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2008年9月の7件の記事

2008年9月27日 (土)

勝ち点は取ったものの、 vs Mayen

 前節は、ホームで強豪Homburg(ホンブルク)相手に0-0の引き分け。3連敗していただけに、この引き分けは大きかった。その前の3連敗も決してチャンスがなかったわけではなく、むしろWirges(ヴィルゲス)のほうが押していたにもかかわらず点が取れなかった。ホンブルク戦も入れたら、4試合でたったの1得点。

 今節は、アウェイでダービーとなるMayen(マイエン)戦。ホンブルク戦の勢いをそのまま活かしかったところだが、点がなかなか入らない。押している場面が多く悪くはないけど、点が入らなければ勝てない。

 そうこうしているうちに後半も終盤にさしかかり、ゴール付近の右サイドでフリーキックを取られた。放り込まれたボールをセンターバックのマヌエルがヘディングするが、そのボールが真上に飛んでしまい、さらにそのボールの処理をミスって膝かどこかに当たったボールがペナルティーエリア内にいた敵のほうにこぼれていった。俺は自分のマークがいたので、詳しいことはわからなかったが、あとからマヌエルに聞いたらそういうことらしい。こぼれ球を追いかけたけど敵のほうがボールに近いところにいて、俺はファールして止めることくらいしかできなかったと思う。

Mayenxwirges2008
<問題の失点シーン>

 写真でわかるように、敵はすでにゴールエリア付近。キーパーの守備範囲内だと思う。これに関してはいろいろとチーム内でも話しあった。

 何はともあれ、このあとキャプテンのトーマス・エシュがフリーキックを決めて、何とか1-1の引き分けに持ち込んだ。でも、得点力不足はまだ続きそう。

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2008年9月26日 (金)

ドイツで一番有名な日本人

 あるドイツに関する本を読んだら、「ドイツで一番有名な日本人は競輪の中野浩一である」と書かれていた。この本は10年以上前のものだと思うが、今のところ中野浩一を知っているドイツ人に出会ったことがない。ちなみに中野浩一は、世界選手権を10連覇していて、アートネーチャーのCMにも出ていた。

 実際にドイツで聞いたことがあるのは、小澤征爾、黒澤明、北野武、村上春樹など。あとは、俺の周りにはサッカー関係が多いので、やっぱりサッカー選手やスポーツ選手の名前がよく挙がる。サッカーでは中田英、中村、高原、小野、稲本がやっぱり知られているけど、中田が引退したことをまだ知らない人もいる。現在ヴォルフスブルクには長谷部が所属しているけど、アニメの影響のほうが強く、大空翼や日向小次郎、孫悟空のほうが知られている。ケンシロウやラオウを知っているやつも2人くらいいた。

 野球はほとんど普及していないので、イチローといっても全く通用しない。ウインタースポーツが盛んなので、スキージャンプの船木和喜を知っている人がたまにいるけど。日本、韓国、中国などの区別もつかないので、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーを日本人だと思っている人も多い。

 それ以外に日本といえば、定番の寿司、空手、侍、忍者、芸者、酒、神風などが思い浮かぶらしい。「こんにちは」、「さよなら」を知っている人もいるけど、混同していて出会った時にいきなり「さよなら」と言われるパターンも結構ある。

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2008年9月17日 (水)

久々の勝ち点 vs Homburg

 リーグ戦第7節、ホームでのHomburg(ホンブルク)戦。ここ3試合は3連敗しているので、そろそろ勝ち点が欲しいところ。相手のホンブルクは今シーズンも優勝候補に挙げられている。

 今シーズンからホンブルクの監督には、昔教わったことのあるイェンス・キーファーが就任していた。昔は破壊力のあるフォワードで、コーチをしていた時には110kgの巨漢だったが、若干細くなっていた。

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<マルセル(左)と元チームメイトのクリストフ(中)>

 Wirges(ヴィルゲス)は最近の3試合でたったの1得点。点が入る気がしない。そんな状態なので、攻撃の強いホンブルク相手での失点を0に抑えなければならない。いつもは前からがんがんプレッシャーをかけてボールを奪いにいっていたが、この試合では退いてコンパクトにまとまりチャンスをあまり作らせなかった。

 勝つためには点を取らなければいけないので、左サイドバックの位置からオーバーラップしてなるべく攻撃参加をしようとしたけど、攻め込まれる場面が多くて守備でかなり体力を消耗した。

 結局、失点を0に防いだものの、得点することもできず0-0で試合は終了した。ホンブルクという強い相手に引き分けは悪くないが、点を取って勝つチャンスも十分にあった。これをきっかけに、少しずつチームの状態がよくなっていけばいいと思う。

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2008年9月13日 (土)

ウィルゲスのキルメス(祭り)

 開幕2連勝で好スタートを切ったWirges(ヴィルゲス)だったが、第3節はアウェイでBad Breisig(バート・ブライスィヒ)に2-2の引き分け、第4節はPirmasens(ピルマゼンス)にホームで1-0で負け、第5節はアウェイでMetlach(メットラッハ)に開始18分で3点を取られて4-1で負けた。さらに、第6節のホームでのHasborn(ハスボン)戦では、攻めまくったのに得点が奪えず、ハスボンの唯一のチャンスだったといっていいほどのフリーキック1本を決められ1-0で負けた。

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<行進前、プラカートを持つジミーとスロボ>

 ハスボン戦で負けたので、次の日は日曜なのに朝っぱらから練習になった。その後、地元ヴィルゲスの街の祭りにチームで参加。他の団体と一緒に街を行進した。

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<デニスとマヌエル>

 前日の試合後はチームの食事会、次の日はキルメス参加で拘束されてみんなブーブー言っていたが、チームイベントにはしっかり参加しないといけない。

 写真のポータブルCDプレーヤーはマヌエルがいつも持ち歩いているもので、練習やアウェイの試合会場にも持ってくる。試合前はRockyの「Eye of the Tiger」から始まりテンションを高める。試合後、勝った時はがんがんかけているけど、負けている時は何人かの選手にボリュームを下げられるか電源を切られる。

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<ヴィルゲスのユースチーム>

 
2軍はこの日試合でいなかったが、ヴィルゲスのユースチームやおっさんチームも一緒に行進を行った。ヴィルゲスステッカーや試合パンフレット、チケットを道端の人たちに配りながら歩いた。

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<スロボとジミー>

 ジミーは軍のドイツ代表に選ばれて去年軍対抗のワールドカップに参加したが、その後怪我などがあり1年ほどヴィルゲスで試合に出ていなかった。第5節のメットラッハ戦で久しぶりに先発出場したものの、3点ビハインドの前半で一発レッドをもらい退場。久々の公式戦で散々な目に遭いへこんでいた。

 ハスボン戦では、後半にアルヤンが2枚目のイエローカードをもらい退場し、そのフリーキックから1点を決められた。さらに1点ビハインドの状態から、スロボが一発レッドで退場。

ということで、この日2人は行進の時のプラカード係に任命された。

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2008年9月 9日 (火)

ドイツ最古のワイン祭り ヴィニンゲンのワイン魔女

ラインラント・プファルツ州のWinningen(ヴィニンゲン)という村のワイン祭りに出かけた。コブレンツから車で約15分ほどモーゼル川沿いを走ると到着。

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<モーゼル川に光るネオン>

ヴィニンゲンは約2500人ほどの小さな村だけど、ドイツのきれいな村コンテストで優勝していて、ドイツで最も美しい村の一つにも挙げられている。

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<ヴィニンゲンのワイン魔女>

ヴィニンゲンのワイン祭りはドイツで最も古いものらしく、村の泉にはワイン魔女の像が建っている。

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<白ワイン>

1ユーロくらいで名物の白ワインが飲める。ワイン魔女の柄のついたグラスも1,5ユーロくらいで持ち帰り可能。

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<モーゼル川の上で花火>

訪れた9月7日はワイン祭りの最終日で、モーゼル川の上で花火があがりまくり。ちょっと前にライン川の有名な花火を見たけど、こっちのほうが人も少なくて距離がめちゃ近いので全然面白い。火の粉に注意。

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2008年9月 4日 (木)

オリバー・カーン引退試合

 9月2日、バイエルン・ミュンヘンのホームスタジアムでオリバー・カーンの引退試合が行われた。カーンはバイエルンのキーパーとして出場し、ドイツ代表と対戦。当初はバイエルンとドイツ代表で半分ずつ出場するという話が出ていたが、カーンはバイエルンのために出場したいと言ったらしい。最後のワールドカップに第2キーパーとして出場したことが理由なのかもしれない。

Kahn

バイエルン:
Kahn (76. Rensing) - Oddo (76. Heinze), Lell, Breno, Lahm (76. Stierle) - Sosa, Borowski, Van Bommel (46. Ottl), Ze Roberto - Toni (46. Klose), Podolski

ドイツ代表:Enke (46. Wiese) - Fritz (46. Hinkel), Tasci (46. Westermann), Metzelder, Jansen (46. Pander) - Trochowski, Rolfes (46. Hitzlsperger), Schweinsteiger, Marin - Gomez (46. Kuranyi), Helmes

主審:Dr. Markus Merk
観衆:69,000人
結果:1-1
得点:Trochowski (33.), Klose (51.)

試合は1-1の引き分けで終了。審判は、昨シーズンの最終戦でもバイエルンのために試合を吹いたマルクス・メルク。彼にとってもこの試合が最後のブンデスリーガで、試合終了後、カーンとメルクはユニフォーム交換をした。

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ハーフタイムに行われた「Millionenkick」では、10人の候補者がペナルティーエリア内からカーンの守るゴールに向かってシュートをうった。ゴールを決めた5人はそれぞれ10万ユーロを受け取り、カーンが止めた5本分の50万ユーロは社会プロジェクトに寄付された。

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カーン名言集:

「試合前、監督は敵に喰らい付けといった。俺はそれを実践したまでだ。」
(1999年のドルトムント戦でHeiko Herrlichの耳に噛み付いたことに関する質問に対して)

「俺たちは今日アドレナリン風呂につかっていた。」
(6-2でドルトムントに勝利したあと)

「玉だ。俺たちに必要なのは玉だ。(ボールの球ではない)」
(0-2でシャルケに負けたあと、チームに何がかけているかという質問に対して)

「今日はキャプテンとして初めて代表の試合に出場した。キャプテンはゴールを決めなければいけない。」
(7-1でイスラエルに勝利後、自分のしたオウンゴールへの質問に対して)

「ペナルティーエリア内ではキーパーは手を使ってもいいと思った。」
(2001年、ハンザ・ロストックに3-2でリードされている試合の終盤にコーナーキックを得たバイエルン。このときGKのカーンも相手ペナルティーエリア内に攻めあがったが、このコーナーをパンチングでゴールに叩き込んだ。このあと2枚目のイエローカードをもらいカーンは退場処分となった。)

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試合終了後:
「今日の出来事は、今までのキャリアの中で、そして最後の締めくくりとして最高のことだと思う。ありがとう!バイエルンは今シーズンもこれから先もトップであり続けるだろう。」

ブンデスリーガ557試合出場、国際Aマッチ86試合出場、タイトルの数24。

さらば、オリ。

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2008年9月 3日 (水)

カーン引退試合直前インタビュー

 タイタンや火山(Vul-Kahn)と呼ばれていた元ドイツ代表オリバー・カーンの引退試合が9月3日ミュンヘンで行われた。対戦カードはバイエルン・ミュンヘン対ドイツ代表で、カーンはバイエルンの選手として出場した。

 カーンは、ブンデスリーガ557試合出場、ブンデスリーガ優勝8回、ドイツカップ優勝6回、チャンピオンズリーグとUEFAカップでそれぞれ優勝1回、ヨーロッパ選手権優勝1回、世界最優秀キーパーにも4度選ばれた。闘将マテウスも、カーンの野心のすごさは半端でないと言っていた。

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Q:あなたにとってドイツ代表との引退試合はどのような意味をもっていますか?

カーン:もう一度アリーナでプレーできるのを本当に楽しみにしてるよ。私にとっても観客にとってもすばらしいお祭りになればいいと思う。

Q:あなたの中の哀愁がこの試合でもまた高まりますか?

カーン:わからない。私は3ヶ月間この試合のことをずっと考えていて、長い間引退の瞬間のための心の準備はしてきたつもりだ。

Q:この試合のためにトレーニングを積んできましたか?

カーン:いろいろやったよ。これからも続けると思う。ウエイトトレーニングや森でのランニングに多くの時間を費やした。ここ数日は簡単にチームとの練習もした。

Q:あなたはハーフタイムにもグランドに残らなければなりませんが、何が行われるのですか?

カーン:子供たちの保護や社会プロジェクトの一環となる「ミリオンキック」が行われる。そこでは10人が私に対してシュートを撃つ。ゴールが決まれば10万ユーロが手に入り、もし私がゴールを阻止したら、その10万ユーロは子供保護協会に寄付される。

Q:そのお金で子供保護協会は何をするのですか?

カーン:学校のモチベーションプログラム「Ich schaff´s(私はできる)」などに使われる予定だ。

Q:何があなたをこのような社会活動に取り組ませたのですか?

カーン:これまで多くの少年たちが私に助言を求めてきた。それはサッカーだけのことではなく彼らの人生の展望に関わることだった。

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Q:どのような活動を行う予定ですか?

カーン:まずはバイエルンの学校の生徒たちをしっかりさせたい。才能というものは一人の力では育たないものだ。このような直接的なふれあいを楽しみにしているよ。人生での成功には、忍耐、ハードワーク、意志が必要だ。そして、勝つために必要とされるのは能力のある人間ではなく、頑固で最後までやり遂げる人間だ。

Q:あなたはこれまでそのように生きてきました。

カーン:はい、私はそのような人間の典型だろう。そのように生きてきたつもりだ。私にとってはサッカーとテニスがすべてであり、12歳の時にはプロになりたいと思っていた。そして、世界で最高のキーパーになりたいと思っていた。

Q:あなたはAbitur(高校卒業資格)を取得しました。誰がこの助言をしたのですか?

カーン:私の父だ。彼もカールスルーエでプロ選手としてプレーし、監督も務めた。彼は私の人生において最初の影響ある人物だった。その後も、ヴィニー・シェーファーからオトマー・ヒッツフェルトまですばらしい影響力のある監督に出会えた。

Q:最後のシーズンで達成した、リーグとカップ戦制覇の2タイトルはあなたにとってどれだけ重要なものですか?

カーン:オトマー・ヒッツフェルト(カーンと同じく昨シーズンでバイエルンを去り、今シーズンはスイス代表監督)と私は、最後のシーズンの失敗はやり直しがきかないことを知っていた。それなので、どうしても成功したかった。我々は似たもの同士で運命共同体を結成していた。2人とも緊張感とプレッシャーが必要だった。

Q:最後のブンデスリーガからこれまでをどのように過ごしてきましたか?

カーン:20年間も続けてきたプロ生活が終わった後だから、最初は何か奇妙な感じだった。でも、いろいろなことをする時間ができてうれしいよ。アメリカやコートジボアール、サルデーニャに行くことができた。家族とも一緒に旅行ができたし、引退後はまず体を休めないといけないよ。

Kahn

Q:活動 - 隠退、どちらを好みますか?

カーン:私にとって隠退はありえない。私には与えられた課題があり、9月からそれに取り組むつもりだ。私に与えられた課題はサッカーだけではない。サッカー選手として人生の前半を過ごしたが、これから他のことをするべき時間がまだ残っている。

Q:何が待っているのですか?

カーン:引退試合のあとはアジアでの活動だ。スポーツと娯楽の要素を兼ねたもので、中国で最高のゴールキーパーを探すというものだ。それに加え、インターネット上でも他のアジアの国のキーパーがビデオが送れるように設定している。その他にもバイエルンの学校でのイベントなど様々なことを予定している。

Q:サッカー以外であなたに何が必要ですか?

カーン:長年の生活スタイルが変わって何か変化があるかもしれないが、今のところ何も感じていない。

Q:ブンデスリーガ新シーズンが始まる時のあなたの心境は?

カーン:不安や緊張などは一切なくなるだろう。感情無しにサッカーを見たい。ZDF局のコメンテーターとしての仕事があるから、システム、戦術、選手を注意深く観察したい。

Q:あなたは手厳しいコメンテーターになるのでしょうか?それとも思いやりのあるコメンテーターですか?

カーン:どちらでもない。中立的な立場を取り、私の経験を元に、テレビでは見て取れないことを視聴者に伝えしたい。

Q:いつからですか?

カーン:9月10日のフィンランドで行われるワールドカップ予選からです。

Q:引退して何があなたに欠けていますか?

カーン:試合、トレーニングなどは私にとってこれから必要のないものだが、チームが私にかけていると思う。そのような輪の中で私はいろいろと楽しいことを経験したからね。

Q:あなたは14年間ミュンヘンのシンボルであり続け、アグレッシヴなスタイルが注目されていましたが、昨シーズンは何か変わった気がします。

カーン:「カーンは常に本物である」と人々の中に記憶されていたのかもしれないが、私はこれまでミスも犯してきたし、決してパーフェクトではない。ただし、20年間のプロキャリアの中で私は常に誠実であり続けたつもりだ。ひょっとしたら、このことが人々に何らかの感銘を与えたのかもしれない。

Q:もう一度人生を初めからやり直したいですか?

カーン:それだけは勘弁だね。時はすでに過ぎ去った。でも、サッカーでは当たり前のことで、何かを成し遂げたら、そのときにはもう次のことが話されている。2001年にタイトルを獲得した時もそうだった。

Q:2001年のチャンピオンズリーグ決勝でヴァレンシアとのPK戦でファインセーブを見せました。

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カーン:あれは確かに特別な出来事だった。まず、チャンピオンズリーグを制覇できたこと。そして、この2年前にはマンチェスター相手にロスタイムで2失点して負けていた。さらに、1年前には準決勝でレアルに負けていた。この決勝でも負けていたら、バイエルンは絶対に停滞期を迎えていただろう。

Q:1999年、1-2でマンチェスターに負けた試合は、あなたの中で最悪の試合でしたか?

カーン:はい。しかし、それはもう昔のこと。負けた瞬間というのは、立ち上がることもできないほどの想像を絶するものだ。バルセロナでクフォーが号泣してたように。しかし、我々は負けを糧にして成長していく。そして、これは私のモットーの一つでもあるが、最後の笛がなるまでは決して終わりではないということも経験してきた。当時は本当にすごい選手が集まっていて、これだけ長い間チャンピオンズリーグで上位の成績を残せたのはすごいことだったね。

Q:2002年のワールドカップではタイタンの称号(MVP)を得ました。

カーン:当時私は絶頂期にいました。タイタンであった時期は朝から晩までとにかく結果が要求されました。私はすべてのセービングでタイタンであることを証明しなければなりませんでした。

Q:4年後、ドイツでのワールドカップではあなたはベンチにいました。この大会では、アルゼンチン戦でPK戦に突入した時に、あなたがレーマンに手を差し伸べるシーンがとても印象的でした。

カーン:あれは決して計画していたものではなかった。PK戦が始まる前に選手たちの間に立っていて何かを感じ、レーマンの所に行った。この行動は私にとって当然のことだった。個人的な感情よりも、ワールドカップで優勝することが私にとっては重要だったのだ。私は第2キーパーとしてワールドカップに参加した。この行動は自己克服であり、私にとってはある意味勝利であった。

Q:あなたが達成できなかった目標はありますか?

カーン:サッカーにおいて私がまだ達成したいと思うことはない。あとはビジネスの分野でも成功を収めたい。これはサッカーに関わる必要はない。時間はまだかかるかもしれないが、何かを決めたらそれに向かって突き進みたい。

Q:それでは、サッカーの世界に戻ることはないのですか?

カーン:それはわからない。20年のキャリアを終えて、今はそんなにやる気がしない。まだ時間が必要だ。

Q:バイエルンに(指導者として)復帰することは想像できますか?

カーン:もちろん考えられるよ。でもあったとしても当分先のことだね。今は全くありえないよ。

Q:あなたは哲学的なことを言いました。「サッカー選手は常に未来に生きている。」サッカー選手でないあなたにとって、これからの人生は?

カーン:サッカーでは常に次のタイトル、新しい選手、次の試合への質問が出てくる。まだシーズンの半分も終わってないうちに、次のシーズンの話がされている。バイエルンのようなクラブにいたら、決して楽しむような時間はないよ。今はようやく自分の時間を楽しめるよ。

Q:ミヒャエル・レンジング(カーンの後任若手キーパー)は成功しますか?

カーン:そう思うよ。キーパーとしてのポテンシャルを持っている。あとは、気持ちの問題だね。

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