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2006年1月の13件の記事

2006年1月29日 (日)

会長のボロネーゼ

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<会長の得意のボロネーゼ>

 予定されていた試合が中止になったため、この土日は午前から練習となった。ここ数日、夜はマイナス10度くらいまで下がっているので、グランドはコチコチに固まりまくっている。一昨日降った雪も少し残っていた。
 Reimsbach(ライムズバッハ)は山の中にあるので、ホームグランドも森に囲まれている。鹿がたまに出て、夜は星が見放題なくらい自然に囲まれている。去年、クラブハウスの上に宿泊施設ができ、合宿などのために泊まることもできるようになった。

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<クラブハウスでエプロン姿の会長ノベルト>

 小一時間の練習を終え、みんなで昼飯をとる。午前中に練習をするときは、大概そのあとみんなで昼飯となるが、メニューは毎回スパゲッティボロネーゼ。エプロンをつけた会長が毎回、直々に作ってくれる。チームメイトのドイツ人たちはあまり食わないので、最後には会長か監督が俺に「もっと食え」と言ってくる。最低でも3回は言ってくる。

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2006年1月26日 (木)

みんな@サッカー

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 に、それぞれの公式サイトで登場。

 『みんな@サッカー』、略して「みなサカ」。
 http://minasaka.net


★3キャリア連動のブログ&BBS機能搭載のサッカー・コミュニケーションサイト!
★携帯サイト最大のサッカー・データーベース構築!!
★石川直宏(FC東京)や北嶋秀朗(柏)、高木義成(東京V)などの日記が読める!!
★元日本代表監督・加茂周やGAKU-MC(ラッパー)のスペシャル・コラムも読める!!

俺も、みなサカ仲間の「みなブロ」コーナーで書かせてもらってるので、よろしく。

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2006年1月24日 (火)

今年1発目の練習試合は

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<試合後、クラブハウスで語る>

 
昨日は、ドイツで今年初めての練習試合があった。冬休みでストップしていたシーズンが3月の頭から始まるので、我がReimsbach(ライムズバッハ)もその準備のため動き出した。天気が悪く、ここ1週間の練習は土の上で行われた。この日もまだ芝生が管理中で、土のグランドでの試合となった。

 この日の相手は、ブンデスリーガ2部の1.FC Saarbrucken(ザールブリュッケン)の2軍。若い選手が中心だけど、ドイツ国外からも選手を集めていて、1軍でプレーしている選手も何人かいた。俺も昔ここでプレーしたことがあるけど、その時は日本、フランス、イタリア、カメルーン、トルコ、など半数が外国人だった。

 ライムズバッハは、村付近のチームの中では一番強い。州のリーグでも1部に所属しているので、調子が良ければそこそこできるチームだと思う。が、サッカー選手にしてはおとなしいやつが多くて、相手が少しでも格上だとビビる。この日も、「どうせ負けるだろ」みたいなことを言っているやつがいた。
 
 試合はザールブリュッケンが圧倒的にゲームを支配して、こちらのチャンスはほとんどなかった。前半、後半とも3点ずつ取られて、6-0で敗北した。ライムスバッハも主力選手が何人か抜けていたけど、それでも明らかに個人個人が準備不足。ほとんどが90分間動けないし、基本的なミスが多すぎ。相手にとってはさぞかし楽な試合だったと思う。

 チームが惨敗して悔しい思いをしたけど、個人的には「今日の飯を食えるだけの仕事はした」という評価だった。フィジカル的にもメンタル的にも冬休みの間にだいぶリフレッシュできたので、このところの調子は悪くなかった。そして、昔のチームメイトにも会い、久々に大きなコートでサッカーの試合を楽しむことができた。

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2006年1月23日 (月)

1.FC Reimabach (ライムズバッハ)

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<クラブハウスのドアとチームのロゴ>

 俺が現在ドイツで在籍しているチームは、1.FC Reimsbach(ライムズバッハ)。Saarland(ザールラント)州の田舎にある小さな村のチームで、州の一部リーグに属している。ほんとに小さい村で、どこもかしこも緑だらけ。たまに馬がその辺を歩いている。

 よくドイツのクラブチームには1.FCが付いているけど、これはその地域で初めにできたFussball Club(サッカークラブ)と言う意味。Reimsbachも村で初めてできたチームだけど 、2つもチームができるほど大きな村ではない。でも、こんなに小さな村のチームでも、自分たち専用のホームグランド(芝、土)やクラブハウスを持っている。ほかの地域でも同じような形でたくさんのチームがリーグに参加している。ザールラント州には400弱のサッカーのクラブチームが存在するらしく、サッカー文化は日本と桁違い。試合を観ているおばちゃんまでルールがしっかりわかっていて選手に指示を出す。更に、アマチュアの試合でも入場料を取る。ちなみにライムズバッハの入場料は3ユーロ。

 1.FC Reimsbachは、1929年に発足してドイツサッカー協会のリーグに参加している。こんな田舎のチームだが歴史は長い。チームカラーは青。アウェイは黄色。
 会長は、Nobert Buchheit(ノベルト・ブーフハイト)。小さいメインスタンドがホームグランドにあるけど、このスタンドには彼の名前がつけられている。
 メインスポンサーは、Edgar Silvanus(エドガー・ズィルヴァヌス)。家具とか建築系の仕事をやってる。息子は2軍でプレー中。
 監督は、1軍がUdo Hoelzer(ウド・ヘルツァー)、2軍がMichael Buchheit(ミハエル ブーフハイト)。ウドは、俺をドイツに連れてきた人。ミハエルは、会長ノベルトの息子(兄)。
 ミハエルの弟はMarco Buchheit(マルコ・ブーフハイト)で、1軍のキャプテン。元ブンデスリーガー。よく声が裏返る。

 チームは1軍から3軍まであり、6つのカテゴリーの少年チームも所有している。そのうちのCユース(中学生年代)を俺が指導している。他にもマッサージ師、選手証管理、グランドキーパー、チケット係りなど、たくさんの人たちがチームに関係している。選手もチーム関係者もみんな仲がよく、一つのファミリーのような超地密着型のチームになっている。

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2006年1月22日 (日)

第1回ガウス大飲み会 in 関西

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<第1回ガウス大飲み会 関西大会>

 
日本滞在中、大阪にも出向いた。去年の冬にも友達のところにお邪魔したが、大阪は今回が3回目。あまり関西のほうには行かないけど、今回こういう機会があったので、「第1回ガウス大飲み会 in 渋谷」に引き続き、関西大会が開催された。

 Gauss(ガウス)とは、ドイツのザールラント州Saarbruecken(ザールブリュッケン)という街にある通りの名前。ガウス通り。俺は現在そこに住んでいて、今までそこでいろんなサッカー関係の日本人に出会った。人によってドイツ滞在期間はまちまちだけど、今回は日本(東京、大阪)で再会ということなった。1月2日の東京大会では20人あまりが出席したが、関西方面はもともとメンバーが少なかったり日程が合わなかったりしたため、参加者はやや少なめだった。

 東京大会のメンバーに比べて、ほんとに長く会っていないのは少なかったけど、みんなこれから動きがあって、いろいろと情報交換ができた。

 今回用事があってこれなかった人、ドタキャンした人、関係なくても参加したい人、第2回大会も開催予定なのでよろしく。

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2006年1月21日 (土)

北鎌倉の旅

 ボス、モリクンと共に北鎌倉の旅に出かけた。鎌倉に近づくにつれて、どんどん道が込み始めた。わき道に車を止めカフェへ入り、腹が減ったのでそのままそば屋に入る。そこで今回の目的地の円覚寺の場所を聞いてみると、渋滞で込んでいるので歩いたほうが早いと言う情報を得た。歩いて円覚寺へ向かうと、通りが一本しかないので、車の列がどこまでも続いていた。途中、鶴岡八幡宮あたりでは人ごみでお祭り騒ぎだったけど、円覚寺に近くなるとほとんど人もいなくなった。

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<相棒のモリクンと円覚寺前にて>

 暮れの番組で、たまたま円覚寺の特集をやっていた。藤岡弘が案内役で、円覚寺や北鎌倉の街を紹介していた。円覚寺には国宝など結構な見所があるようだったけど、俺たちの目的のものはそのとき紹介されていなかった。
 円覚寺にたどり着いた俺たちだが、門の前には「閉門」の看板が。飯を食っていて時間をとったため、すでに閉門時間になっていた。そこで、横の通用門が開いていたので中に入り込む。ボスが頼み込み、なんとか中で時間をとることができた。
 坂道を登ったところでたくさんの墓が並んでいた。俺たちが探したのは、「無」の文字が刻まれた墓石。そこにはボスの大好きな監督、小津安二郎が眠っている。海外から有名な映画監督もここに足を運ぶらしい。

 すっかり回りが暗くなってしまったけど、今回の最大の目的はなんとか達成された。ボスもご満悦のようだった。まだまだ北鎌倉には見所がありそうだったので、次回来る時には(何があるかはっきりはわからないけど)他にもいろいろと回ってみようと思う。

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2006年1月20日 (金)

高校サッカー観戦

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<高校選手権準決勝を観戦中のウドとクリストフ>

 
ドイツ人4人を連れて、高校選手権の準決勝の試合を国立に観にいった。対戦カードは、野洲高校対多々良学園。
 ここのところ日本を離れていて、高校サッカーを全く見ていなかった。それと、高校野球もそうだけど、テレビなどでやたらと騒ぎ立てる割にはあまり面白くないと言うのが俺の印象だった。

 今回、しっかり見た試合はこの試合だけだったけど、選手の技術レベルは相当上がっていると思った。大会の中でもけっこう面白い試合の一つだったかもしれないけど、確かに選手が身体的、技術的にしっかりと鍛えられていた。アメフトのドイツ代表の監督アンディも日本人の高校生のプレーに喜んでいた。

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<ハーフタイムの暇つぶしにスタジアムの外で> 

 試合は、野洲高校がボールを支配する時間が多くなり、中盤やディフェンスラインでボールを回していた。多々良学園もカウンターで何度かチャンスを作り出していた。が、両チームなかなか点が入らない。中盤での回しはうまいけど、フィニッシュが決まらない。これは高校生だけじゃなくて日本全体にいえることだけど。日本のサッカーの父・クラマーさんが言ったように、「第2の釜本を見つけなければならない」。

 それとウドも言っていたけど、選手のタイプがほとんどみんな同じ。テクニックがあってドリブルができるけど、点が取れる怖い選手がなかなかいない。ただ、「ドイツのトップクラスのユースチームでもこんなにうまいチームはない」と言っていた。

 野洲高校は決勝に進出して、昨年度のチャンピオンの鹿児島実業を下し、優勝した。試合は見ていないけど、九州勢の勝つためのサッカーに勝ち、「高校サッカーの見方を変えた」と言うような意見を聞いた。まだまだ改善の余地はあると思うけど、限られた時間の中で、一発勝負の大会で、しっかり組織したサッカーができるようにトレーニングされたチームだと思った。

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2006年1月19日 (木)

アンディのリクエスト in Tokyo

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<靖国神社の入り口で>

 この日は、ウドは別行動で横浜へ。俺は、クリストフ、アンディ、ベルントの3人のドイツ人の案内係りとして動いた。

 まずは秋葉原へ。狙いはiPodで、免税がきいてドイツよりもかなり安いので、みんな買いあさっていた。アンディはiPodを合計4つ、クリストフも1つ買った。ベルントはiPodが何なのかいまいちわかっていなかったけど、クリストフに説得されて1つ買っていた。更には、テレビやDVDなどの電気機器をくまなく見回り、アンディは相当浮かれていた。

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<お土産を買いあさったアンディと戦闘機の前で>

 秋葉原での買い物を終え、次は靖国神社へと向かった。これも、フィギュア、歴史マニアのアンディのリクエスト。俺も行ったことがなかったので、着くまで少し時間がかかった。
 到着後、まずはおみくじを引く。アンディのおみくじには、「衝動買いに注意」と書かれていた。周りで売られていたお守りや絵馬などにも興味を示していたけど、結局、高すぎるという意見で一致した。

 ここまで、アンディはずっと「戦争の博物館はどこだ?」と言っていた。それらしき建物に入ると大砲や戦車が置いてあり、アンディは大はしゃぎだった。早速、入場券を購入し、館内を見学した。
 見学しながら、アンディが戦争の歴史や武器について説明していた。漢字が読めないので「これは戦艦大和なのか?武蔵なのか?」といろいろ聞いてきた。かなり詳しい。クリストフやベルントはあまり関心がなく、ほとんど歩きながら寝そうな勢いだった。
 最後のお土産コーナーでは時間がないにもかかわらず、アンディはいろいろとあさっていた。そして、木刀を購入し、更にはしゃいでいた。クリストフやベルントは疲れきっていたが、最後は「俺たち同盟を組んだ戦争兄弟じゃないか」ということで一致団結した。

 この後、帰りの電車の中でみんな爆睡し、降りる駅を2駅も通り越した。

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2006年1月17日 (火)

仙台の旅

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<そばをがっつく、ウドとベルント>

 1月4日、ウドたち4人のドイツ人を引き連れ、仙台へと向かった。ウドは約10年前にアンディとともに来ていて、宮城県の名誉県民か仙台市の名誉市民になっている。ワールドカップの時にはクリストフも仙台で試合を観戦した。俺は初仙台。

 到着後、2002年のワールドカップの会場の一つとなった宮城スタジアムを訪れた。ワールドカップ以降の使用が少ないことが問題になっているようだった。スタジアムの隣にはアリーナがあって、エリッククラプトンのライブやK-1が開催されたポスターが貼ってあった。

 昼は、金さん銀さんも訪れたという蕎麦屋「こけし庵」へ。みんなでそばをがっつく。その後は別行動。クリストフとベルントは松島観光へ。俺たちは利府高校と利府町の役場へ。

 利府高校は毎年、2年生が修学旅行でドイツへと来る。去年の12月にザールブリュッケンを訪れ、短い間だったけどサッカー部の2年生と関わることができた。今年の高校選手権では宮城県代表として初出場だったけど、残念ながら1回戦で四日市中央高校に負けてしまった。

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<利府町長と>

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<利府町からお土産をもらい喜ぶウド>

 その後、ウドたちは仙台に残り、俺とボスは東京へと戻った。

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2006年1月16日 (月)

ウド御一行来日

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<到着したドイツ人たちと居酒屋で>

 1月3日に、4人のドイツ人が来日した。俺とボスは前日から東京入りしていて、3日の夕方にUdo(ウド)たち4人と渋谷で合流した。ミーティングを早々に済ませ居酒屋へ。ウドはやや疲れ気味だったけど、他の連中はハイテンションだった。

Udo ウド (一番左)

 ドイツ人。ザールラント州出身。ドイツサッカー協会S級ライセンスを持ち、州1部リーグのサッカーチームの監督。俺の監督でもある。10年位前から日本にコンタクトがある。最近、少しだけ日本語を聞き取れるようになってきたので、下手なことを言うとばれる。

Christoph クリストフ (手前右)

 元ブンデスリーガー。アマチュア時代はウドと共にプレー。ポジションはフォワードで、ヘディングでゴールを量産。そのため、「髪が抜けた」と自分で言っていた。ケガで引退、現在は銀行員。

 Andreas アンディ (左奥)  

 クリストフの弟。アメリカンフットボールのドイツ代表監督。ザールラント・ハリケーンズの監督もかねる。日本の歴史マニア。フィギュアや秋葉原が好き。ナイスガイ。タフガイ。

 Bernd ベルント (右奥)

 クリストフの銀行の会長。今回、初来日。4人の中ではやや年上だけあって、夜遅くまでいる時はやや疲れ気味だった。ナイスオヤジ。

 俺は16日まで、ウドたちは9日まで日本に滞在予定。

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2006年1月15日 (日)

日本のサッカーの父

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<熱演中のクラマーさん(左)>

Dettmar Cramer(デットマール・クラマー)

 

1925年ドルトムント生まれ。日本代表は、62年のローマオリンピックでは本大会出場ができなかった。そのため、64年の東京オリンピックに向けて、サッカー日本代表の強化コーチとして召集される。75年からはバイエルンミュンヘンを率いて、チャンピオンズカップで2連覇を達成した。

Jリーグの川渕キャプテンや岡野会長、日本最高のストライカー釜本などを育て上げ、60年代の東京オリンピックベスト8、メキシコオリンピック銅メダルに貢献。

当時、彼は日本サッカーの発展のため、いくつかの助言をした。国際試合の経験を多く積むこと。高校から日本代表まで、各チームに2人のコーチを置くこと。リーグ戦の開催。芝生のグランドを多く作る、などなど。日本サッカーの近代化や現在のJリーグの基盤となる部分に大きく影響していて、「日本サッカーの父」として伝説の人となっている。

 3日の午後から、このクラマーさんの講演が東京で行われた。日本を含め、90カ国以上でサッカーの普及に携わってきたクラマーさんからは、短時間であるけど内容の濃い話を聞くことができた。

 もう80歳になるクラマーさんだが、サッカーの話になるとテンションが上がり、生き生きしていた。数え切れないほどの試合に立ち会っていたのに、日付や誰がどうやって得点したのかなど詳細に覚えていて、興味深い昔の話を聞かせてくれた。しかし、その話の中には現在のサッカーに対する助言なども含まれていて、もう一度サッカーを違う視点で考えることができた。ちょっとした実演では、80歳とは思えない切れのある滑らかなフォームを披露してくれた。

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<公演後、日本サッカーの父とともに>

 クラマーさんは、選手に印象のある言葉を与え、選手を育てていくことでも有名である。言葉の魔術師として、この日もいろいろな名言を残してくれた。

「サッカーは人生の縮図である。人間として成長する場である。」


「本当に大切なことはゴールを決めることではなく、友情を結ぶことである。」


「日本代表は第2の釜本を探さなければならない。」


 更に、過去に残した名言もここに紹介。


「物を見るのは精神であり、物を聞くのも精神である。眼そのものは盲目であり、耳そのものでは聞こえない。」


「タイムアップの笛は、次の試合へのキックオフである。」


「試合で勝った者には友達が集まってくる。新しい友達もできる。本当に友達が必要なのは敗れた時であり敗れた者である。私は敗れた者を訪れよう。」

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2006年1月13日 (金)

ガウス大飲み会 in 渋谷

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<ドイツで知り合った面々と、渋谷にて>

 元日は静岡で過ごし、2日に東京へと向かった。これから1月16日のドイツへのフライトまで、日本国内を何箇所か回ることになっている。

 
まず、初めは渋谷での第1回ガウス大飲み会。Gauss(ガウス)とは、ドイツのSaarbruecken(ザールブリュッケン)という街にある通りの名前。俺は現在そこに住んでいるんが、今までの4年半の間にそこで同じくサッカー関係の日本人と出会ってきた。長く滞在するやつもいれば短い間だけしかいないやつもいたけど、そんな面々を久しぶりに集めようということで始まった。

 
開幕の19時頃には続々と人が集まり始めた。最近会ったばかりのやつもいれば、3年くらい会っていない懐かしの顔ぶれもいた。唯一、俺だけが全員を知っていて、他の選手同士ではお互いを知らないのもいたけど、そこは「ガウス通り」にいたという仲間意識でうまくまとまった。2次会へも総勢約20名が全員参加して、いろいろと情報交換をすることができた。更に、ボス、モリクン(りーもー)、トシ(愛知FCコーチ)、俺の4人で3次会へと突入し、朝まで生討論となった。翌朝、トシは愛知へ、俺とモリクンはそのまま東京へと残り、これからの活動へと移った。

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<トシ(中)、モリクン(右)と3次会>

今回の「第1回ガウス大飲み会」には、約20名がはるばる参加してくれた。関西圏の面々とは「ガウス大飲み会 in 関西」で会うことになっている。その他、今回用事があって来れなかった人、ドタキャンした人、関係なくても参加したい人は、来年開催予定の第2回大会で会おう。

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2006年1月 1日 (日)

筋肉日記も2006に突入

 2005年の活動に終止符を打ち、いよいよ2006年に突入した。「もうすぐ199X年だ。」と言っていたあの頃が懐かしい。

 11月に20日間ほど日本に滞在していたので、今年の年末年始はドイツで過ごす予定だったが、ボ スに半ば無理やり付いてきた。今回は1月16日まで滞在する。

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 大晦日もあとわずかということで、高校時代の主将・早川と共に地元・ 清水をまわった。エスパルスドリームプラザ(通称ドリプラ)はカウントダウンでお祭り騒ぎだったので、俺達は迂回をし小さな神社へ。お参りをしお守りをもらう。おみくじがなかったので、もう一つの神社へ。結果は小吉。「なにか奥歯に物がはさまっているような状態」と書かれたいた。「邪魔なものは噛み砕けばよい」とも書かれていた。前進勝利できたらうれしい。

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<ミーティング中の小学生>

 元旦は、母校の小学校で毎年恒例の初蹴りがある。清水市立江尻小学校。小学生、OB、父母、指導者が集まってみんなでサッカーをする。俺はママさんチームに混ざり、小学4年生と対戦。その後、指導者チームでOBの若者達と対戦した。2006年開幕を2連勝で飾ることができた。みんな、正月早々負けていられないので、女子供とて容赦しない。

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<子供相手にむきになる大人たち>

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