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2006年4月の11件の記事

2006年4月28日 (金)

オランダの旅 アムステルダムでわくわく動物ランド編

 ロッテルダムを出てアムステルダムに到着。アムステルダムの街中は観光客でいっぱいだった。軽く街をぶらぶらした後、宿を探すことに。しかし、どこもかしこも満室で泊まれない。車で街の外れまで行って見つけたホテルを何件か回ったけど、そこも満室。「今日は、半径30kmくらいはどこも満室だ」と言われ、仕方なく他の街まで行くことに。途中、車を走らせていると空港の看板を発見。雨も降っていたこともあって、「めんどくさいから空港に泊まっちまうか」ということになった。空港にはほとんど人がいなかったけど、バーは開いていた。次の日の9時くらいまでゆっくり寝た。

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<スキポール空港で一泊後>


 出発の支度をしているときには、空港にはもうたくさんの人がいた。この日は天気もよくて、空港を出発し街に出ることに。街に向かう途中、動物園と書かれた象のマークを発見。ちょっと寄ってみることになった。動物園には子供連れの家族ばかり。子供たちに混ざり入園し、ひさびさに動物園を満喫した。

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<ぐだぐだのラクダたち>

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<モヒカン鳥>

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<けんか中>

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<メンチをきるトカゲ>

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<黒ヒョウは真っ黒じゃなくて、よく見るとヒョウ柄がついている>

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<子ゴリラ>

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<いいがたいをしているゴリお>

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2006年4月27日 (木)

オランダの旅 ロッテルダム編

 ユトレヒトでこれ以上やることもなさそうだったので、半日だけ滞在して次の街へ移ることに。ユトレヒトがオランダ第4の都市だったので、次はなんとなく第3の都市デンハーグへ向かってみた。しかし、車で向かっている途中、第4の街の大きさから第3の街の大きさを想像してみたり話し合ったりした結果、「第3はとばして第2に行っちゃおう」と言うことになった。ということで、またまた予定を変更して、今度は第2の都市ロッテルダムに向かうことになった。
 ロッテルダムについてから宿を探してみたけど、夜も遅くなっていてなかなか見つからなかった。街のはずれをぶらぶらしていると怪しいホテルを発見。店の兄ちゃん(シャロン)と交渉してなんとか泊まれることに。ホテルのバーやホテル周辺には柄の悪そうなやつらが多かったけど、近くのバーで時間を少し潰して無事ホテルに戻った。ホテルに戻るとシャロンがビールをおごってくれた。寝る前にシャロンが、「明日俺が起きれれば、朝10時か11時くらいに食堂でオムレツを作ってやる」といっていた。もちろんやつは現れなかった。

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<ロッテルダムの噴水を眺める>

 
翌日、ロッテルダムの街へ向かってみた。ロッテルダムは世界最初の歩行者天国ができたところらしい。とりあえずその辺を歩いてみた。他にもいろいろと見どころはあるらしいけど、昼過ぎに港のほうへ向かってみた。

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<エラスムス橋を渡る>

 ロッテルダムの港エリアはユーロポールトといわれていて、世界最大級のポートエリアらしい。そこにかかるロッテルダム最長のエラスムス橋を渡ってみた。この橋は横から見ると片側に重心がかかった変わった形をしていた。車、電車、歩行者用の道があって、自転車で渡っている人もけっこういた。

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<ユーロポールトでエラスムス橋をバックに>

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<港の中にあった床屋>

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<誰もいないフェイエノールトのスタジアム前で>

 ユトレヒトに続きロッテルダムでもスタジアムに行ってみた。小野選手はもう所属していないけどフェイエノールトのホームスタジアム。スタジアム周辺には誰もいなかった。とりあえずスタジアム前で撮影。その後、街に戻った。

 ロッテルダムのシャロンのところにもう一泊するという案も出ていたけど、またまたいきあったりばったりで次の街に乗り込むことになった。次はもちろん第1の都市アムステルダム。雨が降ってきたロッテルダムの街を後にした。 

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オランダの旅 ユトレヒト編

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<ユトレヒトの街を流れる河>

 怪我をしてるにもかかわらず旅に出てみた。当初の目的地はベルギー経由のオランダだったけど、一つを集中攻撃しようということでオランダに直接向かった。宿もどこに行くのかも決めず、ボスから借りた4年前のガイドブックを見ながら国境に向かって車を走らせた。約2時間でドイツとオランダの国境を通過し、更に先に進むと看板に「ユトレヒト」の文字を発見。本を見ると「オランダ第4の都市」と書かれていたので、とりあえず寄ってみた。入ってみたものの何の情報もなかったので、とりあえず街の中心を目指して情報を集めることに。しかし、時間が遅かったのでインフォメーションはすでに閉まっていた。この日は祝日だったので、街を歩いてもほとんどの店が閉まっていた。少し考え、とりあえず宿を探していると警察官に遭遇。「警察署が近くにあるからそこに言ってみろ」とのことだった。


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<お世話になったユトレヒトの警察署>

 
警察署らしくない建物だったので一回通った時は気がつかなかったけど、警察官と話したところからすぐのところに本当に警察署はあった。ガイドブックに書いてあった住所を受付の警官に聞いてみたけど彼もわからなかったので、警察署内の地図で探すことに。大体の位置をみて、宿のほうに車を走らせた。しかし、思ったよりも河があちこちに流れていて、道に迷う。偶然、道に「スタジアム」の標識を見つけたので、予定を変更してスタジアム見学。ユトレヒトには昔、元日本代表の藤田選手がプレーしていた。もちろん開いていなかったので外から見学しただけ。

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<ユトレヒトのスタジアムにあるファンショップ>

 スタジアム見学もほどほどにし、本気で宿を探しに出る。しかし、だんだん暗くなってきて腹も減ってきたので、とりあえず近くにあったイタリアンに入り夕食を食べながら考えることに。一緒に行ったマサキと話しあった結果、「もうこの街に用はない」という結論に達し、ユトレヒトを出ることに。ユトレヒトが第4の都市ということで、安易な考えから、次は第3の都市デンハーグを目指した。

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2006年4月24日 (月)

MASAYA少年、ドイツを発つ

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<マサヤ、安楽コーチと>

 
ドイツでの約10日間のホームステイを終え、マサヤが日本に帰ることになった。ホームステイ中は、試合観戦、地元のクラブチームとのサッカーの練習、学校訪問、観光などといろいろなことをした。ホームステイ先のKleinmaischeid(クラインマイシャイト)ではサッカーや学校を通して友達ができ、いつでも戻ってこれる場所ができたと思う。そして、サッカーだけじゃなくて、それ以外にも日本とは違った体験をいろいろすることができてマサヤは成長したと思う。日本に着いた安楽コーチからも「マサヤが変わった、とみんなが言ってる」という報告をしてきてくれた。マサヤはもともとしっかりしている子だったけど、ドイツでも自分からどんどん行動していろんなことを感じとったと思う。
 次はいつになるかわからないけど、俺とマサヤと安楽コーチの3人でトライアングルの再結成が来る日を待つ。相手がドイツでもチェコでもスペインでもあろうとも。それまで安楽コーチもしっかり体を作っておいてください。ほんと頼みます。

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2006年4月23日 (日)

MASAYA少年、ケルンで試合観戦

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<謎の男とケルンの大聖堂前にて>

 ドイツにホームステイ中のマサヤと一緒にケルン対フランクフルトのサッカーの試合を観にいった。試合前に時間があったのでドイツ3大大聖堂のひとつと言われているケルンの大聖堂に入り、ついでに狭くて長い階段で大聖堂の上まで登った。階段はかなりの段数で、運動をしていない人にはあれはけっこうきついと思う。他の3大大聖堂はトリアーとマインツにあるらしく、昔トリアーに行った時はそんなことは全く知らず中に入っていた。いつかは残り一つのマインツを攻めたい。

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<試合会場に向かうフランクフルトのバス>

 更に街をぶらぶらしていると、ホテルから出てくるフランクフルトのチームのバスを偶然目撃した。ちょうど試合会場に向かうところでホテルの前にはファンらしき人たちが選手を見に来ていた。フランクフルトには韓国代表のチャ・ドゥーリーがプレーしているので人だかりの中に韓国人サポーターの姿も見えた。

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<マサヤとケルンのスタジアム前にて>

 街中から路面電車でスタジアムに向かう。試合時間も近づいていたのでスタジアム周辺には試合に向かうサポーターたちでいっぱいだった。
 ケルンには2部当時からドイツ代表のルーカス・ポドルスキーが在籍している。注目の若手だけど、ワールドカップを前にして調子は悪い。元浦和レッズでトルコ代表のアルパイも在籍している。ケルンはリーグ最下位で降格の危機のため、チームもサポーターも必死だった。サポーターの中には半分あきらめているやつもいた。

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 試合は開始早々、セットプレーからケルンが先制する。流れは明らかにケルンだったけど、中盤の選手がレッドーカードで退場になり次第に押され始める。そして、カウンターでギリシャ代表のアマナティディスに同点ゴールを決められファンはがっかりする。その後、ケルンはカウンターで攻めるけどなかなか点につながらず。逆に、フランクフルトの攻撃にファンは何度も冷や冷やさせられていた。なんとか引き分けて勝ち点1をとることができたけどまだまだ降格圏内。

 ケルンのマスコットはヤギで、ホームの試合にはいつも本物のヤギがスタジアムの中にいる。名前はへネスというらしく、試合中にこいつの「メー」という声が流れると他会場の試合結果がスクリーンに映し出される。声に反応してみんなスクリーンを見ていた。ちなみに、俺が昔在籍していたチェコのボヘミアンズプラハのマスコットはカンガルーで、もう死んでしまったので剥製になってプレスルームに立っていた。代わりにホームの試合では汚い着ぐるみのカンガルーが応援をしていた。

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2006年4月18日 (火)

MASAYA少年、またまたドイツ学校訪問

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<Martin-Butzer学校の校章>

 ドイツにホームステイ中のマサヤ少年は、前回のネルソンマンデラ学校に続き今回はMartin-Butzer(マーティン・ブッツァー)学校に登校する。ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)で学び、そのあと成績や目的によって3つのコースに別れる。このマーティン・ブッツァー学校はGymnasium(ギムナジウム)にあたり、3つのコースのうちの進学コース。学校に入った瞬間、この前に訪れた学校とは全く違った感じがした。マサヤが言うには、「生徒たちが普通に手に本を持っている」とのことだった。本当のところはどうかわからないけど、「勉強してます」という感じをかもし出していた。担当の先生は、「生徒の質はいいし、外国人にもすごく慣れている」と言っていた。ちなみに安楽コーチは風邪のためこの日は不登校だった。

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<1つ上の数学の授業に参加>

 前回と同じく学校の説明を聞いた後、担当の先生と一緒に教室に行く。そのクラスは高校1年のクラスだったので、中学3年のマサヤにとっては1つ上の学年の授業になってしまった。しかも普通に数学の授業を受け、マサヤは、「まだ習っていないところなので全くわからない」と言っていた。俺にもプリントが配られ、一緒にサイン、コサイン、タンジェントを勉強した。先生の質問に対して生徒はどんどん答え、質問されなくても自分から積極的に発言していた。

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<体育の授業>

 ようやく得意の体育の授業と思いきや、サッカーではなくバレーだった。しかも、この日は先生が生徒の評価をつける日だった。先生が、「バレーはチームに2人でもできないやつがいるとバレーにならない」と言うように、このクラスのバレーも全くラリーが続いていなかった。生徒たちも見た感じ運動があんまり得意そうではなく、けっこうな確立で先生の罵声が体育館に響いていた。いいプレーは褒めていたけど。

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<先生の罵声が飛ぶ体育館の授業>

 次の授業に行くために、授業時間の長い体育のクラスを途中で抜けることになった。帰り際、先生とサッカーの話になり、「ドイツサッカーは今全然だめだ」と言っていた。「子供たちがテレビゲームなどで遊ぶようになり動けない子供が増えた」とも言っていた。更に、「ドイツは絶対ワールドカップで優勝できない」と嘆いていた。

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<マサヤも一安心のちびっ子クラス>

 ちびっ子クラスに行った時はちょうど地理の授業だったので質問タイムとなった。気候や学校のことからプライベートな質問までいろいろあった。「トーキョーホテルというバンドは好きか?」という質問は他のクラスでも聞かれた。ドイツで今人気のある子供たちのバンドらしい。

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<先生に合わせて演奏中の音楽の授業>

 
最後の時間には担当の先生と一緒にいろいろな教室をまわった。科学室から生物室、音楽室と学校の中をくまなく案内してくれた。教室を訪れるたびに自己紹介をすることになったけど、いろいろな授業を見ることができた。
 音楽室では弦が1本しかない楽器を使ってちょうど音の勉強をしていた。先生に合わせてみんなで音を出していたが、何人かの生徒はしっかり理解しておらず、ごまかして弾くふりをしていた。先生が怖かったのか、みんな一生懸命弾いていた。

 ということで、これでマサヤの学校訪問も終了した。どうやら、マサヤには最初に行ったのんびりとした学校のほうが気に入ったようだった。そして、安楽コーチは仮病だという噂もチラホラ出ていた。

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2006年4月16日 (日)

MASAYA少年、ドイツで学校訪問

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<ネルソンマンデラ学校の校章>

 マサヤ少年はドイツでのホームステイ中、地元の学校にも訪れた。まず最初に訪問した学校はNelson Mandera Realschule(ネルソンマンデラ・レアルシューレ)。南アフリカのネルソンマンデラ元大統領にちなんで名付けられたこの学校はユネスコプロジェクトに参加していて、国際的な考え方や活動に重点を置いた教育をしている。このような学校は世界126カ国に4000校以上あり、それぞれの学校がネットワークを結び国際交流を続けている。そして、このラインラントプファルツ州にもそのうちの8校が点在している。

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<ヴァーグナー先生の担当クラスの生徒たちと>

 
州によって多少違うらしいけど、ドイツでは6歳から4年間Grundschule(グルンドシューレ)というところに通う。ここは日本で言う小学校に当たるところで、その後は成績や目的によってHauptschule(ハウプトゥシューレ)、Realschule(レアルシューレ)、Gymnasium(ギムナジウム)の3つのどれかに進んでいく。レアルシューレはこのうちの真中のレベルで、途中で中級卒業資格がとれば、専門上級学校やギムナジウムの高学年へと進むこともできるらしい。学校の説明を聞いたあと、ヴァーグナー先生担当の1時間目の社会のクラスへと移動した。ちょうど社会ということで、日本のことについていろいろと質問された。

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<教室での質問タイム>

 
いくつかのクラスへと参加させてもらって毎回質問タイムがあったけど、日本での学校の時間や塾のこと部活のことなどをマサヤが説明すると、ドイツの子供たちは「それはないよー」という感じで驚いていた。ドイツの学校は日本よりも少し早く始まって13時か14時くらいには終了する。でも、ドイツでも子供の学力低下は問題らしい。
 生徒たちは漢字に興味があるらしく、「名前はどう書くのか」、「俺の名前は漢字でどう書くのか?」などといった質問がよく出た。マサヤに付き添った安楽コーチも自分の名前を黒板に大きく書いた。 

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<アットホームな雰囲気の職員室>

 
休み時間は職員室で待機した。職員室には先生たちの自分専用の机はなく、適当なところに座ってみんな談笑していた。「日本の職員室とは違いすごくアットホーム」とマサヤが言っていた。更に、「職員室でものを食べている先生が多い」とも言っていた。
 職員室で休憩した後、体育館でのサッカーの授業に出た。この日は2クラスのサッカーの授業に参加して、高学年クラスの授業では俺とマサヤと安楽コーチが一緒のチームで生徒たちと試合をした。マサヤはもちろんのこと、安楽コーチも子供相手に容赦ない攻めを見せていた。「あたりまえや」と言っていた。

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<リフティングを披露するマサヤ>

 
下の学年のクラスのサッカーの授業では、先生に頼まれ、安楽コーチが1時間授業を担当することになった。子供たちはマサヤと一緒にみんな大はしゃぎでサッカーしていた。このクラスに限らず生徒たちはほとんど人懐っこく、他のクラスでも廊下でもマサヤは人気者だった。

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<幼稚園クラスの子供たち>

 この日学校を案内をしてくれたヴァーグナー先生は、「ドイツの教育システムは州ごとに違うので、州によって教育レベルが違う。そのことから大学入学資格が他の州では無効になったりしてもう最悪だ。さらにそのことを生徒や親が理解していない場合が多い。」などと嘆いていた。ただ、「この学校の国際的な活動に関しては誇りを持っていて、生徒たちも外国人に対してオープンだし、とてものびのびと暮らしている。」と言っていた。
 マサヤも、「みんな人当たりがいいし、授業もぴりぴりしてなくていい。でも、あんなにのんびりしていいのかと思った。」と言っていた。
 こうして学校での1日が終わった。マサヤはよっぽど学校が気に入ったらしく、ヴァーグナー先生に頼んで翌日も一人で学校に登校することになった。

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2006年4月13日 (木)

MASAYA少年、ドイツで練習参加する

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<Seltersの選手たちと>

 サッカー少年のマサヤはやぱりサッカーが好き。ドイツでもホームステイ先のマークのチームなどに混ざって一緒に練習をした。中でも2日間通ったSelters(ゼルタース)と言うチームはマサヤを快く受け入れ、みんなで楽しく汗を流した。
 このチームは他にも外国人の選手が何人かいて、日本人のマサヤもすんなり輪に溶け込めた。トルコ系の子供が多くみんな人懐っこかった。2日目の練習では俺も一緒に練習することになり、子供たち相手にもたまに容赦なく全力を出した。

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<ウォームアップのストレッチ>

 練習では段取りがしっかり組まれていて、監督はけっこう細かな指示をしていた。小さな村のチームなのでそんなに強いチームではなかったけど、なかにはキックやスピードなどいいものをもっている選手もいた。ただ、監督やチームの子供たちも認めたように、マサヤのほうが一枚上手だった。特に、テクニックでは圧倒的にマサヤのほうが上だった。
 ミニゲームでは、マサヤに対抗しようとする選手もいてなかなか白熱したけど、最後はマサヤが勝ち、選手たちはお手上げだった。マサヤにとってはレベル的に少し物足りなかったかもしれないけど、ドイツと日本のサッカーの違いを少しは感じてもらえたと思う。
 例えば、マサヤのドリブルを止めれる選手はなかなかいなかったけど、持ちすぎてゴールに結びつかなかったり、囲まれてしまう場面も何回かあった。日本の選手はどれだけきれいにボールをつなげるかとかドリブルで何人抜けるかということを考えがちだけど、ヨーロッパでは強引でもゴールに近づくプレーや簡単にゴールに結びつくプレーが評価されるときがある。もちろん、見ていて面白いサッカーのほうが気持ちがいいし、戦術を実行するためにテクニックはある程度必要だけど、ゴールに結びつき失点を防ぐための状況にあったプレーがサッカーの目的だと思う。(楽しまないとダメだけど)

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<チームのTシャツをもらい喜ぶマサヤと愉快な仲間たち>

 
マサヤの感想では、チームの練習の雰囲気がリラックスしていて、悪く言えばきびきびしていない、とのことだった。確かに日本の子供たちの練習量はドイツに比べて多いし、内容も厳しいので、そういった意味でもマサヤにはこのチームの練習が物足りなかったかもしれない。ただ、こういうゆったりとした環境でやっていたドイツの子供が大人になったときには日本人の選手よりも世界で活躍している。子供の時にがむしゃらにやっていい成績を修めても途中でやめてしまったり楽しくなくなってしまう。楽しみながらゆっくりとうまくなって長くサッカーを続けられる環境がドイツには日本よりまだ多い。その中でいろんな経験もするしいろいろな友達もできる。
日本のサッカーの父・クラマーさんが言っていた。
「本当に大事なのはゴールを決めることではなく、友情を結ぶことである。」

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2006年4月12日 (水)

MASAYA少年、ザールブリュッケンを訪ねる

 サッカー少年のマサヤは、今回のドイツでのホームステイで5試合のサッカー観戦をした。お気に入りはチェコ代表でドルトムント所属のロシツキー。ドルトムントまで行きカイザースラウテルンとの試合観戦をした。そのほかにも、日本ではあまり情報が入らないドイツ2・3部リーグ(プロ)の試合なども観戦した。

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<ザールブリュッケンのスポーツシューレにて>

 ドイツにも慣れ始めたころ、フランスとの国境に位置するザールブリュッケンを訪れた。ここは俺が3年くらい住んでいた街で、そんなに大きくないけどブンデスリーガ2部に所属する1.FC Saarbrueckenの本拠地。試合まで時間があったので、総合トレーニング施設のSportschule(スポーツシューレ)を見学する。スポーツシューレはドイツ各地にあって、一般や選抜チームなどいろいろな種目のスポーツ選手が練習場として使用している。俺もよく練習した。

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<試合後、ザールブリュッケンのスタジアムにて>

 見学後、スタジアムへと移動。マサヤ、マークともザールブリュッケンのマフラーを装着し応援モードに入る。ブンデスリーガ2部といえど、各国の代表選手も出場していたので、マサヤにはいい刺激になったと思う。しかも、この日はザールブリュッケンが珍しくいい試合をしフライブルクに快勝した。周りのおっさんサポーターと共にいい気分で家に帰ったことだろう。

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2006年4月10日 (月)

MASAYA少年、ドイツに着く

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<マサヤ少年とホームステイ先のマーク少年>

 中学校最後の春休みを使用して、大阪から一人の少年がドイツにやってきた。彼の名前はM.A.S.A.Y.A...マサヤ。今春、高校に進学する前は大阪のクラブチームに所属してサッカーをしていた。今回、マサヤ少年はドイツのKleinmaischeid(クラインマイシャイト)という村のRetterlath(レタラート)家にホームステイすることになる。レタラート家にはマサヤと同じくらいの息子(マーク)がいて彼もサッカーをしている。ちなみに、マサヤを心配してクラブチームからは安楽コーチこと竜さんが同行した。

<ドイツに着いたマサヤの感想>

 ドイツの人たちは日本に比べてよい意味でおおらかといいますか、心が広いというかそんな風に思いました!あと、自然のこと(ゴミ分別)とか節電とか完璧にしてるとこが驚きました!
 家族の様子とか日本と比べるととても個人主義って感じがしました!他には、家族と話していてマークたち子供たちがみんな夢を持っていることです!日本の子供は夢を持っていないですから。。。。。。笑
 着いたときは思ったよりも日本人が少ないこと、車が速過ぎーーーーーーです(><)
 あ!街灯が全然ないこと!などです!

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2006年4月 5日 (水)

サポーター届く

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 今日、膝のサポーターが届いた。試合で膝の内側を伸ばしてから、ちょっと衝撃が加わるだけで、膝が外れそうな感じがして痛みが走る。このサポーターを装着したらしっかり固定されて少しはマシになった。

 医者の指示でこのサポーターを買うことになったけど、こいつは800ユーロもした。日本円にして14万くらい。今入っている保険では、初診のみ10%を自己負担することになっている。100ユーロを超える場合はどれだけ超えても10ユーロ払うだけですむので、俺も10ユーロ払うだけですんだ。とりあえず、冷やしたり、圧迫したり、秘孔をうったりしたので腫れはひいてきた。

 あと3,4週間、こいつを装着することになる。治るまでおとなしくしとく。それか来週末の休みに、トキのいる奇跡の村に行ってくる。

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