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2007年5月12日 (土)

ルワンダへ旅立つ

I remember when we used to sit in a government yard in Koblenz,
observing the hypocrites as they mingled with good people we meet.
Good friends we had, good friends we´ve lost along the way.
In this great future you can´t forget your past, so dry your tears I say.

 Koblenz(コブレンツ)での約3週間にわたるインターナショナルコーチライセンスコースが終わり、参加者はC級ライセンスの証明書を手にそれぞれの国へ帰って行った。期間中はサッカー三昧だったけど、各国の文化、共通の音楽、映画などの話でも盛り上がった。上に書かれているのは、ある歌の地名の部分をKoblenz(コブレンツ)に変えたこのグループのテーマソング。コブレンツの見所となるDeutsches Eck(ドイチェスエック)やEhrenbreitstein Festung(エーレンブライトシュタイン要塞)はもちろんのこと、参加者はコブレンツ滞在を存分に満喫していった。

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<ルワンダのみんなとドイチェスエックにて>

 ルワンダからは7人が参加していて、期間中一緒にいることが多く、いろいろな話をした。ルワンダの人口は800万人弱で首都はキガリという都市。公用語としてケニヤ・ルワンダ(ルワンダ語)、英語、フランス語が使われている。ちなみにケニヤ・ルワンダで乾杯は「クルズィマ・ブガチュ!」。

 以前にも書いたけど、Keita(ケイタ)という名前はアフリカ系の苗字らしい。改めて彼らに確認したところ、コートジボアールなどにはケイタがわんさかいるらしい。ワールドカップではコートジボアール代表のケイタがゴールを決めていた。また、ブンデスリーガ2部に所属しているTusコブレンツにはベルギー国籍のケイタがいる。ルワンダにはまだしっかりとしたプロサッカーリーグはないが、ヨーロッパで活躍している選手も何人かいるらしい。

 サッカー事情以外にも、フツ族とツチ族の内戦のことや1994年に起きた大量虐殺のことを一生懸命語っていた。話だけでは伝われらないので、とにかくルワンダに来て欲しいとみんな言っていた。大量虐殺では100日で100万人が殺されたらしく、2004年にハリウッドで「ホテルルワンダ」と言うノンフィクションの映画が作られているので見てみたい。日本では当初公開されなかったけど、インターネットの署名で公開が実現したらしい。

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<ポーランドのアダム(左)とマーシェック(右)と>

 ポーランドからはアダムとマーシェックの2人が参加していた。アダムはポーランドの3部リーグでプレーしていて、マーシェックは体育の先生をしている。授業も積極的に受けていて、当たり前だけど時間もしっかり守っていた。ルワンダの数人はなかなか時間にルーズで、ドイツ人コーチに「他の国ではわからないが、ドイツは9時といったら9時に始まる。」と言われていた。一緒に遊びに行く時も、ルワンダの数人には他の人よりも15分前に時間を設定しておいた。

 元ルワンダ代表のキーパーで、今は代表のキーパーコーチをしているクロードは、ルワンダグループの中でもボス格だが、こいつが一番時間にルーズだった。威張ったりしているわけではないが、時間の概念がないに等しい。いつもマイペースで楽しくやっている。俺がルワンダに行ったら、こいつの家も車もすべて使い放題らしい。「すべて任せておけ」と言っていたが、どうなるものか、行けばわかるさ。

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<Mr. President、コブレンツで記念撮影>

 一番仲のよかったヴィンセントはいろいろな国の言葉を操り、いろいろなことを教えてくれた。ボブ・マーリーとレゲエを愛し、時間もしっかり守るし、真面目にサッカーの勉強をしていた。ルワンダに行ったら何も心配は要らないといっていたが、本当に信頼できる男。

 上の写真の男は、ルワンダの他のみんなから「ルワンダのコメディアン」と言われていた。一番テンションが高いので一見いい加減そうだが、時間をしっかり守るし、遊びに行っても一番真面目。なぜかわからないがみんなからは「Mr. President」と呼ばれていて、本名が「テオナス」だと知ったのはコースが終わる1週間前。テオナスとは太陽の神という意味らしい。自分でも「将来はプレジデントになる」と言っていたが、いつか大物になるかもしれない。俺がルワンダに行ったら、アシスタントコーチとして雇ってくれと言っていた。

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<ジャージをもらいルワンダの仲間入り>

 
上の写真の男は、ルワンダサッカー協会の秘書などをしているハサン。授業では一番発言をしていて、その自信あふれる言動から、みんなから「モウリーニョ」と呼ばれていた。俺がルワンダに行ったら「何の問題もない」と断言していたが、将来はアメリカに留学をしたいとも言っていた。

 ソーステンと言う男からは最後にルワンダのユニフォームをもらったが、これは彼が代表で着ていたものらしい。ルワンダでは一人暮らしをしているので、いつでも泊まりに来ていいと言っていた。彼にラストサムライのDVDを貸したらえらく日本に興味を示していたが、トムクルーズだけ最後に生き残ったのには納得いっていなかった。日本のことについていろいろ聞いてきたが、日本がヨーロッパの一部だと思っていたのには驚いた。「ファーストサムライ面白かった。」と言っていた。

 最後に、キガリの役所で働くアタナスというたいへん華奢な男がいたが、いつも疲れきっていて、部屋を真っ暗にしてベッドの中でぐったりしていた。普段は無口で物静かだが、たまにキラーパスとなる発言をする。最終日のフランクフルト空港では、エスカレーターの最上部まで上がったはいいが、たくさん荷物を積んだカートを押し切れず、後ろから上がってくるハサンのカートにはさまれていた。ハサンは「アタナス!アタナス!」と叫んでいたが、アタナスはまるで他人事のように「アタナス!アタナス!」とハサンのマネをしてからかっていた。ルワンダのみんなにはいろいろなお土産を渡したが、アタナスは「北斗神拳伝承者」と書かれたTシャツを着てフランクフルト空港を飛び立っていった。

それではまたルワンダで会う日まで。クルズィマ・ブガチュ。

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