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2011年4月の3件の記事

2011年4月20日 (水)

勝者のヴィジョン - アーセン・ベンゲル

尊敬すべき指導者アーセン・ベンゲルが1997年に書いた「勝者のエスプリ」に続く第2弾「勝者のヴィジョン」。アーセナルの試合は1度生で観戦したことがあり、ベンゲルとは2・3回会ったことがある(夢の中で)。

Arsene Wenger(アーセン・ベンゲル)

1949年フランス生まれ、ストラスブール大学卒。フランスでプロ選手としてのキャリアを終えた後、RCストラスブールでユースの指導に携わり、その後、ASカンヌやASナンシーで指揮をとる。1987年から1994年までASモナコで指揮をとりフランスリーグ優勝2回、フランスカップ優勝1回。

1995年から2シーズン、名古屋グランパスエイトの監督を務め、最初の10試合で8敗しリーグ最下位に低迷するも、最終的には前期4位、後期2位、天皇杯優勝。日本に残るかどうかの選択に迫られたが最後は「これ以上日本にいると、(指導者として)ヨーロッパに戻れなくなる」と決断し、イングランドのアーセナルFCと契約した。

1996年にアーセナルFC初の外国人監督に就任した当時、「どのアーセンだ?」と新聞で言われるくらいイングランドでは無名だったが、初めてのシーズンでリーグ3位(過去6シーズンで最高)、2年目でリーグ優勝とFAカップのダブルを達成。現在に至るまでアーセナルの監督を務め、アーセナル史上最も長く指揮を執っている。素晴しいのは成績だけではない。

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アーセナルでリーグとFAカップ優勝後:

「私は過ぎたことより、常に先のことを考えてしまう人間だ。バスの上から群衆に手を振りながらも、すでに優勝は過去の記憶の中に葬り去られようとしており、頭の中では次のシーズンのことを考え始めていた。私にとってどんなときも次の目標を求めるのは性分のようなものであり、そうである限り、現在という時間を感慨にふけって過ごす余地はない」

「最初のシーズンも、次のシーズンも、外国人では勝てないと言われ続けてきたのだから、もはやそんなことは気にもならなくなっていた。アーセナルの監督として実力を示し、前例を覆すことでしか皆を納得させることができないのを私は知っていた」

伝統、国籍、アイデンティティ:

「何かあれば矛先を向けられるというリスクを背負いながらも態度の良い選手、すなわちクラブに献身的な選手は、国籍にかかわらずサポーターに好感をもたれるものだということが私にはわかった。国籍が問われるのは、結局のところ態度に問題がある選手と有能でない選手の場合なのだ」

「文化的な相違はハンディキャップにもなりえるしメリットにもなり得る。ハンディキャップになるのは個々の選手が自分のことばかりを考え、相手を理解しようとしない時で、メリットになるのは相手との相違を逆に活用する時である。この力をプラスに活用し、皆が総力を結集した時には非常に大きな力になる。ただし他の文化を受け入れるには、まず心を開いておくという前提条件が必要になる」

「私はスタジアムでのプレーとは、スタジアムを離れたところで何をして、どのように過ごしてきたかの結果にすぎないと信じている」

「私はどうすれば自分のベストを尽くせるかについては、日々自問自答しているつもりだ。それはトップレベルのプレーヤーたち、すなわち日々競争に耐えている選手たちの姿勢と同じものだ」

「自分の殻を破らなければ何も学ぶことはできない。私は自分の家を出て彼らの家の扉をたたき、新し風を入れた。良いか悪いかは別にして、それらは彼らにとって新しい考えだった。自分が良いと思うことはきっと他人にも良いはず、と考え積極的に行動に移す。それが気に入られるかどうかは二の次でたいした問題ではない」

「現代の社会では、人間的な価値は低下し、逆に経済的な価値が高まっているように感じられてならない。まるで両者が反比例しているように、人間の価値が軽視され、マネーの価値が重視されるようになりつつある。サッカーには、こうした世相がより顕著に反映されているように思う」

「自分が母国を含めてどの国にも属していないような気もするし、また一方、至るところに存在しているような気もする」

日本のサッカー(1998年W杯):

「日本の攻撃は敵側のゴールから25メートルに入ると、とたんに迫力を欠くようになる。攻撃力のなさはテクニックとクリエイティビティのなさによるものだった。それはフィジカルの問題ととらえられがちだが、実はそうではなく、技術の質に問題があったのだ。フィジカル面では決してアルゼンチンに劣ることはなかった」

「プレーの創造性という点で国際レベルに達している選手がいるとすれば、それは中田だろう。だがこの時点では、ワールドカップのような国際大会でその才能を発揮するには経験が不足していた。つまりプレーが若すぎた。もっと効果的にプレーすべき場で、自分の力を誇張して見せたりするのも、ジュニアやユースの選手が犯しがちな過ちの一つだ」

「中田については前にも述べたが、その長所はテクニックとプレーのヴィジョンにある。一般に日本の選手に欠けている“自信”があることも重要な要素だ。テクニックがあるから自信が生まれるのだし、自信があるから余裕を持ってそのテクニックを発揮できるのだ。また彼にはビジョンがある、すなわち状況を把握しているから、そのテクニックを使えるということなのだ。サッカーでは見えている選手、素早く状況を把握できる選手が勝つ。これは日本ではあまり向上していない要素の一つでもある」

育成、個性の尊重、将来:

「ある日突然ロナウドが天から降ってくるのを待っているだけでは、ストライカー不足は解消できない。どんなに時間がかかっても、若い選手たちに育成のためのトレーニングを施していくことが大切だ。理想を言えば、こうした教育は12~13歳からスタートするのが望ましい」

「サッカーの本質的なプレーの醍醐味は美しい動きなどではなく、この有効性の中にある。日本ではまだ有効性よりも動きの美しさを重視する傾向がある」

「日本がフランスからコピーすべきはジダンではない。ジダンを生み出した教育のほうなのである」

「これは他のスポーツにも言えることだが、私は選手の技術が向上するということは、個人の自己表現を伸ばすことだと思っている。サッカーにおけるテクニックとは、作家の持つボキャブラリーに似ている。ボキャブラリーが豊富だからといって作家としての才能があるとは言えないが、ボキャブラリーが少なければ優れた小説を書けるわけがない。テクニックも同じことだ。実用的なボキャブラリーを増やしていけば、選手たちは思い通りに自己表現をするようになるはずだ」

「外から見ていると、日本の社会が、あまりに幼い時期に個性の違いを抹殺してしまっているのではないかという疑問を抱いても不思議ではない。幼いうちに集団の中で標準化される。そんな個人主義の対局に位置する教育を施すには、時期が早すぎるのではないかという疑問が湧いてくる。もしそうなら、サッカーのように攻撃的で、個人の特性を出していかなければならないスポーツにとって、それはあまり有利には働かない」

「一生に一度は、自分が今以上に強くなるために、自分自身と戦わなければならない時期がある。いまの中田がそうだ(ペルージャ時代)。戦うからこそ上に引き上げられていく。今の自分より弱くなるということは、転落を意味する」

「彼ら(フランス)は優勝したことがなくても勝者のエスプリを持っており、勝てると信じていたから、チャンピオンになったのだと思う。誰にだって人生で初めてのことはあるし、初めての勝利はある」

「勝者とは必ずしも試合に勝つものを意味しているわけではない。困難に打ち勝った者、征服したもののことなのだ。表面に表れるのは成功だけかもしれないが、成功している人ほど、同じ数だけの失敗をしているものだ」

「サッカーは、まずそれをプレーする者にとっては喜びであり、社会的な修練の場であってほしい。また、それを見る者にとっては幸福の一瞬であってほしい」

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2011年4月 7日 (木)

ランボー 最後の戦場 名言

ランボー3・怒りのアフガンから20年ぶりの続編。前3作と比べると酷いシーンがリアルになっている。現実をリアルに伝えるための制作側の意図らしい。

タイのジャングルでボート屋や蛇狩りをしながらひっそり暮らしていたランボー。隣の国ミャンマーでは、軍事政権による少数民族への弾圧が激化していた。そこで現地の少数民族に薬などを届けたいというボランティア団体が現れ、ランボーに案内を依頼する。しかし、無防備でお人よしが死に行くようなものだと考えているランボーは、「Go home」の一点張りのランボー。

サラ
「たぶん、あなたは人を信じられなくなってしまったのね。でも、何か信じられるものはまだあるはずよ。あなたが関わるべきことはあるはず。世界を変えることは不可能かもしれないけど。でも、人の命を助けようとすることは、あなたにとって無駄なことではないはず」

きれいごとを言っている連中にすぎないと思いながらも、ミャンマーまでの案内役を引き受けることになったランボー。途中で襲ってきた海賊を退治し、現地までグループを送り届けて引き返した。しかし、現地の村が軍に襲われ、グループのメンバーも全員捕まってしまう。グループと連絡の取れなくなったボランティア団体は、5人の傭兵を雇い現地の偵察を依頼。ランボーは現地までの案内役をまた頼まれる。葛藤するランボーだが、夢の中でトラウトマン大佐に会い、ようやく自分の生きている意義を受け入れたランボーは救出を決意をする。

ランボーの独り言
「国のためではなく、自分のために戦え。それが神が自分に与えた運命」

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最初は傭兵に正体を明かさず、案内役としてボートに乗ったランボー。傭兵のリーダーはランボーにからみ、他の傭兵たちも不平不満を漏らす。

傭兵のリーダー
「やつらは勝手にここに来た。”人類は兄弟”とか言って。だが違った。それで俺達悪魔に神の仕事をさせる気だ」

傭兵たちにとって、今回の任務は、幻想を抱いた甘ちゃんたちの尻拭い。早く任務を切り上げたいところだったが、現地人を痛めつける軍に遭遇してしまう。助けるのを躊躇する傭兵たちだったが、ランボーが現れ軍を退治して現地人を助ける。引き返そうとする傭兵リーダーに対して、

ランボー
「こんな所にいたいやつはいない。でも俺たちのような男がやるべきことがここにある。無駄に生きるか、何かのために死ぬか。お前が決めろ」

Ra2

覚悟を決めた傭兵たちと一緒にグループ救出を試みるランボー。反軍ゲリラ部隊の助けも借りて最後には軍の部隊を倒したものの、忠告を聞かず理想だけを掲げた平和主義グループの尻拭いをしたランボーや傭兵たち。「これが現実だ、わかったか」というランボーの表情で戦場シーンが終わる。

Ra3

最後は久々に故郷アリゾナに戻り、生きているかもしれない父を訪ねるランボー・・・。

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2011年4月 3日 (日)

ランボー3 怒りのアフガン 名言

心の傷を癒すかのようにタイで寺院の修理などをしながら静かに暮らすランボー。そこにトラウトマン大佐とグリッグス大使館付武官が現れ、極秘任務への協力を求める。何度も裏切られた経験しているランボーはなかなか首を縦に振らず、トラウトマン大佐も説得を試みる。

トラウトマン大佐
「ある彫刻家が特別な石を見つけたんだ。家で何ヶ月も掘って作品は完成した。友人たちはすごい彫刻を造ったと褒めた。でも、彫刻家は答えた。”造ったわけではなく、作品はすでに石の中にあった”」

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結局ランボーの気持ちは変わらず、ランボー抜きで任務が実行されたが、トラウトマン大佐たちは潜入したアフガニスタンでソ連軍に捕まってしまう。その知らせを聞いたランボーは、非公式でも救助に向かうと名乗り出た。

グリッグス武官
「これだけは断っておくぞ。捕まったり情報漏れの場合。君の存在について一切否定するぞ」

ランボー 「慣れています」

ソ連軍のザイセン大佐に拷問を受けるトラウトマン大佐も軍人魂を見せる。

ザイセン大佐
「君はアフガニスタンで捕まった最初のアメリカ人だ。おめでとう・・・運び込まれたミサイルはどこにあるんだ?」

「近くだ・・・おまえのけつの中だ」

案内人のアフガン人
「ここがアフガニスタン。昔アレクサンダー大王が、次にジンギスカン、そしてイギリス、今はソ連が支配を試みている。でもアフガン人は負けない。昔こんな祈りがあった、神よ、コブラの毒と虎の牙とアフガン人の復讐からわれらを守りたまえ」

「昔、アフガン王が戦場へ500人の兵の派遣を要請されたが5人だけ送った。最強の5人で勝った。500頭の羊より5頭のライオンがいいと」

ソ連軍に抵抗しているアフガンゲリラの人民戦士機構と接触。トラウトマン大佐を助け出したら、大佐にアフガニスタンの現状を世界に訴えてくれるのであればという条件で協力を得ることに。仲間として受け入れられ、アフガニスタンの国技ブズカシ(馬に乗ってヤギを奪いあい、円の中にヤギを投げ込むスポーツ)に混ざるランボー。

案内人 「神様も物好きだな」

ランボー 「なぜ?」

案内人 「熱い男ばかり作る」

ブズカシ中にソ連軍の急襲を受けるランボーたち。ランボーはソ連軍の砦に乗り込む。

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ザイセン大佐
「気は確かか?一人でソ連軍に立ち向かうのか?あの男は何者だ?神か?」

トラウトマン大佐 「神なら慈悲もあるが、彼にはない」

ザイセン大佐 「誰だお前は?」

ランボー 「お前の悪夢だ」

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最後は戦車を乗っ取り、ザイセン大佐のヘリと正面衝突。

一緒に戦ったアフガン人の子供
「ここに残れないの?」

しばらく考えたランボーは、
「行かないと・・・」

この映画をアフガンの戦士たちに捧げる

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