、コーチによってはファールを推奨します。3000試合の分析の結果、ファールの多かったチームが37%勝利し、ファールの少なかったチームは35%勝ちました。大きな差は見られませんでした。

”ボールポゼッションは勝利につながる”

 ジョゼ・モウリーニョがチェルシーの監督だった時、監督としての成功はボールポゼッションに基づくと言いました。同じように、高いボールポゼッション率が現在のバルセロナの勝利につながっていると言われています。ボールを持っている間、敵はシュートを打つことができません。分析はどうでしょうか?1000試合の分析の結果、高いポゼッション率のチームが勝ったのは34%でした。ポゼッション率の低かったチームはより多く勝ちました。

”より多くシュートを打ったチームが勝つ”

 シュート数がどれだけ試合結果に影響があるでしょうか?敵よりもシュートを多く打ったチームが勝ったのは45%、シュート数が少ないチームの勝率は55%でした。良い例は、EURO2004のギリシャでしょう。6試合すべてにおいて、敵チームよりも少ないシュート数でした。6試合の数字で見ると、ギリシャが52本に対して、対戦チームの合計シュート数は103と、ほぼ倍です。でも、ギリシャはヨーロッパチャンピオンになりました。

”1対1に勝てば試合に勝つ”

 この発言は、サッカーの歴史のなかでずっと言われてきたものでしょう。私は数年前、ロンドンの図書館で、1952年に書かれた記録を見つけました。そこにも、「1対1により多く勝てば、試合に勝つ」と書かれていました。多くのコーチやサッカー関係者は、このことは80~90%の試合に当てはまると思うかもしれません。
 私の研究によると、対戦相手よりも多く1対1に勝ったチームの勝率は40%でした。1対1を避けるべきだということではありません。しかし、上の発言を決定づける結果ではありませんでした。

”より多く走ったチームが勝つ”

分析結果は明確で、対戦チームよりも走る距離が少なかったチームのほうが高い勝率となりました。


”センタリングはチャンスを作り出す”

 オットー・レーハーゲルがブレーメンの監督だった当時言ったことです。センタリングからゴールが決まったのは2,4%です。ほかの言い方をすれば、1点取るのに46回センタリングを上げる必要があります。

”2列目からもっとシュートを打つべきだ”

 敵のゴールから離れれば、プレッシャーも減るかもしれません。しかし、シュートの滞空時間が長くなり、GKはより反応するための時間を得ます。ペナルティエリア内からのシュートは7本に1本が成功し、ペナルティエリア外から1点取るためには37本のシュートが必要で、27m以上離れた所からミドルシュートで点をとるためには70本のシュートが必要という統計が出ています。

”女性はサッカーを知らない”

このテーマは、ギネスビールがあるビアホールでおかしな学者によって語られました。1000人の女性と男性を対象に「オフサイドルールを知っているかどうか」調査しました。結果、男性は53%、女性は68%でした。

終わりに:

あなたのサッカーに対する知識や、サッカーに関して日々口にされている言葉をすべて信用すべきではありません。サッカーの戦術やプレーに関して話をするなら、1978年にワールドカップで優勝したアルゼンチン代表監督セザール・ルイス・メノッティの次の言葉を気にしてみることです(クリンスマンの名前は一例として出されたのもですが)。「誰も、クリンスマンが全ての事を知っていると言わないでしょう。サッカーはとても複雑で、私も、自分がサッカーの真実を知っている一人であるなんて言うことはできません」

ITK2011より部分的に翻訳
 

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