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2011年12月30日 (金)

五輪書 ー 宮本武蔵 (地・水之巻)

宮本 武蔵

1584年生まれ。二刀流剣法の二天一流の祖。13歳ではじめて試合をして勝利し、60余度の試合で一度も負けなかった。1943年から岩戸山霊巌洞にこもり「五輪書」の執筆を始め、1945年5月19日に死去する数日前に弟子に与える。書画などにも優れた文武両道の士だった。

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地之巻

自らの兵法の道を、二天一流と称し、長年鍛錬してきたことを、初めて書物に書きあらわそうと思い、ときに寛永二十年十月上旬頃、九州肥後の地、岩戸山に登り、天を拝し、観世音を礼拝し、仏前に向かう。・・・自分がやっているもろもろに芸術や技能も、自分が究めた兵法の理に従ってやっているので、万事において、自分に師匠はいない。

・・・まず武士は文武二道といって、この二つの道をたしなむことが大原則である。・・・ふつう、武士の気持ちを推し量ると、武士はただ死ぬという道をたしなめばよいと考える程度のことである。死ぬという覚悟の道においては、武士だけに限らず、出家であっても、女であっても、百姓以下に至るまで、義理を知り、恥を思い、死を覚悟することについては、なんら違いはない。

・・・剣術だけに適用できる理であっては、剣術さえも知ることはできない

本書は兵法を五つの道に分けて、その一巻ごとにその道理をわからせるために、地・水・火・風・空と名づけて、五巻に書きあらわすものである。

・・・まず地の巻においては、兵法の道のあらまし、わが流儀からの見方を説く。剣術だけを通り一遍にやっているだけでは、本当の道を得ることはできない。大きなところから、小さなところを知り、浅いところから深いところに至る。

・・・第二番目の巻物を水の巻と名づける。水を手本として心を水のように自在となすのである。水は・・・一滴ともなり、蒼海ともなる。・・・一をもって万を知るということは、兵法の道理なのである。

・・・第三番目の巻物を、火の巻と名づける。この巻には戦いのことを書き記すものである。・・・大胆に心を開き、細心に気を配り、研究してみることである。ただし、大きなところは見えやすく、小さなところは見えにくい。

・・・第四番目の巻物を、風の巻と記すのは、わが一流のことではない。世の中の各流儀について書き載せるからである。・・・他流のことをよく知らなくては、自己の流派も知ることはできない。いかなる道においても、邪道というものがある。日々、その道に励んでも、本道から外れているならば、自分ではよい道だと思っても、実際には本当の道ではない。・・・最初はわずかな心の歪みであっても、後では大きな歪みとなるのである。

・・・第五番目の巻物を、空の巻と名づける。この巻を空と書きあらわすのは、空であるから、奥というのもなく、入り口というものもない。道理を得て、しかも道理にとらわれることがない

わが流儀を二刀流と称えるのは、武士は将にしろ卒にしろ、直接腰に二刀を帯びるのが勤めだからである。・・・持っている武器を役に立てず、腰に納めたままで死ぬことは、まことに不本意である。・・・自分の流儀においては、長いものでも勝ち、短いものでも勝つ

・・・道の中で、儒者、仏者、風流人、礼法家、能楽の舞の人、これらのことは、武士の道にはない。自分の目指す道ではなくても、道を広く知れば、それぞれに通じるものである

・・・わが兵法を学ぼうと思う人には、道を行う原則がある。

第一に、邪(よこしま)なことを思わないこと。
第二に、兵法を鍛錬すること。
第三に、広くもろもろの芸に触れること。
第四に、広く多くの職の道を知ること。
第五に、物事の利害得失をわきまえること。
第六に、あらゆることに鑑識力を養うこと。
第七に、目に見えないところを悟って知ること。
第八に、小さなことにも気を配ること。
第九に、役に立たないことはしないこと。


水之巻

・・・兵法の道において、心の持ちようは、平常の心と変わってはならない。平常にも、戦いのときにも、少しも変わることなく、心を広く、まっすぐにし、緊張しすぎることなく、少しも弛むことなく、心が偏らないように、真ん中に置き、心を静かに揺るがせて、その揺るぎが、一瞬も揺るぎやまないように、よくよく研究しなければならない。

・・・平常の身体の使い方を戦闘のときの身の使い方とし、また戦闘のときの身体の使い方を平常のときの身体の使い方とすることが肝要である。

・・・観すなわち心の眼で見ることを第一とし、肉体的な眼で見ることを第二とせよ。遠い所を近くに見、近い所を遠くに見ること・・・こうしたことは、急が迫ってから、にわかに身につけることはできない。

・・・構えは五つ(上中下左右)の外にはない。どの構えであっても、構えにとらわれず、斬ることを考えなければならない。

有り構え無構えの教えのこと
・・・上段もときによって少し下げるだけで中段となり、中段も必要に応じて、少し上げれば上段となり、下段も折りにふれ、少し上げれば中断となる。・・・このようなわけで、構えはあって構えはないという理となるのである

一拍子
ひとつひょうし。敵が太刀を、引こう、はずそう、打とうと思う心が起きないうちに打つ拍子

二の腰の拍子
打つと見せかけて、敵が叩いてたるんだところを打ち、引いたところをすかさず打つ

太刀に潜る身
自分の太刀と自分の身体とを、一度に動かしては打たないもの

打つと当たる
打つというのは、・・・心に決めて、確実に打つことをいう。当たるというのは行き当たるといったほどのもの

秋猴(しゅうこう)の身
手を出す心を持たず、敵が打つよりも速く、身体を速く寄せていく呼吸

漆膠(しっこう)の身
顔や足が速く入っても、身体の他の部位を残さず体に隙間を作らない

面をさす
常に敵の顔を、自分の太刀先で突く心でいること

多敵の位
あとさきを見分けて、先にかかってくる者とまず戦い、大きく目を配り、右の太刀も左の太刀も、一度に振り違えるように斬る。待つことはよくない。呼吸を呑み込めば、一人の敵も、十人二十人の敵も、同じように安心して戦えるようになる

兵法において、太刀を取って、人に勝つ理を会得するには、まず、五つの表(形)をもって、五方の構えを知り、太刀の道を覚えて、全身がやわらかになり、心の動きがよくなり、戦いの拍子を知り、自然と太刀の使い方も冴えて、身も足も、心のままに自由自在となる。・・・千里の道も、一歩一歩歩んでいくのである。

千日の稽古を鍛といい、万日の稽古を錬という。よくよく吟味すべき言葉である。

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