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2007年6月の6件の記事

2007年6月22日 (金)

U21 ヨーロッパ選手権 in オランダ

 6月10日から23日まで、U21のヨーロッパ選手権(UEFA European U21 Championship)がオランダで開催された。出場国は、予選を勝ち抜いた7チーム(ベルギー、チェコ、イングランド、イスラエル、イタリア、ポルトガル、セルビア)と開催国のオランダ。4チームずつ2グループに分かれ、それぞれのグループの上位2チームが準決勝へ進出する。また、北京オリンピックのヨーロッパ予選も兼ねていて、5位までがオリンピックの出場権を獲得することになる。

 この大会は1978年から2年ごとに開催されていて、開催国のオランダは前回の初優勝に続き2大会連続優勝を狙っている。ちなみにこれまでの最多優勝国はイタリア(5回)、その後にスペイン、イングランド、ソ連(2回)が続き、フランス、ユーゴ、チェコが1回ずつ優勝している。

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<試合前の国歌斉唱>

 大会はオランダの4つのスタジアムで行われ、今回、ドイツ国境から近いArnhem(アーネム)という街で行われたイタリア対チェコ戦を観にいった。このスタジアムはオランダ1部のフィテッセ・アーネムというチームのホームスタジアムで、収容人数は26600人とそんなに大きくはないが、なかなか新しくてきれいなスタジアムだった。観客席は半分も埋まらず、7割くらいがイタリアファンだった。

 会場でわかったことだが、イタリアの監督は、過去ロベルト・バッジョとユベントスや代表で2トップを組んでいたカシラギ。当時のあだ名は「リトル・バイソン」。そして、アドバイザーにはパルマやチェルシー、イタリア代表でも活躍したジャンフランコ・ゾラ。ナポリではマラドーナともプレーしていて、「マラゾーラ」とも呼ばれることもあった。この頃はセリエAをみまくっていたので、会場で名前を聞いたときかなり懐かしかった。

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<ファールするイタリア10番のロジーナ(左から3番目)>

 ウォーミングアップを見た感じでは、チェコの選手たちの能力はイタリアに比べて劣って見えた。実際、試合が始まってみると、名だたるチームでプレーしているイタリアの選手たちは、フィジカル、テクニック、戦術ともに明らかにチェコよりも上のレベルでプロのサッカーをしていた。中盤は完全にイタリアに支配されていて、チェコはレバークーゼンに在籍する14番のPapadopulos(パパドプロス)が前線で一人奮闘するだけだった。

 先制点はローマに所属する8番のAquilani(アクイラーニ)のフリーキック。チェコはパパドプロスが10分後に同点とするが、3番のChielini(キエリーニ)と11番のRossi(ロッシ)が追加点をあげ、イタリアが3-1と快勝した。結果以上に内容ではイタリアが圧倒していた。

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<3ゴール目を決めるジュゼッペ・ロッシ>

 チェコが少し弱かったのもあるが、イタリアは面白いサッカーをしてくれた。これから先、この中から何人も上に上がっていく可能性を感じた。特に良かったと思った選手は、中盤の司令塔8番のアクイラーニ(ローマ)、3トップの両サイドの11番ジュゼッペ・ロッシ(パルマ)と10番のロジーナ(トリノ)。この3人が攻撃に参加するとディフェンダーとしては怖い。そして、この3人が思うように攻撃できるように中盤の底でバランスを取っていた4番のNocerino(ノチェリーノ)。目立つ選手ではなかったが、体が強くミスも少ない。チームにとって欠かせない存在。ノチェリーノの保有権は大会期間中、セリエBのピアチェンツァからユベントスに移った。この4人以外にも、イタリアを含めて各国の有望な選手が大会に参加していて、スカウトの目に留まっていた。

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<圧倒的な試合内容>

<グループA>   <グループB>
1位 オランダ        1位 セルビア
2位 ベルギー     2位 イングランド
3位 ポルトガル   3位 イタリア
4位 イスラエル       4位 チェコ

 イタリアが優勝候補と思いきや、グループB首位のセルビアにイングランドが2-0で勝ったため、イタリアは準決勝に進出できなかった。グループAでは2勝1分の開催国オランダと1勝2分のベルギーが準決勝進出を決めた。

<5位決定戦>
北京オリンピックの最後の切符をかけて、ポルトガルとイタリアの対決。
テレビで見ていたが、どちらかといったらポルトガルのほうが攻め込んでいた。イタリアは後半にジュゼッペ・ロッシが退場して一人少なくなったが、延長まで戦い抜いて0-0の同点。PK戦の末、イタリアが勝利し、オリンピックの切符を手にした。

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<チェコのストライカー、パパドプロス>

<準決勝①>
オランダ対イングランド
後半終了間際にオランダが1-1の同点に追いつく。1周回って更に6人目まで続いたPKはオランダの勝利。

<準決勝②>
セルビア対ベルギー
2-0でセルビアの勝利。

<決勝>
オランダ対セルビア
セルビアは後半に一人が退場してから3失点。結局、4-1で地元オランダが2年連続優勝を果たした。

 ちなみに、ドイツは予選最後のプレーオフでイングランドに負けて本大会に出場はできなかった。独立したばかりのセルビアはいきなり決勝まで進出し、旧ユーゴスラビア圏の層の厚さ、ポテンシャルの高さを見せてくれた。それ以外にも、本選では1勝もできなかったイスラエルだが、本来強豪といわれる国以外も着実に力をつけてきている。もともと激戦区だったヨーロッパだが、これから実力が拮抗してきて更に厳しい戦いになってくる。

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2007年6月17日 (日)

Rolling Stones ライブ

 マヨルカから帰ってきた後、チェコ人のレネという友達に電話をしてみたら、Rolling Stonesのチケットが2枚手に入ったけど行くかと言われて一緒に行くことになった。ライブは、高原選手や稲本選手が所属するブンデスリーガのEintracht Frankfurt(アイントラハト・フランクフルト)のスタジアムで行われた。このスタジアムでは一度、コンフェデレーションズカップの日本対ギリシャ戦を観たことがあるが、アイントラハトの試合はまだ観たことがない。今年は機会があれば行ってみたい。

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<ちょっと遠いけどローリングストーンズ>

 なかなか姿を現さないローリングストーンズにブーイングが出始めていたが、予定されていた時間から1時間半たってようやくライブがスタートした。ステージはサッカーグランド上に設置され、ステージのすぐ前にもいい席が用意されていたが、俺たちはゴール裏にあたるスタンドで立見していた。ステージ前の席には空席もあったが、俺たちの周りはぎゅうぎゅう詰めで、結構な数のアメリカ人がいた。

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<ステージごと観客の中に突入> 

 俺もレネもストーンズの熱狂的なファンというわけではなく、どちらかというとBeatlesやLed Zeppelinを昔よく聞いていたが、演奏された曲はほとんどが誰でも知っているものだったので2人とも楽しめた。ストーンズの中で好きな曲は、Wild Horses, Honky Tonk Woman, Sympathy for the Devil(悪魔を憐れむ歌)で、Wild Horses以外はこのライブで聞くことができた。

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<ミックジャガーが少し近づく>

 パイレーツ・オブ・カリビアンのジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)は、キース・リチャーズをイメージして演技したらしい。少し前にパイレーツオブカリビアンの3作目を観にいったら、キース・リチャーズがちょこっと出てきておいしいところを持っていった。このライブでもキースは2曲を歌ったが、今回はおいしいところは持っていくことは出来ず、客の反応もいまいちだった。レネは、歌わないほうがいいと言っていた。しかしながら、メンバーたちはもう65歳近いのに、普通の65歳のじいさんだったら絶対出来ないようなパフォーマンスを見せてくれた。

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2007年6月16日 (土)

スペイン・マヨルカの旅

 シーズン終了後、5泊6日でスペインのマヨルカ島へチーム旅行に行った。島にはオランダ人やイギリス人地域もあるらしいが、ヴィルゲスは滞在期間中、朝から朝までバラマンというドイツ人地域で飲んだくれていた。下の写真はバラマンのビーチ沿いを走る道。ランニングやサイクリングをしている人もいたが、右手にはすぐビーチがあり、日光浴したり飲んだたりしている人がいる。馬車も走っていて、飲み物を買いに行った帰りに、無理を言って300mくらいの距離を定員オーバーで乗せてもらった。

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<バラマンの海岸沿いの道。右手にはすぐビーチ>

 ほかのチームメイトはこれまで何回もマヨルカを訪れているが、まだバラマンを出たことがないらしい。俺は一人抜け出し、バラマンからバスで30分ほどかけて島の中心都市であるPalma de Mallorca(パルマ・デ・マヨルカ)に向かった。バスは路線内ならどこで降りても1,10ユーロだった。ドイツと同じように前から乗る時に運転手に支払う。ちなみに空港を通るバスは1,80ユーロだった。一番最後の日に知ったが、二階建ての赤いバスはパルマの有名な場所を通って街をぐるぐる回っている。チケットは13ユーロで24時間以内ならどこでも乗り降り自由。最初に乗っておけば街のどこに何があるかよくわかる。イヤホンガイドは英語とドイツ語とスペイン語。

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<スペイン広場>

 街の中心地を抜けたあたりで、人がたくさんいたPlaca d'Espanya(スペイン広場)というところで降りてみた。ここの広場のすぐ近くにツーリストインフォメーションがあったので、地図をもらっていろいろと回ってみた。ここから先が旧市街になっているらしく、歩行者天国になっている細い路地を海岸方向に進んでいった。海岸に向かう途中、教会やショッピングできる店が細い路地にいくつもあった。
 バラマンではドイツ語しか聞こえてこなかったが、一歩街に出るとほとんどスペイン語しか通じなかった。やつらがバラマンを出ないのもうなずける。とりあえず周りのスペイン人の真似をして、「オラ」、「グラシアス」、「アディオス」を連発してみた。あとは、コブレンツのスペインレストランで覚えた「ケソ(チーズ)」と「ハモン(ハム)」が少し役に立った。

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<宮殿(左)と大聖堂(右)>

 だいぶ奥に行くと、Palau de I'Almudainaという宮殿とCatedral(大聖堂)の間から海を見渡せる場所にでる。間には十字架が立っている。はじめて大聖堂の前を通った時には正面の入り口は閉じていて中に入れなかった。噂によるとほかに小さな入り口があるらしいが、イベントのため封鎖されていたかもしれない。

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<夜の宮殿と大聖堂>

夜は宮殿と大聖堂がライトアップされていた。人はほとんどいない。
一歩細い路地に入ると虫の鳴き声しかしなかった。ほんとに静まりかえっている。

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<教会から出てきた行列>

 2日目に大聖堂の前を通ろうとしたとき、前日閉まっていた正面の門から太鼓と笛の音色とともに踊る行列が出てきた。先頭は本物の騎馬隊で、そのあとには音楽に合わせて馬の格好をした人などがジャンプしたり回転したりしていた。更に正装をした人たちの行列が続き、一番最後には偉そうな人や法王のような格好をした人が出てきた。よくはわからなかったが、 「2007」と「Corpus」というでかい花の模様が飾られていたので、祭壇か何かのオープニングセレモニーと勝手に解釈した。大聖堂のパンフレットに、Corpusという祭壇が載っていた。始めは結婚式かとも思ったが、とにかくうれしそうな感じだった。テレビカメラも来ていた。

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<大聖堂のガウディの作品>

 行列が出て行くと正面の門が開けっ放しになり、人が入れるようになった。これまでドイツの3大大聖堂も見てみたが、それらと比べると中が明るく華やかな感じがした。正面の祭壇の上から吊るされている飾りはガウディによって作られたもの。とにかく何かすごいものがあるような気がした。行けばわかるさ、見ればわかるさ。

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<店のオヤジのお薦め>

 観光地から少し外れたバーに入ってみた。バーではレアルマドリーの試合が放送されていて、残り2試合で優勝争いをしていたバルセロナとセビリアの試合結果も画面の右上に常に表示されていた。ガットゥーゾのような顔をした店のオヤジにワインとタパスを注文する。ちなみにこのオヤジはバルセロナファン。途中、バルセロナが首位に立つとノリノリになり、レアルファンの客の頭を引っぱたいていた。しかし、試合が終わるころにはレアルがまた首位に立ち、オヤジの機嫌は一変。レアルファンの客の頭をまた引っぱたいて、テレビのチャンネルを変えてしまった。翌週、結局レアルが優勝を決めた。

 街を回ってみて、緑と赤の色合いがちょっとしたところでよく使われている気がした。また、ドイツよりも人当たりがよく、店員の対応もけっこう親切。
 最終日、宿を予約しておらず、荷物だけ預けて夜までみんなで飲んでいた。明け方空港に到着し、仮眠。早朝の便でドイツへ帰っていった。さすがにどいつも疲れを見せていたが、マヨルカを去らなければならないことを寂しがっていた。また来年もみんなで行く気満々だったが、今回十分飲んだくれたので、次はスペインのほかの場所かほかの国へ行ってみたいと思う。

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2007年6月13日 (水)

魔夜歌(マヨルカ)島

 シーズンが終了し、とうとうチームのスペイン旅行の日がやってきた。この時期、ほかのドイツのチームもチーム旅行をするようで、かなりのチームがスペインのMallorca(マヨルカ)島へ毎年のように飛んでいる。これまでドイツで所属してきたチームも毎年マヨルカ島へ行っていたが、俺はほかの場所を旅行していたので、今回が俺の初スペイン、初マヨルカになる。

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<シュトゥッツガルト空港にて>

 この日のために作成されたおそろいのTシャツを着て、監督ハンズィの家からシュトゥッツガルトの空港まで車で向かった。ヴィルゲスの選手用Tシャツには「俺たちはWirges(ヴィルゲス)で最も美しい男の部下です」と書かれていて、監督ハンズィは「俺がヴィルゲスで最も美しい男」というTシャツを誇らしげに着ていた。同じようにおそろいのTシャツを着た団体をマヨルカや空港でいくつも見かけた。まさにお祭り騒ぎ。
 車の中にはビールが用意されていて、朝の9時前だというのに、空港に着く前にはみんな5本以上のビールを飲むことになった。空港の待ち時間でも飲み、飛行機の中でも飲んで朝から飛ばしっぱなし。更に、マヨルカの空港に着いたときは、先に到着していたマヌエルがビールを買って待ち構えていた。

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<ジミー、マヌエル、デニスとともに>

 ドイツはこの時期蒸し暑かったが、マヨルカはカラッとしていてずっといい天気が続いた。空も海もかなりの青さだった。俺、ジミー、マヌエル、デニスの4人はホテルを予約していなかったので少し心配していたが、ビーチまで歩いて3分のところにある4人用のアパートを見つけることができた。プールつきでチッキンや料理器具も用意されていて長期滞在の人にはいいかもしれない。もちろん俺たちは一度も料理などしなかったけど。到着後、酔いを醒ますためにすぐにビーチに繰り出した。

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<サングラスを値切るシュテフェン>

 日本人にとってのハワイのように、マヨルカ島には毎年多くのドイツ人が旅行に行くと聞いていたが、現実は俺の想像をはるかに超えていた。島の中心都市はPalma(パルマ)というところだが、俺たちの滞在先はパルマから車で30分ほど離れたBallermann(バラマン)という地域だった。ここはドイツ人なら知る人ぞ知るところで、まさにドイツ人たちのパラダイス。99パーセント以上がドイツ人。全くスペインにいる気がしないが、このなんでもありのパラダイスに病み付きになった多くのドイツ人団体が毎年ここを訪れている。特に、シーズンを終えたサッカーチームが多く、昔のチームメイトや対戦相手に久しぶりに会うことができた。ヴィルゲスと同じリーグのチームも来ており、わざわざスペインまで来て一緒にいなくてもいいのに、昼間から3チーム一緒にビーチで飲んだくれていた。

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<酔っ払うマヌエル>

 バラマンのビーチには150メートル間隔で1から15くらいまで番号がつけられていて、6のビーチから50メートルのところには巨大なビアホールとディスコを備えるBierkoenig(ビールの王様)というドイツ語の店があり、連日超満員でドイツ人たちが机の上で踊ったり大声で歌ったりしている。バラマン6はドイツ人にとっての聖地となり、ここのビーチはドイツ人たちによって埋め尽くされる。そのほかにも、バラマン6にはドイツ語でビール通りやハム通りといったものがあり、どこもかしこもドイツ人だらけ。流れる音楽はすべてドイツ語で、それもみんなで肩を組んでビール片手に大声で歌うような曲ばかり。チームメイトと一緒に騒ぐにはもってこいだが、さすがに何日も朝から晩までこのノリと音楽にはついていけなかったので、時々一人でパルマの街へ出かけていった。チームメイトたちは何回もマヨルカ島を訪れているが、まだバラマンを離れてパルマの街に行ったことがないと言っていた。 

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<ベッドがあるのになぜか狭いところで爆睡する2人>

 昼ごろからビーチで飲み始め、夕方シャワーを浴びてからビアホールやディスコに出向く。朝方帰ってきて少し寝てからまたビーチへ出向く。スペインにいるけど音楽も言葉もすべてドイツ語。マヨルカの旅を嫌って旅行に参加しない人もいるけど、それでもこれがある種のステータスになっているのか、毎年のように懲りずに期間限定で堕落した生活をしにやってくる人が大勢いる。マヨルカ自体はいいけど、日本人がこの一角に近づくことは絶対にお薦めできない。

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2007年6月 6日 (水)

今シーズンと来シーズン

 今シーズン、Wirges(ヴィルゲス)はリーグ前半戦を6位で折り返したが、後半戦は怪我人も多く波に乗れず3勝7分6敗。後半戦の成績は良くなかったが、最終的には32試合を11勝9分12敗の7位で終えることができた。チームとしては例年よりいい成績を残すことができたらしい。

 個人的には主に左サイドバックでプレーし、31試合出場の0得点。ヴィルゲスでの1年目だったが、チームにもなじむことができ契約も延長した。来シーズンは始めから力を出していけると思う。ゴールが欲しいところ。

 ヴィルゲスはオバーリーガ(ドイツ4部)ズートヴェスト(地域)に属している。ドイツはBundesliga(ブンデスリーガ)1部2部とあり、3部のRegionalliga(レギオナルリーガ)は北と南の2リーグに分かれている。4部となるOberliga(オーバーリーガ)はドイツ全土に9リーグある。
 再来シーズンからはブンデスリーガ3部が新しくできる。新たにできるこのブンデスリーガ3部には、来シーズンのレギオナルリーガ上位チームが参加することになる。また、来シーズンのオーバーリーガ上位チームが繰上げで再来シーズンレギオナルリーガに参加することになる。ので、来シーズンは上を狙うチームにとって大事なシーズンになる。

 今シーズンは、ブンデスリーガ1部ではシュトゥッツガルトが優勝し、メンヒェングラートバッハ、マインツ、アーヘンが2部へ降格した。2部ではカールスルーエが優勝し、ロストック、ドゥイスブルクとともに1部昇格を果たした。ケルンとカイザースラウテルンは昇格を果たせず来シーズンも2部。ブンデスリーガ1年目の地元コブレンツは12位でリーグを終え2部に残留することができた。3部では元ブンデスリーガ1部のザールブリュッケンがまさかの4部降格。来シーズンは一緒のリーグで戦うことになる。ザールブリュッケンの2軍はオーバーリーガで6位だったにもかかわらず、1軍がオーバーリーガに降格してくるので、とばっちりを受けて5部に降格しなければならない。同じリーグに2チームの登録はできない。

今シーズンのリーグの順位は以下の通り。
<Oberliga Suedwest>
1位 Oggersheim(3部に昇格)
2位 Mainz2軍, 3位 Worms, 4位 Homburg,
5位 Trier, 6位 Saarbruecken2軍(降格),
7位 Wirges, 8位 Hauenstein,
9位 Engers(ライバル), 10位 Neunkirchen, 11位 Mayen,
12位 Hasborn, 13位 Bad Kreuznach,
14位 Mechtersheim(降格), 15位 Salmrohr(降格),
16位 Betzdorf(降格), 17位 Hohenecken(降格)
18位 Kutzhof(消滅)

<3部から降格して来期4部のチーム>
Saarbruecken, Kaiserslautern2軍, Pirmasens

<5部から昇格して来期4部のチーム>
Rossbach(マサキがプレー), Koellerbach, Idar Oberstein

 監督ハンズィと仲のものすごく悪いギュンター・ヴァーグナー率いるエンガースが9位でリーグを終えたので、ハンズィは優越感に浸っていた。来シーズンは7月31日に開幕するが、エンガースより上を狙うこともさることながら、強豪チームが増えるので取れる試合でポイントを取っておかないとかなり厳しいシーズンになる。降格の危険さえあると思う。
 明日から12日まではチームのスペイン旅行が控えている。7月1日にはチーム練習が始まるので、この旅でリフレッシュして練習までには怪我を治したい。明日はハンズィの家に朝っぱら6時に集合し、俺が空港まで運転をしていかなければならない。

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最後の最後で - Salmrohr

  Salmrohr  VS Egc_12
Salmrohr(ザルムロア)       Wirges(ヴィルゲス)

 去年の8月に始まった2006/07シーズンもいよいよ32試合目。最終戦は降格のかかっているザルムロアとの対戦。ヴィルゲスは怪我などで1軍の選手が8人しか出場できず、2軍から何人か選手を呼ぶことになった。ザルムロアはとにかく勝たなければならないので、試合開始からがんがん攻めてきたが、ヴィルゲスはチームの連携が全くかみ合わず、早々に失点した。途中からチームがかみ合い始め、4,5本は決定的なチャンスがあったがものにできず、前半を0-1で折り返した。

 後半もこの調子で追い上げようと思っていたが、敵との接触で右の足首と膝を負傷。そのまま交代して、俺の今シーズンは少しだけ早く終わった。治療している間にもう一点取られ、更に控え室に戻っている途中にもう一点取られ、結局0-3で最終戦を落とした。前半ぱっとしなかったので後半盛り返そうかと思っていたのに、最後の最後で負傷してしまった自分に怒りすら覚える。

 ザルムロアはヴィルゲスに勝ったものの、元ブンデスリーガ1部のSaarbruecken(ザールブリュッケン)が3部から4部へまさかの降格。そのとばっちりを受けてザルムロアの降格が決定した。選手たちはグランドにうずくまっていた。ちなみに、ザールブリュッケンは1軍が4部でプレーすることになり、2軍は4部で6位にもかかわらず自動的に5部へ降格しなければならない。

 ヴィルゲスは11勝9分12敗の7位でリーグを終了した。チームはとしては例年よりいい成績を残すことができた。個人的にはヴィルゲスでの1シーズン目だったが、1試合を除いてすべての試合に出ることができた。チームにもなじむことができたので、来期は始めからもっとプレーしやすくなると思う。
 右の膝は昨シーズンの終盤に一度伸ばしていて、完治するのに3ヶ月以上かかった。今回は足首にダメージが分散されたので、膝へのダメージは前回ほどではなかった。そのかわり、足首にはプロテクターをはめられた。

 これから1ヶ月ほど練習も試合もなくなり、6月7日からはスペインのマヨルカ島へのチーム旅行が控えている。この旅行のために、チームでおそろいのあほなTシャツを2着作った。プロテクターをはずせるように少しでも足の状態を良くしておかなければならない。試合に大敗したのでいつもだったら激怒しているはずの監督ハンズィだが、帰りのバスの中ではすっかりマヨルカ気分で大はしゃぎだった。

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