« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月の2件の記事

2010年9月30日 (木)

1.FC Reimsbachとの友好提携

      Reimsbach

選手やコーチとして3シーズン在籍し、7月のドイツ遠征でフッチU-14がお世話にもなった1. FC Reimsbach(ライムズバッハ)千葉県市川市のフッチSCの友好提携が2010年9月末に成立した。ライムズバッハはドイツ南西部のザールラント州にある人口2100人ほどの村で、地域に密着した活動や育成が評価され、2008年に州内でもっとも魅力的なクラブとして表彰された。天然芝ホームグランドと人工芝ミニサッカーコートのほかに、もうすぐ人工芝グランドも完成し、宿泊施設を備えたクラブ施設が拡大される。

友好提携やライムズバッハの詳しい情報はこちら

Buchwald3115

ドイツ遠征中は、クラブハウスに市長や区長、元ドイツ代表ブーフヴァルト氏が訪問してくれた。

Rimg0342
<クラブハウス前にて>

滞在中はクラブハウス2階の宿泊施設に泊まり、隣接する天然芝ホームグランドで練習と試合を行った。

Rimg0137

ライムズバッハのユースとフレンドリーマッチも行った。

Rimg0222
<会長とキッカーで遊ぶ選手たち>

10月の頭に監督のウドがまた日本にやってくる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年9月29日 (水)

サッカーバカを育ててしまう日本の教育?

(出版されて数年経っているけど)最近読んだ本の一部より


・・・


そして致命的なのが選手を育てる環境。ここでもまた、国家を支える人物を排出できない日本の教育と同じ問題を抱えている。

・・・

目先の一勝にこだわるあまりに画一化した「野球ロボット」を育て、根性論で連投に次ぐ連投を要求して選手の将来を潰す高校野球のどこが教育だというのか。今でこそ坊主頭を強制する野球部は減ったらしいが、外国人が見たら「これは“教育”ではなく“チャイルド・レイバー”だ」と言うに違いない。

とにかく管理に次ぐ管理で、・・・絶対的な権力を持った監督の指示どおりにプレーするのが「よい高校球児」であり、独特のフォームの投手やバットをぶんぶんと振り回す豪快なバッターなど、めったにお目にかかれない。これは野球に限ったことではなく、ほとんどの学校スポーツに当てはまるのではないだろうか。自分で考える自由な発想とは無縁の世界である。

だから日本にはいわゆる「スポーツバカ」が多くなる。野球なら野球、サッカーならサッカーしかできないような選手だ。そうした選手は「憧れの選手」であっても、「憧れの人間」には絶対ならない。

外国のスポーツ選手で「一流」と呼ばれる人は、「プレー」だけではなく、「ロールモデル」としての尊敬を集めている選手が多い。そうした選手たちは自分の影響力を社会に還元することをしっかり考えている。

例えばフランスのジダン。彼は日韓W杯前に行われたフランスの大統領選で、移民排斥を主張する極右のルペン国民戦線党主に投票しないように呼びかけた(ジダンはアルジェリア移民2世)。大統領候補に「フランス人ではない」と言われた「フランスのヒーロー」の言葉の意味は大きかった。W杯ではケガのために活躍できなかったが、それでも彼に対するフランス人の尊敬の念は変わることがないだろう。

日本で大人気だったイングランドのベッカムにしても、彼がW杯直前に左足をケガしたときに、それを騒ぎ立てる国民に対して「僕の左足より大事なことが世界にはたくさんある」と発言した。この「大事なこと」が、その時期に最も激しかったパレスチナでの武力衝突であったことは容易に想像できる。


アメリカに目を移せば、NBAのスーパースター、シャキール・オニール。大学在学中にプロ入りした彼は、通信教育で残りの単位を取得してルイジアナ大学を卒業した。「もし明日、自分に両腕がなくなっても、自分は人生の険しさに耐えていけるだろうか。バスケットしかできない自分ではダメだ。トータルな人間になりたい」と彼は言った。年に数十億円も稼ぐオニールにして、それでも「バスケットだけではダメだ」と考えているのだ。

いろいろなケースを紹介したが、共通するのは、彼らが「スポーツがうまいだけの人間」ではないということ。別の道に進んでいても、やはり一流になっていたのではないかと思わせる人ばかりなのだ。

翻って日本はどうか。「名将」と呼ばれた某プロ野球監督は「僕は野球のことしか知らないし、野球のことだけを考えていたい」などと言っていた。言い換えれば「自分から野球を取ったら何も残らない幅のない人間です」と、恥ずかしげもなく堂々と公言しているのである。こうした人物が「名将」だというのだから、その教えを受ける多くの選手も自然と師匠と同じ「野球バカ」になるのは当たり前だ。そんな選手に「ロールモデル」を期待するなど無理な話なのだ。もちろん彼ら選手が悪いのではなく、そうした「スポーツ以外のことは考えるな」という教育の被害者と言えよう。

この環境とダブって見えるのが、旧共産圏の「ステートアマ」と呼ばれたスポーツ選手たちだ。彼らも「スポーツのことだけ考えていれば金持ちになれる」という教育の下、スポーツ漬けの生活をし、コーチの指導の下、禁止薬物に手を出す選手も後を絶たなかった。

しかしその後、冷戦構造が崩れていく中で彼らはどうなったか。多くの選手が育成金を打ち切られ、指導者もいなくなった。しかし子供のころからスポーツしか知らなかった彼らには、第二の人生など無理な話。練習しようにも、練習メニューを作っていたコーチがいなくては何をしていいのかもわからなかった。旧東ドイツやロシアでは、禁止薬物の後遺症に悩まされていたり、なかには自殺してしまう元スポーツエリートも多い。「スポーツロボット」を製造しようとしている日本のスポーツ教育環境も決してひとごとではない。

社会をトータルに考えることのできないスポーツ選手育成は、何の疑問も抱かせずに知識を詰め込む日本の教育と全く同じ。自由な発想を許さない「出る杭は叩く」教育もそっくりだ。・・・スポーツを取り巻く環境は、その国の成熟度を顕著に示すパラメーターなのだ。

・・・

落合信彦著「国が死ぬ!」より 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »