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2005年10月の8件の記事

2005年10月29日 (土)

武士道を読んで 侍のイメージ編

 1年半くらい前、俺がまだチェコにいた頃、CMとポスターに出ることになった。しかも、ピンで。ちょうどユーロ2004(サッカー・ヨーロッパ選手権)が開催されて、そのためのCMだった。このCMは、東欧10カ国で流れていたらしい(大会中はドイツにいたのでCMをライブで見てない)。

 撮影は半日ずつかけて2日で終わったけど、その前に2週間くらいかけて、剣道とワイヤーアクションの練習をさせられた。剣道では手の皮がむけまくり、ワイヤーアクションではワイヤーに吊るされまくって腰がすりむけた。面白かったけど。
 設定では侍だったが、侍なのか忍者なのかよくわからない格好をした。メイクもしたけどこれが気持ち悪く、しかも、モデルにしたのが歌舞伎だった。撮影のカットはどうやら「Kill Bill」からパクっているような気がした。

こんな感じ。→CMが貼り付けてあるページ

 侍に関する映画をいろいろ見ていると思われるCM撮影の監督(チェコ人)でも、忍者?侍?みたいな感じになっている。逆に、海外で流れているバッタもんの侍を見すぎて、イメージがごちゃ混ぜになってるのかもしれない。
 とにかく日本的な絵を撮りたかったらしく、撮影には盆栽や寿司までわざわざ用意された。この寿司は撮影前にこっそりつまみ食いしたけど。

 日本的なものへの外国人の偏見や勘違いはいろいろあるけど、海外でみられる侍は、「なんとなくこんな感じだろ?」というノリで作ったと思うようなものが多い。しかも、日本なのか中国なのか韓国なのか。それはそれで面白いときもあるけど。
 実際に「ジャッキーチェンは日本人なのか?」とけっこう多くの外国人に質問された。(ジャッキーの映画はドイツでよく流れてる、サモハンも。ドイツ人は、ジャッキー・シャンって呼んでるけど)
 そして、「違う」と言っても、「でも、ブルース・リーとジェット・リーは日本人だろ?」と突っ込んでくる。中国と韓国と日本では、一緒の言葉を話していると思っているやつもいる。

 こんな勘違いもあるけど、ヨーロッパにも侍に似た騎士がいた。「武士道」の中では、武士(侍)に対して何度か騎士を引き合いに出していた。でも、武士と騎士の響きは全く違う。それは、武士は宗教の大きな影響よりも、成文法ではない道徳的な掟「武士道」によって、全く独自の形をしているから、だと。

 そんな武士道もその制度は滅びているし侍もいない。今から約100年前、「武士道」の中で、「武士道はすでに滅びつつあるが、完全には消え去りはしない」と書かれていた。「鳥のくちばしや、魚のヒレがすぐに無くならないように、武士道の700年の蓄積されたエネルギーは急には止まらない」とも。
 映画などにも取り上げられて、ファッションとしての影響もあるけど、「最も進んだ思想を持つ日本人であっても、一皮むけばそこに侍が現れる」と新渡戸氏は言っている。多かれ少なかれ、武士道精神・侍魂がどこかで伝わっている。

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2005年10月27日 (木)

武士道を読んで 微笑み編

 もう3年くらい前になるけど、ここSaarbruecken(ザールブリュッケン)に日本人サッカー選手が何人かいるということで新聞の取材がきた。新聞には、俺たちの割と大きめなカラー写真と「サッカー選手・微笑みの国から」みたいな題で記事が掲載されていた。「微笑みの国から」というタイトルを見て「なめてんのか?」とも少し思ったけど、なかなか鋭いとこをつくとも思った。

 と昔のことを掘り出したけど、ちょうど新渡戸稲造氏の「武士道」を読んだところで、しかも、今日このこと(微笑み)に関係したことをドイツ人の理学療法士の1人に質問されたのでこういう展開になった。

 新渡戸稲造、1862年、盛岡生まれ。農政学者、教育者としても知られる。札幌農学校在学中にキリスト教徒となる。1884年、東京大学を退学し渡米。1887年、ドイツのボン大学などに留学。1891年、メリー・エキルトンと結婚。
 1899年、アメリカで静養中、「武士道」を英語で執筆出版。校長、学長などを歴任した後、1920年に国際連盟事務次長となる。1926年まで国連平和に尽くし、「ジュネーブの星」と謳われた。
 1933年、カナダのバンフでの太平洋会議に出席、発病し、死去。

 新渡戸氏は老教授との散歩中、宗教の話になった。
「日本の学校では宗教教育が行われていない?宗教がなくてどうやって道徳教育ができるのか?」と言われてその時どう答えていいかわからなかったらしい。その後、いろいろ考えてみた結果、自分の善悪の判断が武士道であることにたどり着いたらしい。
 出版の直接のきっかけは、奥さんが外国人ということもあって、日本のことについていろいろと質問してきたことらしい。しかし、それを説明するには、封建制度や武士道をまず理解してもらわないといけない。ということで、それらの話や答えたものを整理したものが「武士道」となった。

 新聞の「微笑みの国」というのはどこから来たのか?ワールドカップ・フランス大会でラモスがキレテいたけど、フォワードの城がミスをしているのに笑っていたからか?見知らぬ人にでも笑顔を見せるからか? 

 まず、城がミスして笑っていた場合(城ばっかり言われてかわいそうだけど)。「武士道」の中で「武士が感情を顔に表すのは男らしくない」、「喜怒を色に現わさず」とあったけど、そこから説明がつくと思う。
 俺もあると思うけど、ミスをして笑う、苦笑いをする場合は、もちろんうれしいわけでもなく、ミスをしてあせる自分を他人に見せたくないから。動揺する自分を隠すために笑っていると思う。(もちろん、本当に楽しい笑いとか、負け犬の笑いもあるとは思うけど。)
 ヨーロッパ人はミスをした時、吼える、逆ギレといった場合が多い。その意味は気持ちの切り替え、ストレス発散、責任転嫁などいろいろあると思う。

 これはミスだけじゃなくて、例えば、怪我をした時、痛いけど痛がっている自分や痛みに耐える自分を見せたくないから笑顔でごまかすということもそうだと思う。
 でも、これが外国人に誤解される場面を見たことがある。俺の日本人の友達(バシタカ)だが、試合中に結構ひどく負傷したので監督に交代を申し出た。しかし、このやせ我慢の笑顔が出ていたため、監督には「痛いのに何で笑ってんだ?」、「笑ってるくらいならまだできるだろう」と解釈されてその後しばらくプレーしていた。

 2つ目の見知らぬ人にも笑顔を見せる場合。今日、理学療法士に質問されたこと。これは別に日本人じゃなくてもやると思うけど、時には外国人にとっては必要以上の笑顔にうつって、その裏に何か意味があるのかと不思議・不安になると思う。
 このことは、武士道の「礼儀」から言えると思った。礼儀は「他人の感情を察する同情的な思いやりが外に表れたもの」、礼が要求するものは「悲しむものとともに悲しみ、喜ぶものとともに喜ぶこと」とあった。
 だから、この場合の笑みは初対面の相手が不安がらないように気遣って、「俺たちはフレンドリーだ」、「敵じゃねーぞ」とアピールしている部分があると思う。プラス、自分自身が緊張していて、その緊張を隠すための1つ目の笑みの場合もあるかもしれないけど。でも、時として、外国人にはこれが裏目に出て、その気遣いの笑みがヘンに理解される可能性もある。

 笑みは、武士道の中では付属的なところだったけど、普段の生活でもサッカーの中でも、日本人らしい特徴のひとつだと思った。

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2005年10月18日 (火)

とんがりキャベツ Spitzkohl

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最近、写真のこいつをスーパーでよく見かけるようになった。
名はSpitzkohl(シュピッツコール)。Spitze(シュピッツェ)とは「とがった先っぽ」とか「先端」とか言う意味。そして、Kohl(コール)とはキャベツのこと。
こいつはいつもキャベツの隣に置かれている。今日はこの「とんがりキャベツ」を買ってみた。

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半分にぶった切ってみるとこんな感じ。

味はキャベツ。甘みもある。
とんがった部分をつかめば持ち運びにも便利。
これからはとんがってけ。

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2005年10月 9日 (日)

ドイツで柔道デビュー

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<ドイツの柔道仲間たち>

 昨日は、ドイツで初めて柔道の大会に出場した。今まではサッカー選手として体調管理しなければならなかったので柔道をする暇がほとんどなかったけど(今でも選手として最低限の準備はしてるけど)、選手からコーチにメインを切り替えたので柔道をする余裕も少しできた。

 まず、最初の敵は計量だった。2キロくらいだったらすぐに落とせる範囲だけど、前日に体重を量ったら500グラムオーバーしてた。家に体重計がないので、念を入れて、試合当日は朝からチョコレートと紅茶を1杯だけしかとらなかった。試合が午後だったのですごく腹が減った。会場についてからすぐに計量してみたら、リミットの73キロに1キロも余裕があった。とりあえず試合に出れることになった。

 会場は小さな体育館で試合場が2つ用意されていた。畳が一列分取り除かれていて、日本の時よりも一回り小さい試合場だった。
 この大会は団体戦で、体重別に5人が戦う。81キロ以下級、90キロ以下級、65キロ以下級、73キロ以下級、90キロ超級という順番だった。この日は4試合あった。

 1試合目は73キロ以下級に出た。俺は二段だから本当は黒帯をつけて出る予定だったけど、監督が「いきなり得体の知れない日本人が出たら文句をつけられるかもしれないから、新入りと言うことで黄帯をつけて出ろ。」と言われた。
 デビュー戦の相手は黒帯の選手だった。が、始まって組んで内股で秒殺した。俺は黄帯で出ていて、相手はいきなり内股をかまされてびっくりしていた。審判も周りの観客もびっくりして笑っていた。この団体戦は3対2で勝利した。

 2試合目の相手は順位が上に決まっているチームだった。接戦している他のチームに勝たなければならないということで、俺はこの試合は休憩だった。チームとしてもこの試合は不戦敗になり次の試合に備えた。

 3試合目は81キロ以下級で先鋒として戦った。1試合目で使った内股が警戒されて、しかも、相手がひとつ重い階級の選手だったので少してこずった。何回か「マテ」がかかった後、「足を動かせ」と監督に言われたので少し動いて相手を揺さぶった。いいところを持って足技を仕掛けた後、連絡技で内股を仕掛けた。これが綺麗に相手を浮かせて一本で勝つことができた。この団体戦も3対2で勝つことができた。

 最後となる4試合目は、また73キロ以下級で出ることになった。最初の二人が負けて、3人目となる監督の息子Hanu(ハヌゥ)が一本で勝った。チームが勝つためには俺は絶対に勝たなければならない。
 少し組んだ瞬間そんなに強くないと思ったが、それは俺がしっかり練習しているという前提でだった。相手チームは、俺が2試合とも内股で一本勝ちしていたのを知っていた。相手選手はすごく警戒してきてほとんど組まずに背負いなどを仕掛けてきた。
 練習不足からかなかなかいいところを持たせてもらえず、相手のペースで進んでいった。途中、思い切って突っ込んでいったところを背負いで有効かなんかを取られた。こっちも惜しい技が何回かあったが、しっかりと組めていなかったので決めきれなかった。
 残り1分をきったあたりで、相手の疲れも見え始めた。そして、リードを守ろうと逃げ腰になっていた。やっといいところを持てたところで思い切り内股をかけたらこれがまた決まり、逆転の一本で勝つことができた。自分で苦んで、試合を盛り上げて、最後に勝ったという感じだった。
 ここまでで2対2のスコアになったが、最後の砦のAxel(アクセル)がまさかの敗北で、チームは3対2で負けてしまった。

 チーム的には2勝2敗とまずまずだったらしい。俺は3試合一本勝ちで、なんとか日本人助っ人としての面目を保つことができた。監督は「いい自己紹介ができたな」と言っていた。最後の試合が終わった時、「Gut gekaempft!(グートゥ ゲケンプフトゥ)=よく戦った!」と子供が言ってくれた。久しぶりの試合でだいぶ疲れたけど、ドイツに来てからサッカーばかりやっていたので良い気分転換になった。次回の大会にも召集されたけど、サッカーの日程を見てみないとわからない。

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2005年10月 7日 (金)

減量中

 先週、ここドイツでたまに遊びに行っている柔道クラブから連絡があり、大会(団体戦)に出てくれと言われた。と言っても、サッカーの仕事のほうを優先させなきゃならないので、まだ稽古には3回くらいしか顔を出していない。

 この柔道クラブに初めて顔を出したのは確か去年だったと思う。ドイツ人の友達がこのクラブに所属していたので連れていってもらった。
 最初の寝技の乱取りでいきなり監督がやろうと言ってきた。「これは負けられねー」と思って最初から飛ばしていった。もう4年くらいまともに柔道をしてなかったので、腕もすぐにパンパンになったし指の皮も剥がれて血が出た。でも、なんとか気合いで2回「まいった」させることができた。その後の立ち技の乱取りでもなんとか勝つことができて日本人の面目を保った。
 俺の師匠が言っていた。「負けてよくやったなんて言うのは日本だけだ。海外では勝者は美しく、敗者は負け犬だ。惨めなジャップだ。」と。

 先週の柔道の試合は、サッカーの試合と重なったため出ることはできなかったが、今週はサッカーとかぶらないので明日の柔道の試合に出ることになった。
 練習無しでいきなり試合はまずいと思ったから、火曜日に一度柔道の稽古をしてきた。長いあいだ柔道をしていなかったので、また腕がパンパンになり指の皮がめくれた。しかも、73キロ以下級に出てくれって言われたので、火曜日から2キロほど減量中。力石やジョーに比べたらたいした減量じゃないので、このまま行けば明日はちょうど73キロくらいになってると思う。もしだめでも、少し走ればすぐに調整できる範囲だと思う。
 
 今日はランニングしてイメージトレーニングをした。少しでも勘が戻って、明日の大会でいい動きができればいいと思う。

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2005年10月 5日 (水)

2000万パワーズ パリで再会③

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パリのラーメン屋にて、得意の顔でフジヤマラーメンを食べる相棒のモリくん

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これをはけばあの人を思い出すだろう

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モリ君からのおみあげ、めっちゃ怒ってるバッファローマン

The greatest education in the world is watching the masters at work.
Michael Jackson


(世界で最高の教育は、名人が仕事をしているところを見ることである。
マイケル・ジャクソン)

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2005年10月 4日 (火)

2000万パワーズ パリで再会②

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<凱旋門前でリーモーと>

 オペラ前でカフェをしたあと別行動になり、モリ君と二人でパリの街中をぶらぶらした。前回来た時はバスの中から見ただけで、ほとんど街の中を歩けなかった。

 まずは凱旋門の上に上ろうとした。地下鉄の入り口と間違えてなかなかたどり着けなかったけど、何とか凱旋門への地下道を発見した。上に出たら雨が降っていて寒かったので、少ししてからエッフェル塔に向かった。

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 俺もモリ君も前に行った時はエッフェル塔には上れなかった。今回は上まで行こうということになり一番上までいってみた。眺めは良かったけど風も強くてすごく寒かった。
 
 その後、飯を食いに行ったが、遅くてあまり店がやってなかったので近くのラーメン屋に入った。フジヤマラーメンを二人で食った。最後はピアノバーに行きこの日は終わった。

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2005年10月 3日 (月)

2000万パワーズ パリで再会①

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<モリ君とオペラ座の前にて>

 今回のパリへの旅は急遽決まった。強敵(とも)のモリ君が仕事の用事で日本からパリ・ミラノに来るということ聞き、「じゃあパリで会おう。」ということになった。モリ君と社長の陽子さんの2人でパリに来て、俺は自称ボディーガードとして無理やり同行させてもらった。電車のストライキが始まるということで1泊2日しかいることができなかったけど、その内容はとても深くいい修行になった。

 モリ君とは、ドイツ・チェコで合計3年間一緒にサッカーをした仲。「モリ君」・「もっちゃん」・「りーもー」・「もっちゃんさん」といろいろ呼び名はあるが、モリ君は今日本でがんばっている。日本に帰る時、ドイツに発つ時は、いつもモリ君のところに立ち寄らせてもらっている。

 チェコのプラハでは数少ない日本人サッカー選手として2人で闘っていた。この時から更に仲良くなっていった。そして、2000万パワーズの結成に至った。
 ちなみに、2000万パワーズとはアニメ「きん肉マン」に出てくるバッファローマンとモンゴルマンのタッグコンビ名。ちなみに、ブロッケンジュニアとウルフマンのコンビ名は「モストデンジャラス」。一番危険な目に遭ったのはあの二人だった。
 
 ザールブリュッケンから電車で4時間かけてパリに着いた。「駅から歩いて5分で着くから」というオペラで待ち合わせをしたけど、これはモリくんのガセネタだった。ちょうど路上駐車の取り締まりの警察がいたので聞いてみたら、「30分はかかるからピンクのラインの地下鉄で行け」と言われた。何とか切符を買ってオペラに着くことができた。しばらくしたらモリくんたちと無事パリで再会することができた。

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