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2012年6月の5件の記事

2012年6月28日 (木)

ドイツサッカー協会のEURO2012分析

ドイツサッカー協会HPより。俺のドイツの先生、ベルント・シュトゥーバーのインタビュー。

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Q:シュトゥーバーさん、今回のユーロでどのチームが一番あなたを驚かせましたか?

シュトゥーバー(S):はっきり言うとありません。今のところ突出したチームを見ていません。ベスト8に残ったすべてのチームはまだ上に行く力を持っています。KOラウンドでの試合に期待しています。

Q:そうかもしれませんが、印象に残った良い試合はありましたか?

S:1試合を通して見たら、ほとんどありません。個人的には、イタリア対スペインの試合がグループステージでベストでした。常に何かが起こる感がありました。

Q:どのチームに最も失望しましたか?

S:良いスタートを切ったロシアにはもっと期待していました。彼らは試合ごとに分裂していき、1・2点の(ミスによる)ゴールを自分たちのために決めていればよかったでしょう(笑)

Q:オランダの結果に関してはどうですか?

S:オランダが勝ち点0で帰国することは、誰も考えていなかったでしょう。一方で、このグループの組み合わせは、楽なものではありませんでした。どのチームもすべての試合で勝つ可能性がありました。このことは各試合で見ることができました。

Q:今大会のトレンドを発見することができましたか?

S:いいえ。ワールドカップ2010とEURO2008のトレンドがまだ見受けられます。あるとしてもせいぜい小さなことになるでしょう。

Q:何か挙げてもらえますか?

S:ワールドカップ2010と違うところは、フォワードの選手が再び多くの点をとっていることです。南アフリカでは、クローゼとヴィジャ以外では、攻撃的な中盤の選手が多く点を決めていました。また、試合を決定づけるカウンターの数が減りました。多くのチームがカウンターに対して対応できています。

Q:素早いカウンターと言えば、ドイツはワールドカップで素晴らしいパフォーマンスでした。なぜ今回はあまり見ることができないのでしょうか?

S:その通りですね。2010年の時、われわれは敵の準備できていないディフェンスラインを素早いカウンターで攻撃しました。今回このようなプレーが見れていないのは、たぶん、ドイツがよりリスペクトされる立場になり、ドイツに対してさらにディフェンシヴに戦ってくるチームが増えたからでしょう。今のところ、われわれにはスペースが足りていません。

Q:ドイツのディフェンスがより固くなっている気がします。

S:その通りです。大会前にディフェンス面を心配する声がありましたが、グループステージを終えて解決されたと思います。われわれの戦術はディフェンスの選手にとって簡単ではありませんが、ピンチを作られた回数はわずかです。

Q:グループステージで他のチームの印象は?

S:グループステージを問題なく突破できそうだったのは2、3チームでした。ドイツ以外に挙げるならスペインです。彼らはいつものシステムで試合をしていますが、今年は少し効果的なプレーに欠けています。

Q:どういうことでしょうか?

S:サッカーは成功を目指すスポーツです。というのは、ピッチで行う行動は、得点や失点の阻止につながるべきです。スペインに関して、私は、長いボールポゼッションとパス回し自体が目的になってきている気がします。健全なバランスを見つけることが重要です。ボールを保持しつつも、目的を考えてプレーすることです。

Q:どのコーチがまだ分析活動をしていますか?

S:初めにいた12人のうち8人がまだ残っています。Ralf Peter, Frank Wormuth, Paul Schomann, Eric Ruthemöller, Marcel Lucassen Rainer Adrian, Chiristian Ziegeと私です。

Q:分析は今後どのようになっていくのですか?

S:準決勝を見終わった後、フランクフルトに集まり結果を集計します。EUROが終ったあと、最終分析が発表されます。最初のプレゼンテーションは、7月終わりに行われるBDFLのカンファレンスです。ドイツサッカー協会のNobert Viethが結果を集計し冊子が作られます。特徴的な試合場面をいれたDVDも作る予定です。

Q:これまでの分析でドイツにチャンスはありますか?

S:グループリーグの戦いは素晴らしかったです。しかし、まだレベルアップできるところがあります。7月1日までドイツ代表の分析ができることを期待しています。

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2012年6月27日 (水)

不動智神妙録 - 沢庵

沢庵 宗彭(たくあん しゅうほう)
1573年、但馬国出石に生まれる。臨済宗の僧、1646年没。書画、詩文、茶の湯に通じ、一説では漬物の沢庵漬けの考案者と言われている。

「不動智神妙録」は、沢庵が柳生但馬守に向かって「剣禅一如」を説いたもので、禅で武道の極意を説いた最初の書物とされている。

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無明住地煩悩、無明という文字は明らかでないという言葉です。明らかでないところに迷いが生じるので、迷いを意味します。住地とは・・・物事に心が止まることを指しているのです。住という文字には止まるという意味があり、何かにつけて心が一つのことにとらわれるのを、心が止まる、すなわち住地というのです。
この無明住地を、あなたがよくご存じの兵法にたとえて説明してみましょう。敵が刀を振り上げて切りかかってきたとします。その刀を一目見て、”あっ、来るな。”などと思うと、相手の刀の動きに心がひきずられて、こちらは自由に動くことができずに切られてしまいます。
打ち込んできた刀を見ることは見るのですが、それに対して、ここで相手の刀を切りかえそうとか、どうやって打ちこもうかなどと思慮分別を一切持たずに、つまり少しもとらわれることなく、ただただ相手の刀に応じていけば、切りかかってきた刀をこちらにもぎ取って、かえって相手を切ることができるのです」

諸仏不動智という言葉があります。不動とは動かないということ、智は知恵の智です。動かないといっても、石や木のように、全く動かないというのではありません。心は四方八方、右左と自由に動きながら、一つの物、一つの事には決してとらわれないのが不動智なのです。」

「何かを一目見て、心がとらわれると、いろいろな気持ちや考えが胸のなかに湧き起こります。胸のなかで、あれこれと思いわずらうわけです。こうして、何かにつけて心がとらわれるということは、一方では心を動かそうとしても動かないということなのです。自由自在に心を動かすことができないのです。
たとえば、十人の敵が一太刀ずつ、こちらに浴びせかけてきたとします。この時、一太刀を受け流して、それはそのままに心を残さず、次々と打ってくる一太刀一太刀を同じように受け流すなら、十人全部に対して、立派に応戦できるはずです。十人に対して十度心を動かしながら、どの一人にも心を止めることをしなければ、どの敵に対しても応じられるのです。もし、一人の敵を前にして、心が止まるようなことがあれば、その一人のたちは受け流すことができても、次の敵に対して、こちらの動きが抜けてしまうことになるでしょう」

「千手観音だとて、手が千本おありになりますが、もし、弓を持っている一つの手に心がとらわれてしまえば、残りの九百九十九の手は、どれも役にはたちますまい。一つの所に心を止めないからこそ、千本の手が皆、役に立つのです。・・・
たとえば、一本の木を見ているとしましょう。そのなかの赤い葉一枚に心を止めて見れば、残りの葉は目に入らないものです。葉の一枚一枚に目を止めずに、木の全体を何ということもなく見るなら、たくさんの葉が全部、目に入ります
このことを悟った人は、つまり千手千眼の観音と同じです

「初心から修業を始めて、不動智を自分のものにすると、もう一度初心に戻るということがあります。・・・
はじめて刀を持つ者は、どうやって刀を構えてよいかすらわかりませんから、何事も心にかかりません。相手が打ちこんでくると、思わず立ち向かおうとするだけです。
それが、刀を構えるにはこう、その時、どんな点に気をつければよいかなど、いろいろな事を教えられるに従って、あれやこれやと気にかかるようになり、かえって身のこなしも不自由になるものです。
しかし、長い年月の間、稽古を積んでゆくと、どういうふうに身を構えようかとか、刀はどうなどとは少しも思わなくなって、ついには、自然に、何も知らなかった初心の時のように、無心の状態でいられるようになるのです。最初と最後は似たようなものだということでしょうか」

理の修業事(わざ)の修業ということがあります。理とは右に申しましたように、ゆきつく所にいけば、何にもとらわれないということで、無心になる修業をいいます。・・・ところが、どれほどに理の修業を積んでも、事の修業をしなければ、手も身体も思うように働かすことができません。事の修業とは、兵法でいえば五つの身の構えなど、さまざまに習う、技術の修業です。・・・事と理、それは車の両輪のように、二つそろっていなくては役に立たないものです」

石火の機ということがあります。これも、間髪を容れずと同じです。石をハタと打つと、その瞬間、光が出る。石を打つのと火が出るとの間に隙間というものはありません。
つまり、心を止める間のないことを表しているのであって、これを素早いことを意味しているのだなどと理解するのはいけません。心を物に止めないということが大切なのです」

心の置所。心をどこに置いたらよいか。・・・ある人が、こんなことをいいました。
”自分の心をどこか置くと、その心の在る所に心を止めてしまい、敵に負ける。そこで自分の心を臍(へそ)の下に押し込めて、よそにはやらぬがよい。そして敵の動きに対応して自在に動かすがよい。”
それも、もっともな言い分です。しかし、仏法の悟りの境地から見ますと、臍の下に押し込んでよそにやらぬというのは低いもので、最高とはいえません。・・・
臍の下に押し込んで、よそにはやるまいとすれば、やるまいと思う心に心をとらわれて、自由に心を動かすことはできなくなるということです」

「ある人はまた、こう聞きました。
”心を臍の下に押し込んでしまっては、動きが自由にならず、役に立たないというのであれば、心を身体のどこに置いたらよいものでしょう”
私はこう答えたのです。
”・・・身体中のどこか一カ所に心を置くとなれば、結局、よそは全部お留守になってしまうのです。”
”それでは、どこに置いたらよいのでしょう。”
どこにも置かぬことです。そうすれば、心は身体いっぱいに行きわたり、のびひろがります。手を使うときには手の、足が肝要の時は足の、眼が大切な時は眼の役にたち、身体中どこでも必要に応じて、どこでも自由な働きをすることができるのです。”」

心が思うことの方に片寄れば、耳に聞こえてくるものでも聞こえません。目を見開いていても、何も見えないと同じことなのです

「やろうという心を持たなければ、何事もできません。やろうとして心を働かせれば、そこに心が止まる、それを止まらせずにやるのを、それぞれの道の名人というのです。・・・花や紅葉を見て、花や紅葉を見る心は持ちながらも、花や紅葉に心を止めないのが肝心なのです」

心を常に引きしめておくのは、不自由なことであります。しかし、そうやって引きしめておかねばならぬのは、未だ修業を始めたばかりの時のことです。何時までもそのように心がけるのが精一杯では、到底、高く深いものを自分の身につけることはできず、一生を初心者、入門者の段階で終わらせることになります」

前後際断、前後の際を断つという言葉があります。前の心を捨てないことも、今の心をあとに残すことも、よくありません」

「親の心がけ、行動が正しくないのに、子供の悪を責めるのは誤りです。あなたがまず、身を正しく持し、その上で意見をなさるなら、自然、素行も改まり、弟の内膳殿も兄の行動を見習って正しくなるに違いありません」

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2012年6月21日 (木)

EURO2012グループリーグ傾向

Bundesliga.deより、EURO2012グループリーグを終えての傾向。

<夢の決勝の再現?>
・ドイツだけが3戦全勝。
・スペインが最多得点、最少失点。
・全く勝利のチャンスがなかったチームはアイルランド(勝ち点0)。
・チームスピリットと決定力不足(56本のシュートを打ち2ゴール、2本ともミドルシュート。ドイツは38本のシュートを打ち5ゴール)のオランダは僅差で3敗。
・アイルランドとオランダ以外の14チームは最低2ポイントを獲得。11チームが最低3ゴール、12チームが3~5失点。レベルが拮抗していて、小さなことが勝敗を左右した(スペイン戦でクロアチアのラキティッチがビッグチャンスを逃す、ポーランドのブラシュチコフスキのシュートをチェコのカドレツがブロックなど)。

<スタートの良し悪しは関係なし>
・ベスト8のうちドイツだけが初戦を勝利。
・初戦を勝利した5チーム中4チームがグループリーグ敗退。
・これまで初戦を落としてEUROで優勝したのは1988年のオランダのみ。
・開催国がまたまた敗退。

<ヘディングゴールの復活>
・60ゴール中17ゴールがヘディング(約30%)
・イングランドは毎試合ヘディングでゴール
・24試合を終えて0:0で終った試合は無し。
・1試合平均ゴール数は2,5(過去2大会は2,48)。
・左足でのゴールはたったの10。
・PKでのゴールは無し(開幕戦以来PKの機会もなし、クロアチア戦でPKを取られなかったスペインは幸運だった)。

<ボディコンタクト無しの試合>
・1対1とファールの減少。
・1試合当たりの1対1の数は172(4年前は218)
・1試合当たりのファール数は24(4年前は34)
・オフサイド数は最高でも4。
・イエローカードが最も少ないのはドイツ。
・ファールが一番少ないのはドイツの26(スペインは38)

<守備戦術が再び必要>
・深く守りギリギリで勝利を収めてきているイングランドとギリシャはまだ1度もオフサイドを取っていない。
・ギリシャの前線は相手のミスを待つ(ポーランドとチェコ戦ではGKのミスからゴール、ロシア戦では敵DFイグナシェヴィッチのアシストでゴール)。
・ギリシャのシュート数は最も少ない(22本)。
・スペインのショートパス数は1983、フランスは1415、ドイツは1373、ギリシャは692本。
・ゴールポストやバーに最もシュートを当てているのはポルトガル(4本)
・オランダ戦でのロナウドのシュート数12はレコード。

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2012年6月11日 (月)

ドイツ代表 オランダ戦までのスケジュール

ブンデスリーガのHPに公開されていたドイツ代表のオランダ戦までのスケジュール。

6月12日(火)

8:30までに起床・朝食

9:00 
チームマネージャー・ビアホフのプレスカンファレンス

9:30 
警察のエスコートによりキャンプ地から空港へ移動

10:15 
グダンスクからハリコフに移動(12:30到着予定)、その後メタリストホテルに移動(予定移動20分)

13:00 
昼食(魚、肉、パスタ、ポテト、サラダ、果物)、その後休憩

16:00 コーヒータイム、チームミーティング

17:15 
UEFAプレスカンファレンス(レーヴ監督とシュヴァンシュタイガー)

17:45 メタリストアリーナで調整トレーニング

20:30 夕食(魚、肉、パスタ、ポテト、サラダ、果物)

22:30 就寝

6月13日(水)

10時までに起床・朝食

11:30 軽いトレーニング(30分)

13~14:00
昼食(魚、肉、パスタ、ポテト、サラダ、果物)、その後チームミーティングと休憩

16:00 
コーヒータイム、最終ミーティング、その後各自準備

18:30 
警察のエスコートによりホテルからスタジアムに移動

19:15 到着予定

20:00 チームでウォーミングアップ

20:35 国歌斉唱

20:45 キックオフ

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2012年6月 4日 (月)

行動学入門 - 三島由紀夫

雑誌に連載されていた3つのエッセイがまとめられて1974年に発行された本。「行動学入門」は若い男性読者のために、「おわりの美学」は若い女性読者のために、わかりやすさを主眼にしているが、「おわりの美学」は明らかに半分ふざけている、と三島由紀夫本人があとがきで書いている。

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I 行動学入門

「目的のない行動はあり得ないから、目的のない思考、あるいは目的のない感覚に生きている人たちは行動というものを忌みきらい、これをおそれて身をよける

「力を増せば増すほど、自分の直接的な肉体的な力からは遠ざけられてしまう。そして最後の最後には、脂肪太りの腹の突き出た将軍になって、安楽椅子に埋もれて工業用テレビを見ながら作戦全体の指揮をとるようになるのであろう」

「わからないということが、人々を魅了することが行動の心理の大半であり、また、わからないということが人々に与える不安が、行動の不安の大半である。
したがって、われわれの言う行動の心理においては、プラスの力とマイナスの力がほとんど同じに引き合っていると言える。そのとき、われわれはプラス・マイナス、イコールゼロという、全くむだなことを考えて生きているのである」

「最後のとどめの一撃が猪の急所に当ることが狩人の誉れであり、目標である。そのためにこそ待機がいるのである。われわれは一発勝負のために待機の時間を長くする。・・・いわば待機は一点の凝縮へ向かって、時間を煮詰めていくようなものである

「その全身をかけに賭けた瞬間のためには、機が熟し、行動と意志とが最高度にまで煮つめられなければならない・そこまでいくと行動とは、ほとんど忍耐の別語である

「ことばでもって自分を鼓舞することは常に危険である。・・・長い待機の時間はことばではないのである。行動とことばとの乖離が行動を失敗させるように、ただことばや観念で待機に耐えようとする人間は必ず失敗する。坐禅がその間の消失をよく説明しているが、面壁して何時間でも坐っていなければならぬという、あの精神状態には、生き、動こうとする人間の行動を徹底的に押しつぶして、そこに人生の真理に到達する精神的なバネを、たわみ込んでいくという発明がみられる。行動がことばでないと同様に、待機もことばではない。それはただ濃密な平坦な、人生で最も苦しい時間なのである

「われわれは行動しているときには勇気を持つことができるが、そのような受け身の状況で勇気を持つことはむずかしい。しかし、あの(ベトナムの)死と不安の闇の中で待ち続ける勇気こそ、行動にとって最も本質的な勇気なのである」

「計画には盲点があり、人間の心には盲点がある。この盲点に向かって挑むことが行動と計画とのギリギリの接点であり、またその面白さであるといえるのであろう」

「いかに仕立のよい背広を着、いかにカッコよく、いかにスマートに見えても、その行動様式自体が醜いときに、われわれはそれを醜いと言うのである。行動様式は内面的なものを多く含むから、美は形だけではなく、内面的なものによって左右されることがよくわかるのである」

「芸能の本質は、”決定的なことが繰り返され得る”ということろにある。だからそれはウソなのである。・・・『葉隠』の著者が芸能を蔑んだのは多分このためであり、武士があらゆる芸能を蔑みながら、能楽だけをみとめたのは、能楽が一回の公演を原則として、そこへこめられる精力が、それだけ実際の行動に近い一回性に基づいている、というところにあろう」

「数が増すほど行動のヴォルテージが下がり、数が減るほど行動のヴォルテージが上がって、例えばテロ化する」

「会社の社長室で一日に百二十本も電話をかけながら、ほかの商社と競争している男がどうして行動的であろうか?後進国へ行って後進国の住民たちをだまし歩き、会社の収益を上げてほめられる男がどうして行動的であろうか?現代、行動的と言われる人間には、たいていそのような族社会のかすがついている

II おわりの美学

「学生が人生に無知であって、考えが浅薄で、いい気なもので、甘い理想家で、虚勢ばっかり張っていて、そのくせ自信がなくて、・・・・・・という点では、今の学生も昔の学生も、少しも変わりがないという気がします」

「学校というところは、中途半端な考え方をする口うるさいヒヨッコどもの檻である」

「本当の卒業とは、”学生時代の私は頭がヘンだったんだ”と気がつくことです」

「成功者とは、年齢に応じて力のすりかえを巧くやり、要するに十八歳から八十歳まで、その時その年齢に応じた最高の力を発揮した男のことです」

「美女は一生に二度死ななければならない。美貌の死と肉体の死と」

「”あやまったから、さっぱりしろ”という要求が通るのは、男の世界だけの話であって、女にそんなことを要求するのは、”オイ、男らしくしろ”というようなもの」

「”いやなことは早くおわらせたいが、いつかおわるのを待つほかはない”という日本式人生観は梅雨のおかげで育まれたものではないでしょうか

III 革命哲学としての陽明学

「戦後民主主義が立脚している人命尊重のヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのである

「(聖人との)同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもっと巨大なニヒリズムと同一化することである」

「一方では宦官の中傷讒謗によって人間社会の醜悪な裏面に度々傷つけられつつ、自分の思想にますます磨きをかけて、真理は自分の中にあり”という神秘的な体験に到達したことが陽明学の起こりであった。この逆境の中に思想を完成する伝統はいままで述べたように脈々として西郷隆盛に至るまで通じている」

「いまや自民党も共産党も同じような次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、目前の事態の処理によって大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、という術策に憂き身をやつすようになった

工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によって埋められ精神の飢えが再び飽満した食欲によって満たされることになった。・・・人の心は死、魂の死を恐れないようになったのである」

あとがき

「まじめで良心的なのも思想だが、不まじめで良心的という思想もあれば、又、一番たちのわるいのに、まじめで非良心的という思想もある。私はこの第三の思想だけは陥りたくないと、日頃自戒している者である。
 この本は、私の著書の中でも、軽く書かれたものに属する。いわゆる重評論ではない。しかしこういう軽い形で自分の考えを語って、人は案外本音に達していることが多いものだ。注意深い読者は、これらの中に、(私の小説よりもより直接に)、私自身の体験や吐息や胸中の悶々の情や告白や予言をきいてくれるであろう。いつか又時を経て、”あいつはあんな形で、こういうことを言いたかったんだな”という、暗喩をさとってくれるかもしれない」

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