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2011年11月の3件の記事

2011年11月25日 (金)

菊と刀 - ルース・ベネディクト ②

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第8章 汚名をそそぐ


・・・日本ではその人に良いことがおきたときも、侮辱されたときも、同じくらい強くそれを意識します。日本人にとって、侮辱に対して何もなさないことは、「自らの世界が傾く」ことになります

・・・自らの評判をきれいにするためには、人は自身の感情を抑制しなければならないのです。女性は出産に際して大声で泣き叫ばず、男は痛みや危険に動じず、洪水に見舞われたときは、慌てず走らずといった風に、自らの気持ちをしっかりと抑制するのです。

・・・日本人は、人と勝ち負けを争うときに、きわめて神経をすり減らします。自分ではなく他の人が就職に成功したり、競争の激しい試験に失敗したりした場合、その人は敗北したことに強い恥辱を感じます。・・・こうした状況を回避するために、日本人は直接の競争を避けるさまざまな方法を考案しました。・・・小学校では、だれも落第せず、通信簿も、努力したことや学校での態度を評価し、成績そのものを評価したりはしないものです。・・・日本人は生涯を通じて、直接の競争を避けようとしています。そして、一般社会では、人と人との対立を避けるために、多くの仲介者が活動します。・・・何かおきたときに、仲介者にお願いをすれば、名に対する義理に悩まされずにすむわけです。

・・・戦争が終結すると、アメリカ人はお辞儀と微笑みをもって歓迎されました。・・・日本人は現在のこの瞬間、敗北の中で自らの面目を保とうとしているのです。そして、友好にすることが、その方法であると思っているのです。

第9章 人の情の領域

・・・寝ることは日本人が愛するもう一つの楽しみです(最初の一つは温泉)。彼らはどこでも睡眠をとります。西欧の人々から見てありえないような場所であっても。それでいて、日本人はあっさりと睡眠を諦めます。受験勉強に日夜取り組む学生は、睡眠がテストでよい成績をとるために必要なことであるとは思っているわけではないのです。

 食事は、暖まることや睡眠と同様に、寛いで人を幸せにするものといえましょう。日本人は少量の料理が一品ずつ出される長い食事を楽しんでいます。・・・しかし、こうした食事以外では、食べ方に決まりがあります。それは急いで食べることです。食事は重要なことではなく、生きるためにしなければならないことなので、時間をかけてはいけないのです。

・・・日本人には、幸福を追求するという考えはなく、可能なときは幸福を楽しむが、国や家族とのかかわりに対して、幸福を追求するという考え方を導入することはありえないのです。日本人は、悪であると意識しないこれらの楽しみを、いつでも諦めることができます。それには強い意志が必要です。その強い意志こそ、日本人が最も大切にする美徳の一つなのです

第10章 美徳のジレンマ

日本人は、「人間のすべての義務」を、あたかも国がいくつもの地方に別れていることと同じように見ています。人生を、「忠の領域」、「孝の領域」、「義理の領域」、「情の領域」、そしてさらに幾つもの領域に分けて考えているのです。それぞれの領域にはそれぞれの規律があり、人は他人をみるときに、一つの統合した人格として判断しません。・・・状況によって、それぞれの領域に従って、異なった行動をとることが適切であると、定められているのです。たとえば、1945年の8月まで、日本人は最後の一人まで敵と戦うべきだと信じていました。ところが天皇が降伏を受け入れ、状況が一転すると、日本人は占領をしに来た人々に必死でよくしようとするのです。

・・・西洋の人が日本人のこうした区別された領域を理解するために最も大切なことは、そこには「悪魔の領域」が存在しないということなのです

・・・西欧の人は、人が古い因習にあがらうとき、そこに強さを見いだします。日本人は、それに従うことに強さを見いだすのです。

・・・軍事勅諭と教育勅語は、日本にとって最も重要な文章といえます。神道も仏教も聖典を持ちません。従ってこの二つの文章が、聖典の地位を得たのです。・・・軍事勅諭のすべては、「義理」よりも「忠」が大切であることを強調しようとしたものです。それが書かれたころ、きわめてよく知られていた「義理」という文字は、そこには一度も使われません。そのかわり、「忠」は上位の規範であり、私事での責務は下位の規範であるとされています。

・・・現代の日本人がある道徳的美徳を他の領域より重要視しようとするとき、よく誠実、あるいは「誠」という概念を選びます。この概念も勅諭に書かれています。・・・もし誠実な心を持たなければ、その人の言葉や行動は、それがいかに優れていても、何の意味ももたなくなります

・・・日本での「誠実」の本当の姿は、日本人の規律や精神に従う情熱のことなのです。「誠」は自らのためや、自らの利益のために動くことを常としない人への賛辞として使用されます。・・・この言葉はまた、感情に左右されない人をさす言葉としても使用されます。それは日本人の自制心の価値観を示しているからです。

・・・全ての人が同じルールでお互いに助け合いながらゲームをしているときが、日本人は最も幸福なのです。しかし、いったん海外に出ると、そこの人々は同じルールに従いません。すると、日本人はどうしていいかわからなくなります。日本人はその国にルールを探しますが、何も見つかりません。そして、怒りを覚え、驚愕します。・・・ちょうど盆栽のように、もしそれが小さな鉢の中に植えられているならば、それは美しい庭を創造する素材となるでしょう。しかし、それらがハチから取り出されたとき、元に戻ることはできなくなります。それが日本の美徳のジレンマなのです。

第11章 修練

日本人は、試験の準備をしている学生や、剣道の試合にのぞむ剣士には、試験や試合で試される知識とは全く異なった修練が必要だと信じています。本や剣を横において、特別な訓練をするのです。

技能を磨く修練は、日本において、人の人生での行動を改善してゆこうとする考えに基づいています。・・・ちょうどゲームやスポーツに長けた人が、うまくなるために必要な自己犠牲について文句を言わないように、人々は修練に対して苦情を口にしないのです

第12章 子供は学ぶ

日本人は、体力もお金を稼ぐ力も頂点にあるときに、自分の人生を自由に操れないのです。

・・・少年は自分の欲することをますます取り上げられます。しかし、その代わりに最も大切なこと、すなわち世間に受け入れられようになるのです。日本ではその傾向が他にもまして遥かに強いのです。そして、生涯を通じて、日本人は世間からつまはじきにされることを恐れて生きてゆくことになります

・・・日本では、国中で菊を鉢に育て、その美しさを披露します。・・・花に合わせてしつらえられた見えない針金の小さなラックによって形を整えられています。そんな針金を取り去る機会が来たことが、杉本夫人にとっては嬉しかったのです。しかし今、日本人が自由によって変化し、拘束されて来た「恥」に疑問を持つようになれば、それはそれで人々を悩ませるかもしれません。今、日本は新しい生き方を学ばなければならないのです。変化は、高くつくのです。

・・・より自由へと傾斜してゆくなかで、日本人にとって、ある種の古くからの美徳はその手助けとなるでしょう。その中の一つは、自己責任という価値観です。日本人は、体が錆び付くことは、その人の責任だといいます。その意味するところは、体は刀のようなものだということです。刀を帯びる者は、常にそれを磨いておかねばなりません。同じように人は、自らが行ったことへの責任をとらなければならないのです。日本人にとって、刀は戦争の象徴ではなく、自己責任の象徴なのです

第13章 第二次世界大戦以降の日本

日本人にとっては、敗北からの恥を拭うことができ、新しいシステムに向けて挑戦する機会が与えられたことになります。日本人の特別な性格によってこれは可能となったのです。・・・戦争が終結して5日目に、毎日新聞は、敗戦についての論文で、結局のところ、この敗戦は日本にとってすばらしいことになるだろうと、書いているのです。

多くの西洋人は、日本のこうした態度の変化を見て、日本人は正直ではないと思うかもしれません。しかし、それは個人のレベルでも、国際関係のレベルでも、日本人の最も本質的な行動なのです。

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2011年11月15日 (火)

菊と刀 - ルース・ベネディクト ①

Ruth Benedict(ルース・ベネディクト)
1887-1948


ニューヨーク生まれ。文化人類学者。
第2次世界大戦中の1944年にアメリカ戦時情報局の依頼で日本関連の調査を開始し、2年後、その研究成果を「菊と刀」として出版。

まえがき

・・・ある人は言います。あまりにも西欧の主観によって日本を断じた偏見に満ちた書籍であると。また、ある人は、調査に不十分なところはあるとはいえ、主張するところはもっともで、日本文化を語る貴重な書籍だと。
・・・あまりにもあからさまに突きつけられた日本人の価値観に、思わず日本人が拒絶反応をし、本書の中に見える事実誤認の事例とリンクして批判の対象となってしまうという側面もまた否めません。
 そこに描かれているのは少なくとも70年以上前の日本の姿であり、中には江戸時代から現在に至る日本の価値となります。それが変質し、形を変えて現在に受け継がれていることを、我々が気付くよい機会となる書籍ではないでしょうか。

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第1章 日本という研究課題

 日本人は、今までアメリカが戦ってきた相手の中で際立って異質な民族です。・・・そしてこの日本人のものの考え方こそが、最も厄介な事柄なのです。我々は、戦争に勝利するためにも、日本人の習性を理解しなければならないのです。

・・・菊を栽培するにあたって、それを芸術の高みにまでもってゆく人々について記したあとで、続編を出版するとして、刀や武士を崇める文化について執筆する必要があるでしょうか。しかし、この矛盾は、日本人を語る際にはごく当たり前のことなのです

第2章 戦時下の日本

日本が戦争を正当化するための考え方すら、アメリカ人のそれとは正反対のものでした。・・・日本は、もしもすべての国々が独立し自由を獲得することになれば、世界に混乱が生じると考えます。すなわち、序列による秩序をつくるために日本は戦う必要があったのです。・・・彼らにとって最も大切なのは、階級的な上下関係への強い信奉です。

・・・日本人は物質文明より精神主義が勝ると考えます。・・・これは、物質を信ずるアメリカ人への、精神を信ずる日本人の戦いなのです。・・・日本の政府は民間に対しても、物質に対する精神至上主義に基づいた指導を貫きます。・・・アメリカ人にしてみれば、そんなこと(肉体は死んでも魂が体を動かすこと)は嘘だと思うでしょう。しかし、教養ある日本人はそれを聞いても笑いません。彼らは、日本人はこの話を信じていると確信しているのです。魂は鍛えられ得る。

・・・日本は安堵の気持ちや士気は、事態への心の準備ができているかどうかによるものだと言っています。たとえば、サイパンの陥落やフィリピン防衛の失敗といったまずいことが起きたとしても、日本人はそうなることをわかっていたと言うのです。

・・・人々が消耗品扱いされている最もひどい事例は、降伏を認めない方針でした。・・・名誉を保つためには闘って死ななければならないのです。

第3章 分相応に振る舞うこと

・・・平等ではない状況が何百年にわたって人々を支配してきました。序列の中で生きることは、彼らにとって息をするのと同じように自然なことなのです。・・・いかに日本が西欧化しようと、そこは未だに序列の国です。あらゆる挨拶や、人との接触方法一つをとっても、人々の間の関係性が影響を与えています。

・・・人々は「維新」という声をあげはじめていました。それは過去に戻り、昔のやり方を取り入れようということでした。革命とは正反対です。

第4章 明治維新

・・・上に立つ者も、その下で働く者も、与えられた役割を逸脱することはありませんでした。その役割の中で分をわきまえている限り、全てはうまくいったのです。彼らは安堵するのです。そのことが、ちょうどアメリカが平等で自由なビジネス活動を大切にするように、日本人にとって大切なことなのです。・・・日本人は自らの「分」という考え方を他国が受け入れなかったときに、瓦解していったのでした。

第5章 過去と世間への負い目の中で

・・・この「お世話になっているから」という意識は、日々のすべての行動や決裁の基準となっているのです。西欧人は、世の中に対してそのように感じることはほとんどありません。そして、日本人は西欧人の態度はよくないと感じます。

・・・我々(アメリカ人)が、愛はどのような義務もなく、自由に与えられる何かであると考えることとは異なり、(日本人にとって)その本質的な意味は、「負債」なのです。

・・・それが誰であるかというよりも、誰に恩を感じるかが重要なのです。第二次世界大戦中、恩をより強く意識させるために、全ての煙草が天皇の名前によって下賜されていました。神風特攻隊のパイロットは、天皇への恩に報いようとしていたのでした。

・・・ドイツのような国においては、両親は、自分たちの子供にいうことをきかせようと懸命になります。しかし、日本では、親のいうことに従うために、子供の方が懸命になるのです。

・・・一方で人々が恩を望まないことも多々あります。日本人は見知らぬ人からちょっとした好意を受けることを望まないのです。・・・特に、改まっていない場所では、日本人は恩に関わりたくないようです。・・・「負債」を負うことは辛いことです。従って人々はそれに対してまずは躊躇するのです。・・・こうした些細なことを気にかけるのは、アメリカのギャングなどに通じる意識です

第6章 一万分の一のお返し

恩は負債です。従って、それは返さなければなりません。しかし、日本ではそのすべての返済は、まったく別の概念に属しています。・・・愛は心の問題で、それはこうした貸し借り無しに与えられることが最善です。・・・我々はこうしたことを、お金について考えるときのようには捉えません。それはビジネスで成功した時に求める報酬ではないのです。

第7章 最も困難な恩返し

・・・(アメリカ人は)誰かから手紙や贈り物を受け取ったとき、その人は返済をする必要はありません。しかし、日本人はもし義理を返さなければ、お金を返さないことと同じことだと思うのです。ということは、彼らは常に人が言ったり、したりした些末なことを覚えていなければならなくなります。・・・義理を果たさないことは、西欧の人がお金を返さないことと同じで、もし返済が遅くなれば、その人はさらに多くを返さなければならなくなるのです。

つづく・・・

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VfBシュトゥッツガルトの教育

 他の学生スポーツと比較して、サッカーのトレーニング時間は1週間当たり11~15時間少ないという統計が出ています。しかし、移動時間等を含めると週に約65時間は学校とスポーツに時間が使われ、常に厳しいスケジュールの中で生活しなければなりません。ドイツでは、将来性ある子供が学業とサッカーを両立できるように、プロクラブと学校が提携し、少しでも時間的なストレスなどを軽減する努力がされています。しかし、多くの場合、問題は時間ではなく選手の頭の中にあるようです。現実には能力不足やケガ等でプロになれる子供はごく一握りになってしまいますが、「どうせ将来プロでお金を稼げるから、学校なんか意味がない」というような考えを持つ子供は少なくありません。

 学業とスポーツの関係を見てみると、学業の成功はスポーツの成功にも反映される(逆に悪い面も)という統計が出ています。学校で他人の邪魔をせず真面目に授業に取り組み、宿題を仕上げ、無駄な時間を作らない人は、向上心、信頼性、意志、尊敬、規律といった、サッカーでとても必要とされる要素を持ち合わせていることを証明しています。また、教養ある選手は、自立していて創造性豊かで、サッカーの世界でも高い問題解決能力が発揮され、プレーの面でも決定的な場面で正しい判断が下せる傾向にあります

 時間不足の問題は、サッカー以外の友人関係やサッカー以外への興味・関心にも影響を及ぼします。プロになるならないに関わらず、若いうちに他の分野の世界を経験したり、サッカー以外で親しい友人を作ったりすることは人間的な幅を広げる意味でも大変重要なことです。また、サッカーと異なった話題は、学校やトレーニングにおけるストレスを軽減する意味でも重要な役割を果たします

 このような不安定な時期の子供と接するコーチは、多くの問題を抱えると思います。大事なことは、全体に対して一般的な解決方法をとるのではなく、常に子供や状況にあった個別の対応をすることです。子供の話を聞いてあげること、勝利に酔いすぎず、失敗にもフェアであり続ける態度も大事なことです。コーチ自らが子供たちのお手本となり、チーム内に”フェアである”、”創造的である”、”自立している”、”規律正しい”、といったポジティヴな雰囲気を作り上げ、社会的な責任とともにサッカーに励んでいく必要があります。

VfBシュトゥッツガルト教育部長・コーチ
マルクス・リュート

Fussballtraining誌2011年8月号
インタビューより

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